2019年2月22日 (金)

越谷散歩

2019年2月12日・14日

越谷レイクタウン駅(JR武蔵野線)・・見田方遺跡公園・・こあじさし橋(千疋幹排)・大相模調節池・・旧中村家住宅(東方)・・・東稲荷神社・・・戸隠神社・・・地蔵堂・・・(県道52号)・・・西方橋(八条用水)・・・流橋(葛西用水)・・・照蓮院・・・稲荷神社・・・観音寺・・不動堂?・・・平和橋(葛西用水)・・新平和橋(元荒川)・・・旧日光街道越谷宿・・・赤山街道交差地点・・・(越谷駅)・・・(東武伊勢崎線)・・・出羽堀・・・(JR武蔵野線)・・・下七左稲荷神社・・・北野天満宮・・・(出羽堀第二号雨水幹線)・・七左第三公園・・・光福寺・・・旧中村家住宅(大間野)・・・末田用水・・・綾瀬川合流地点・・新川排水機場・綾瀬川・・・出羽堀ポンプ場・出羽堀合流地点・・・(東武伊勢崎線)・・・久伊豆神社①・・久伊豆神社②・・・地蔵院・・久伊豆神社③・・・日光街道・・清蔵院・・・天神社・・・久伊豆宮寿神社④・・・南越谷駅(JR武蔵野線)

  【ル-ト地図

Img_1058見田方遺跡公園 《地図

Img_1060説明板

Img_1056大相模調節池

これが「越谷レイクタウン」の湖

Img_1052右へ「こあじさし橋」をくぐって千疋幹排が流れて行く。 《地図

Img_1032旧中村家住宅(東方) 《地図

このあたりは忍藩の飛地で、東方村下組の名主を勤めた中村家の居宅を移築・改築。

Img_1035移築前

Img_1038主屋

Img_1037天井の松の木の梁

Img_1044見田方遺跡出土品

Img_1042説明板

Img_1025東稲荷神社① 《地図

詳細不明

Img_1027戸隠神社

詳細不明

Img_1028地蔵堂 《地図

墓苑の中

Img_1023西方橋から八条用水(上流方向) 《地図

Img_1022流橋から葛西用水(上流方向)

照蓮院~日光街道越谷宿は「日光街道(越谷宿→粕壁宿)」に記載。「赤山街道」・「葛西用水」にも記事あり。
東武線沿いを南下し、右折して東武線の高架をくぐりの西側に出る。

Img_1112出羽堀(下流方向) 《地図

慶長から元和年間に越ヶ谷領の土豪・会田出羽が湿地を干拓して開削した用水路。正面奥の高架はJR武蔵野線。

Img_1116下七左稲荷神社② 《地図

寛永2年(1625)に、この地を開いた会田七左衛門政重(会田出羽の養子)が関与して創建という。七左衛門村の鎮守だった。

Img_1120北野天満宮

こっちの方が稲荷神社より大きいと思っていた。

Img_1123出羽堀第二号雨水幹線 《地図

この先で出羽堀に合流している。

Img_1127七左第三公園

会田七左衛門にちなむ名で、このあたりは七左町で、七左ェ門川、七左ェ門通りなどもある。

Img_1131光福寺

Img_1142旧中村家長屋門(大間野) 《地図

東方の中村家とは縁戚はないようだ。

Img_1145主屋

Img_1136奥座敷

Img_1149末田用水(下流方向) 《地図

この先で綾瀬川に注いでいる。

Img_1155綾瀬川合流地点 《地図

そばに新川排水機場がある。

Img_1166出羽堀合流地点 《地図

そばに出羽堀ポンプ場がある。

Img_1167綾瀬川(下流方向)

東武線をくぐる。

この先は久伊豆(ひさいず)神社巡りのようになる。

Img_1171久伊豆神社① 《地図

蒲生村の鎮守で、この社が一番大きい。

Img_1175久伊豆神社②(蒲生西町)まだ新しそうだ。

Img_1186久伊豆神社③(蒲生本町) 《地図

これを見つけるのにちと手こずった。

地蔵院・清蔵寺は「日光街道(千住宿→草加宿)」に記載。

Img_1194天神社

Img_1196久伊豆宮寿神社④(蒲生寿町) 《地図

今日は稲荷神社は3社だったが、久伊豆神社は4社もあった。強い北風の中を日光街道を南越谷駅に向かった。

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2019年2月14日 (木)

