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2005年9月28日 (水)

品川区の坂-1

2005年9月28日(水)

Dsc01923_4  品川駅・・・八つ山の坂・・・御殿山の坂・・・御殿山通り・・・北品川駅(京浜急行)→立会川駅 ・・・大福生寺・・・ヘルマン坂・・・梶原稲荷・・・犬坂・・・木の芽坂・・・仙台坂・・・くらやみ坂(旧仙台坂・の写真・・・泊船寺・・・ゆうれい坂・・・ゼームス坂・・・大井町駅(京浜東北線)

 御殿坂の坂上近くから東へ、北品川駅方面へ向かう御殿山通りは樹木に覆われ、下って上る感じのいい坂道です。坂に名前はついていないようです。立会川駅からヘルマン坂への道は、かつて何度も通った道なのに少し迷ってしまいました。

 犬坂は曲がっていて、石段の所もあるので「蛇だんだん」とも呼ばれてています。くらやみ坂は旧仙台坂です。坂上に八木仙台味噌醸造所があります。ゆうれい坂はゼームス坂の坂上近くから東方向に下る坂ですが、今は幽霊が出るような暗い雰囲気はなく、ニコニコ坂の別名があります。

  *参考:品川区の坂

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DSC01893 八つ山の坂(坂上方向) 北品川6-5と5-1の間を南東に上る。《地図

この辺は武蔵野台地の突端で、海岸に突出た州が8つあったことから八つ山といわれた。など諸説ある。

八ツ山」・「御殿山

DSC01898 御殿山の坂(坂上から) 北品川4-9と5-20の間を北東に上る。《地図

①徳川将軍が鷹狩の時休憩する品川御殿があった。『坂標』 ②家康の別邸があった。③「江戸名所図会」には、「太田道真居住の旧址なりといふ」とある。『品川区歴史散歩』 太田道真は太田道灌の父。

Dsc01895坂下方向

Dsc01899_2 無名の坂 御殿山の坂上辺りから東に下り、上ってJRの線路を越える御殿山通り。《地図

DSC01905 ヘルマン坂(坂上方向)  東大井3-21と6-14の間を北東に上る。《地図

戦前、坂の途中にドイツ人のヘルマンが住んでいた。

Dsc09170梶原稲荷(梶原3丁目)

このあたりは梶原館跡という。鎌倉時代ではなく小田原北条氏の家人の梶原氏ともいわれているそうだ。

Dsc01906 犬坂(坂上から)

DSC01909 犬坂(坂上近く) 東大井3-7と3-8の間を曲がりながら北に上る。《地図

犬小屋があったらしいが、それが五代将軍綱吉の「生類憐みの令」によるものかは不明という。曲がりくねり坂上近くに石段があるので「へびだんだん」の別名がある。

Dsc01908 坂上方向

DSC01917 木の芽坂(坂下方向) 東大井4-15と3-6の間を第一京浜国道から北西に上る。《地図

若葉の頃が美しかったので、この名がついたという。写真左側の石垣上の立会小学校は、越前鯖江藩主間部下総守の下屋敷跡地。

Dsc01916 坂下から

DSC01921 仙台坂(坂下近くの歩道橋の上から坂上方向) 南品川5-12と5-13の間を南西に上る。《地図

坂上に仙台藩松平陸奥守(伊達家)の下屋敷があった。この坂は新仙台坂。

DSC01922 くらやみ坂(旧仙台坂)(坂上方向)  南品川5丁目と東大井4丁目の間を西に上る。坂上は仙台坂上。《地図

坂下(写真の左側)の泊船寺には、芭蕉の牛耕庵があった。

Dsc01924 仙台味噌醸造所(八木商店)(東大井4-1、くらやみ坂、仙台坂の坂上。)

仙台藩下屋敷の藩士用に仙台味噌を作ったのが始まり。

Dsc01926 ゆうれい坂(坂上方向) 南品川5-10と5-11の間を北西に上る。坂上はゼームス坂 《地図

かつては坂の両側に樹木が茂っていて、うす暗く寂しい場所だったという。近所の人はニコニコ坂と呼んでいるというが。

Dsc01925 坂下方向

DSC01930 ゼームス坂(坂下方向) 南品川5丁目と6丁目の間を南西に上る。《地図

明治時代、イギリス人ゼームスが坂の途中に住んでいた。 元はこのあたりが浅間台と呼ばれていたことにより浅間(せんげん)坂という急坂だった。ゼームスさんが私財を投じて緩やかな坂に改修したため、ゼームス坂と呼ばれるようになった。

