2018年6月30日 (土)

羽田道・大師道

2018年6月27日

平和島駅(京急本線)・・(第一京浜国道)・・東海道・・・(環七通り)・・・美原(三原)通り・・・内川橋(内川)・羽田道標柱・するがや通り・・・厳正寺・・・漁業記念碑・・・三輪厳島神社・・・呑川橋(旧呑川緑地)・・・羽田道標石・・・浦守稲荷神社・・・末広橋(呑川)・・・権助橋跡(浜竹用水)・羽田道標柱・・・産業道路・・・自性院・・羽田神社・・正蔵院・道標・・(産業道路)・・・龍王院・・・(首都高羽田線)・・・羽田道標柱・鷗稲荷神社・・・玉川羽田弁財天・・・白魚稲荷神社・・・弁天橋(海老取川)・大師道・・・(首都高羽田線)・・羽田の渡し跡碑・・・大師橋(多摩川)・・・大師の渡し跡碑・・・千蔵寺・・・(東門前駅(京急大師線))・・・仲見世・・川崎大師(平間寺)・・・若宮八幡宮・・・医王寺・・・(川崎競馬場)・・徳泉寺・・・六郷の渡し跡・・東海道・・・本町交差点(府中街道分岐地点)・・・幸福寺・・久遠寺・・稲毛神社・・稲毛公園・・・砂子交差点(東海道)・・・川崎駅(JR京浜東北線)

 東海道の大森の三原通りの内川橋から分かれて羽田へ至る羽田道を行く。羽田弁財天、穴守稲荷神社などへの参詣の道、羽田で獲れた魚などを江戸に運ぶ道でもあった。羽田の渡しから川崎大師への大師道としても利用された。

  【ル-ト地図

Img_7684内川橋(内川) 《地図

昔は駿河屋という旅宿があり、「するがや橋」と呼ばれていた。橋を渡った左側に羽田道の標柱が立つ。東海道から別れ、左に「するがや通り」に入って行くのが羽田道。

Img_7685説明板

Img_7686羽田道標柱

Img_7688するがや通りを行く。

「お若えのお待ちなせえ」と、鈴ヶ森で白井権八を呼び止めた幡随院長兵衛が常宿としていたのが「駿河屋」だそうだ。(浮世柄比翼稲妻

Img_7689分岐点を右へ 

Img_7690「するがや通り 羽田道」標石・大筒町打ち場説明板

Img_7691幕末、江戸湾防備のための大筒や小銃の稽古所の大森町打ち場が、東京ガス大森工場のあった所に設置された。(大森東3-28付近) 長州藩が警備を命じられ桂小五郎ら藩士師弟も動員された。現在その隣には大森ふるさとの浜辺公園がある。『大田区の観光』より

Img_7695厳正寺

木の左に「水止舞の寺」の標柱が立つ。

Img_7694説明板(梵鐘)

Img_7699水止舞

Img_7696漁業記念碑(大森児童館前の植込みの中)

浅草海苔の由来の一説の野口六郎左衛門のことなどが書かれているようだ。近くに古くからの海苔屋が二軒あったがどちらも写真を撮りづらい状況だった。

大森・海苔乾し(昭和大東京百図絵版画・昭和12年)

Img_7701三輪厳島神社

Img_7703説明板

Img_7704呑川橋(旧呑川緑地)を渡る。《地図

19日に歩いたばかりだ。

Img_7706上流方向

Img_7708羽田道標柱

ここも右へ行く。

Img_7709側面

弁天神社は三輪厳島神社のこと。

Img_7711浦守稲荷神社 《地図

Img_7712末広橋(呑川)を渡る。《地図

Img_7714呑川(下流方向)

