2009年7月13日 (月)

新宿区・港区・渋谷区の坂

2009年7月3日

Img_5178 四谷三丁目駅(地下鉄丸の内線)・・新宿通り・・・津の守坂・・・仲坂・・・女夫坂・・・本性寺・・・外苑東通り・・・(信濃町駅)・・・(港区)・安鎮坂(権田原坂)上・・・青山通り(国道246号)・・(カナダ大使館)・高橋是清記念公園・・・薬研坂・・・稲荷坂上・・・円通寺坂・・・三分坂・・・さくら坂③・サカス坂・・・福吉坂・・氷川公園・・・転坂・・・南部坂・・・氷川坂上・・・氷川神社・・・本氷川坂・・・檜坂・・・乃木坂・・・青山霊園・・・姫下坂(北坂)・・・根津坂(上の写真)・・・南青山4丁目交差点・・・大松稲荷・・・表参道・青山通り・・・(渋谷区)・(子どもの城)・・・明治通り・・・渋谷消防署・フランス坂・・・オルガン坂・・・スペイン坂・・・間坂・・・渋谷駅

 梅雨の合間の久し振りの都心の坂道散歩です。新しい坂は太字の5坂です。23区別の坂数では、港区が127坂、文京区が126坂で、港区が1坂多くなりました。

  【ルート地図

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5058 津の守(つのかみ)坂(坂下方向) 《地図

坂上の西脇に松平摂津の守の屋敷があったのでそれを略してこう名づけた。別名を小栗坂、坂下は靖国通りの合羽坂下交差点。

Img_5063 仲坂 【ルート地図】の①

荒木町12と13の間を北に上る石段。

Img_5064 左下に「仲坂」の坂標

右下には「昭和七年六月竣工」の石柱が立つ。

Img_5068 坂上から

Img_5072 女夫坂 《地図

下って上る向き合う坂。この形の坂は、「相生坂」・「薬研坂」・「夫婦坂」・「向坂」など呼び名も様々。

Img_5076 北向き毘沙門天(本性寺)

北向地蔵はあちこちにあるが。

Img_5075 由来

Img_5079 薬研坂 《地図

中央が窪んで両側の高い形が、薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。別名を何左衛門坂。Img_5081                        

反対側から

Img_5088 円通寺坂 《地図

右に円通寺

Img_5090 三分(さんぷん)坂 《地図

急坂のため車賃を銀三分(100円余)増した。坂下の渡し賃一分に対していたとの説もある。「さんぶ」では四分の三両になるので誤り。

Img_5104 赤坂サカスの案内図

さくら坂・サカス坂の位置:中央近くで北方向に上るのが「サカス坂」、サカス坂の坂上で西から東に下っているのが「さくら坂」

Img_5095 さくら坂③

両側におよそ100本の桜が植えられている。これで港区には、さくら(桜)坂が4つになった。

Img_5097 坂下方向

Img_5102 サカス(Sacas)坂(坂下方向)

「akasaka Sacas」を右から読むと、SACA・SAKA・SAKAと3つの坂。坂の街、港区ならではの名前か。

Img_5110 坂上方向

Img_5111 福吉坂 赤坂2-15と2-17の間を南に上る石段。【ルート地図】の②

旧町名の赤坂福由吉町による坂名

Img_5122 旧町名由来板(氷川公園に設置)

Img_5114 坂上方向

Img_5117 福吉坂改修工事碑

Img_5119 坂下方向

Img_5125 転(ころび)坂 《地図

急坂で道が悪く、通行する人たちがよく転んだためこう呼んだ。

Img_5128 南部坂(坂下方向) 《地図

江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい、「忠臣蔵」の「南部坂雪の別れ」で有名。

Img_5131 坂上方向

Img_5138 氷川神社

Img_5137 本殿

Img_5142 本氷川坂 《地図

Img_5146 檜坂(坂下方向) 《地図

檜が多く、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸(檜町公園)に沿う坂。

Img_5150 坂上方向

Img_5163 乃木坂 《地図

乃木将軍の葬儀と同時に幽霊坂から改められた。

右奥が乃木神社

Img_5172 姫下坂(坂下方向) 【ルート地図】の③

渋谷長者の姫と白金長者の息子の恋物語伝説の坂。この坂については、「港区の坂-8」(2006年2月28日)に詳述。

Img_5174 坂上方向

右は青山墓地で昼間でも人通りの少ない寂しい坂。今は夜に姫が下れば、けしからん輩が現れる「痴漢坂」、私が下ればお化けが出る「幽霊坂」か。

Img_5176 青山の庚申塔

Img_5175 説明板

Img_5177 根津坂(坂上方向) 《地図》(標示は北坂)

左が根津美術館

Img_5180 坂下方向

Img_5188 フランス坂 【ルート地図】の④

ファイヤー通りから渋谷消防署とハローワ-ク渋谷の間を西へ渋谷区役所前交差点へと上がるイエローストリート。

代々木公園からのデモ隊がここでフランスデモでもしたのか。バスティーユ通りとも呼ばれる。渋谷消防署をバスティーユ監獄とでも見立てたのか。イエローストリートの由来は何なのか? 

Img_5187 坂上方向

Img_5190 坂下方向

Img_5193 オルガン坂(坂下方向) 井の頭通りの東急ハンズ前の交差点からパルコ前交差点へ上がる坂道。《地図

通りの周辺に音楽関係の店が多かったところから命名されたという。
東急ハンズ前の階段がオルガンの鍵盤に見えるから、という説もある。

今は音楽関係の店も多くもなく、東急ハンズ前の階段もオルガンの鍵盤には見えないと思うが。

Img_5196 スペイン坂(坂上方向) パルコパート1裏のペンギン通りから井の頭通りへと下る坂。 【ルート地図】の⑤

喫茶「阿羅比花」(あらびか)の店主が写真で見たスペインの風景に心ひかれ、店の内装 をスペイン風にした。昭和50年にパルコからこの坂の命名を依頼され、「スペイン坂」とした。
この先の石段は往来人が多すぎて写真は撮れず。港区のスペイン大使館のところにもスペイン坂がある。

2 「スペイン坂」の坂柱

Photo朝のスペイン坂(2005年11月27日撮影)

右が喫茶「阿羅比花」か?

Img_5197 間坂(坂上方向) 井の頭通りから公園通りへロフト沿いに上る坂。 《地図
平成元年、ロフトが一般公募により命名。
渋谷駅と公園通りとの間・ビルとビルの間・「まさか」という語呂のよさ・間という漢字が人と人との関わり合いをイメージするとの理由から。

Photo_2 朝の間坂(2005年11月27日撮影)

2_2 「間坂」の坂柱

坂の途中の左側にある。

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坂名一覧表

「坂道散歩」で今までに歩いた坂を、都道府県別区市町村別にまとめて表にしてあります。 「坂名一覧」

★ 7月3日「新宿l区・港区・渋谷区の坂」で5坂を追加しました。

★ 6月29日「古河市(茨城県)」で1坂を追加しました。

★ 6月26日「結城市(茨城県)」で1坂を追加しました。

★ 6月19日「出雲街道⑥」で2坂を追加しました。

★ 6月18日「出雲街道⑤」で5坂を追加しました。

荒川区 10坂 ・ 足立区 2坂 ・ 板橋区 67坂 ・ 大田区 57坂 ・ 北区 60坂 ・  品川区 24坂 ・ 渋谷区 36坂 ・ 新宿区  98坂 ・ 杉並区 30坂 ・ 墨田区 1坂 ・  世田谷区 41坂・  台東区 19坂 ・ 千代田区 63坂 ・ 豊島区 12坂 ・ 中野区 5坂 ・ 練馬区 4坂 ・ 文京区 126坂 ・  港区 127坂 ・ 目黒区 41坂。 今のところ東京23区823です。

その他、北海道の小樽市 32坂、函館市 19坂、江差町 4坂、松前町 5坂。

岩手県 北上市 2坂、水沢市 2坂。

山形県 上山市 10坂。酒田市 4坂。

新潟県 新潟市 1坂。

石川県 金沢市 68坂。

栃木県 足利市 2坂 ・ 栃木市 2坂。

茨城県 つくば市 1坂 ・ 取手市 30坂 ・ 常陸太田市 14坂 ・ 結城市 1坂 ・古河市 1坂。

埼玉県 朝霞市 22坂 ・ さいたま市 21坂 ・ 川口市 4坂 ・ 川越市 2坂 ・ 志木市 3坂 ・ 秩父市 5坂 ・ 所沢市 8坂 新座市 23坂 ・ 鳩ヶ谷市 1坂. ・ 本庄市 6坂 ・ 和光市 15坂 ・ 飯能市 3坂 ・ 小鹿野町 1坂 ・ 越生町 1坂 ・ 菖蒲町 1坂  横瀬町 3坂  吉見町 1坂。

千葉県 市川市 8坂 ・ 佐倉市 10坂 ・ 流山市 23坂 ・ 松戸市 8坂。

東京都市町村  立川市 10坂 ・ 府中市 31坂 ・ 国分寺市 5坂 ・ 国立市 5坂 ・ 小金井市 41坂 ・ 八王子市 5坂 ・ 調布市 68坂 ・ 羽村市 15坂 ・ 清瀬市 3坂 ・ 町田市 26坂 ・ 八丈島(東京都八丈町) 9坂 ・ 多摩市 21坂 あきる野市 71坂  福生市 5坂 日の出町 1坂。

神奈川県 横浜市(保土ヶ谷区 25坂 ・ 戸塚区 3坂 ・ 旭区 9坂 ・ 西区 14坂。南区 28坂 ・ 神奈川区 3坂 ・ 鶴見区 51坂 ・ 中区 30坂 ・ 港北区 4坂 ・ 都筑区 1坂 ・ 青葉区 3坂 ・ 緑区 2坂) ・ 座間市 83坂 ・ 海老名市 50坂 ・ 相模原市 61坂 ・ 横須賀市 82坂 逗子市 8坂 ・ 川崎市 35坂 鎌倉市 12坂 ・ 三浦市 7坂 ・ 大和市 45坂 ・ 綾瀬市 28坂 ・ 厚木市 90坂 ・ 葉山町 8坂。箱根町(旧東海道) 18坂。