宗吾街道

2019年2月5日・7日

成田駅(JR成田線)・・成田街道・・・一本松跡交差点・馬頭観音道標・宗吾街道分岐地点・・・成田日赤病院・・・(京成本線)・・・日赤成田病院交差点・桜地蔵祠・国道464号・・・公津の杜公園・・大袋尋常小学校跡・・・地蔵祠・・・道祖神社・・・地蔵祠・・・大経寺・・・宗吾霊堂・・・稲荷神社(古墳?)・・・宗吾・飯仲古墳群あたり・・・宗吾参道駅(京成本線)・・(2/7)・・宗吾霊堂前交差点・宗吾街道(国道464号)・・・麻賀多神社・・超林寺・・・宗吾旧宅・・義民ロード・・御手洗井戸・・・江川第一橋(江川)・・・池袋用水堰跡・池袋橋(江川)・・・初井戸橋(江川)・花井地蔵・・・国道464号・・愛宕神社・・・弘法大師祠・・・甚兵衛公園(水神社・甚兵衛供養堂・甚兵衛の渡し跡)・・・根山神社・鷲宮神社・・・(成田スカイアクセス線)・宗吾街道(県道291号)・・・甚兵衛大橋(印旛沼)・・(印西市)・・・ぽっくり駒地蔵・・・境田橋(松虫川)・・・浅間神社・・・湖西尋常小学校跡・・・杉自塚・・・長屋門・・・百庚申塔・松虫寺・松虫姫神社・・・(成田スカイアクセス線)・・松虫姫公園(牛むぐり池)・・・印旛日本医大駅(成田スカイアクセス線)

 【ル-ト地図

 叛逆者の元祖・平将門の次は義民の代表・元締めの佐倉惣五郎だ。英雄として崇められ、怨霊として祟って恐れられる共通点はあるだろう。
 成田街道の一本松跡交差点から宗吾街道に入り、佐倉惣五郎を祀る宗吾霊堂に寄り、甚兵衛の渡し跡の甚兵衛大橋を渡って印西市に入り、松虫川の所で南に入り、松虫姫伝説の地を訪ねる。むろんメインは松虫姫だ。

Img_0717一本松跡交差点 《地図

ここで成田街道から分かれ右折するのが宗吾街道。向かい側に一本松跡碑と何代目かの若い松と馬頭観音道標が立つ。

Img_0718馬頭観音(安政5年(1858)・一本松跡碑の左)

右側面は道標で、「宗吾霊神道 酒々井町通りぬけ」

成田日赤病院の北側を通り、京成本線を越える。

Img_0730桜地蔵 《地図

かつては大きな桜の木の下にあったという。子育て、悪疫退散にご利益あり。

Img_0732桜地蔵

Img_0734宗吾街道(国道464号)を直進する。

宗吾霊堂まで1.5kmとは張り合いがないが、霊堂は通過地点、チェックポイントに過ぎないから。

Img_0738大袋尋常小学校跡碑 《地図

左側は公津の杜公園だがこちら側からは入れないようだ。

Img_0739説明板

Img_0742公園内は調整池になっている。

Img_0741地蔵さんがポツンと。

Img_0746道祖神(社) 《地図

ちゃんとりっぱな鳥居がある。

Img_0752ここにも地蔵の祠

Img_0756大経寺 《地図

右は明和2年(1765)の題目塔。背後に土俵があり、その先が五社神社というが見落とした。

Img_0759銀杏の大木がそびえ、本堂の前には狛犬が鎮座する。神仏習合の名残かと思いきやまだ新しく、平成12年の寄進だそうだ。

Img_0767宗吾霊堂(東勝寺)参道・山門

閉まっている店もあり、参拝もおばちゃん連中だけでまばらだ。平日のこともあるだろうか。

Img_0786大本堂

義民・佐倉惣五郎の霊を祀る宗吾霊堂。

Img_0781御一代記館

Img_0780霊宝殿

まだ宗吾街道歩きの先は長いが、今日はここまでとし宗吾参道駅に向かう。

Img_0789稲荷神社古墳? 《地図

これも宗吾・飯仲古墳群に入るのだろうか?