Img_7718権助橋跡(浜竹用水跡交差地点)・羽田道標柱(左の木の下) 《地図

ここも19日に通った。

寂しげな商店街を抜け、大鳥居交差点を渡って産業道路の西側沿いを進む。

Img_7725自性院

羽田村、羽田猟師町(漁師ではない)の鎮守だった。

Img_7726羽田神社

ここも羽田村、羽田猟師町の鎮守だった。

Img_7731道標(正蔵院前) 《地図

「羽田街道」・「右 三原 東海道」

大師橋の下をくぐって羽田弁財天(下の宮・現在の玉川羽田弁財天)から弁天橋に向かう。

Img_7736龍王院

羽田弁財天の上の宮

Img_7752鷗稲荷神社 《地図

右に羽田道標柱

Img_7750羽田道

神社前の道は「羽田七曲り」の一つ。

Img_7755玉川羽田弁財天地図

龍王院が別当寺となっていた上の宮に対し、要島(羽田空港の地)の新田開発に伴い、下の宮として弁天社が創建、祀られていた。昭和20年9月連合軍の強制立退命令により、下の宮(現玉川羽田弁財天)を水神社のある当地に遷した。

Img_7754日本三弁天」(だった?)とは畏れいった。

Img_7753
左が水神社

Img_7757白魚稲荷神社

鷗・白魚、海と川の匂いのする名前だ。

Img_7762弁天橋から海老取川河口・多摩川・穴守稲荷神社の旧社地にあった鳥居。

要島の羽田弁財天も近くにあったのだろう。

羽田弁財天社」(『江戸名所図会』)
羽田弁財天社」(『江戸土産』)
羽田の渡し 弁天の社」(『名所江戸百景』)

ここを羽田道歩きの終点とし、大師橋手前の羽田の渡し跡から川崎大師へと大師道を行く。

Img_7763赤レンガ積みの低い防潮堤跡? 《地図

内側にも民家が並んでいるが、今は洪水の恐れはないのだろう。

Img_7765羽田の渡し碑 《地図

多摩川の渡し

Img_7743_2説明板

Img_7745羽田の渡し跡前の多摩川

江戸の末には東海道の六郷の渡しを渡った川崎宿から川崎大師に参詣するメインの大師道よりも、羽田道を通り羽田の渡しを渡る方が多く利用され、川崎宿からこの渡しの通行を禁止して欲しいとの願いが幕府に出されたという。「説明板」より。
昭和14年に大師橋(前方)が開通して渡しは廃止された。ちなみに六郷の渡しが廃止されたのは明治6年だから、その後も30年以上もここの渡しは現役だった。

Img_7740旧大師橋の親柱

大師橋を渡った川崎側の小公園にも保存されている。

Img_7766ここの防潮堤はいくぶん高い。

内側に人家は無い。

Img_7739羽田第二水門

後ろは大師橋、前は高潮時緊急避難用の船溜まり。

Img_7769大師橋(多摩川)

前方からの強風、突風にあおられながら、帽子を手に持って前かがみで渡った。こんな日には渡し船は出なかったかも。

Img_7774上流方向

右岸の大師の渡し跡から東参道、仲見世を通って川崎大師へと進み、表参道から大師道を前方の六郷橋(東海道六郷の渡し跡)まで行くのだ。

Img_7787新日本製鉄水門(1971年3月製作)

今は使われていないようだ。

Img_7788後ろ(内側)は船溜まりだけ。

Img_7790大師の渡し跡 《地図

Img_7780渡し舟

昭和14年まで続いた。(上流の二子の渡し(大山街道)にも馬に見送られて対岸(川崎)に渡る舟の写真を掲載)

Img_7797千蔵寺地図

「鬼を祀る寺」

Img_7796説明板(川崎歴史ガイド 東海道と大師道

Img_7802東門前駅(京急大師線)

Img_7803東門前小学校前の歩道

小学生の絵が描かれている。絵は汚れるがブロック塀のように地震で倒れないから安全だ。

Img_7808仲見世

浅草観音の仲見世の雑踏とは大違いで歩きやすい。

Img_7824川崎大師境内図

Img_7809大山門

大本堂に大本坊、わざわざ「大」をつけることもあるまい。大師だけで十分だ。

落語『大師の杵

Img_7812八角五重塔

Img_7820不動門

Img_7825しょうづかの婆さん(奪衣婆)(寛文11年(1671))

