台東区の坂-2
2005年9月18日(日)
鶯谷駅・・・寛永寺坂・・・新坂・・・両大師堂・・・上野公園(摺鉢山古墳・稲荷坂・花園稲荷神社・五條天神社・忍坂・清水(きよみず)坂・清水観音堂)・・・車坂①・・・パンダ橋・・・両大師橋・車坂②(上の写真)・・・言問橋・・・待乳山聖天・天狗坂・・・浅草駅
三連休の日曜で天気も良く上野、浅草は大勢の人で賑わっていました。摺鉢山古墳は東京文化会館の裏にある全長70mほどの前方後円墳です。昔は墳頂に清水観音堂と五條天神があったそうです。今は休憩所になっています。
稲荷坂は花園稲荷神社に通ずる石段、忍坂は五條天神前の坂、清水坂は清水観音堂に上る石段です。車坂は上野駅を挟んで西側と北東方面(両大師橋を渡った所)に2つあります。車坂①は車と人が溢れていますが、車坂②の方は空いていて静かです。きれいにカーブする車坂②を下り東に歩き、かっぱ橋通りを越えたあたりで言問通りに出て浅草に向かいました。天狗坂は待乳山聖天内の石段で一般道ではなく、いつもは鍵が掛かっているそうですが今日は開いていました。
写真をクリックすると拡大します。
寛永寺坂(坂上方向) 山手線の線路を寛永寺橋で越え、南西に上る言問通り。《地図》
坂上南に寛永寺がある。
傾斜はゆるい。
新坂 上野桜木1丁目と上野公園の間を言問通りの鶯谷駅下交差点から南西に上る。《地図》
明治時代に開かれた坂だが、江戸時代から細い道があって、寛永寺に参詣した大名のお女中などがこの坂道を降りて浅草の芝居見物に通ったという。坂を下ると根岸で、別名を、鶯坂・根岸坂・貝塚が発見されて貝(塚)坂。
「新坂を下りて根岸の柳かな」 正岡子規
寛永寺旧本坊表門(国重要文化財)
寛永年間(1624~1644年)の建造。
「寛永寺」
両大師堂(開山堂)
正式には輪王寺。寛永寺の開山天海(慈眼大師)と慈恵大師(元三(がんざん)大師の呼び名で名高い)を祀っているので、両大師堂と呼ばれる。
6C前半の前方後円墳。全長約70m
落語『長屋の花見』
稲荷坂(石段上から) 上野公園内、花園稲荷神社の石段。《地図》
花園稲荷神社(五條天神社と同じ境内)
もとは忍岡稲荷で明治6年に花園稲荷と改名。石窟の上にあったので穴稲荷とも呼ばれた。
「穴稲荷蓮に抜けてく二人連れ」 柳多留 (蓮は不忍池で、弁天島には逢引茶屋が多かった。)
忍坂(坂下方向) 上野公園内、五條天神社の前の坂。《地図》
昔は上野山内(上野公園)を忍ケ岡と呼んだことに由来する坂名。
清水坂 上野公園内、清水観音堂(写真の左上)に上る石段。《地図》
落語『崇徳院』の出会いの場。
「不忍池」
車の渋滞で路面が見えない。
車坂① JR上野駅の公園口から線路沿いに南西に下る。《地図》
旧町名の車坂町による坂名か。別名を椿坂、坂の近くにあった椿の木があったという。
「惜しそうに煙管(きせる)をはたく車坂」 万句合 (上野の山は禁煙だった。)
「車坂油断をすれば北へこけ」 柳多留 (北は吉原遊郭)
車坂②(坂上方向) 上野7丁目からJRの線路沿いに両大師橋へ上る。 《地図》
言問橋から隅田川
は在原業平が詠んだという、「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」に由来。
業平ゆかりの地は、落語『千早ぶる』に記載。
天狗坂(坂下から) 浅草7丁目の待乳山聖天境内から東方向に下る石段。《地図》
昔は大木がうっそうと生い茂り、天狗でも出てきそうな森だった。坂を下りたところに竹屋の渡しがあった。明治時代の「竹屋の渡し」の写真。
「天狗坂 夕小枯の おもいでに」 久保田万太郎
待乳山聖天(浅草7-4)
聖天は歓喜天で知られ、巾着と二股大根を組合わせたものが紋章。花柳界などの信仰が厚い。
「待乳山聖天宮」
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