Img_0794宗吾・飯仲古墳群あたり? 《地図

宗吾参道駅に向かうのだが、京成本線のトンネル上を通り過ぎてかなり東へ進んでしまった。

Img_0795ここを下って駅に出た。

ここから2月7日

Img_1003宗吾霊堂の表参道を行く。《地図

宗吾霊堂前交差点で宗吾街道(国道464号)に入る。

Img_0996麻賀多神社の森

Img_0981麻賀多神社 《地図

Img_0982説明板

Img_0986大杉

樹齢千三百年の東日本一の大杉というが。

Img_0990祭礼

Img_0976超林寺

Img_0974説明板

Img_0969宗吾旧宅

工事車の向こうに道案内板がある。うっかり見落としそうになった。

ここから国道から離れ、「義民ロード」に入る。

Img_0968急坂を下る。

新しく舗装・改修された道ようだ。「宗吾坂」とでも呼んだらどうか。

Img_0964宗吾旧宅 《地図

宅内を見学、説明していただく。

Img_0966椿井(台方七井)

惣五郎が家族との水盃に使った井戸とか。

Img_0965説明板

Img_0919義民ロード

Img_0961御手洗井戸(台方七井)

麻賀多神社の祭神事にこの水を使うというが、あまり清らかではないか。

江川第一橋から江川沿いを行く。

Img_0953池袋用水堰跡(北須賀溝) 《地図》(池袋橋の所)

台方ほか五区持ち、江川の水流を堰き止め駒形、北須賀に廻し水するための堰跡。

Img_0949初井戸橋(江川)

渡った所に花井地蔵の祠

Img_0945花井地蔵(文政10年(1827))

Img_0941義民ロードを北に向かに、途中で左折して宗吾街道(国道464号)に戻る。

Img_0926愛宕神社 《地図

急な石段上の祠に「浅間大権現」の石塔(右)が祀られている。

国道は車の往来が多く、歩道もなく歩きづらい。

Img_0906甚兵衛公園(甚兵衛の森・水神の森) 《地図

江戸に直訴に向かう佐倉惣五郎のために掟を破って渡し舟を出し、印旛沼に身を投じた渡し守の名にちなむ。

Img_0917説明板

Img_0916水神社

Img_0912甚兵衛供養堂

Img_0913甚兵衛の渡し跡あたり 《地図

このあたりは埋め立てられている。

Img_0898根山神社

祭神は牛頭天王(素戔嗚尊)、明治42年楫波神社を合祀。奥の台地に鷲宮がある。

Img_0900鷲宮神社への石段

細く急で手摺もなく上りづらい。

Img_0902小祠内に「鷲宮神社」の石塔が立っているのみ。

Img_0892印旛沼はもやっている。

JR武蔵野線も霧の影響でのろのろ運転で1時間半近くも予定が狂った。

Img_0890甚兵衛大橋を渡って行く。

甚兵衛の渡し」の渡しは1967年この橋の完成で廃された。つい最近?まで渡し船はあったのだ。

Img_0886成田スカイアクセス線方向

成田市から印西市に入る。

Img_0875宗吾街道は県道291号となって続く。

車は多くないが歩道がないのはつらい。

Img_0871小祠 《地図

Img_0870「ぽっくり駒地蔵」だった。

「未知の世や 連れて行きゃんせ ほとけ道 ぽっくりぽっくり 逝くが極楽」だとよ。

松虫川の手前で左折し、南に松虫姫ゆかりの地を訪ねる。

Img_0863松虫川(境田橋から印旛沼方向) 《地図

松虫川は松虫姫公園の牛むぐり池から印旛沼へ流れているようだ。このあたりの地名も松虫。

Img_0855浅間神社の木立

Img_0858浅間神社 《地図

ここも急な石段を上ったが小さな祠だった。

Img_0854湖西尋常小学校跡(明治20年開校) 《地図

現在は「いんば学舎・松虫

Img_0849さっきまでとは違う静かな道を行く。

Img_0845杉自塚・庚申塔祠

Img_0844杉自塚(正面)

松虫姫は病が癒えて都に帰ったが、乳母の杉自はこの地に残り、里人たちに尽くして慕われたとう。左右に庚申塔群(これも百庚申塔か)

松虫姫伝説」(松虫寺寺伝):略すると「聖武天皇の姫君が不治の病にかかった。夢枕に立ったお告げにより長旅の末、この地の薬師堂にたどり着き、祈願したところすっかり病は癒えた。姫君は都に戻ったが、乳母(杉自)はこの地にとどまり、姫君を乗せて来た牛は身体が弱ってしまい、とても姫君を乗せて都に帰ることができないので悲しみの末に近くの池に自らを沈めてしまった。これが”牛むぐり池”である」(我ながら身も蓋もない書き方だが)、姫君というのがあの「不破内親王」とは興ざめか? 心の病は癒えなかったのかも。