静岡県三島市(旧東海道) 12坂

愛知県名古屋市  18坂

三重県志摩市大王町 2坂

大阪市 18坂 

京都府 京都市 7坂 ・ 井出町 1坂 ・ 木津川市 1坂 ・ 城陽市 2坂

奈良県 奈良市 6坂 ・ 天理市 1坂

兵庫県神戸市 19坂 ・ 尼崎市 1坂 ・ 姫路市 1坂 ・ たつの市 1坂 ・ 佐用町 2坂。

岡山県 7坂。

広島県尾道市  3坂

島根県 5坂

香川県 4坂

徳島県 24坂

高知県 20坂

愛媛県 18坂 

長崎県 長崎市 76坂  島原市 4坂  諫早市 2坂 

大分県 1坂で 合計2461です。

 【坂道散歩人物録

 【伝説・伝承・民話・昔ばなしのある坂

 【動物坂名アラカルト

 【秩父三十四札所

 【四国八十八札所

 【参考文献・資料等】(主なもののみ)

 【落語逍遊録

 【伝言板】 ご質問、ご意見、ご感想、記事の間違いのご指摘、その他、坂に関する情報をお待ちしております。

            

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2009年7月12日 (日)

古河市(茨城県)

2009年6月29日

Img_4994 古河駅(JR宇都宮線)・万葉歌碑・・・西光寺・・・浄円寺・・・八幡宮・・・日光街道(県道261号)・高札場跡・本陣跡・・・金刀比羅宮・・・竹駒稲荷神社・・・宝輪寺・・・尊勝院・・・脇本陣跡・・・神宮寺・・・よこまち柳通り・・・徳星寺・・・正隣寺・・・本成寺・・・野渡貝塚・・・下宮八幡宮・・・雀神社・・・永井寺・・・頼政寺・水神宮・・・渡良瀬川・・・三国橋・・・古河城本丸跡・・・国道354号・・・香取神社・・・(国道354号)・・・鳳桐寺・・・総合公園(富士見塚・御所沼・天神橋・古河公方館跡・芋ころがし坂・目洗い弁天池・徳源院跡)・地蔵堂・虚空蔵堂・浅間神社・・・日光街道・・・稲荷神社・・・御茶屋口門跡・・・(古河歴史博物館・文学記念館・鷹見泉石記念館(全部休館日))・・・長谷観音・・・子ノ神社・・・福法寺・・・妙光寺・・・宗願寺・・・正定寺・・・福寿稲荷神社・・・武家屋敷通り・・・天満宮・・・日光街道・・・大聖院・・・古河駅

  参考:『古河市HP 史跡と寺院

  【ルート地図

 日光街道の古河宿、南総里見八犬伝の名場面、八犬士の犬塚信乃と犬飼見八(のちの現八)が死闘を演じた古河城芳流閣の地、茨城県古河市を訪ねました。

  写真をクリックすると拡大します。

Img_5043 万葉歌碑(東歌の中に収録されている相聞歌二首 作者不詳)

まくらがの 許我(こが)の渡りの からかじの 音高しもな 寝なへ児ゆえに


逢はずして 行かば惜しけむ まくらがの 
許我こぐ船に 君も逢はぬかも

Img_4810 説明板

Img_4818 高札場跡

このあたりが古河宿の中心地で、斜め前に本陣があった。

Img_4820 説明板

Img_4822 古河宿本陣跡 【ルート地図】の①

Img_4823 金刀比羅宮

文化11年(1814)建立の社殿は2006年に焼失し、2007年この小さな社が再建された。

Img_4824 由来碑

Img_4833 尊勝寺

初代古河公方の足利成氏が、鎌倉から古河に移るとともに祈願所とした。永禄7年(1564)当時、古河公方領が現在の東京都品川方面にまで及んだことを示す足利義氏充行状がある。

 

Img_4834 神宮寺 【ルート地図】の②

宝徳元年(1449)に良宥上人が鎌倉で開いた寺で、古河公方足利成氏に伴って古河に移った。室町時代の作である十一面観音座像がある。

 

Img_4835 由来

Img_4842 常夜灯道標

正面に「左日光道」、右側面に「東筑波山」、左側面に「右江戸道」と刻まれている。もとは二丁目の突当たり(神宮寺の方へ曲がる所)にあった。文久元年(1811)の建立

Img_4843 説明板

Img_4849_2 よこまち柳通り

遊郭があったという。

Img_4865  正麟寺

古河城主小笠原氏の開創。「新訳和蘭国全図」を著した鷹見泉石の墓がある。

Img_4861 家並み

Img_4869 本成寺の赤門

Img_4879 野渡貝塚跡(栃木県野木町)

野渡の狐塚の標高20~21mの河岸段丘上の縄文時代前期(約5000年前)の貝塚。

Img_4878 説明板

消えてしまってこれじゃあ読めないよ。

Img_4883 下宮八幡神社

天文年間(1532~54)に旧栃木県谷中村字下宮の守護神として創建。明治時代の足尾銅山鉱毒被害で村人は移住、離散した。大正2年に現在地に遷座し、平成5年に改築した。

Img_4884 由緒

Img_4891 雀神社 【ルート地図】の③

初代古河公方、足利成氏が尊崇し、天下泰平、国土安穏、武運長久を祈ったという。夏の祭礼には「ささら獅子舞」が奉納される。

Img_4889 由来

Img_4890 雀神社

清和天皇の貞観元年に出雲大社より勧請したと伝える。祭神は大己貴命・少彦名命・事代主命の三柱。「雀」の由来は、①昔、このあたりを「雀が原」といったことから。②「国を鎮めの神」といったのがスズメになった。

Img_4895 延命地蔵

Img_4898 永井(えいせん)寺

寛永3年(1626)に古河城主の永井直勝が創建

Img_4901 頼政神社

もとは古河城内南端の竜崎郭(頼政郭)にあった。頼政郭とは、宇治平等院の戦いで敗れ自刃した、源三位頼政の首塚のこと。

Img_4912 渡良瀬川(下流方向)

河川敷が広がり川の流れは細い。前方は新三国橋

Img_4918 古河城本丸跡 【ルート地図】の④

渡良瀬川は幾度も改変されている。ここは今は河岸の利根・渡良瀬サイクリングコースで正面は新三国橋。その先で利根川に合流する。八犬伝の時代には渡良瀬川は利根川とは合流していなかった。(平行して江戸湾に流れ込んでいた。) 芳流閣から死闘の末、渡良瀬川へ落ちた犬塚信乃と犬飼見八は、小舟で下総の行徳に流れつく。(もちろん物語上の架空の話)

Img_4917 本丸跡から見ると草っ原が広がっている。

Img_4925 香取神社

屋根の色がなんともいい感じ。

Img_4931 古河総合公園案内図

下の方に古河公方館跡、その右の茶畑の右に、「芋ころがし坂」

Img_4933 孔雀小屋

なんで孔雀なのか?

Img_4936 御所池

Img_4940 古河公方館跡 【ルート地図】の⑤

右は旧中山家住宅(延宝2年(1674)頃の建築)

Img_4946 旧飛田家

県内の曲がり家形式の農家の中でも最も古いもので、建築年代は18世紀前半頃と推定。

Img_4948 芋ころがし坂(坂下方向)

坂名の由来は何なのか? 隣りは茶畑だし。

Img_4952 坂下方向

Img_4955 坂上方向

Img_4956 目洗い弁天池

Img_4958 弁天さん

Img_4978 徳源院跡(古河公方義氏墓所)

義氏の娘、足利氏女の法号により徳源院と称した寺の跡。

Img_4973 説明板

Img_4962 子育て地蔵堂

Img_4961 説明板

Img_4963 もとは徳源院内にあった。氏女の守り本尊ともいわれていた。

木像とは思えない滑らかさと艶がある地蔵さんだ。顔も道端に立つ石の地蔵さんと違って優美で気品がある。

Img_4965 虚空蔵堂

狛犬は山門を入った右の浅間神社(鳥居が見える)のものか。まさに神仏混交だ。

Img_4967 由来

Img_4969 浅間神社

Img_4982 日光街道松並木跡

江戸時代には、ここから5kmもの松並木が続いていたという。

Img_4981 説明板

Img_4988 御茶屋口門跡

徳川将軍家の日光社参の際の休憩所の「御茶屋」があった。ここは将軍が宿城の古河城に入る「御成口」だった。御茶屋破却後は「御茶屋口番所」が置かれた。

Img_4986 説明板

Img_4993 鷹見泉石記念館

鷹見泉石は江戸時代の古河藩の家老、蘭学者。

Img_4999 長谷観音

古河城の鬼門を守る仏で、歴代古河城主の祈願所。本尊は木像十一面観世音像。鎌倉、大和の長谷寺とともに日本三大長谷の一つというが、2ケ寺に比べるとかなり小さな寺

Img_5006 福法寺

山門は古河城の乾門を移築。

Img_5007

 

                        

                                                    

Img_5009

蛭子神社

古河七福神の恵比寿

Img_5010 妙光寺

お万とは誰なのか、何人もいるようだが?