品川の台場から移って来たようだ。地蔵婆さん風だ。歯と健脚の願を掛けた。

Img_7826説明板

表参道から大師道を六郷橋へ向かう。

Img_7828表参道らしくない通りだ。

Img_7830川崎大師

Img_7833若宮八幡宮

Img_7838大師河原酒合戦三百五十年記念碑

水鳥の祭

Img_7837_2説明板

「水鳥(すいちょう)」の「酒」へのこじつけが何とも・・・。

Img_7839花見橋バス停前交差点

Img_7841「花見橋と大師新道」(川崎歴史ガイド 東海道と大師道)

Img_7845「工場進出と鈴木商店」(川崎歴史ガイド)

イトーヨーカ堂の前あたり

Img_7847今も味の素は鈴木町駅の回り一帯にある。 《地図

Img_7855医王寺

手前の扉も閉まっていて入れず。「塩どけ地蔵」と「蟹塚」の伝説がある。

Img_7853「医王寺と二つの伝説」

Img_7856地蔵と「レコード製造の始まり」(川崎歴史ガイド) 《地図

Img_7858説明板

「日米蓄音機製造株式会社」は日本コロンビアの前身で、明治42年5月に川崎区港町の工場で国産第一号の円盤レコードを製造・発売した。(「川崎区の宝物シート」より)

Img_7867川崎競馬場

最後に来たのは何時だったか。ずいぶんと綺麗になったもんだ。JRAのマークは場内にウインズ川崎があるから。

Img_7862「富士紡績と競馬場」

徳泉寺前の道に入る。

Img_7864羽田山徳泉寺で羽田村から移転

Img_7869六郷橋脇・六郷の渡し跡(東海道川崎宿

川崎大師石灯籠(右端)

Img_7876多摩川下流方向

斜張りの大師橋がうっすらと見える。

Img_7881本町交差点 《地図

右に府中街道が分岐する。まだこの先も幸町交番交差点までは大師道と呼ばれているが。

左折して東海道から離れる。

Img_7884堀之内のソープランド街を通って行く。真っ昼間でも客引きが多い。蒸し暑い中、ご苦労なこった。《地図

Img_7893稲毛神社

境内に東海道の小土呂橋の遺構が保存されている。

Img_7906六郷橋親柱(稲毛公園内)

Img_7905_2説明板

川崎駅に向かう。

Img_7908砂子交差点

東海道は直進する。少し先に小土呂橋交差点がある。

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2018年6月27日 (水)

日本橋川を歩く

2018年6月24日

  『日本橋川を歩く』に記載。

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2018年6月25日 (月)

東京坂道散歩(文京区)

2018年6月21日

  『東京坂道散歩(文京区)』に記載

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2018年6月22日 (金)

東京散歩(新宿糀谷村用水・南前堀・北前堀・松葉用水・旧呑川)

2018年6月19日

東京散歩(新宿糀谷村用水・南前堀・北前堀・松葉用水・旧呑川)』に記載

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2018年6月20日 (水)

銚子街道①

2018年6月13日

香取駅(JR成田線)・・・龍田神社・・・銚子街道(利根水郷ライン)・・・三峯神社・・・地蔵祠・・・(JR鹿島線)・・・丁子バス停・・・峯下踏切(成田線)・・・玉田神社・・・利根水郷ライン・・・側高踏切(成田線)・・・三越左千夫詩碑・・・側高神社・・・利根水郷ライン・・三越佐千夫資料堂・・(東関東道)・・・飯沼観音八里道標・木下踏切・・・長屋門・・大倉小学校・・二十三夜塔道標・・・大倉村道路元標・・・代下踏切(成田線)・・・鎌形養魚場・・・須賀神社・・今西踏切・・利根水郷ライン・・・水郷落し排水路・・・(小堀川)・・・利根川土手・・・水郷駅(成田線)