Img_0839説明板

Img_0833長屋門の旧家

Img_0832百庚申塔

Img_0831松虫寺地図

Img_0811説明板

Img_0821本堂

右は枝垂桜

Img_0823「木造薬師如来坐像(1体)、木造薬師如来立像(6体)(七仏薬師)」(国重文)

Img_0822鋳銅鰐口」(市指定文化財)

Img_0824鋳銅孔雀文磬」(市指定文化財)

Img_0826松虫姫神社

Img_0817周辺図

成田スカイアクセス線のそばに松虫城跡がある。

Img_0800松虫姫公園地図

Img_0807牛むぐり池

Img_0805調節池になっている。

Usimuguriike牛に乗る松虫姫

Img_0798印旛日本医大駅

当初の計画では「印旛松虫駅」だった。展望台があるが、通常一般公開はされていないそうだ。

Img_0797味気ない某?流医大の駅名よりも「松虫姫駅」でよかったのに。

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2019年2月11日 (月)

将門散歩(坂東市)

2019年2月4日

愛宕駅(東武野田線)・バス→岩井局前バス停・・・岩井キリスト教会・・野口雨情歌碑・・・八坂神社・八坂公園・・将門文学碑・・・庚申塔道標・・・神明大神祠・・・国王神社・・・島広山・石井営所跡碑・・・延命寺(島の薬師)・・・石井の井戸碑・・・一言神社・・・八重の桜碑・・・藤田神社・・・高声寺・・・北山稲荷大明神・・・庚申塔祠・・・総合文化ホール「ベルフォーレ」・・・原口北バス停

  【ル-ト地図

 坂東市の中心地区の平将門ゆかりの地などを巡る。

Img_0592岩井局前バス停あたり

愛宕駅からバスで芽吹大橋(利根川)を渡り30分。坂東武者の古里は今も遥かなりか。20年ほど前に「いわい将門ハーフマラソン」に2度ほど参加したことがあるが、どこを走ったのかは全く記憶がない。

Img_0594野口雨情歌碑 《地図

「猿島岩井町 茶の芽が伸びりゃ 空に雲雀が さえつりかかる」で、野口雨情は北茨城市の出身。「猿島茶」(さしま茶)は坂東市の名産品。

Img_0599八坂神社

Img_0600由緒

Img_0603八坂公園

Img_0608平将門文学碑 《地図》?

これを見つけるのに苦労した。散歩中の人に聞いても分からず、公民館も休館日で聞けなかった。

Img_0604説明板

Img_0610庚申塔道標(安政2年(1855)) 《地図

(右面)「右ハ 久徒かけ つく者 」(沓掛 つくば)
(左面)「左ハ 於以ご 丹れ」(生子 仁連)らしい、
(台石正面)「江戸道」

Img_0618富士見の馬場 《地図

将門の軍馬の調練の施設、鎌倉時代には、豪族たちが戦場に出陣するために馬を飼い、その市場としても機能していたと伝わる。

Img_0623国王神社

将門の三女の如蔵尼が父の霊を祀ったのが始まりとされる。本殿、拝殿、将門座像は、江戸時代初期のものとされ、県指定文化財となっている。
将門の妹も奥州仙台にのがれ、比丘尼となって庵を結んだといい、比丘尼坂がある。『塩釜街道①

Img_0622説明板

Img_0625茅葺の社殿

Img_1199寄木造平将門木像(県指定文化財)

Img_0630島広山・石井営所跡 《地図

将門が関東一円を制覇するときに政治、経済、軍事の拠点とした。周辺には、重臣たちの居館、郎党の住居などが並び、兵たちの宿舎や食料庫、馬つなぎ場があったとされる。

Img_0644延命寺(島の薬師)

茅葺切妻造り、四脚門の山門

Img_0642石造太鼓橋・正面奥に本堂

Img_0635薬師堂

Img_0649石井の井戸跡 《地図

Img_0646説明板

Img_0652一言神社

石井の井戸の翁を祀ったとされる。

Img_0654九重の桜 《地図》?