Img_5013 馬頭観音

享保3年(1718)年の建立で市内最古の馬頭観音

Img_5012 説明板

Img_5015 宗願寺

親鸞上人の関東での高弟の一人、西念房が開いた寺。茨城県指定文化財の親鸞上人木像などがある。

Img_5017 正定寺

江戸時代初期の大老土井利勝の開いた寺で、土井家歴代の墓所。古河七福神の弁財天。古河八景の「正定寺の晩鐘」。鐘堂はなかったようだが、見逃したか。

Img_5018 弁財天堂

Img_5019 お使い姫の蛇だらけ

Img_5024 福寿稲荷神社

古河七福神の寿老人

Img_5029 旧武家屋敷の土塀

Img_5030 今も個人の住宅

Img_5037 大聖院

古河公方足利晴氏が妻の兄北条氏康のために開基。古河七福神の弁財天

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2009年7月11日 (土)

結城市(茨城県)

2009年6月26日

Img_4623_3 東結城駅(JR水戸線)・・・観音堂・・・大杉殿・・・乗国寺・・・貴布禰神社・・・大勝寺・・・松月院・・・結城家御廟・・・結城城跡(城跡公園)・聡敏神社・あじさい坂・・・源翁和尚の墓・・・県道35号・・・安穏寺・秋葉龍神神社・・妙国寺・・・光福寺・・・金福寺・・・弘経寺・・・毘沙門堂・・・神明神社・・・孝顕寺・・・称名寺・・・常光寺・・・健田須賀神社・・・薬師堂・・・住吉神社・・・結城観光物産館・・・観光物産センター・結城駅

 滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」の物語の発端「結城合戦」の地、見世蔵の並ぶ「紬の里」の結城を歩きました。

  【ルート地図

  参考:【結城市HP観光

  写真をクリックすると拡大します。

 Img_4545                       

 東結城駅

無人駅だがスイカは使える。

Img_4568 乗国寺 【ルート地図】の①

結城合戦で敗死した12代結城持朝の菩提を弔うため、宝徳元年(1449)に13代成朝が建立。

Img_4554 由緒

Img_4574 貴布禰神社

本宮は京都市の貴船神社で祭神は雨水を司る神、止雨の神の高龗(たかおかみ)の命。社殿によれば結城家2代朝広が康元元年(1256)に創建したという。

Img_4583 結城家御廟(慈眼院境内跡) 【ルート地図】の②

結城家初代朝光から16代政勝までと、妙仙・明朝・と無銘2基の花崗岩製の五輪塔が20基並ぶ。

Img_4590 説明板

Img_4596 結城合戦で戦死した11代氏朝(手前中央)・12代持朝(前方正面)の墓

Img_4611 結城城跡(城跡公園) 【ルート地図】の③

ここで幕府軍を相手に1年以上も戦った。「南総里見八犬伝」は父親と一緒に結城側で戦った里見義実(よしざね)が、死を決意した父親と別れて主従三騎で三浦半島へ落ち延び、房総の安房へ渡るところから始まる。

Img_4610 説明板①

Img_4632 説明板②

Img_4633 城域図

結城埋蔵金伝説」がある。この一画に今でも莫大な埋蔵金が眠っているかも。

Img_4613 城跡から北側には今も田んぼが広がる。

Img_4617 田んぼから一段高い城跡を望む

Img_4622 あじさい坂

田んぼから城跡に上る緩やかな坂。

Img_4621

Img_4626 坂下方向

Img_4606 聡敏神社

江戸時代の結城藩水野家の藩祖水野勝成を祭神とする。文化13年に福山聡敏神社(福山八幡宮境内)より勧請。水野勝成を「聡明俊敏」と讃える社名。

Img_4607 由緒

Img_4638 源翁和尚の墓 【ルート地図】の④

「九尾の狐」の那須の殺生石を杖で砕いたことで有名。死んだのは陸奥国(福島県)の示現寺。

Img_4640 安穏寺

応安4年(1371)に結城家8代直光が源翁心昭(和尚)を招き禅宗に改宗し中興開山した。

Img_4645 河野商店

結城紬の問屋

Img_4648 妙国寺

早見晋我の墓と与謝蕪村が晋我の死を悼んで詠んだ「北寿老を悼む」の詩碑ある。

Img_4649 由緒

Img_4651 蕪村の「北寿老仙を悼む」の詩碑。

Img_4656 中澤商店

もとは結城紬問屋・肥料商

Img_4657 秋葉喬庸商店

もとは農業資材関係の店

Img_4663 福井薬局

Img_4669 光福寺

弘経寺との間に御朱印堀の一部の跡が残っている。

Img_4666 由緒

Img_4667 御朱印堀説明板

Img_4673 弘経(ぐぎょう)寺 【ルート地図】の⑤

文禄4年(1595)18代結城秀康の長女松姫の菩提を弔うために創建。以来一度も焼失していない寺。浄土宗関東十八檀林(宗派の学問所)の一つ。

Img_4675 由緒

Img_4680 俳人・砂岡雁宕(いさおかがんとう)説明板

Img_4687 結城酒造

Img_4689 説明板

Img_4691

Img_4688

Img_4695 毘沙門堂

石灯籠の台石は道標になっている。右側が「右 小山 左 さかい」 左側が「向 水戸海道」

Img_4707 武勇

造り酒屋

Img_4699 武勇

Img_4709 向い側の旧家

Img_4715  孝顕寺

結城水野家の菩提寺。開山は独放曇聚(どっぽうどんしゅう)禅師、開基は結城家15代政朝。

Img_4721 称名寺

Img_4722 由緒

Img_4737 常光寺

門前の阿弥陀如来像の「金仏さん」で親しまれている時宗の寺。

Img_4727

                   

由緒

Img_4733 金仏説明板

Img_4732 十九夜観音堂(右)から金仏さんの背中

Img_4729 十九夜観音

Img_4735 石崎旅館

Img_4738 磯田邸

もとは乾物屋

Img_4740 築島邸

もとは穀物商

Img_4743 秋葉糀味噌醸造

Img_4744 説明板

Img_4747 会津屋呉服店

Img_4748 赤荻米店

Img_4750  旧家

Img_4751 小西金物店

Img_4752 説明板

Img_4754 健田須賀神社

結城家ゆかりの須賀神社と、この地方一帯を開発したという竹田氏ゆかりの健田神社が合祀された。

Img_4756_2 由緒

Img_4757 鈴木新平商店

Img_4762 桜井長太郎商店

現在は干瓢商店舗兼住宅

Img_4763 須関商店

もとは穀物商

Img_4766 奥順

結城紬の問屋兼住宅

Img_4770 奥順の部屋

NHKTV「鳩子の海」のロケ地

Img_4765

奥順壱の蔵

現在は喫茶ギャラリー

Img_4772 キヌヤ薬舗

Img_4774 藤貫邸別館

もとは米穀肥料商

Img_4779 左が古川邸・右が藤貫邸別館

Img_4781 旧黒川米穀店

現在はイベントやCMのロケ地等で利用Img_4784    

薬師堂

扁額には、「辻薬師如来」とある。

Img_4789 紬の館

Img_4792 山中石材店

Img_4796 住吉神社

Img_4798 鈴木紡績

もとは穀物・紡績商

Img_4804 結城駅

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2009年7月 9日 (木)

出雲街道⑥(津山宿)

2009年6月19日

Img_4514 津山駅・・・今津屋橋(吉井川)・・・ごんご通り・・・京町・・・思案橋・本琳寺・・・東大番所跡・大橋(宮川)・・橋本町・・・大入道坂・・・上之町武家屋敷跡・東寺町・「男はつらいよ」ロケ地・本蓮寺・浄円寺・千光寺・・・大入道坂・・・稲荷橋(宮川)・千代稲荷神社・・・(城北通り)・・・衆楽園・・・津山城(鶴山公園・文学の散歩道・千石坂・旧基督教図書館(上の写真は津山城内から下る坂))・・・大手町・・・津山駅

 電車の時間まで津山城の東側をぶらついて帰京した。勝間田宿から津山宿は次回に歩きます。

  【ルート地図

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Img_4542 吉井川(今津屋橋から)

Img_4543 今津屋橋から今津屋橋商店街

当時の方が通りは賑やかだったようだ。

Img_4405 今津屋橋商店街(ごんご通り)

車は多いが人通りは少ない。「ごんご」とは吉井川の渕に住んでいた河童のこと。

Img_4404 説明板

Img_4408 京町の出雲街道

Img_4406 説明板

Img_4413 思案橋 【ルート地図】の①

「行こか、戻ろか」の思案橋。この橋を渡れば遊郭だった。金沢、高知、長崎、「遊郭あるところ、思案橋あり」か。ここまで来て思案するくらいなら初めから来なければいいようなものだが、結局、思案の末に帰る御仁はいないだろう。金が足りずに入れない人は別よ。

今はあたりに全く当時の面影は無い。正面は本琳寺。遊郭で貰ってくる「淋しい病気」の「淋」でなくてほっとした?

Img_4412 思案橋

Img_4421 東大番所跡 【ルート地図】の②

出雲街道の津山城下への東の出入口。西は翁橋の東詰にある。

Img_4420 説明板

Img_4429 橋本町

鍵型に曲がった出雲街道に沿う町

Img_4428 説明板

Img_4441 大入道坂へ向う。

手前に右に入る「小入道坂」がある。左前方の鳥居は千代稲荷神社。

Img_4442 大入道坂(坂下から) 南西に上之町に上る坂。 【ルート地図】の③

坂名の由来は、①山本土佐守正信入道の屋敷があった。②見越入道という妖怪が出没した。 

山本土佐守正信入道とは如何なる人物か?

Img_4447 坂標

駅前の観光案内所でもらった『津山ご城下めぐり旅』には「入道坂」と記載されている。大小二つの坂があるとは知らなんだ。少しあたりを探したが分からず。後で津山城の切符売り場で聞いて分かった。切符売場のおばさんも大小あるのは知らず、どこか(観光協会か?)に電話して位置を確認してくれた。時間がないので、小入道坂は次回に歩く。

Img_4448 説明板

Img_4446 坂上方向

坂上は武家屋敷跡の通り。津田真道の生誕地も近い。

Img_4463 坂下方向

Img_4455 武家屋敷跡の通り

男はつらいよ 寅次郎紅の花」(1995)」のロケ地。 満男(吉岡隆徳)が結婚式場へ向う花嫁(泉・後藤久美子)の一行を車で妨害するシーン。これが最終作となった。もう14年も経ってしまったとは・・・。

狭い道で車が来ればよけなければならず、お婆さんがなんでこんな狭い道を通るのかと車に怒っていた。

Img_4456

Img_4461 千光寺

しだれ桜(正面)が見事の寺

Img_4459 説明板

Img_4467 稲荷橋を渡って千代稲荷神社へ

Img_4471 千代稲荷神社

鶴山の山頂の大杉に舞い降りた鶴の千歳を冠し、千代稲荷神社を祀った。

Img_4468 由来記

Img_4482 衆楽園 【ルート地図】の④

津山藩別邸の池泉廻遊式庭園

Img_4486 

Img_4480 説明板

Img_4493 迎賓館

Img_4495 茶店

Img_4500 千石坂 【ルート地図】の⑤

津山城から鶴山通りへ下る石段坂。

Img_4506 坂上方向

Img_4529  津山城備中櫓

2005年に復元。城跡の鶴山公園は日本の桜名所100選の一つ。

Img_4520 説明板

Img_4521 歴代藩主

Img_4539 天守閣跡

Img_4537

天守跡から津山市街

Img_4544 津山駅

箕作阮甫の銅像が立つ。

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2009年7月 4日 (土)