Dsc01929 坂上方向

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2005年9月19日 (月)

台東区の坂-3

2005年9月19日(月)

Dsc01870 日暮里駅・・・御殿坂(荒川区)・・・七面坂(荒川区)・・・蛍坂・・・三崎坂・・・真島坂・・・ 赤字坂(明治坂)・・三浦坂・・・善光寺坂・・・清水坂(しみずざか)・・・三段坂・・・善光寺坂・・・根津駅(地下鉄千代田線) 

 今日は残暑が戻り真夏のような日でした。谷中の寺々は墓参りの人で賑わっていました。蛍坂は本立寺裏の細い坂、三崎坂の全生庵には三遊亭円朝の墓があります。坂下で不忍通りを挟んで文京区の団子坂と向き合っています。

 真島坂と三浦坂は美作真島(勝山)藩にゆかりのある坂です。ともに旧真島町にありました。赤字(明治)坂(上の写真)は名前はともかく、直線的な見事な急坂です。この坂にはいくつかの面白い話が絡んでいます(後述)。 善光寺坂は言問通りの長い坂で、坂下から弥生坂が上り、坂上を進むと寛永寺坂につながります。清水坂はカーブして上る、木々が繁る美しい坂です。 三段坂は起伏が三段になっているのがよく分かります。

  *御殿坂・七面坂は「荒川区の坂-1」(9月15日)に記載。

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DSC01854 蛍坂(坂上方向) 谷中5-6と5-8の本立寺の裏の間を南に上る。《地図

江戸時代、坂下の宗林寺付近は蛍沢と呼ぶ蛍の名所だった。藍染川(今は暗渠)では蜆(しじみ)がとれた。別名は三年坂、中坂(七面坂と三崎坂の間)

DSC01861 三崎坂(坂上方向)  谷中2丁目と3丁目の間を南東に上る。坂下で団子坂と向き合う。《地図

三遊亭円朝の「怪談牡丹燈籠」の舞台の三崎町は駒込、田端、谷中の三つの高台にちなむという。

別名を首振り坂といい、①坂付近に首を振る僧侶が住んでいたという。②右も左も寺ばかりで首を振り振り上り下りしたから。どっちもどっちの説だが、②の方がもっともらしいか。

Dsc01860 坂下方向

DSC01867 真島坂(坂上方向) 谷中2-9の谷中小学校と2-10の間を南東に上る。 《地図

旧町名の真島町による坂名。

Dsc01865 坂下方向

Dsc01868赤字坂(明治坂)(坂下から)  谷中2-3と2-4の間を北東に上る。《地図

坂上に明治の大財閥、渡辺家の屋敷があった。初代が石屋右衛門だったので略して「明治(あかぢ)」だ。九代目が東京渡辺銀行を設立したが、昭和2年の金融恐慌で破産、姉妹行のあかぢ貯蓄銀行も同時に閉鎖し、破綻した。根津や千駄木、谷中では損害を被った人が続出し、人々は皮肉って「赤字坂」といった。銀行によく「あかじ」とつけたものだ。

実は東京渡辺銀行の破産は時の片岡大蔵大臣の失言によるものだった。『痛恨の失言集』より。

DSC01873 三浦坂(坂下方向) 谷中1丁目と2丁目の間を北東に上る。 《地図

美作国真島郡勝山藩(幕末に真島藩に改める)の藩主三浦氏の下屋敷があった。この辺は真島町だった。別名の中坂は三崎坂と善光寺坂の間の坂による。出雲街道の勝山宿にも三浦坂がある。『出雲街道⑧』に記載。

Dsc01875 坂下から

DSC01881 善光寺坂(坂下方向) 谷中1-2と1-3の間を北に上る言問通り。坂下で弥生坂と向き合う。《地図

青山に移転した善光寺があった。別名を信濃坂。

DSC01884 清水坂(坂上方向) 池之端4丁目と上野公園と上野高校の間を北東から北西に上る。《地図》 

弘法大師の清水があったという。通りの西側は旧町名「谷中清水町」。護国院前にあった清水門にちなむという。かつては樹木が多く坂を覆い、昼でも暗かったので別名は暗闇坂。

