2020年6月 4日 (木)

入間市散歩

2020年5月29日

元加治駅(西武池袋線)・・・円照寺・・・大ケヤキ・上橋(入間川)・・・県道195号(富岡入間線)・・・阿須運動公園・・・あけぼの子どもの森公園・・桜山ハイキングコース・・・(阿須山三角点)・・・桜山展望台・・・入間市農村環境改善センター・・・光円寺・・・八幡神社・・弁天池・弁天祠・・・西光院・上谷ヶ貫地蔵尊・・・欄干橋(霞川)・・神明神社・・・中橋(霞川)・・・三輪神社・・・三輪橋(霞川)・・・豊泉寺・・・根岸子育地蔵・・根岸庚申塔・・・伏見稲荷神社・・・稲荷神社・・・龍円寺・・・井戸観音・・・新久窯跡・・・八坂神社①(新久)・・・八津池窯跡・・・金子坂・・・(前堀川)・・・(仏子駅)・・・八坂神社②・・・観音堂・やかん坂・・大沢川・・・仏子駅(西武池袋線)

 【地図

Img_8304円照寺山門

元弘三年(1333)5月22日(鎌倉幕府が滅亡した日)の紀年銘がある「胎蔵界大日三尊種子板碑」は国指定重要文化財

 
Img_8301弁財天堂・本堂

池には色とりどりの鯉が泳ぎ、まだ咲いている蓮の花もある。
武蔵野三十三観音の第22番・武蔵野七福神の弁財天・関東八十八ヵ所霊場の第73番の絵馬寺でもある。

 

Img_8298不動堂

 
Img_8299説明板

 
Img_8305大ケヤキ(上橋の手前)

入間市景観50選」の45(入間川の上橋と大ケヤキ)

 
Img_8316上橋から入間川

西武池袋線が渡って行く。

 
県道195号を進み、飯能市に入る。

Img_8323阿須運動公園

 
Img_8322ストーンヘンジ

環状列石(ストーンサークル)を模した遊具らしい。環状列石といえば小樽の「忍路環状列石」(国指定遺跡)、「地鎮山環状列石」(北海道指定遺跡)を訪れた。『小樽市の坂④

 
Img_8329あけぼの子どもの森公園

コロナで休園中の敷地内を通って、桜山ハイキングコースに入る。

 
Img_8333桜山ハイキングコース

 
Img_8333「急階段昇降注意」の標識どおりの急登で息が切れる。

 
Img_8338緩やかになって展望台を目指す。

好天の下、歩いている人もけっこういる。飯能市から再び入間市に入る。

 
Img_8346桜山展望台(標高189m+?m)

思ったより高く、がっちりとした展望台だ。階段を上って行くにつれ、「ワイワイ、ガヤガヤ」、おばちゃん連中の賑やかな声が響いてきた。展望台は3密どころか過密、婆密の状態と恐れ?たが、それほどでもなく、しばらくして連中は下りて行った。

 
Img_8349富士山の頭が少し見える。

 
Img_8353西武ドームの白い頭も。

 
Img_8358武甲山方向

 
Img_8360南方向に入間市農村環境改善センターの方へ下る。

 

Img_8363光円寺

お堂らしくない建物はゆがんでいる? 写真の撮り方のせいだろう。


Img_8364牛小屋のにおいが漂っている。

 
Img_8365八幡神社

 
Img_8366説明板(上谷ヶ貫の獅子舞

 
Img_8367社殿

 
Img_8372西光院

レトロっぽい硝子戸がいいね。

 
Img_8370上谷ヶ貫地蔵尊(西光院境内)

延命地蔵の幟り旗が立っている。

 
霞川沿いに出て下流方向に向かう。

Img_8379神明神社

 
Img_8380説明板

 
Img_8389三輪神社

承平6年(936)に当地を訪れた藤原秀郷が比和大明神と称して社殿を建立したという。秀郷が平将門を討伐する4年前の話だ。

 
Img_8390説明板①

 
Img_8391説明板②

 
Img_8395説明板(天井絵ほか

 
Img_8399狭山茶畑が広がる。

 
Img_8401三輪橋から霞川(下流方向)