出雲街道⑤(土居宿→勝間田宿)

2009年6月18日

Img_4203 美作土居駅・・・門尻橋(山家川)・・・一里塚跡・・・国道179号・・・土居浄化センター・・・山城橋(山家川)・・・(姫新線)・・・(県道86号)・・・恵美坂・恵美坂陸橋・・・(中国自動車道)・・・県道365号(中国自然歩道)・・・後醍醐天皇御口漱の泉・・・杉坂・杉坂峠・杉坂関所跡・・・県道365号・・・恵美坂・・・県道86号・・・仁の坂・・・山城大橋(山家川)・・・国道179号・・・旧道・・・供養塔・地蔵(大師?)堂・・・城近坂・・・国道179号・・・旧道・警固屋坂・・・北向地蔵堂・・・江見金宝稲荷大社・・・大還橋(吉野川)・・・(姫新線)・・・国道179号・・・旧道・・・(老人ホーム作東寮)・・・(中国自動車道)・・・峠の地蔵堂・・・大曲りの大師堂・・・楢原宿人舛跡・・・火之神社・・・笠懸の森・笠懸橋・・・豊国神社・・・おかやまファーマーズマーケット・・・新姿見橋(中国自動車道)・・・みちしるべ地蔵・・・岡神社・・・勝間田宿・・・勝間田駅(姫新線)→津山駅

 土居宿から万ノ乢越え以前の出雲街道の道筋だった杉坂峠へ向う。中国自然歩道のルートになっている県道365に出て、緩やかな上りを播磨の方へ2~3kmほど引き返すと杉坂峠で少し旧道を上ると杉坂史蹟として整備・保存されている。同じ道を戻り県道86号の仁の坂を下って国道179号沿いに行くと交差点に杉坂峠への元禄の道標があるはずだが見当たらず山側の旧道に入る。この道は田園の中の少し起伏のあるのどかな道で、城近坂を下り国道179号に出て、すぐに警固屋坂(上の写真は坂下方向)の急坂となって上り、江見(宿)へと下って行く。ここも江見庄、江戸時代は幕府の直轄領として栄えたところで家並みに往時の面影を残している。

 旧出雲街道は大還橋で吉野川を渡り、姫新線、国道179号を越えて今在家の集落を斜めに北西方向に中国自動車道の方へ上って行く。この道は分かりづらいが事前に何度もシュミレーションしたお蔭で、まあすんなりとクリアーできた。ただ暑さでバテ気味で、一貫清水などいくつかの見所を見逃した。一ノ乢近くで中国自動車道をくぐり北側に出ると、大蛇?がとぐろを巻いて死んでいた。(死んでいるように見えた。) 道の北側に峠の地蔵堂、その先の大曲りの小高い所に大師堂がある。自動車道を挟んで楢原パーキングエリアがあるあたりだ。

 なおも中国自動車道に沿って行くと舗装道路となり、道祖神などが立つ辻を過ぎて、楢原(宿)へ入る。ここの家並みも街道筋らしい昔の姿を留めている。楢原の町並みを出て、中国自動車沿いを行くと火之神社で、その先が後醍醐天皇ゆかりの笠懸の森だ。笠懸橋を渡り、豊国神社へ寄る。この先、旧道は自動車道を挟んで途切れ途切れに残っているようだがはっきりしない。新道は予想外に長いきついアップダウンが続く。ここまでお茶とお菓子で歩き続けてきてかなり疲れてきた。やっとおかやまファーマーズマーケットにたどり着く。売店で地ビールとソーセージを買い、遅い昼食代わりで休憩だ。エネルギーを補給し、やっと人心地がついていざ出発だ。新姿見橋を渡って下り、道しるべ地蔵、岡神社から勝間田宿を抜けて勝間田駅に向った。ちょうど16時21分発の津山行きに間に合った。勝間田宿は次回ゆっくり歩くことにする。

  【ルート地図

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Img_4056 門尻橋下の河原

勤皇志士の元の埋葬地。埋葬というより投げ捨てられたのだろう。後に四つ塚に改葬された。

Img_4057

土居の一里塚跡(正面の木の所)

Img_4058 説明板

Img_4059 南塚跡の石柱

Img_4060 供養塔

国道179号の道脇

Img_4065 山城橋(前方右)を渡って杉坂峠へ向う。

Img_4079  恵美坂を下る。 【ルート地図】の①

Img_4091 杉坂峠へ

県道365号だが車はあまり通っていない。この道は中国自然歩道のルートになっている。

Img_4092 道標

「是より播州? 右山みち」 後ろに「宝暦十一年」(1761)とある。

Img_4097 後醍醐天皇御口漱の泉

隠岐へ配流の途中、ここで泉の水を飲んだという伝承の地。標柱の文字は消えかかっている。

Img_4100 右が中国自動車道の杉坂トンネル

Img_4103 杉坂

峠が近くなり少し傾斜を増す。

Img_4107 杉坂峠(国道365号)

兵庫県佐用町へと下る

Img_4123 標柱から少し上る。

Img_4125 「佐用郡八景一等」の石柱

今は峠からの眺望はない。

Img_4114 杉坂峠・杉坂関所跡 【ルート地図】の②

元弘3年(1333)隠岐に流される後醍醐天皇を奪還しようと児島高徳がここで挙兵したが、すでに天皇一行は院庄(津山)付近まで行っていて失敗。これ以前の船坂山でも護送のルート読み違いで失敗。こんなヘマばかりをやらかした男だが、戦前は忠臣、国民的英雄として、尋常小学唱歌にも「児島高徳」として歌われた。

Img_4113 説明板

Img_4144 仁の坂(坂下方向) 《地図

山城大橋、国道179号へ下る県道86号

Img_4152  坂下方向

Img_4158 坂上方向

Img_4161 「杉坂史蹟→」の標識がかかるこの交差点に、元禄2年の道標があるはずだが見当たらず。どこかに移設されたのか。元禄の頃にはもう万ノ乢越えの道が開かれていたのに杉坂峠への道標が設置(もとは旧道沿いにあった。)されたということは、依然として杉坂峠を越える古い出雲街道も通行量の多い、重要な道だったのだろう。

Img_4169 旧道

手前は行き止まり。

Img_4173 緩やかに上って行く。

Img_4177 直進するのが旧道だったのだろう。

正面に供養碑と小堂が立つ。

Img_4179 直進するとすぐに行き止まりになる。

右上の石柱は何か?

Img_4180 道標か供養塔か? 読めず。

Img_4183 振り返るとのどかな風景が広がっている。

Img_4178 六十六部回国供養碑

安永2年(1773)に半四郎夫婦が建立。

Img_4187 後ろの小堂の地蔵さん

「遍照」と書かれた板が掛かっているから弘法大師像かも。

Img_4191 城近坂となって下って行く。「じょうきん」か「しろちか」どっちだ? 《地図

城とはどこなのか?

Img_4193 坂下で国道179号に出る。

坂下近くの左側に新しい道標が立つ。

Img_4199 道標

Img_4198 右 警固屋坂

Img_4201 警固屋坂 【ルート地図】の③

城近坂の坂下から国道179号に出て、すぐに左へ上る坂。

Img_4202 坂上方向

竹田村の八幡を京八幡より警固してきた者の子孫が石切となってここに住まった故に警固屋坂というようになった。

京八幡とはどこなのか、いつの頃の話なのか? この坂はけっこうな急坂だ。

Img_4207 北向き地蔵堂

Img_4209 江見大宝稲荷大社への急坂

Img_4216 江見大宝稲荷大社

馬場山公園の中にある。大社にしては小さな造りだ。

Img_4239 江見の町

Img_4232 六地蔵前の坂

ここを上ったら墓地を抜けまた江見稲荷に出てしまった。

Img_4235 六地蔵

まだ新しそうに見えた。

Img_4243 江見の町並み

平安時代に江見庄の中心となり、江戸時代中期には幕府の直轄地となった。

Img_4245  家並み

Img_4250 大還橋から吉野川

向う岸にも立派な屋根が並ぶ。

Img_4253 姫新線踏切を渡る。

江見駅の近く

Img_4255 今在家の集落を抜ける。

このあたりの民家にお茶堂、一貫清水があるという。暑さと疲れで探すのも、聞くのも億劫になり通り過ぎてしまった。

Img_4266 何の祠か

ここで小休止

Img_4267 老人ホームの脇を上って行く。

Img_4272 中国自動車道の方へ

Img_4275 中国自動車に沿って進む

Img_4281 自動車道をくぐって

Img_4286 道標「峠の地蔵堂」

楢原は宿ではなかったのでは。

Img_4288 峠の地蔵堂(左)・上人塚(右) 【ルート地図】の④

Img_4289 地蔵

行基が西国行脚の時、出雲街道峠村日の平に自作の地蔵尊を建立(現在の宝聚山仏法寺の奥の院)したといわれる。仏法寺は美作江見駅の近くにある。ここが奥の院なのか。ちょっと見すぼらしいが。この地蔵が行基の自作の物ならここには置かないだろう。自作と伝える物でも。

Img_4290 空念上人塚の上の宝筐印塔

貞治元年(1362)に入定した仏法寺住職の空念上人は穴を掘り、その底で念仏三昧に入った。その塚の上に建てられた宝筐印塔。中国自動車道の工事でここに移設された。

Img_4296 大曲りのところの民家

Img_4297 大曲りの大師堂

Img_4300 大師

Img_4301

反対側は楢原パーキングエリア

Img_4307 舗装された道になり楢原へ

Img_4310 道祖神、供養碑などが立つ辻

Img_4313 神宿郷の円柱と道祖神

Img_4316 「出雲街道 楢原宿 人舛跡」の石柱

人舛とは何なのか?

Img_4319 楢原(宿)の家並み

Img_4320

Img_4324 中国自動車道の北側に沿って進む。

Img_4331 火之神社(正面)

Img_4332 火之神社

神体は大石というが、あっただろうか?