DSC01887 三段坂  池之端4-16と4-22の間を北東に上る。《地図》 

起伏が三段になっている。 坂沿いの家にサフランが植えてあったので、サフラン坂とも呼ばれていた。『今昔東京の坂』 

Dsc01889 坂上から

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2005年9月18日 (日)

台東区の坂-2

2005年9月18日(日)

Dsc01841_2 鶯谷駅・・・寛永寺坂・・・新坂・・・両大師堂・・・上野公園(擂鉢山古墳・稲荷坂・花園稲荷神社・五條天神社・忍坂清水(きよみず)・清水観音堂)・・・車坂①・・・パンダ橋・・・両大師橋・車坂②(上の写真)・・・言問橋・・・待乳山聖天・天狗坂・・・浅草駅

 三連休の日曜で天気も良く上野、浅草は大勢の人で賑わっていました。擂鉢山古墳は東京文化会館の裏にある全長70mほどの前方後円墳です。昔は墳頂に清水観音堂と五條天神があったそうです。今は休憩所になっています。

 稲荷坂は花園稲荷神社に通ずる石段、忍坂は五條天神前の坂、清水坂は清水観音堂に上る石段です。車坂は上野駅を挟んで西側と北東方面(両大師橋を渡った所)に2つあります。車坂①は車と人が溢れていますが、車坂②の方は空いていて静かです。きれいにカーブする車坂②を下り東に歩き、かっぱ橋通りを越えたあたりで言問通りに出て浅草に向かいました。天狗坂は待乳山聖天内の石段で一般道ではなく、いつもは鍵が掛かっているそうですが今日は開いていました。

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DSC01805 寛永寺坂(坂上方向) 山手線の線路を寛永寺橋で越え、南西に上る言問通り。《地図》 

坂上南に寛永寺がある。

Dsc01806 坂下方向

傾斜はゆるい。

Dsc01809 新坂(坂下の言問い通りから)

DSC01810 新坂 上野桜木1丁目と上野公園の間を言問通りの鶯谷駅下交差点から南西に上る。《地図

明治時代に開かれた坂だが、江戸時代から細い道があって、寛永寺に参詣した大名のお女中などがこの坂道を降りて浅草の芝居見物に通ったという。坂を下ると根岸で、別名を、鶯坂・根岸坂・貝塚が発見されて貝(塚)坂。

「新坂を下りて根岸の柳かな」 正岡子規

Dsc01813_1 寛永寺旧本坊表門(国重要文化財)

寛永年間(1624~1644年)の建造。

寛永寺

Dsc01815 説明板

Dsc01817 両大師堂

正式には輪王寺。寛永寺の開山天海(慈眼大師)と慈恵大師(元三(がんさん)大師の呼び名で名高い。)を祀っているので、両大師堂と呼ばれる。

Dsc01820 擂鉢山古墳(後円部下の一部)

6C前半の前方後円墳。全長約70m

Dsc01818 説明板

DSC01826 稲荷坂(石段上から) 上野公園内、花園稲荷神社の石段。《地図

Dsc01827 石段下から

Dsc01825 花園稲荷神社(五條天神と同じ境内)

もとは忍岡稲荷で明治6年に花園稲荷と改名。石窟の上にあったので穴稲荷とも呼ばれた。

「穴稲荷蓮に抜けてく二人連れ」 柳多留 (蓮は不忍池で、弁天島には逢引茶屋が多かった。)

DSC01832 忍坂(坂下方向) 上野公園内、五條天神社の前の坂。《地図

昔は上野山内(上野公園)を忍ケ岡と呼んだことに由来する坂名。

Dsc01830 五條天神社

DSC01834 清水坂 上野公園内、清水観音堂(写真の左上)に上る石段。《地図

Dsc01836 清水観音堂から清水坂

落語『崇徳院』の出会いの場。

Dsc01837 清水観音堂から不忍池方向

不忍池

Dsc01839 車坂①(坂上方向、右上が上野駅)

車の渋滞で路面が見えない。

上野広小路・下谷・山下

DSC01840 車坂① JR上野駅の公園口から線路沿いに南西に下る。《地図》   

旧町名の車坂町による坂名か。別名を椿坂、坂の近くにあった椿の木があったという。

「惜しそうに煙管(きせる)をはたく車坂」 万句合 (上野の山は禁煙だった。)

「車坂油断をすれば北へこけ」 柳多留 (北は吉原遊郭)