 
Img_8407豊泉寺(ふせんじ)

まだ新しそうな本堂だ。清々しい感じで気分がいい。

 
Img_8410庭園

 
Img_8409説明板


Img_8418_20200601161501根岸子育地蔵堂

正面の鍵穴?から写真を撮ったが、地蔵さんは留守のようで映っていなかった。

 
Img_8424_20200601161501根岸庚申塔(宝暦?年)

 
Img_8425伏見稲荷神社

こっちは社務所?で、鳥居の前の道路を挟んだ石段上に社殿がある。

 
Img_8428伏見稲荷神社(社殿)

左の母狐のお腹の下に子狐がいる。


Img_8432稲荷神社

  このあたりは高台になっている。
Img_8436?の木

 
Img_8450龍円寺

本堂・鐘楼・観音堂(子安子育千手観音)

 
Img_8438説明板

 
Img_8449説明板(新久はやし

 
Img_8442観音堂前の木

Img_8455井戸観音

ここに観音像が出現した井戸があったようだ。左が観音像(出現したものではない)で、右は稲荷の祠か? まあ、よく分らん所だ。

   
Img_8463新久窯跡

武蔵国分寺七重塔再建に必要な瓦を生産した。

 
Img_8460説明板


Img_8466八坂神社①への坂

けっこうな急坂で、そろそろ足にこたえてきた。

 
Img_8467八坂神社①(新久)

 
Img_8471八(谷)津池窯跡

八津池は、江戸時代初期から昭和30年代まで水田を潤してきた溜池だった。

 
Img_8472説明板

池は八津池だ。ここも武蔵国分寺の瓦を製造した。

 
Img_8475金子坂を下る。

八坂神社①の丘陵地から北方向に前堀川あたりまで下って行く長い坂。

 
Img_8479前堀川

入間川の支流の細い流れだ。

  仏子駅の北側に出る。
Img_8480八坂神社②(仏子)

 
Img_8484社殿

Img_8483由緒

   
Img_8486観音堂

 
Img_8485堂内

 
Img_8487やかん坂(谷間坂)

観音堂あたりから西方向に大沢川あたりまで緩やか下る坂。

 
Img_8489坂標

昔の石のごろごろした急坂の面影はない。

 
Img_8490大沢川

この川も入間川の支流だ。

 
Img_8492坂上方向

 
Img_8493仏子(ぶし)駅

地名の由来」は、「仏師」、「武士」、その他の説もあるようだ。

 

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2020年6月 1日 (月)

将門散歩(佐倉市・酒々井町・市川市)

2020年5月28日

大佐倉駅(京成本線)・・・麻賀多神社・・・大佐倉八幡神社・・・将門山大明神・口ノ宮神社・・・桔梗塚・・・大佐倉八幡神社参道・・・吉祥寺・・・根古谷の双体道祖神・・弁天社・・・根古谷の館・・・妙見神社・・本佐倉城址・・・道標・・宮坂新道標石・・(京成本線ガード)・・・勝胤寺・・宝珠院・大佐倉小学校跡・・・住善寺・・・大佐倉駅(京成本線)→京成八幡駅・・・不動院・・・白幡天神社・・・浄言寺・・御代院・・・菅野停留場設置紀念碑・・菅野駅(京成本線)

  【地図】 (将門散歩

Img_8128大佐倉駅

小さな駅で、京成線の駅では最も乗降人員が少ないというが特急も停まる。どうも「大佐倉」と「本佐倉」を取り間違えやすい。

 
Img_8130麻賀多神社参道

 
Img_8131麻賀多神社

佐倉市には麻賀多神社が11社もあるようだ。左の馬頭観音の祠の前のスダジイは樹齢150年以上で佐倉市の保存樹。

 
Img_8139裏(北)参道の急な石段(下は京成線の線路)