 佐原・香取街道の続きとして銚子街道を銚子まで歩く。

  参考:「千葉県歴史の道調査報告書3(銚子街道)」(千葉県教育委員会)

  【ル-ト地図

Img_7008龍田神社(風神様) 《地図

香取神宮の境外社で、正面に級津(しなつ)彦神・級津姫神・倉稲魂神の「風神三社」の祭神を、境内の東側に稲荷社、西側に御霊宮を祭る。「風の神」龍田大社は『竜田越奈良街道②』に記載。

Img_7007説明板

銚子街道(利根水郷ライン)に出て右折して行く。

Img_7011旧商店

Img_7012三峯神社

地図にも載っているが意外な小祠だった。

Img_7013このあたりは歩道がなく歩きづらい。

Img_7014地蔵の祠(右)・鹿島線ガード(前方)

Img_7019丁子(ようろご)バス停・玉田神社鳥居 《地図

丁子はこのあたりの地名。鳥居から玉田神社まではかなり離れているが行ってみる。

Img_7023石仏が並ぶ静かな道だ。

Img_7027玉田神社 《地図

ここも祭神は倉稲魂神で稲荷社だ。

Img_7029側高踏切を渡って側高神社へ向かう。

ちょうど成田線の上りが通った。今の時間は一時間に一本の運行だ。

Img_7044三越左千夫詩碑(側高神社への途中)

いのち りすとくり」

Img_7032側高神社 《地図

Img_7034社殿

古来より祭神は神秘とされている。

Img_7031説明板

Img_7040説明板(髭撫祭)

Img_7042四季の甕

左から春・夏・秋・冬の甕。

Img_7041説明板

Img_7052三越左千夫資料堂・成田線下り

資料堂は開いていないようだ。「歴史の道調査報告書」によれば前方の東関東道の下あたりの成田線の土手に「飯沼観音八里道標」があるはずだが見当たらず。高架道路工事の時に邪魔で撤去か移設されたのだろうと推測した。

Img_7059飯沼観音八里道標(天明3年(右))・木下踏切

土中に半分以上は埋まっているか。東関東道下からかなり離れたここに移設されたのだろう。

Img_7057正面上部に観音菩薩立像が浮き彫りされ、飯沼(観世音江八里)と刻まれている。

天明3年(1783)に願主の眞永が建立。眞永は三里塚道標の立っている銚子市富川町付近の者というが確認されていないそうだ。飯沼観音(円福寺)が銚子街道の終点だ。

大倉地区を進む。

Img_7061長屋門

Img_7062茅葺きの家

Img_7064石塔が三基 《地図

三基とも表面がすり減っていて何の石塔か分からないと思ったらこちら側は裏面だった。

Img_7065二十三夜塔(道路側)

「左 小見川 てうし」で、小見川から銚子へと進むのだ。あとの二基は出羽三山巡拝?塔と念仏塔。

Img_7074大倉村道路元標(右下) 《地図

ここを右折して踏切を渡れば須賀神社があるはずだが。

Img_7075代下踏切を渡って行ったが須賀神社は見当たらなずに、先へ先へと大きく散歩してしまった。

Img_7077山道のような道を下って線路方向へ戻る。 

Img_7079鎌形養魚場

釣堀もあるようだ。

Img_7083須賀神社 《地図

ここはもう一つ先の今西踏切だった。

まだ時間は早く、たいして歩いてもいないが今日は水郷駅までとし、電車の時刻まで一時間ほどあるので利根川まで行って見る。
Img_7087水郷落し排水路を北方向に向かう。 《地図

遠くに利根川の土手が見える。

Img_7089小堀川が交差する。 《地図

前方は東関東道の利根川橋

Img_7095利根川(前方) 《地図

水郷落し排水路が流れ込んでいる。

Img_7101水郷駅(成田線)

洒落れた造りで読書室、喫茶室もある。

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