DSC01842 車坂②(坂上方向) 上野7丁目からJRの線路沿いに両大師橋へ上る。 《地図

Dsc01843 坂上方向

Dsc01845 言問橋から隅田川

DSC01852 天狗坂(坂下から) 浅草7丁目の待乳山聖天境内から東方向に下る石段。《地図

昔は大木がうっそうと生い茂り、天狗でも出てきそうな森だった。坂を下りたところに竹屋の渡しがあった。明治時代の「竹屋の渡し」の写真。

Dsc01848 石段上から坂下方向

Dsc01851 坂下方向

Dsc09168_1 「天狗坂 夕小枯の おもいでに」 久保田万太郎 

Dsc01849待乳山聖天(浅草7-4)

聖天は歓喜天で知られ、巾着と二股大根を組合わせたものが紋章。花柳界などの信仰が厚い。

待乳山聖天宮

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2005年9月15日 (木)

荒川区の坂・台東区の坂-1

2005年9月15日(木)

田端駅(JR京浜東北線)・・・不動坂(北区)・・・向陵稲荷坂・向陵稲荷神社・・・ひぐらし坂・・・間の坂・・・諏方神社・地蔵坂・・・浄光寺・・・富士見坂・・・夕焼けだんだん・・・七面坂・・・経王寺・・・延命院・・・御殿坂・・・紅葉坂・・・芋坂・・・羽二重団子・・・善性寺・隼人稲荷・・・御隠殿坂(台東区)・・・根岸薬師(御隠殿跡)・・・・浄閑寺(投込寺)・・・永久寺(目黄不動)・・・泪橋・・・白鬚橋・橋場の渡し・・・石浜神社・真崎稲荷・・・胡録神社・・・素盞雄(スサノヲ)神社・・・回向院・・・小塚原刑場跡・首切地蔵尊・・・南千住駅 

 不動坂の石段を上り、線路沿いを進み右折して向陵稲荷神社に出ました。向陵稲荷坂を下り、ひぐらし坂を上りました。この辺一帯は道灌山遺跡(縄文時代から江戸時代までの集落跡)です。また道灌山からの見晴らしも素晴らしく、「虫聴」(むしきき)の名所でもありました。

 西日暮里駅と西日暮里公園の間を上るのが間の坂です。読み方は『荒川区史跡散歩』は「まのさか」としていますが、「あいのさか」かも知れません。坂上を進むと諏方神社に出ます。諏方神社の隣の浄光寺には地蔵坂の由来となった江戸六地蔵の第三番があります。(巣鴨真性寺以前の最初の第三番)。諏方神社の境内からJRの線路の方へ下りる石段が地蔵坂です。坂下のJRのガードをくぐると反対側に抜けられます。

 富士見坂は東京の「富士見坂」の中で唯一、今でも富士山が見える坂で、地元でも「日暮里富士見坂を守る会」が景観の保存を呼びかけています。夕焼けだんだんは谷中銀座の商店街へ下りる石段です。夕焼けだんだんと七面坂の坂上を進むと御殿坂となり日暮里駅方向へゆるやかに下っています。

 日暮里駅から線路沿いの紅葉坂を上り、谷中霊園から芋坂を下りJRの線路を越え、善性寺と羽二重団子の店の前に出ました。羽二重団子は創業が文政2年(1819)の老舗で、夏目漱石の「我輩は猫である」や司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも出てきます。団子は旨いです。抹茶セット?を食べました。

 御隠殿坂を上り下りし、御隠殿跡の根岸薬師に寄りました。ここから先は坂はありませんが史跡散歩です。五色不動の一つ、目黄不動の永久寺は門が閉まっていました。目黄不動は二ヶ所あり、もう一ヶ所は江戸川区平井の最勝寺だそうです。根岸薬師から先はけっこう歩きでがありました。

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DSC01711不動坂(北区)  田端駅南口から南東に上る石段。《地図》(道の標示はない。)

【坂標】の説明: 田端駅東口付近に石造の不動明王を祀った不動の滝があった。現在は田端不動尊(田端3-14)に移されている。

Dsc01714 坂下から 

Dsc01160 不動明王立像(田端不動尊、田端3-14)