危険なので利用しないように、との掲示板が架かっている。

 
Img_8141大佐倉八幡神社へ抜ける道

この道は参道ではないだろう。

 
Img_8146大佐倉八幡神社

将門の父の平良将(良持)が居館を構えた地ともいう。この神社の創祀は不明だが、明応3年(1494)に本佐倉城主千葉勝胤から、弘治3年(1557)には千葉胤富から田地が寄進されたと伝え、本佐倉城の鎮守のひとつであったと考えられている。本殿は佐倉市の指定文化財。

 
Img_8147_20200530215301境内林

樹齢170年以上のシイ、スギなどで佐倉市の保存樹。


Img_8161将門山大明神・口ノ宮神社

将門と義民の佐倉惣五郎を祀る。ここ将門山は将門が館を構えた地という。鳥居の前にあるという佐倉藩初代藩主堀田正亮が植えたマテバシイを探したが、どうも見当たらない。帰ってから調べたら枯れてしまったようで、2代目の若木が植えられているそうだ。運よくこの若木の写真は撮ってあった。

 
Img_8149説明板

 
Img_8157堀田正亮が植えたマテバシイの2代目だろう。

 

Img_8163桔梗塚

将門を裏切った愛妾・桔梗の前の墓だという。この地には桔梗の花は咲かないという伝承がある。何の大木だろうか? このあたりは「将門町」という地名だ。

 
Img_8165歌碑

「花もなくしげれる 草の桔梗こそ いつの時世に花の咲くらん」、(伝承)は要らんよ。

 
Img_8166大木?倒木?

絡み合って凄まじい格好になっている。まさに「なんじゃもんじゃの木」だ。

 
Img_8170大佐倉八幡神社参道

ここから社殿まではかなりある。敷地も広大だろう。

 
Img_8171吉祥寺

佐倉五か寺」の一つ。ここは酒々井町だ。

 
Img_8176根古谷の双体道祖神

「子孫長命祈願」と彫られているそうだ。年代は不詳。この写真は『成田街道④』でも撮ったのだが、すっかり忘れていた。毎度のことだが。

 
Img_8180弁天社

 
Img_8181弁天様もちゃんと坐らした。

 
Img_8186本佐倉城跡

総面積は35万㎡と広大だ。

 
Img_8188説明板

成田街道を歩いた時は、ここまで来たが登城はしなかった。

 
Img_8191妙見神社

元はこの上部の城郭内に建っていた。ここの左側から登城する。

 
Img_8201一本杉?

 
Img_8212主殿跡

 
Img_8215矢立の模型が並んでいる。

 
Img_8219北方向

京成線が通る。筑波山も遠望できるというが、今日はだめだ。

 
Img_8226道標(右下)


Img_8227右側面 


Img_8234京成本線ガードをくぐる。

ガードの手前の左側にも「宮坂新道」完成記念標石(昭和40年)が立っている。

 
Img_8244勝胤寺

享禄元年(1528)、千葉勝胤の創建という。将門と天女との「羽衣伝説」の寺。羽衣伝説の「千葉石」は延長8年(930)、千葉一族祝宴の最中、天空より落下したともいい、この石を観て「千葉石」と命名せよとの後醍醐天皇の勅号があり、これが千葉氏の発祥といわれている。

 
Img_8251千葉水

千葉勝胤愛飲の水とか。

 
Img_8249千葉家供養塔(17基)

中央奥の宝筐院塔が千葉勝胤の供養塔。

 
Img_8254宝珠院

佐倉五山の筆頭寺。千葉家の祈願寺で、江戸時代には佐倉藩堀田家から、将門山に8町歩の寺領を拝領していたという。境内に「大佐倉小学校跡 明治5年)」の木柱が立つ。

 
Img_8255説明板

 