Img_4337 笠懸けの森 【ルート地図】の⑤

ここも後醍醐天皇ゆかりの地。笠懸とは流鏑馬みたいなもの。

Img_4342 由来

Img_4340 説明板

Img_4339 石碑や石造物がいくつも立つ。

Img_4348 笠懸橋を渡った所から笠懸の森

昔は渡し舟があり、今も「渡里」という地名が残る。

Img_4352 豊田神社

Img_4362 おかやまファーマーズマーケット・ノースヴィレッジ

Img_4364 地ビールとソーセージで1050円だったか。ビールはあまり冷えてなく、ちと高いが暑さでバテ気味の体には恰好の栄養補給となった。

Img_4370_2 新姿見橋を渡り勝間田宿の方へ下る。

一本手前の道に姿見橋のあった(ある)のか? 石碑と説明板が設置されているようだが。出雲街道は姿見橋から轟池へ続いていたのだろう。

Img_4382 道しるべ地蔵(荒手地蔵) 《地図

轟池の傍らにあった6体(3体?)の地蔵の中で唯一残っている地蔵。くらしき道(林野)とかみや(上相)への道標にもなっていた。地蔵の後背に「右くらしき道 左かみ??道」とあるようだ。轟池は1970年代に埋立てられた。姿見橋、轟池も後醍醐天皇のゆかりの地。

Img_4383 由来

分かりづらい文章だ。

Img_4374 岡神社

王子大権現から文明12年(1480)惣社岡神社となったという。

Img_4375 由来

Img_4377 馬頭観音堂

岡神社の隣り

Img_4378 馬頭観音と石仏

Img_4387 小祠の石仏

岡神社から下った所。

Img_4403 勝間田駅

電車の時刻と、いい加減に疲れたので勝間田宿の散策は次回とした。

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2009年7月 1日 (水)

出雲街道④(佐用宿→土居宿)

2009年6月17日

Img_3991 姫路駅(姫新線)→佐用駅・・・旧道・・・(姫新線)・(佐用川)・・・国道179号・・・ふれあいの里上月・(上月駅)・・・金屋橋(幕山川)・・・(姫新線)・・・判官橋(大日山川)・・・万能峠(兵庫、岡山県境)・・・万の台団地・八咫鏡発掘の地)・・・(姫新線)・・・出合川・・・土居小学校(土居廃寺跡)・四つ塚・・・旧道・・・(姫新線)・・・梅香塚・・・万ノ乢(旧万能峠・播磨国と美作国の境)・・・土居宿・・・美作土居駅(姫新線)→津山駅

 佐用から早瀬、上月と国道179号を進む。判官橋を過ぎたあたりから上りとなって大きなカーブを繰り返しての万能峠へ着く。車の通行も少なく、思っていたほどの高さでもない。今日も晴天で暑い。旧道の万ノ乢(たわ)から移された地蔵さんの前へ座り込んで小休止。日影で涼しく、後は土居宿まで下って行くだけなので気が楽だ。

 慶長9年(1604)に津山藩主の森忠政が万ノ乢越えに変更するまでは出雲街道は万ノ乢の北の杉坂峠を越えて美作国へ入っていた。後鳥羽上皇、後醍醐天皇が隠岐へ流された時も杉坂峠を越えたのだ。ちょうど佐用からの県道365号、中国自動車道のルート沿いに上福原、江見に通じていたのだろう。時代によりいくつもの改変はあるが、①杉坂峠(古出雲街道)→②万ノ乢(旧出雲街道)→③万能峠(国道179号)で、北から①③②の順に並んでいる。高さは③→①→②だろう。美作側から万ノ乢までは距離も短く、さほど高さも感じられない。播磨側から万ノ乢までの道が荒廃して、途切れてしまっているのはなんとも残念だ。

 万能峠から下る途中、迷いながら何だか妖しげな「八咫鏡発掘の地」に寄ってみる。このあたりの傾斜地は宅地に開発され何本も新しい道が造られているが住宅はまばらで、あまりなじめない所だ。国道179号に戻ってしばらく下り、国道から離れ土居宿へ下る。土居小学校の前には大きな「土居宿の案内図」が掛かっていて頭に叩き込もうとするが、この縮み上がった脳細胞では無理というものだ。だがありがたいことに、四つ塚の所で街道歩きの自分を見つけ自転車で追いかけて来たおじさんから『出雲街道土居宿マップ』(それも2枚)を頂く。大きな分かりやすい地図で、裏面の『作東町内出雲街道マップ』には「警固役坂」があるではないか。坂道散歩としては嬉しい限りで、明日の楽しみが一つ増えた。

 草の露に足元を濡らしながら旧道を万ノ乢まで上って引き返し、土居宿を散策する。晴れて明るい昼下がりの町中は閑散としてひっそりと静まりかえっている。リュックを背負い、カメラと地図を持ってキョロキョロと町並みを行く自分は全く別世界からやって来た人間のように思えてきた。今日の予定は土居宿の西惣門までで、美作土居駅のそばだ。姫路からはだいぶ離れたので今日と明日は津山に泊まる。まだ電車の時刻まで1時間近くある。姫新線の線路を跨ぎ墓地の間を福城跡に上り始めたが、暑いのとすぐに急坂となり止めにして、墓地の日影で寝転んで休憩にした。明日はここから江見に向かい、途中から古出雲街道の杉坂峠へ行く予定だ。江見から楢原に抜ける道筋にも自信がなくちょっと不安でもあるが天気も良さそうだしなんとかなるだろう。

 美作土居駅から津山駅までは40分ほどだ。ホテルから晩飯(晩酌か)を食いに出かけたが駅前の商店街や今津屋橋を渡った「ごんご通り」もシャッターを降ろした店が多く、「売り店舗」の貼り紙の建物もある。時間のせいなのだろうか、昼間は賑やかなのだろうか。薄暗い通りは物寂しい。まあ昨今どちらにもある商店街風景ではあるが。幸い、いい食堂を見つけた。今日と明日、そして次回の出雲街道歩きも津山を基点とする日が何日か続く。この食堂とはしばらく付き合うことになりそうだ。

  【ルート地図

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Img_3852 智頭急行電鉄

上郡行きの普通電車

Img_3863 佐用川沿いに旧道を進む。

Img_3864 小橋を渡って国道179号へ

Img_3865 壱本松旅館

このあたりに一本松の一里塚があるはずだが見当たらず。

Img_3867 何のモニュメントか

このあたりは早瀬地区

Img_3870 いい感じの坂が右方向に上っている。

Img_3871

Img_3877 ふれあいの里上月 【ルート地図】の①

上月駅そば

Img_3880 上月体育館

Img_3883 金屋橋(幕山川)

Img_3887 車も少なくなる。

Img_3890 姫新線の踏切を渡る。

Img_3898 国道から離れ立派な家並みの道に入る。

Img_3899 雑草に覆われた小堂

Img_3902 集落の中を行く

このあたりは越田和というようだ。

Img_3905 国道179号に出ると田んぼの向うに鳥居が。

Img_3906 大避神社

この先で判官橋を渡る。地名も判官だ。判官とは誰のことなのか?

Img_3923 万能峠への上り

Img_3927 万能峠 【ルート地図】の②

左の地蔵堂は旧道の万ノ乢(たわ)にあったものがここに移された。

Img_3928 地蔵さん

Img_3929 峠から下って美作国(岡山県美作市)の土居宿へ

Img_3934 途中にこんな看板が

行ってみることにする。

Img_3939八咫の鏡発掘の地

皇位の正当性を象徴する三種の神器(鏡・剣・玉)の一つ。ここから万ノ乢は近いが道は通じていない。

Img_3937 由来

回りくどい、責任逃れの文章だ。安徳天皇と後南朝とはどういう繋がりがあるのか。赤間神宮の宝物の中にこの鏡の記載はない。もしも本物であれば一番目に記載されるはずだ。「安置」されずに倉庫の片隅にでも眠っているのだろうか。

Img_3938 これが発掘された八咫の鏡(模型)の裏面

現品は安徳天皇を祀る山口県の赤間神宮に奉献し、安置されているというが・・・。

Img_3944 土居宿には国道179号と分かれ直進する。

Img_3950  土居宿へ下る坂

Img_3955 土居小学校(左)は白鳳期の土居廃寺跡

Img_3959 案内図(左半分)

今はこのような宿場の家並みの面影はない。

Img_3958

右半分

Img_3960 四つ塚(左奥)・安東鉄馬の碑(右) 【ルート地図】の④

活動資金集めを強盗と間違われ、自刃した4人の間抜な勤皇志士の墓。安東鉄馬は幕末の地元の勤皇志士。4人もいて何故きちんと説明できなかったのか。きっと強盗まがいのことをやったのだろう。

Img_3964 由来

Img_3968 四つ塚の向うを姫新線が通る。

佐用行きだろう。

Img_3999 万ノ乢(旧出雲街道)への途中から土居宿方向を振り返る。

Img_3977 姫新線の踏切を渡り、万ノ乢へ上る。

峠からの播磨の方への道は荒れて途切れているので、この道もあまり通られていないようだ。下草が生い茂り、水滴で靴の中まで濡れてしまった。峠から引き返すだけの道だと、ここも荒れてきて廃道になってしまうのでは。なんとか播磨側の道も整備して出雲街道を復活させたいものだが、まあヤル気も金もないだろう。。

Img_3979 右に梅香塚

Img_3982 梅香塚

寛政5年(1793)建立の芭蕉の歌碑

「むめ(梅)が香にのっと日の出る山路かな」

Img_3981 説明板

Img_3985 峠は近い

Img_3987 萬ノ乢(タワ) 【ルート地図】の③

標高は万能峠より低い。この地方には「一の乢」・「出雲乢」・「杉が乢」・「嵐が乢」と乢が多い。秩父の武甲山近くにも「タワ尾根」、「ウノタワ」があるが、漢字は使われていない。「たわ(撓)んでいる所」と思っていた。

Img_3990 念仏供養碑

宝暦14年(1764)建立

Img_3989 播磨国側へ下りてみる。

Img_3993 雑草で覆われてこの先、道は不分明。

Img_4001 土居宿東惣門跡あたり(佐用宿から土居宿まで3里)