Img_0655説明板

Img_0663白菜畑

坂東市の野菜

Img_0667藤田神社 《地図

この地の鎮守である諏訪神社に白山神社と天満社を合祀し、藤田神社と改称したという。

Img_0668なぜか向い側の住宅の間に地蔵

今日は暖かいのを通り越して暑いくらいだ。そばのマクドナルドで小休止兼軽昼食。

Img_0671高声寺

寺名の「高声」も将門伝説だ。

Img_0670境内

将門に関する説明板などは見当たらなかった。

南に北山古戦場跡ともいう北山稲荷神社へ向かう。

Img_0682手持ちの昭文社の地図では北山稲荷神社へは、この小さな橋を渡って左に入る道があるのだが見当たらない。ウロウロ行ったり来たりしたが、左の草に覆われているトンネルみたいな所が道跡だった。《地図

Img_0678捨てられている小さな車?

Img_0679この先は急坂となって送電塔で行き止まりとなった。引き返して大きく迂回する。

Img_0683北山稲荷大明神(正面奥)

Img_0685奥に小堂がある。

Img_0692右は「鎮魂 平将門公之碑」で左側に「終焉之地 遍田 北山古戦場」とある。『将門記』に、将門が最後に陣を張った地を「辛島郡(猿島郡)之北山」と記されているそうだ。この「北山」の候補はいくつかあり、その一つがここ辺(遍)田の北山稲荷神社あたりの地ということ。
左の石碑は平忠常の乱を平定した源頼信が、この地に建てた将門鎮魂の板碑のレプリカとかで、「天慶三庚子年 将門禅門位 二月十四日 長元辛未年 長征總土 鎮魂鬼神 源頼信」などと刻まれているようだ。

これで今日の予定地は終了した。まあ、坂東市の中心街の将門伝承地の一部だが。最後は将門騎馬像を見に行く。

Img_0695庚申塔の祠(道路の向かい側の祠) 《地図

北側の墓地を「庚申前墓地」というようだ。

Img_0698総合文化ホール「ベルフォーレ」の将門騎馬像

休館日であたりは静かだ。

Img_0703まだバスの時刻まで40分以上ある。下の芝生で寝ころんで将門に守られながら青い空を見上げ、暑いくらいの陽射しを受けながら、しばしくつろいだ。

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2019年2月 9日 (土)

我孫子・柏散歩②

2019年2月2日

天王台駅(JR常磐線)・・・手賀大橋(手賀沼)・・(柏市)・・・道の駅しょうなん・・・箕輪城跡あたり・・・船戸古墳群・・・阿弥陀様板碑・・・・香取神社①・・福満寺・・・車の前五輪塔・・・妙照寺・・・安房栖神社・・泉蔵寺・・・風早村道路元標・・・沼南の森・神明社・・・徳本名号塔・・・香取神社②・・・大津川・・・庚申塔群・・・高柳駅(東武野田線)

  【ル-ト地図

Img_0472手賀大橋から手賀沼

柏市に入る。富士山は見えず。

Img_0482箕輪城跡

手賀沼病院あたり一帯。土塁と空堀跡か。

Img_0490船戸古墳群 《地図

40基の古墳群というが私有地で立入禁止。東に箕輪古墳、その東が箕輪城跡。

Img_0494阿弥陀様板碑の祠 《地図

Img_0495説明板

Img_0499手賀沼城ではない。

Img_0503香取神社①(大井)

Img_0515福満寺山門

Img_0510「大井の七人影武者伝説の里」平将門大明神

北斗七星の妙見信仰にちなむ七人の影武者で、坂巻、石原、石戸、吉野、富瀬、久寺家、座間家の七家だそうだ。千葉市の千葉大医学部の構内には七騎影武者の墓ともされる七天王塚がある。『土気往還①』 影武者伝説はいくつもあるようだからこことは違う影武者だろう。

Img_0523本堂

手賀沼南岸の台地は、平将門山と呼ばれている景勝地で、手賀沼の眺望が、京の大津から琵琶湖を望む景色に似ていることから、将門が「大井の津」と名づけたといわれているそうだ。