大佐倉駅から京成八幡駅に向かう。タイミングよく特急に乗れたのだが、勝田台駅の手前の踏切で人身事故で数十分停車、やっと動いたと思ったら勝田台駅で運転中止で降ろされてしまった。後続電車もかなり遅れたが何とか京成八幡駅にたどり着いた。

Img_8262不動院

本尊の不動明王は、天慶2年(939)、将門の乱平定のため寛朝僧正が、成田山の不動明王と同木同作のものを、この地に安置したと伝えられている。

 
Img_8273白幡天神社

菅原道真と将門は怨霊同士の間柄。また道真の子・三郎景行の景行の館(学問所)で、将門の弟・将平が学問に励んだという縁もある。常総市(茨城県)には三郎天神社もある。

 
Img_8271説明板

 
Img_8272幸田露伴文学之碑(境内)

晩年に近くに住んでいた。露伴の葬儀はここで執り行われた。 『平将門』(青空文庫)、将門の怨霊の登場する『帝都物語』でも活躍している。谷中墓地のそばにも居宅跡がある。『将門散歩(台東・千代田・新宿・中野)』

 
Img_8275浄言寺

 
Img_8280御代院

将門調伏に功績をたて、将門とその将兵を生涯弔うために、この地に留まった菅野夫妻を祀った祠。祠内に墓標を安置する。

 
Img_8276説明板

 
Img_8282松並木?

このあたりにはノッポな松が何本もそびえている。

 
Img_8284石渡商店

 
Img_8291菅野停留場設置念道標(大正5年)(京成線の踏切前)

中央は駅設置の発起人の一人の「瀬戸彦八翁頌徳碑」だそうだ。

これで今日の予定は終了した。京成線で京成高砂駅に出て、北総線に乗り換えるつもりが、なぜかまた京成高砂駅から京成線の下りに乗ってしまって逆戻りしてしまった。将門の祟りはまだ続いているようだ。

 

 

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2020年5月29日 (金)

将門散歩(さいたま市・鴻巣市)

2020年5月26日

東浦和駅(JR武蔵野線)・・・井沼方公園・・・明神社・・・東浦和駅(JR武蔵野線・京浜東北線)→大宮駅・・・神明橋(鴻沼排水)・・・将門館跡(大平公園)・・・駒形神社・・・大宮駅(JR高崎線)→鴻巣駅・・・大野神社・・・(伝)源経基館跡・城山・・・馬頭観音(2基)・・・滝馬室冠水橋・・・甚兵衛稲荷神社・・・川幅日本一の標柱(御成橋・荒川)・・・滝馬室氷川神社・・・阿弥陀堂・・・馬室陸橋・・・?堂・・・(北塚古墳)・・・常勝寺・・・庚申塔・馬頭観音・・・馬頭観音(2基)・・・野宮神社・・・稲荷神社・・・鴻巣駅

  【地図】 (『将門散歩』)

Img_7990井沼方公園

 

Img_7986井沼?

調整池のようだ。河津桜も植えられていて、来年はきっと花見もできるだろう。

 

Img_7991明神社

社殿は鳥居と斜めに建っている。将門の家来が戦に敗れて落ち延び、この地の国谷家にかくまわれた。この縁で将門の末裔に当たる奥州相馬氏が祀った相馬小高神社から分霊を当地に勧請したという。

 

Img_7992由緒

 

東浦和駅から大宮駅に向かう。

Img_8004 大平(おおだいら)公園(将門館跡)

大宮二十景」の「将門とダイダラボッチの大平公園」

 

Img_8001説明板(将門伝説)

 

Img_8008駒形神社

建物の間で窮屈そう、それとも三方をがっちりと守られた要害の地に鎮座するか? 鎮座といっても社殿はなく「駒形神社」の石碑があるのみだが。将門が乗っていた白馬を祀ったと伝え、付近の畑からは白いサツマイモが採れ、白馬の変身といわれたとか。。