不動坂の坂名の由来の、40~50cmの石像。精悍そうな顔立ち。

DSC01717向陵稲荷坂   西日暮里駅北口、開成中学と開成高校の間を北西に上る。《地図

坂上に向陵稲荷神社(右)がある。

Dsc01716 向陵稲荷神社

もと羽後久保田(秋田)城主の佐竹屋敷内に祀られていたもので、番町の本邸から鬼門にあたるので鬼門除けのためにつくられた。『荒川区史跡散歩』 

佐竹氏は関ケ原の合戦後に常陸から出羽の秋田に転封になった大名家。

Dsc01718 坂上方向

DSC01720ひぐらし坂(坂下方向)  西日暮里駅北口、西日暮里4-1と開成高校の間を北方向に上る。《地図

この辺を「ひぐらしの里」と呼んだことによる坂名。

道灌山日暮里

Dsc01721 「道灌山遺跡」説明板

Dsc01722 坂上方向

DSC01725間の坂(坂下方向)  西日暮里駅北口から線路沿いに西日暮里公園との間を南方向に上る。《地図

何の間のことなのか?

Dsc01726 坂上方向

DSC01734地蔵坂 西日暮里3-4、諏方神社境内からJRの線路方向へ下る石段。《地図》(道の標示はない。)    

諏方神社の別当寺だった浄光寺境内の江戸六地蔵の(始めの)第三番の地蔵にちなむ坂名。今の第三番は新宿区の太宗寺の地蔵尊。

「諏訪」ではなく「諏方」と表記される、長野の諏訪大社の分社です。『西日暮里に40年』さんのご指摘により気づき、訂正しました。(2010年4月14日)

Dsc01728 「地蔵坂」説明板

ちゃんと「諏方神社」と書かれています。

Dsc01729 坂上から

Dsc01732 坂下方向

正面は西日暮里駅(JR京浜東北線)、下を通って反対側に抜けられるがちょっと通りにくい。

Dsc01737 諏方(すわ)神社

元久2年(1205年)豊島氏の造営と伝える。『荒川区史跡散歩』

本殿、拝殿は円墳または方墳の上にあるという。『荒川区史』

Dsc01738 地蔵坂の由来となった江戸六地蔵の一つ。

元禄4年(1691)の建立。浄光寺(雪見寺)境内。

DSC01744富士見坂(坂下方向) 西日暮里3-7と3-9の間を南西に下る。《地図

東京の富士見坂の中で、今でも富士山が見える(写真の正面方向に)唯一の坂。坂下にあった妙隆寺(花見寺)により、妙隆寺坂、花見坂の別名がある。青雲寺・修性院も花見寺と呼ばれる。ちなみに「月見寺」は本行寺

富士見坂通信』(日暮里富士見坂を守る会) 

Dsc01740 「富士見坂」説明板

Dsc01741 坂上方向

DSC01748夕焼けだんだん 西日暮里3丁目。御殿坂上から谷中銀座へ下る石段。《地図

坂上から夕焼けがきれいに見えるのだろう。

Dsc01747 坂下から

DSC01751七面坂(坂下方向) 御殿坂上から西日暮里3丁目と台東区谷中5丁目の間を西方向に下る。坂下に萩寺の宗林寺。 《地図

坂上の延命院の七面堂にちなむ。八方向のうち、仏法では辰巳の方角は鬼門とされ、一面を除いて七面としたという。八百屋お七の名は母親が延命院の七面堂に願掛けして生まれたのでお七と名づけたとか。 

「延命院事件」について『せんすのある話 19 20』に面白い話が載っている。

Dsc01753 「七面坂」説明板

Dsc01752 坂下から

Dsc01755 御殿坂(坂上方向) 西日暮里北口から西に台東区との境を西方向にゆるやかに上る。 《地図》  

①将軍徳川綱吉の白山御殿や小菅御殿(将軍御膳所)と同様の御殿がこの辺にあったことによりついた名というが明確ではない。『坂標』 ②根岸の御隠殿へいたる道。『今昔東京の坂』 ③禊教の神殿があり御殿と呼ばれていた。『荒川区史跡散歩』等の説がある。 別名は乞食坂。今の日暮里駅付近に乞食の小屋があったり、崖に横穴を掘って住んでいる者もいたという。

Img_0761_2 坂下方向(2007年12月24日撮影)

正面右側が西日暮里駅

Img_0760_3 坂上方向 (2007年12月24日撮影)