Img_0525弁天池の氷の上でアイススケートを楽しむアヒル。

Img_0522平将門大明神の祠

これも将門伝説の「車の前五輪塔」を探すがなかなか見つからない。聞く人も見当たらずあきらめかけたがやっとたどりついた。

Img_0535この木立の中に車の前五輪塔がある。《地図》のあたり

Img_0532車の前五輪塔

室町時代初期の建立というから五輪塔そのものは将門の時代ではない。

Img_0530説明板

Img_0537車の前五輪塔から下って来た道を振り返る。

将門の時代からあまり変わっていない風景かも。

Img_0538妙照寺大杉

Img_0540説明板

Img_0548山門

Img_0544略縁起

Img_0551安房栖神社

Img_0552泉蔵寺

Img_0558風早村道路元標 《地図

沼南村→沼南町→柏市に編入(2005年)、ちょうど風早中学校のそばだ。

Img_0563神明社 《地図

Img_0561沼南の森

Img_0572徳本名号塔(文化15年(1818)) 《地図

Img_0577香取神社②(高柳)

Img_0582庚申塔群 《地図

ここは変則三叉路の真ん中で、交通事故防止の道祖神になっている。4基とも青面金剛像で、右から元禄10年(1697)、宝永4年(1707)、享保7年(1722)、昭和61年の建立。右端は道祖神(宝暦6年(1756))。右の後方奥に勢至菩薩(元禄8年)の祠がある。

Img_0591高柳駅(東武野田線)

この駅は初めてだ。もっとも船橋駅から柏駅間はあまり乗ったことがないが。

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2019年2月 6日 (水)

我孫子・柏散歩①

2019年2月1日

北柏駅(JR常磐線)・・・根戸城跡・・・船戸の森(船戸緑地)・・武者小路実篤屋敷跡・・・水神社・・・根戸古墳公園・・・手賀沼公園・・・天神坂・・三樹荘・天神山緑地・嘉納治五郎別荘跡・・・大光寺・・香取神社①・・・楚人冠公園・・・志賀直哉邸宅・・・金八稲荷神社・・・旧村川別荘・・・子ノ神大黒天・子の神古墳群・・・水の館・・・千勝神社・・・鳥の博物館・・・山階鳥類研究所・・・香取神社②・香取神社古墳群・・・水神山古墳・・・桃山公園・前原古墳跡・・・八幡神社・・・滝前広場・・・滝前橋・・・小暮橋(JR成田線)・・・天王台駅(JR常磐線)

  【ル-ト地図

 手賀沼北岸の台地上は古代には古墳群が手賀沼を見下ろし、明治から大正期にかけては多くの文人墨客が住み、「東の鎌倉」と呼ばれていた。今日は北岸を西から東へたどり、次回は手賀大橋を渡って柏市に入り、古墳群跡や平将門ゆかり地を訪ねて東武野田線まで南下する。

Img_0228根戸城跡方向(前方の台地、奥の台地は船戸の森) 《地図

昨夜の雪が残っている。

Img_0237城郭配置図

現在地に設置の説明板

Img_0229ここから登城した。

ここを上った西側に金塚古墳があるのだろう。

Img_0230空堀跡のような?

Img_0234主郭あたりか。

この先はボーイスカウトの野営地で立ち入れない。

Img_0241説明板

先ほどの「現在地」に設置のもの。

Img_0238根戸城跡

Img_0239金塚古墳

出土品

Img_0247船戸の森(船戸緑地)

Img_0255武者小路実篤屋敷跡 《地図

実篤は当地から→「新しき村」(宮崎県)→「新しき村」建設(埼玉県毛呂山町)→調布市と移り住んだ。

Img_0252説明板

Img_0258船戸の森の下の道を進む。

左は湧き水

Img_0261水神社 《地図

Img_0266根戸古墳公園 《地図》(白山古墳公園となっているが白山古墳群は白山中学校の南東にあった。)

Img_0265根戸船戸2号墳(前方後円墳)

もとは前方後円墳4基、円墳2基があった。雪が葺石(ふきいし)代わりだ。

Img_0264説明板

Img_0268左の台地が北風よけになって歩きやすい。

Img_0273手賀沼公園

20年ほど前に2、3回、「手賀沼エコマラソン」に参加したことがある。

Img_0274カモ・カワウ・ユリカモメなど野鳥の楽園だ。

Img_0388昭和30年頃までは泳げたそうだ。

「鳥の博物館」に展示の写真

Img_0389説明板

Img_0279血脇先生謝恩之碑(手賀沼公園内)

我孫子出身の歯科医学者だが、こんな馬鹿でかい石碑を建てることもあるまいに。

Img_0284バーナード・リーチ氏の碑(手賀沼公園)