 

Img_8015旧家のブロック塀の凹みに大木が何本もそびえている。

 

Img_8017神明橋(鴻沼排水)

ここは5年前の『鴻沼川③』で歩いているのだが、すっかり忘れている。

 

大宮駅から鴻巣駅に向かう。

Img_8024長板塀の旧家

 

Img_8027大野神社

天慶元年(938)に、源仕が社を造営したことに始まるという。 源経基が葦毛の馬を奉納したともいう。源仕の箕田源氏ゆかりの所は、『中山道(上尾宿→鴻巣宿)』に記載。

 

Img_8025由緒

 

Img_8029(伝)源経基館跡・城山

将門記』の源経基が妻子を連れて避難した「狹服山」(さふくやま)の候補地の一つ。

 

Img_8030説明板

細かすぎて読みづらい。

 

Img_8034館跡は林になって土塁跡に囲われている。

 

Img_8043馬頭観音

観音像と文字の2基。

 

Img_8046滝馬室冠水橋に向かう。

麦畑の向こうは御成橋。

 

Img_8055滝馬室冠水橋(荒川)

年に数回、台風で冠水し通行止めになるそうだ。車も通っていたようだが、現在はどうか?

 

Img_8051荒川下流方向

正面は御成橋

 

Img_8058勘兵衛稲荷神社

こちらは裏参道だろう。記念石碑によれば、慶長11年(1606)に加藤甚左衛門が創祀し、宝暦3年(1753)に子孫の勘兵衛が、「正一位勘兵衛稲荷大明神」の神璽を授かったようだ。

 

Img_8063社殿

 

Img_8068 日本一の川幅標柱(御成橋

ここから630m上流が川幅日本一(2537m)というから、滝馬室冠水橋の上流200mあたりだ。「御成」とは当地へたびたび鷹狩に来た徳川家康にちなむという。

 

Img_8069説明板

 

Img_8073滝馬室氷川神社

 

Img_8071説明板(的祭(まといさい)・(まとうさい))

坂上田村麻呂の悪竜(大蛇)退治に由来する神事で、将門でも百足(ムカデ)退治の藤原秀郷でもない。

 

Img_8081阿弥陀堂

 

Img_8082阿弥陀さんがちゃんと鎮座していらした。

 

Img_8092 ?堂

左前は馬頭観音(寛政7年(1795))、左の樹林の中に北塚古墳があるのだが、何度も行ったり来たりしたが入口が分らず、近づけなかった。

 

Img_8100常勝寺

「的祭」の説明板の悪竜(大蛇)が巻きついたという桜の巨木(蛇桜)を探したが、見当たらなかった。 このあたりの「サブ山」を「狭服山」とする説もあるが、荒川に近く起伏もなく、今は「山」という感じではない。北方の(伝)源経基館あたりの方がふさわしいのでは。ちなみに「狭服山」は、①大蔵館跡・大蔵神社(嵐山町)、②杉山城址(嵐山町)、③松山城址(東松山市)、④将軍塚(所沢市)などの説もある。

 

  寄り道しながら鴻巣駅に向かう。

Img_8106馬頭観音・庚申塔

両者とも文化2年(1805)の造立。この先にも馬頭観音が2基並んでいる。

 

Img_8115野宮神社

原馬室の獅子舞・棒術

 

Img_8117由緒

 

Img_8126稲荷神社の前

地蔵さん・馬頭観音・古木・鳥居

 

Img_8122正一位稲荷大明神なのだ。

これで今日の予定を終了し、鴻巣駅に向かった。

 

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2020年5月27日 (水)

将門散歩(つくばみらい市・守谷市)