DSC01756紅葉坂(台東区)(坂下方向) 谷中7丁目の天王寺裏を日暮里駅(写真の正面)に下る。《地図

別名の幸庵坂の由来は不明。

DSC01757芋坂 台東区谷中7-11(谷中霊園内)から芋坂跨線橋(写真正面)でJRの線路を越え、荒川区東日暮里5丁目の善性寺前に下る。谷中と根岸を結ぶ坂。《地図

坂名の由来は、①羽二重団子の店の前の説明板によれば、この辺で自然薯(山芋)が取れたことに因むという。②「いも」は疱瘡の意で、他の「いもあらい坂」と同様に付近に治療にご利益のある神水か神社、あるいは寺があったのだろうか? 以前は坂下に音無川が流れていたが。善性寺か隼人稲荷に疱瘡神が祀られているようでもない。なお、坂標には、坂名の由来は未詳としてある。

Dsc01758 坂上近く

正面は谷中霊園

Dsc01760 跨線橋を下りて線路をくぐる。

正面に羽二重団子の店

Dsc01763 羽二重団子店(東日暮里5-54)

文政2年(1819年)藤の木茶屋として創業。現在の店のビルは昭和46年の2回目の建替え。前の店は木造の時代がかった古めかしい建物だった。きれいな庭があり、上野戦争の時の大砲の弾も残っている。

「芋阪も団子も月のゆかりかな」 正岡子規

DSC01764御隠殿坂 台東区谷中7丁目と上野桜木町の間から御隠殿橋(正面のJRの跨線橋)の手前で左に下り、線路沿い道となる。根岸の御隠殿跡(根岸薬師の所)へ通じていた。《地図

御隠殿は寛永寺住職輪王寺宮の別邸。

Dsc01765坂下方向(左の道)、昔は下って、踏切を渡って御隠殿の方へ続いていた。線路ができる前は、今の跨線橋の下の方へ直線的に下っていたのだろう。

Dsc01766 御隠殿坂を下りると線路(右)沿いの道になる。今は踏切はない。

Dsc01769 御隠殿橋を渡った所から御隠殿坂。

Dsc01770 御隠殿址碑

Dsc01771 説明板

Dsc01772 御隠殿跡(根岸薬師の中) 根岸2丁目

輪王宮隠居所の一部。3千数百坪の敷地も幕末、慶応4年の上野戦争の彰義隊の戦いで焼失してまったく面影はない。

Dsc01774 浄閑寺(投込寺) 南千住2丁目

はじめ三田に創建され、江戸初期に現在地に移った。吉原の身寄りや引き取り手のない遊女を埋葬した。『荒川区史跡散歩』

Dsc01773 説明板

Dsc01775浄閑寺の史跡

Img_3353目黄不動(永久寺)

Dsc01779_2 説明板

江戸五色不動の一つ

Img_3356目黄不動尊

(2017年1月4日撮影)

Dsc01782 白鬚橋と隅田川

Dsc01783 橋場の渡し跡説明板

橋場・今戸 

Dsc01784 石浜神社(石浜城址) 南千住3丁目、白鬚橋の脇。

区内随一の古社。神亀元年(724)の創建と伝える。石浜城は千葉氏、豊島氏の分かれの江戸氏の根拠地。『荒川区史跡散歩』

Dsc01793 石浜城址説明板

Dsc01789 真崎稲荷(石浜神社内)

千葉常胤の石浜城の守護神。戦場での先陣さきがけの願をこめたところから、「まっさき」とも呼ばれた。

隅田川水神の森真崎

Dsc01795 胡録神社(南千住8丁目)

汐入集落の守護神。もとは大六天と称した。明治の神仏分離の際に、胡粉づくりが盛んだったので、「胡」と大六天の六を「録」にあてて改称した。『荒川区史跡散歩』

Dsc01794 説明板

Dsc01796 スサノヲ神社(南千住6丁目)

牛頭天王信仰による薬師如来の化身の、祇園社の祭神スサノヲのミコトを祀る。牛頭とは南インドの山の名。『荒川区史跡散歩』

Dsc01797 小塚(スサノヲ神社境内)

小塚原の名の由来となったともいう。

もとは古墳。『荒川区史』

Dsc01799 首切地蔵尊(小塚原刑場内)

寛保元年(1741)建立。

Dsc01798 説明板

Dsc01800 小塚原刑場跡内の石像。(南千住5丁目)

江戸から明治までここでの刑死者は20万以上という。『荒川区史跡散歩』

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