台東区の坂-3
2005年9月19日(月)
日暮里駅・・・御殿坂(荒川区)・・・七面坂(荒川区)・・・蛍坂・・・三崎坂(さんざきざか)・・・真島坂・・・ 赤字坂(明治坂)・・三浦坂・・・善光寺坂・・・清水坂(しみずざか)・・・三段坂・・・善光寺坂・・・根津駅(地下鉄千代田線)
今日は残暑が戻り真夏のような日でした。谷中の寺々は墓参りの人で賑わっていました。蛍坂は本立寺裏の細い坂、三崎坂の全生庵には三遊亭円朝の墓があります。坂下で不忍通りを挟んで文京区の団子坂と向き合っています。
真島坂と三浦坂は美作真島(勝山)藩にゆかりのある坂です。ともに旧真島町にありました。赤字(明治)坂(上の写真)は名前はともかく、直線的な見事な急坂です。この坂にはいくつかの面白い話が絡んでいます(後述)。 善光寺坂は言問通りの長い坂で、坂下から弥生坂が上り、坂上を進むと寛永寺坂につながります。清水坂はカーブして上る、木々が繁る美しい坂です。 三段坂は起伏が三段になっているのがよく分かります。
*御殿坂・七面坂は「荒川区の坂-1」(9月15日)に記載。
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蛍坂(坂上方向) 谷中5-6と5-8の本立寺の裏の間を南に上る。《地図》
江戸時代、坂下の宗林寺付近は蛍沢と呼ぶ蛍の名所だった。藍染川(今は暗渠)では蜆(しじみ)がとれた。別名は三年坂、中坂(七面坂と三崎坂の間)
三崎坂(坂上方向) 谷中2丁目と3丁目の間を南東に上る。坂下で団子坂と向き合う。《地図》
三遊亭円朝の「怪談牡丹燈籠」の舞台の三崎町は駒込、田端、谷中の三つの高台にちなむという。
別名を首振り坂といい、①坂付近に首を振る僧侶が住んでいたという。②右も左も寺ばかりで首を振り振り上り下りしたから。どっちもどっちの説だが、②の方がもっともらしいか。
真島坂(坂上方向) 谷中2-9の谷中小学校と2-10の間を南東に上る。 《地図》
旧町名の真島町による坂名。
赤字坂(明治坂)(坂下から) 谷中2-3と2-4の間を北東に上る。《地図》
坂上に明治の大財閥、渡辺家の屋敷があった。初代が明石屋治右衛門だったので略して「明治(あかぢ)」だ。九代目が東京渡辺銀行を設立したが、昭和2年の金融恐慌で破産、姉妹行のあかぢ貯蓄銀行も同時に閉鎖し、破綻した。根津や千駄木、谷中では損害を被った人が続出し、人々は皮肉って「赤字坂」といった。銀行によく「あかじ」とつけたものだ。
実は東京渡辺銀行の破産は時の片岡大蔵大臣の失言によるものだった。『痛恨の失言集』より。
三浦坂(坂下方向) 谷中1丁目と2丁目の間を北東に上る。 《地図》
美作国真島郡勝山藩(幕末に真島藩に改める)の藩主三浦氏の下屋敷があった。この辺は真島町だった。別名の中坂は三崎坂と善光寺坂の間の坂による。出雲街道の勝山宿にも三浦坂がある。『出雲街道⑧』に記載。
善光寺坂(坂下方向) 谷中1-2と1-3の間を北に上る言問通り。坂下で弥生坂と向き合う。《地図》
青山に移転した善光寺があった。別名を信濃坂。
清水坂(坂上方向) 池之端4丁目と上野公園と上野高校の間を北東から北西に上る。《地図》
弘法大師の清水があったという。通りの西側は旧町名「谷中清水町」。護国院前にあった清水門にちなむという。かつては樹木が多く坂を覆い、昼でも暗かったので別名は暗闇坂。
三段坂 池之端4-16と4-22の間を北東に上る。《地図》
起伏が三段になっている。 坂沿いの家にサフランが植えてあったので、サフラン坂とも呼ばれていた。『今昔東京の坂』
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