2020年5月24日

新守谷駅(関東鉄道常総線)・・・道標?・・・禅福寺・・筒戸城址・・・妙見八幡神社・御出子城址あたり・・・つくばエクスプレス総合基地・・・永泉寺・・・満天星通り・・天の川公園・・星の広場・将門並木(松並木公園)・・・(松並西交差点)・・・海老沢踏切(関東鉄道常総線)・・・土塔森林公園・・・長龍寺・・・(つくばエクスプレス線)・・・(幸福の路)・・・(鈴塚交差点)・・馬頭観音・道標・・・日枝神社・鈴塚・・・(五反田川)・・・?清水・・・天満宮・・・成田不動石碑(お化け石)・日光大権現・・海禅寺・・・(羽中川)・・興世王の分城あたり・・今城橋(羽中川)・・・乙子地区・石神神社・・・古山の砦跡あたり(小山地区)・・・郷州小学校(郷州街道・桔梗ヶ原跡あたり)・・・郷州文化財公園・山の神祠・・・羽黒神社・・・南守谷駅(関東鉄道常総線)

 【地図

(参考:『平将門伝説』(守谷市)・参照:『将門散歩』)

関東鉄道常総線  Img_7844

一輛だが乗客も一人ぐらいで、まるで貸切電車のようだ。

 

Img_7851 禅福寺

承平元年(931)に平将門の創建と伝える。妙見菩薩が将門に矢を授ける場面を描いた掛け軸、将門が深く尊崇した十一面観音像を安置するという。

 

Img_7849 御出子観音

「御出子」(おんでし)は将門に縁のあるこのあたりの地名。

 

Img_7854筒戸城跡の濠跡あたり

 

Img_7852 説明板

 

Img_7853 禅福寺が本丸と二の丸の間にある。

 

Img_7855御出子城址あたり?

将門とこの地の女性(車御前?(土豪・中村庄司の娘))との子どもで、「若松」と名づけたという。その子は立派な風采をしていたので、将門の叔父の平良文が「あぁ、御出子」といい、これが地名になったという伝承が残る。

 

Img_7856 妙見八幡神社

平良文の建立と伝える。社殿は小さいが三春桜の大木が見事だ。

 

つくばエクスプレス総合基地沿いを通り、つくばみらい市から守谷市に入る。

Img_7871

永泉寺

将門が亡んだ後、その家族や生き残った者たちが将門や影武者の土偶をこの地に祀ったことに始まる寺と伝える。

聖徳太子立像」(守谷市文化財№4)・「沼崎山畧縁起」(文化財№13)には、将門が自分に似せて作った土偶を安置し、堂宇を建てて代々これを守ってきたことが記されている。

 

Img_7874満天星通り 

永泉寺から松並木公園(将門並木)までの間に、ドウダンツツジ(満天星)が植えられているコミュニティ道路。

 

Img_7877天の川公園

アキニレを水に映して、反転した北斗七星の形に植栽している。将門が信仰した妙見菩薩は北極星、北斗七星の神格化された姿で、将門の後裔を称する千葉氏にも縁がある。

 

Img_7884松並木公園(将門並木)「説明板

守谷から北上する松並木で、内裏道や将門並木と呼ばれている。「説明板」には将門の名はない。ここの松も戦時中に松根油を採るために伐採されたそうだ。

 

将門並木を南下し、「松並」西交差点を右折し、関東鉄道常総線の踏切を渡って行く。

Img_7890 海老沢踏切(関東鉄道常総線)

派手な車両が撮れた。左の車の運転席の女性から声がかかった。

「うまく撮れました?」、「撮れたよ」、(嬉しそうに)「バッチリ? よかった!」、こっちも何だか嬉しい気分になった。短い会話だが人と話すのは何か月ぶり?か。これも悪病神のコロナ大魔王をあやつる将門の祟りかも。

 

Img_7892土塔森林公園

 

Img_7902長龍寺参道

将門が守谷城主の時に建てたという。将門の位牌を伝える。

 

Img_7899仁王門

禁制文書」(文化財№9)・「徳川家康寄進状」(文化財№10)