万ノ乢を越えて東惣門から土居宿へと入った。

Img_4004 脇本陣(亀井屋)あと

Img_4009 土居宿の家並み 【ルート地図】の⑤

Img_4012 御旅所

土居子安八幡神社の大鳥居があった所

Img_4014

Img_4013 上の案内標示があるが、「老人共同作業所」になっている。

Img_4028 本陣跡

今は普通の民家になっている。

Img_4022 本典寺(左)・幸福寺薬師堂(右)

本典寺には寺子屋が開かれた。

Img_4020 役所稲荷

土居代官所跡

Img_4041 福城跡

正面山頂

Img_4040 説明板

Img_4025 旅館泉屋跡

ここで勤皇志士の一人、千屋金策がここで自決した。ここまで金策に来て強盗に間違われ自決とは。シャレにもならない。

Img_4026 泉屋後の建物

Img_4024 人馬問屋跡

Img_4031 西惣門へ向う

東惣門から西惣門までは720mほど。

Img_4033 西惣門(復元)

向こう側に「四つ塚志士顕彰碑」

Img_4034 説明板

Img_4047西惣門から出雲街道土居宿の家並み

むろん門は出雲街道上にあった。

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2009年6月27日 (土)

出雲街道③(三日月宿→佐用宿→平福宿)

2009年6月16日

Img_3743 姫路駅(姫新線)→三日月駅・・・国道179号・・・新橋(志文川)・・・旧道・・・(姫新線)・・・市ノ上交差点(国道179号)・・・旧道・・・薬師堂・・・十二世神社・・・国道179号・・・六地蔵・・・卯ノ山峠・・・太田井橋(千種川)・・・法覚寺・・・旧道・・・国道179号・・・釜須坂・・・佐用坂・・・旧道・(智頭急行電鉄)・・・上町交差点・・・佐用宿・・・上町交差点・龍山神社・・・国道373号(智頭街道・因幡街道)・・・(智頭急行)・・・(中国自動車道)・・・(智頭急行)・・・宮本武蔵初決闘の場・六地蔵・金倉橋(佐用川)・・・天神橋・平福宿・道の駅「宿場町ひらふく」・・・平福駅(智頭急行)→上郡駅(JR山陽本線)→姫路駅

 昨日と同じ電車で、乗っている中学、高校生も同じ顔ぶれだ。小間切れ運転で播磨新宮からは佐用行きに乗り継ぐ。この電車も佐用高校の生徒の貸切状態だ。三日月駅から国道179号の卯ノ山峠、釜須坂と2つ峠を越えると佐用宿で、ここが出雲街道と因幡街道の分かれ目だが、佐用宿には宿場の面影はあまり残っていない。

 国道373号を北に進み佐用川、智頭急行に沿いながら因幡街道随一の平福宿に向う。戦国時代に城下町から宿場町に生まれ変わり、今も町並み、家並みに往時の面影を残す平福宿をのんびりと一回りする(上の写真は佐用川端からの眺め)。道の駅「宿場町ひらふく」でゆっくり昼食休憩をして、まだ2時前だが今日は早めに切り上げて、智頭急行で上郡へ出て姫路に向った。それにしても暑い日が続く。今日は30度くらいあったようだ。明日は荷物一式背負って万能峠を越えて美作国の土居宿へ入る。まあ暑くても雨に降られるよりはましだろう。

  【ルート地図

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Img_3606 三日月宿方向

旧道から国道179号に出たあたりの歩道から。下は姫新線

Img_3612 薬師堂

Img_3613 十二世神社 【ルート地図】の①

天神七代、地神五代を祀る神社

Img_3616 十二世神社

ここあたりは新宿という地名で、西の塔垣内には新宿廃寺跡があり、古代の中川駅の地と推定されている。

Img_3622 国道179号の卯ノ山峠への上りとなる。

左に六地蔵の祠

Img_3623 六地蔵

Img_3625 卯ノ山峠へ

Img_3628 峠から千種川、播磨徳久駅の方へ下る。

Img_3630 太田井橋の「全国名水百選 千種川」の標柱。昭和60年度の選定。

Img_3631 千種(ちくさ)川

それほどきれいとは思えない流れだが。「ちくさ」と濁らないのは清流だから?

Img_3634 太田井橋を渡って右に曲がり県道53号を200mほど行くと左に分岐した道脇に道標が立っている。

Img_3636「右 山さき ちくさ 道」

山崎、千種の方向からすると元は県道53号沿いか、分岐の所にあった道標だろうか?

Img_3641 播磨徳久駅の手前で旧道に入る。

Img_3644 崩れかけた塀と門の旧家

Img_3652 釜須坂 【ルート地図】の②

播磨徳久駅前の交差点から上る国道179号。戦国時代の戦さの攻防に登場する坂だ。

Img_3655 坂上近く

峠を一つ越える感じで、佐用坂が佐用宿へと下って行く。峠に名前はついていないようだ。

Img_3661 佐用坂

釜須坂の坂上から佐用宿へ下る。左に姫新線が通る。

Img_3667 国道179号から離れ、智頭急行電鉄のガードをくぐって左に 入る。

Img_3697 佐用宿の家並み

Img_3696

Img_3672 佐用宿(佐用駅方向) 【ルート地図】の③

左に「松江藩役所並本陣跡」碑

Img_3675 「史蹟 雲州松江藩役所並本陣跡」碑

役所並本陣とは普通の本陣とは違うのか。後ろは佐用町の庁舎。

Img_3680 佐用宿の家並み

旧家

Img_3681 野村呉服店(左書)

Img_3683 

Img_3669 龍山神社

Img_3715 平福宿へ国道373号(智頭街道・因幡街道)を北に向う。佐用宿からは5km足らずだ。

右は佐用川

Img_3792 平福宿案内図

Img_3724 平福宿の入口近く

Img_3727 宮本武蔵初決闘の場と六地蔵(金倉橋のたもと) 【ルート地図】の④

時は慶長元年(1596)、金倉橋のたもとで、13歳の武蔵は新当流の達人有馬喜兵衛に初勝負をいどみ一刀のもとに倒したと伝える。また、ここは江戸時代の刑場跡で、供養のために六地蔵が建てられたという。

Img_3728五輪書の一節」の碑

Img_3726 説明板

Img_3725 説明板

Img_3741 利神(りかん)城址(373m)

雲を突く偉容から「雲突城」と呼ばれた。本丸、二の丸、大坂丸などの石垣群が昔の姿を偲ばせるという。40分ほどで登れるようだが、この暑さではご遠慮申し上げた。

下は智頭急行の殿町トンネル

Img_3779 由来記

文中に釜須坂が記されている。池田輝政がこの城の見分の途中で釜須坂にさしかかるや、北方の城郭群の偉容さに驚き、引き返して利神城の即刻の破却を厳命したという。もちろん江戸幕府を恐れてのこと。

Img_3733 平福宿

佐用川から

Img_3736 定番の写真スポット

Img_3745

Img_3766 平福宿の家並み 【ルート地図】の⑤

慶長・元和年間(1596~1623)に現在の町並みが形成され、その後、因幡街道随一の宿場町となる。街道に沿う町並みは昔ながらの姿で、南北に1.2kmほど続く。連子窓、格子戸の平入りの家々、佐用川の石垣に並ぶ白壁の川屋敷、川座敷、土蔵群は平福ならではの景観。

Img_3773 鋳物師瓜生原家

蔀帳(ぶちょう)造りの縁台で土地の老人がくつろいでいる。

Img_3772 説明板

Img_3778 昭和の初め頃まで居住していたという。

Img_3781 平福陣屋門・代官所跡

平福は利神城の廃城後、松平氏の旗本領となり代官支配となった。この陣屋門は元治元年(1864)に代官、佐々木平八郎が建てたもの。

Img_3782 説明板

Img_3794 正覚寺

江戸時代後期から地蔵菩薩を祀り、子授け・子育ての霊験あらかたで、近在近郷、関西方面からもお参りが絶えないという。

Img_3798  平福郷土館

牢屋敷跡に建てられたようだ。土日と祝日しか開館していない。

Img_3800 案内板

Img_3804 家並み

Img_3805

Img_3806 たつ乃屋醤油本店

元禄10年(1697)創業の三年熟成の自然醤油に老舗。

Img_3807

Img_3809 教岸寺

本堂は明治6年利神小学校として使われた。

Img_3812 宮本武蔵ゆかりの旧田住邸

武蔵は父の後妻、よし子に育てられた。武蔵が7歳の時に父が死去し、義母(よし子)は平福へ帰り田住政久の後妻となる。幼少時代の武蔵は当家で養育され、武芸も学んだといわれる。

Img_3813 説明板

Img_3817 左が田住家

Img_3820

Img_3822 金刀比羅神社

海の守護神がなぜ平福で祀られているかは不明という。

Img_3823 本陣跡

鳥取池田藩の本陣跡に、陣屋門をイメージした木造本瓦葺きの建物を、平成8年に整備。

Img_3824

中はスサノオ神社のお旅所になっている。

Img_3830 左が本陣

Img_3825 道の駅「宿場町ひらふく

Img_3791 「黒豆ごはんセット」550円也は安い。 ビールは別よ。

Img_3838 平福駅(智頭急行電鉄)

鈍行しか止まらない。2つ先は武蔵の生まれ故郷の「宮本武蔵駅」

Img_3845 一輌の車内には2人しか乗っていなかった。

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2009年6月25日 (木)

出雲街道②(觜崎宿→千本宿→三日月宿)

2009年6月15日

Img_3406 姫路駅(姫新線)→東觜崎駅・・・觜崎(はしさき)宿・・・寝釈迦の渡し跡(揖保川)・・・古宮神社・・・觜崎の磨崖仏・・・觜崎橋(揖保川)・・・屏風岩・・・県道724号・・・船渡交差点(国道179号)・・・今宮権現神社・・・県道724号・・・馬立橋(栗栖川)・・・輪袈裟の清水・・・年宗橋(札楽川)・・・国道179号・・・旧道・・・金井橋(栗栖川)・・・県道434号・・・(千本駅)・・・千本街道踏切(姫新線)・・・千本宿・・・浄福寺・・・栗栖廃寺跡・依藤塚・・・鎮宅寺・・・大川稲荷神社・・・国道179号・・・旧道・・・(姫新線)・・・荒神社・・・栗町団地・・・国道179号・・・旧道・・・(西栗栖駅)・・・西栗栖小学校・・・西法寺・・・相坂第二踏切(姫新線)・・・県道44号・・・相坂荒神宮・・・国道179号・・・相坂・相坂峠・・・旧道・・・三日月宿・盤筒男神社・明光寺・・・桜橋(本郷川)・・・慶運寺・・・日限地蔵尊・・・新橋(志文川)・・・三日月藩乃井野陣屋跡・武家屋敷跡(上の写真)・烈祖神社・廣業館跡・日岡八幡神社・・・三日月駅(姫新線)→姫路駅・・・姫路城(菱の門→西の丸(渡櫓・化粧櫓)→見晴し坂・見返り坂→二の丸→本丸→大天守→腹切丸→お菊井戸→穴門(るの門))・・・総社(射楯兵主神社)・・・総社門・・・姫路駅