天神坂上の三樹荘に窯場があった。

Img_0281説明板

Img_0287天神坂を上る。 《地図

左が三樹荘跡(現村山邸)、坂上右の天神山緑地が嘉納治五郎別荘跡。

Img_0288説明板

Img_0298坂上から

Img_0297三樹荘(柳宗悦屋敷跡)

柳宗悦は嘉納治五郎の甥

Img_0295説明板

Img_0301嘉納治五郎別荘跡

NHKの大河ドラマ「いだてん」で嘉納治五郎先生は活躍中だ。
嘉納がこの地に別荘を設けたことで甥の柳宗悦が結婚後に我孫子へ移り住み、その後に志賀直哉や武者小路実篤ら「白樺派」の文人たちが移り住むきっかけになった。

Img_0299説明板

Img_0303ここからの眺め(大正時代の写真絵葉書)

富士山もこんなにくっきり?

Img_0305現在の眺め

晴れていても富士山は見えない。

Img_0315香取神社① 《地図

ケヤキの大木は、大正12年に苗木を50本植栽したのが成育したものだそうだ。

Img_0323楚人冠公園(緑南作緑地) 《地図

句碑(正面)「筑波見ゆ冬晴の洪いなる空に」 ここから筑波山も見えたのだ。朝日新聞の「天声人語」を造語・命名したのは杉村楚人冠という。

Img_0318説明板

北側に楚人冠記念館もある。

Img_0335志賀直哉邸宅(緑雁明緑地) 《地図

尾道市奈良の新薬師寺近くにも旧宅がある。

Img_0331説明板

Img_0333白樺派と我孫子の文人の相関図

昔の週刊誌の芸能人(愛憎・スキャンダル?)相関図を思い出した。

Img_0327武者小路実篤邸の庭での写真(大正6年)

男連中はどうでもいいが、女性たちは大正ロマンを感じさせる美形揃いか?

少し手前の向い側に白樺文学館がある。

Img_0347金八稲荷神社 《地図

住宅の間の鳥居もない殺風景な社で、雪が残っていて寒々しい。詳細不明な稲荷社だが、祭神は武田鉄矢でないのは確か。でも、「マルちゃんの赤いきつねと緑のたぬき」を宣伝していたからひょっとしたら・・・・。

Img_0358旧村川別荘 《地図

Img_0357説明板

Img_0360母屋

水戸街道の我孫子宿本陣の離れを移築、改装。

Img_0363新館

Img_0365子ノ神大黒天  《地図

Img_0368子の神古墳群

現在は5基の円墳と前方後円墳1基が残っているというが、墳形もはっきりせず消滅に近い状態のようだ。 

Img_0366説明板

Img_0372水の館 《地図

展望台がある。無料だった。

Img_0382展望台から手賀沼東方向

手賀川へと続いている。

Img_0385手賀大橋、富士山方向

Img_0377千勝神社

「千勝」とは縁起がいい。勝負事にご利益ありと思ったが、そうではないようだ。 

Img_0380鳥の博物館

ここの鳥の剥製標本などは見ごたえがある。ここも拙者は無料だった。

Img_0398トキ

大正15年捕獲された剥製

Img_0396説明板

Img_0405ショウジョウトキ(上)・ホオアカトキ

Img_0379山階鳥類研究所

Img_0436東へ古墳群をたどる。

参考:「あびこ電脳考古博物館

Img_0416香取神社② 《地図

左右に香取神社古墳群(円墳2基・方墳1基)の2基の古墳。ここからの手賀沼の眺めは今はない。

Img_0418古墳(社殿の左側)

Img_0422この祠も古墳上か。

Img_0430水神山古墳(後円部上から前方部方向)

全長約69mの前方後円墳で手賀沼周辺では最大の古墳。やっと古墳らしい形が残る古墳に出会った。出土品の「ガラス小玉

Img_0434説明板

Img_0439前方部西南側から後円部方向(右)

Img_0446前原古墳跡(桃山公園内)あたりから手賀沼

Img_0442古墳はこんな感じで2基の方墳が手賀沼を見下ろしていた。

Img_0441説明板

Img_0448下は水生植物園

西久保古墳のある日立総合経営研究所内には入れず。

Img_0457八幡神社 《地図

Img_0461滝前広場近くから手賀沼 《地図

滝前不動堂は八幡神社の東方にある。ここを今回の終点として天王台駅に向かった。

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