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2005年8月16日 (火)

函館市の坂-1

2005年8月16日

博多バス停→木古内(日本海1号)→函館駅・・・護国神社坂・・・あさり坂・・・青柳坂・・・市立博物館・・・立待岬・・・碧血碑・・・函館八幡神社・・・護国神社・・・谷地坂・・・南部坂

 松前町には鉄道が通ってなく、JR江差線の木古内駅までバス。泊まった宿が横浜荘、バス停が博多で次ぎが唐津、ここは一体どこなのか? バスは北海道の最南端の白神岬灯台、人見坂、白符川、福島漁港、福島(横綱の里記念館・商店街、横綱は千代の冨士)、青函トンネル記念館、湯の里温泉、知内温泉、知内川、知内駅前を通り1時間半かけて木古内へ。町内は夏祭りのようだが、神輿の担ぎ手、山車の引き手もまばらで存続の危機という感じでした。

 日本海1号は大阪から寝台列車で、どうも方向感覚がはっきりせず後で時刻表と地図を見てやっと納得。函館から市電の通り沿いに十字街で曲がり、護国神社坂、あさり坂、青柳坂から市立博物館へ。町村合併後の特別企画展「あたらしい函館の文化財(常民時代)」が開催中でした。垣の島遺跡出土の足型付土岐、注口土器、最古の漆製品、著保内遺跡出土の国の重文の中空土器など見ごたえがありました。

 マイカーでの見物客が多い立待岬まで足を伸ばし、碧血(へっけつ)碑(旧幕府軍の墓)から函館八幡神社、護国神社、谷地坂、南部坂を歩きました。夜は大森稲荷神社、大森公園あたりまでぶらつきました。

  《地図

  写真をクリックすると拡大します。

DSC01512 護国神社坂 《地図》の①

別名「汐見坂」ともいい、昔は「招魂社の坂」とも「倒産坂」ともいった。汐見坂は坂上に汐見町ができ、その町名からとったもの。招魂社の坂は明治2年(1869)に建立された招魂社(現護国神社)に登る坂ということから呼ばれ、現在の名になった。倒産坂は坂に面して門を立てると罰が当たって”かまど”がつぶれるといわれ、昔は門を坂に面しないようにした。【坂標】

DSC01503 青柳坂 《地図》の② 

昔はこの坂を「聖天坂」といった。聖天とは大聖歓喜天という仏教の守護神のことで、坂の途中にある天台宗天祐寺にまつられている。昭和40年まで坂上に春日町があったため「春日坂」ともいわれた。現在は、青柳町の方へ向って登ることから「青柳坂」と呼ばれている。【坂標】

石川啄木は明治40年5月から8月まで青柳町に住んだ。「函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」

dsc01499 あさり坂 《地図》の③

明治11年(1878)、英人ジョン・ミルン、米人エドワード・モースらが来函し、函館在住の英人ブラキストンと協力して貝塚などを発掘したが、この坂の付近から古代人が食べたアサリ貝の殻が数多く発見されたので、「あさり坂」と命名された。【坂標】

DSC01521 谷地坂 《地図》の④  

この坂と道路は昭和9年の大火などでいくらか変わってこそいるが、大体においてほぼ同じ位置で江戸時代からあったもの。谷地頭は昔、遊興地として有名になったもので、そこへ行く坂として付けられたものらしい。

DSC01528 南部坂 《地図》の⑤

幕府は、外国船の蝦夷地(北海道)近海への出没や、ロシアの南下など多難になってきたため、寛政11年(1799年)蝦夷地を直轄し、防衛のため奥羽諸藩に警備を命じた。日高海岸以東の警備にあたった南部藩の元陣屋がこの坂上にあったので「南部坂」と呼ばれた。【坂標】

dsc01505 立待岬から

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