 

Img_7893鐘楼

「守谷八景」の①「長龍寺の晩鐘」
ほかは② 守谷城城山台回顧 ③ 守谷城大手門二本松 ④ 守谷沼の朝霞 ⑤ 河獺弁天の夕照 ⑥ 西林寺の遺跡 ⑦ 八坂神社の蝉時雨 ⑧ 石神の松翠色、だそうだ。

 

Img_7906_20200524210901「幸福の路」を横切る。

ウオーキングコースになっている。

 

鈴塚(すずか)交差点を渡って行く。

Img_7909馬頭観音観世音碑(右)

左の低い石柱は道標で、「←大野村に至る」(昭和6年)だそうだ。

 

Img_7914日枝神社

 

Img_7915鈴塚?(社殿の後ろ)

承平天慶の乱の際、将門が兵を挙げる前に、藤原純友がはるばる将門の元を訪れ、この地に大鈴を埋めて塚をつくり、互いに戦の勝利を祈ったとか。比叡山にも似たような話の将門岩、純友岩がある。【Map

 

Img_7918 五反田川を渡る。

前方が天満宮の森

 

Img_7921湧き水か清水だろう。

 

Img_7924天満宮は意外に小さな社だった。

 

Img_7929成田不動石碑(お化け石)

成田山の調伏により、藤原秀郷に首を討ち取られた将門の無念の恨みが籠る不動明王の石碑? 
「その昔 人騒がせた お化け石」(「守谷ふるさとかるた」)、「人騒がせた」顛末は、「高野のお化け石」(「守谷の七不思議」)で。

 

Img_7930日光大権現

 

Img_7943海禅寺

海禅寺縁起」(文化財№12)によると将門が紀州の高野山を真似て建立したという。

 

Img_7942

七騎塚

将門と七人の影武者の供養のために建てられた塔(墓)という。右端(写真が切れてしまった)が将門の塔のようだ。

 

Img_7938スダジイの大木

推定樹齢は約250年

 

Img_7934 説明板

 

Img_7936 説明板の「幹の中央部の縦溝」か。

 

Img_7948羽中川を渡る。これでもれっきした一級河川だ。

将門はこのあたりの高野(地名)に興世王の分城を建てて、今城(いまんじょ)と名づけた。今造られた城という意味で、高野城のことをいい、この地域の人々は昔から今城と呼んでいる。 正面右奥が「今城(いまんじょう)橋

 

Img_7959乙子地区

将門が守谷に城を建てたとき抜け穴を掘った。その抜け穴の出口を「落とし口」といい、それが「乙口」(おとくち)→乙子(おとご)に変化して地名になったという。

 

Img_7963石神神社

 

Img_7961本殿の龍の彫刻

この前には石神様の石棒(男根の金精様)が直立している。

 

関東鉄道常総線を越えて、小山地区、みずき野地区に入る。 

Img_7966小山地区

将門の老臣・増田監物がこの地に砦を構え「古山」と称していたという。 

 

Img_7973桔梗ヶ原あたり(郷州中学校)

藤原秀郷の娘で将門を裏切った愛妾の桔梗が殺されたという伝承地。(「花の咲かない桔梗」(「守谷の七不思議」)

このあたりには愛宕から上高井を経て山王に達する郷州街道が通っていた。郷州小学校・郷州文化財公園などにその名が残る。

 

Img_7976郷州文化財公園

山の神の小祠と「原日本民族居住遺蹟」碑(鳥居の手前)があるだけの殺風景な公園で、期待外れ。

 

Img_7979説明板

 

Img_7983羽黒神社も小さな社だった。

歩きの後半は古傷?の左ひざ痛が再発し、足を引きずり、小休止を繰り返しながらの坂道散歩となった。これも将門の祟りというべきか。

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2020年2月22日 (土)

木紀行

木紀行』に記載

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