 6時55分発の播磨新宮行きに乗る。ちょうど通学時間帯で2輌編成の姫新線は出発時刻前には満席になる。東觜崎駅から觜崎宿を抜け、寝釈迦の渡しからまだ起きていないお釈迦さんの寝姿を眺め、磨崖仏、屏風岩に寄り道して出雲街道を千本宿、三日月宿に向った。梅雨とは思えない陽射しの下を、下調べがいいのか?意外とすんなり、さほど迷うこともなく歩くことができた。まあ旧道歩きといってもこのあたりは姫新線と国道179号につかず離れず行けばいいのだから、誰が歩いても大同小異ということか。

 姫路に戻り、まだ早いので姫路城見物だ。以前、姫路競馬のついでに寄ったことはあるが、その時の城の印象の記憶はない。今回はじっくり、といっても2時間ほどだがさすが見ごたえのある世界遺産の中を閉館のアナウンスまでうろついた。

  【ルート地図

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Img_3188

寝釈迦の渡し 【ルート地図】の①

ここで出雲街道は揖保川を渡った。対岸の山並みが釈迦が横たわっている姿に見えるというが、ここからだとやけにメタボ腹のお釈迦さんだ。

Img_3186 道標

Img_3152 説明板

Img_3147 古宮神社

Img_3150 付近の案内図(古宮神社前の県道724号の觜崎橋のそば)

Img_3156 磨崖仏

岩肌に舟型状の光背を彫り、胸に知恵の宝珠を抱き、右手に錫杖を持つ。昔から「いぼ神」さんと敬い祀る浮き彫りの地蔵菩薩。文和3年(1354)の銘があるという。

Img_3151 説明板

Img_3160 地蔵の浮き彫り

4体の地蔵さんの浮き彫り。右端の地蔵さんが薄れて消えかかっている。

Img_3166  揖保川を渡る姫新線

磨崖仏、屏風岩近く

Img_3169 磨仏拝殿(揖保川の対岸)

8月23、24、日の地蔵盆の祭礼では豆茶がふるまわれるという。

Img_3171 拝殿から対岸の磨崖仏

正面中央だが肉眼では地蔵さんは拝めないよ。

Img_3174 屏風岩

樹木に覆われ形がはっきりしない。

Img_3153 説明板

左端の切れている続き「岩脈の上部はY字形に二分しており、山頂付近に登ってみると発達した節理の状態がよくわかります。」

Img_3199 このあたりは「馬立」という。古代の宿駅、越部駅があったのはこの地だとも、船渡だともいわれる。

Img_3212 田んぼの中に「輪袈裟の清水」

Img_3213 輪袈裟の清水 【ルート地図】の②

手前の柄杓の下に少し水が溜まっているが、枯渇寸前で飲用はできない。

Img_3230 旧道

Img_3233 姫新線

手前は栗栖川

Img_3238 旧道を行くと県道434号へぶつかる。

Img_3240 千本宿(右)へ

Img_3241 地蔵さん

Img_3242 千本街道踏切(姫新線)を渡って千本宿へ

Img_3244 千本宿

觜崎宿から二里十五丁(9.5km程)

Img_3246 千本本陣(内海家) 【ルート地図】の③

手打ちそばと田舎料理の店を営業している。開店は10時からで20分ほど待てばよいのだが、まだ腹も空いていないので外から眺めるだけで我慢。邸内を見学だけすることはできない。

Img_3252  説明板

Img_3249 本陣の門

Img_3250 本陣内海家

伊能忠敬も泊まったそうだ。

Img_3253 千本宿の家並み

Img_3257 国重商店

昔の懐かしい匂いがする店だ。

Img_3270 依藤(よりふじ)塚(左)

嘉吉の乱」の時にここで自害した赤松満祐の家臣の依藤惟次の墓という。

このあたりは8世紀初頭の栗栖廃寺跡

Img_3268 依藤塚由来

Img_3266 説明板

Img_3274 大川稲荷神社(正面奥)

伏見稲荷の摂社か末社。このあたりは立派な家が多い。

Img_3278 大川稲荷の鳥居

向う側は姫新線の線路

Img_3280 鳥居から大川稲荷方向

少し暑いが晴れて空気が澄んでいて気持ちがいい。

Img_3281 姫新線が行く

この先、姫新線も出雲街道も国道179号も南西から北西に大きくカ-ブする。

Img_3286 踏切を渡って荒神社へ

Img_3287 荒神社(こうじんしゃ)

この地域には荒神社が多い。荒神信仰は、西日本特に瀬戸内海沿岸地方で盛んだったようで、各県の荒神社の数は、岡山(200社)、広島(140社)、島根(120社)、兵庫(110社)、愛媛(65社)、香川(35社)、鳥取(30社)、徳島(30社)、山口(27社)。ここは岡山県に近く荒神信仰が盛んなのだろう。

Img_3293 西栗栖駅

Img_3297 西法寺

Img_3306 姫新線の踏切を渡り県道44号を上る。

Img_3307 相坂荒神宮

ここも荒神社

Img_3315 相坂(国道179号)

揖保郡(現たつの市新宮町)と佐用郡(佐用町)のあいだの坂ということではなく、播磨風土記の「阿為山」(あいやま)によるという。

Img_3320 相坂峠

承久の変で隠岐に流される後鳥羽上皇がこの坂で詠んだ歌 「立ち帰り越しゆく関と思はばや都に聞きし逢坂の山」

上皇は再び都に帰れると思っていたようだ。逢坂は東海道の京都への入口の逢坂の関で歌枕の地。「百人一首」の蝉丸の「これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関」で有名。

Img_3322 相坂峠から下り

左に地蔵堂

Img_3323 地蔵さん

Img_3326 相坂峠説明碑

Img_3325 説明板

Img_3329 姫新線と一緒に佐用町へ下って行く。

Img_3333 地蔵堂

Img_3335 三日月宿へ右に入る。

北条時頼が諸国回国の途中、この地に三ヶ月滞在したことによる地名という。『佐用郡誌』

Img_3339 三日月宿 【ルート地図】の④

千本宿から二里(8km程)) 

左が本陣織田家。武家屋敷や陣屋がある乃井野とはかなり離れている。

Img_3343 本陣(右)の祖は織田信長の弟の信包(のぶかね)だとか。

Img_3352 右が本陣、左は盤筒男神社

Img_3348 盤筒男神社

手すりのない、蹴上げの高い石段を180段ほど上り、その後この木の根を跨いで到着。汗が噴出してきた。

Img_3353 明光寺?

Img_3363 三日月とうふ

Img_3371 旧家(三日月とうふの前の田んぼの向こう側)

本陣より立派だ。

Img_3367 どういう旧家なのか?

Img_3369 門から失礼して

Img_3374 慶運寺山門

Img_3378 よろづや商店

ここも昔の雰囲気がある。

Img_3386ここは 「地蔵尊の町」で毎年8月23日に行われる夏祭り(地蔵盆) には、1万人以上の人が花火や各種イベントを楽しんでいるそうだ。

Img_3379 日限地蔵尊

Img_3385 由来の記

Img_3380 右が地蔵堂

Img_3384 日限地蔵さん

Img_3387 新橋(志文川)を渡り、三日月藩乃井野陣屋館の方へ上る。

Img_3390 「餌差町」の標柱が立つ。

Img_3391 ここは「宿居町」

Img_3402 中之町の家並み

このあたりは武家屋敷跡

Img_3413 三日月藩乃井野陣屋門 【ルート地図】の⑤

城を持てない小藩の城代わりの藩主の屋敷。元禄10年(1697)、津山藩森家の改易に伴って、その分家である森長俊が三日月の地に移住。佐用郡や宍粟・揖保郡の一部を含む1万5千石の藩主となる。以後明治までの174年間、城下の乃井野地区は政治・文化の中心地として栄えた。森家は織田信長に仕えた森長定(蘭丸)の流れをくむ家系。

Img_3418 説明板

Img_3417 案内図

Img_3421 通用御門

Img_3427 門の裏側

藩主の屋敷などは復元されていない。

Img_3432 烈祖神社

三日月藩の祖先を祀る神社。

Img_3428 廣業館跡

寛政5年に建てられた三日月藩の藩校の一部。

Img_3430 由来記

Img_3434 日岡八幡神社

平安時代に奉られ、鎌倉・室町時代には多くの社領を持ち、赤松円心(即村)で有名な赤松氏の保護が厚く、江戸時代以降は、三日月藩森家から多くの寄進を受けていた。

Img_3443 石段上から

Img_3440 神門から拝殿

Img_3449 ?の清水

「播磨十水」の一つだが調べても分からず。枯渇寸前で汚れていてもちろん飲めない。

Img_3448 石碑

 Img_3489        

姫路城

Img_3520 「見晴し坂」の標示板

矢印方向に道はなく城壁だ。

Img_3521 「見返り坂」の表示板(前の写真の裏側)

同じ坂で、上る時は「見返り坂」、下る時は「見晴し坂」としているのだろう。まあ見晴しがきく、見返りたくなるほどの坂ではないが。

Img_3523 見晴し坂か(坂下方向) 《地図

西の丸の化粧櫓の東側を二の丸の方へ下る坂。

Img_3525 見返り坂(坂上方向)

右が化粧櫓

Img_3515 化粧櫓

千姫が暮らした部屋

Img_3512 貝合せを楽しむ千姫

猫(写真で見ると本物のようだ)の後ろに煙草盆がある。

Img_3513 説明板

Img_3542

Img_3558

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2009年6月23日 (火)

出雲街道①(姫路→飾西宿→觜崎宿) 

2009年6月14日

Img_3192_2 姫路駅・・・十二所通り・・・十二所神社・お菊神社・・・光明寺・・・国道2号・姫路城埋門跡・白鷺橋(船場川)・・・西国街道(山陽道)・・・善国稲荷神社・・・琴平神社・・・(姫新線)・・・船越神社・金比羅神社・秩父山公園・・・(姫新線)・・・来法寺・・・下手野の道標・・・国道2号・・・夢前(ゆめさき)橋(夢前川)・・・県道724号(因幡街道)・・・青山の道標・・・教専寺・・・(姫新線)・・・(余部駅)・・・飾西交差点・・旧道・・・飾西(しきさい)宿・・・飾西公園・・・県道5号・・・長池・・・県道724号・・・(山陽自動車道)・・・姫路西IC東交差点・・・車石歯痛地蔵・・・国道29号・・旧道・・・稲荷大明神・・・(国道29号)・吹上橋(大津茂川)・(伊勢茶屋)・・・姫路西霊園・・・追分峠旧道・・・稲荷神社・・・追分の道標・・・県道724号・野部の縁切り地蔵・・・旧道・・・鳥井橋(林田川)・・・荒神社・・・(神岡小学校)・・・素麺神社・・・県道724号・・・そうめんの里・・・(水谷商店)・・・旧道・・・(姫新線)・・・觜崎(はしさき)宿(上の写真)・・・東觜崎駅(姫新線)→姫路駅

 大和と出雲を結ぶ出雲街道を西国街道(山陽道)との分岐の姫路から何回かに分けて歩く。播磨国(兵庫県)~美作国(岡山県)~伯耆国(鳥取県)~出雲国(島根県)へと北西に進む古代からの幹線道路で、古くは鉄、租庸調の品々を運んだ道、後鳥羽上皇、後醍醐天皇の隠岐への配流の道、江戸時代には参勤交代の道でもあった。街道沿いの宿場跡に立ち寄りながら、なるべく旧道、あるいはそれらしき道筋を歩きたいところだが、どうなることやら、梅雨の合間の蒸し暑い中を旅立つことにする。

  【ルート地図

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Img_2979 十二所神社

疫病の流行に里人が苦しんでいたところ、一夜にして12本の蓬(よもぎ)が生え、そこに少彦名神(医薬、病気平癒の神)が現れて、この蓬で疫病を治癒すべしとの神託を下した。すると疫病は止み、里人の病は癒えた。感謝した里人が少彦名神を祀ったという。

Img_2980 お菊神社(十二所神社内) 【ルート地図】の①

「播州皿屋敷」で有名なお菊さんを祀る。東京では「番町皿屋敷」で、落語「皿屋敷」がある。

Img_2981 由緒

Img_3586 お菊井戸(姫路城内)

Img_3585 説明板

Img_2984 姫路城埋門跡(国道2号(山陽道)と船場川の交差点)

城の南西の隅櫓の門。

白鷺橋を渡って国道2号の一本北側の道に入る。

Img_2985 説明板

Img_2990 善国稲荷神社

Img_2991 琴平神社

Img_2996 西国街道の新しい道標

Img_2995 街道沿いには昔の面影は薄いが、所々に旧家が残る。

Img_2999 地蔵堂

Img_2998 地蔵さん

Img_3000 船越神社

秩父山公園(60m)の中にある。埼玉の秩父と関連があるのか? 手前は姫新線の踏切。

Img_3007

国道2号からはたいして離れていないが閑静な家並みの道だ。

Img_3012 道標(下手野3-6)

ここから夢前川に出て、因幡河原(姫新線の鉄橋下あたり)から川を川越人足の歩行渡しで渡っていた。文化8年(1811)には仮橋が架けられた。

Img_3010 円光大師二十五霊場は、法然上人(円光大師)の誕生から入滅までの遺跡地である25霊場のこと。

Img_3011 誕生寺(岡山県久米郡久米南町)は法然上人の生誕地で、津山線の誕生寺駅の北西1km足らず。ここからは100km以上? 《地図

Img_3013 旧家

Img_3016 夢前橋(夢前川)を渡り右へ因幡街道(県道724号)に入り北に向う。

Img_3023 青山の道標 《地図

安政2年(1855)建立。ここを北上し、飾西宿に入る。

Img_3022 「右 因州 伯州 作州 雲州 往来」

出雲街道は佐用宿までは因幡街道と同じ道筋で、「因伯雲作往来」といった。

Img_3021 「左 備前 九州 金毘羅 宮嶋往来」 「すぐ姫路 大坂 京 江戸 往還」

Img_3026_2  射目崎(いめさき)明神

この先の飾西交差点から右へ飾西宿へ向う。

Img_3028 旧家

Img_3043 道標 《地図

佐伯商店前の三叉路の所

Img_3042 「右 書写山」

西国三十三観音霊場の第27番書写山円教寺のこと。ここから北東に5、6kmか。《地図

Img_3039

読めない、情けない。

Img_3033 書写山への道を少し行くとここにも道標が立つ。

Img_3045 飾西宿 【ルート地図】の②

姫路から一里十八丁(6km程)

右は清酒「寿老」蔵元の鍬田家。酒造蔵の赤レンガ煙突があるはずだが見当たらず。老朽化して取り壊したのだろうか?
Img_3046

Img_3050 笠寺

Img_3047 説明板

Img_3049 薬師如来像

伽羅の木で造られているという。

Img_3051_2 本陣(中山助太夫家)

飾西宿の成立は寛永年間(1624~44)で、姫路藩領→龍野藩領→幕府領→相模小田原藩領→幕府領→大坂城代戸田忠寛(下野宇都宮藩)領→幕府領→幕末となる。
宝暦10年(1760)の家数は83軒・人数417人、明治24年には家数102軒・人数514人。

Img_3052 本陣の門

このまま崩れてしまうのか。

Img_3060 長池

姫新線が向こうを走る。

Img_3063 地蔵堂

Img_3069 県道724号

正面の山陽自動車道をくぐる。

Img_3072 車石歯痛地蔵 【ルート地図】の③

姫路西IC東交差点のところ。由来不明

Img_3074 国道179号を少し進み、右に旧道に入る。

Img_3076 静かな道となる。

Img_3077 ?神の祠

Img_3079 家並みに入って行く。

Img_3081 稲荷大明神 《地図

Img_3082 石段の右脇の、「峯相山寺趾登山口指導標」の石柱。ここから北方向2.5kmくらいに峰相山(244m)、峰相寺がある。

Img_3085 火の見に半鐘と拡声器

Img_3088_2 とんがり山(256m)か

峰相山→とんがり山のルートがあるようだ。

Img_3092 吹上橋の手前で西に向う。

このあたりを伊勢茶屋という。旅人相手の茶屋があったのか。

Img_3095 古い家並みに入る。

立て場(人足、駕籠かきなどの休憩所)があったのもこのあたりか。

Img_3098追分峠へ登って行く。やっと坂道散歩らしくなってきた。

姫路西霊園(右)に沿って上る。舗装された道が続くと思いきや、いきなりフェンスが立ち塞がる。

Img_3099 行き止まりかと思った。鍵は掛かっておらず、「立入り禁止」にもなっていない。かまわず直進だ。この先に道が続いていることを願うのみ。

Img_3100 街道の両側には石積みが残っているというが、左の柵の中は石積みだったか?

Img_3101 反対側にもフェンスが

追分自治会の注意板が付いている。

Img_3102  歩きづらい道を行く。

Img_3103 前方が明るくなってきて一安心

Img_3105 下に集落が見えてきた。

Img_3106

旧道らしき家並みに入る。

Img_3107 稲荷社 《地図

近くに茶屋前池がある。

Img_3110 正面に追分の道標が立つ。ここまでの道筋は正解だったようだが。

Img_3113 追分の道標

「左 作州 雲州 道 東觜崎 千本 三ケ月」が出雲街道で、觜崎・千本・三ケ月(三日月)は宿場名。

Img_3112_2 「右 因州 伯州道」 

北に因幡、伯耆へ向う道でこれも因幡街道。出雲街道と一緒に進み、佐用宿から北に平福宿、大原宿へ向う因幡街道が一般的か。

Img_3116 縁切り地蔵 《地図

由来の初めは男女の縁で、賭け事、酒など諸事の悪縁を切ってくれるという。

Img_3115 由来

Img_3117 縁切り地蔵さんは扉の中

Img_3118 県道724号から右に旧道に入る。

Img_3130 荒神社

鳥井橋(林田川)を渡って右に川沿いに曲がったところ。荒神社の脇に道標が立つ。

Img_3125 道標

「右 姫路 書写 神戸 大阪 すぐ 林田 安志 道」

Img_3126 「右 林田 安志 左 因? 雲? 道」で左が出雲街道のルート

Img_3135 素麺神社 【ルート地図】の④

Img_3136 播州手延素麺「揖保乃糸」の守護神。そうめん業者の信仰が厚く、例祭では夏の猛暑と商売繁盛を祈るという。

素麺は食べるから猛暑を祈るのは止めてほしいよ。

Img_3134 そうめんの里

日曜で館内は混んでいた。暑い中を昼飯も食べずにここまで歩いてきてかなりバテた。冷やしそうめんで遅い昼食とする。

Img_3138 水谷商店(正面)から左に旧道へ入り觜崎宿へ

Img_3141 觜崎(はしさき)宿 【ルート地図】の⑤

飾西宿から二里十八丁(9.8km程) 揖保川をはさんで東岸を觜崎宿村(現龍野市)とい、飾西村からの荷物を継ぎ立て、西岸の觜崎村(現新宮町)は千本駅からの継ぎ立てを行った。

揖保川に沿って左岸に連なる山並みが鶴の嘴(くちばし)のように見えることから、この山を鶴嘴山といい、その嘴にある村を觜崎(はっさき)というようになったそうです。「嘴崎」でなく「觜崎」と口遍を削ったのは何故なのか?

Img_3144 本陣(松原五郎右衛門家)

Img_3145 脇本陣

本陣より立派に見える。

Img_3190 東觜崎駅(姫新線)

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