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2005年10月30日 (日)

大田区の坂-5

2005年10月30日(日)

Dsc02571 鵜の木駅(東急多摩川線)・・・河原坂・・・富士見坂・・・増明院・・・光明寺・・・ぬめり坂(右の写真)・藤森神社・・・宮坂・・・久が原東部八幡神社・・・呑川・・・第2京浜国道・・・貴船坂上・・・おいはぎ坂・・・大田区立郷土博物館・・・相生坂・富士見公園・・・道々橋・・・御嶽神社・・・御嶽山駅(東急池上線)

 環8通り沿いの光明寺(昔の池の写真が載っている)には以前は池があり、大きなザリガニがうようよいた記憶があります。ぬめり坂は鎌倉街道筋で、多摩川の平間の渡し(現在のガス橋付近)に結ばれていたそうです。この坂には人柱の哀しい言い伝えがあります。宮坂は久が原東部八幡神社脇の小さな坂です。むしろ坂上から東方向へ曲がりながら下る坂のほうが坂らしい感じがしました。この坂は下って呑川を越え、第2京浜を渡り本門寺裏手へ続いています。

 区立郷土博物館へ常設展示室の「大昔の大田区」を見に寄りました。版画か何かの特別展で展示室が使われていて見学できませんでした。無料とはいえ「常設展」の看板に偽りありと思いました。新幹線沿いに御嶽山駅まで歩き、御嶽神社に寄りました。酉の市の準備中でした。

 *おいはぎ坂は、「大田区の坂-1」(2005年10月20日)・相生坂は、「大田区の坂-2」(2005年10月23日)に記載。

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DSC02561 河原坂(坂下方向) 鵜の木1-10と1-12の間を北に上り、鵜の木公園脇を北東に上る。《地図》 

鵜の木2、3丁目付近は昔は多摩川の河川敷で河原と呼ばれていた。この河原に出る坂道の意。今は切通しの坂だが、昔は狭く急で河原の畑を往来する荷車などは大そう難渋したという。

DSC02568 富士見坂(坂下方向) 鵜の木1-15と1-17の間を東に上る。《地図

昔は坂上から多摩川越しに富士山がよく見えたのだろう。

Dsc02566 坂上方向

 

Dsc02569_2 ぬめり坂(坂上方向) 南久が原1-25と2-30の間を北に上る。《地図

この坂はなだらかではあるが、ぬめって上れなかった。付近の富豪の美しい娘が人々の難渋を気の毒に思い、自ら坂に生埋めとなった。以来、通行が容易になり、付近は大いに繁栄したという伝説の坂。昔は多摩川は東急多摩川線のあたりを流れていたらしく、このあたりは低地で、水が出ればすぐ水浸しになり、道はぬめってしまったのだろう。

Dsc02575 無名の坂(宮坂の近く)

下って上る、くねった感じの坂。

DSC02577 宮坂(坂上方向) 久が原2-18と2-19の間を北に上る。《地図

坂上に久が原東部八幡神社がある。

Dsc09498_1久が原東部八幡神社

文久2年(1862)の建立。

Dsc02579 坂下方向

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2005年10月28日 (金)

大田区の坂-4

2005年10月28日(金)

Dsc02478_2 洗足池駅(東急池上線)・・・洗足坂・・・稲荷坂②(石川町)・・・神明坂・・・稲荷坂③(北千束)・・・北千束駅(大井町線)→(大岡山駅)→田園調布駅(目黒線)・・・急坂(右の写真)・・・馬坂・・・浅間様古墳(穴八幡)・・・宝来山古墳・・・多摩川台古墳群・・・亀甲山古墳・・・古墳展示室・・・どりこの坂・・・田園調布坂・・・出世稲荷・・・富士見坂①・・・浅間神社古墳・・・おいと坂・・・桜坂・・・鵜木大塚古墳・稲荷神社・・・雪が谷大塚駅(池上線) 

 今日は主に多摩川近くの坂と古墳を歩きました。洗足坂は日蓮上人の故事が残る洗足池沿いの中原街道です。石川町の稲荷坂は上の台公園の脇を上る細く短い坂です。以前、坂の南側に稲荷神社があったそうです。田園調布5丁目にある急坂と馬坂は、丸子川まで下る急で長い坂です。宝来山古墳、亀甲山古墳は公園として整備されよく保存されて、公園内に古墳展示室があります。

 「どりこの」という清涼飲料水を開発した人の屋敷があったという「どりこの」坂です。田園調布坂は田園調布2丁目に「田園調布坂上」というバス停があり、坂になっています。 実際にこの坂名で呼ばれているかは未確認です。富士見坂を下り多摩川線を渡ると浅間神社があります。神社は古墳の上に建てられています。多摩川駅の近くです。

 おいと坂は多摩川線の沼部駅のそばで、坂下に雄井戸と呼ばれる井戸があり、北条時頼の故事も伝わっています。おいと坂の坂下から北東に上るのが桜坂です。桜の頃は桜のトンネルといった感じで見事でした。 『大田区の坂道』によると、この坂は旧中原街道の切通しで、昔は「沼部の大坂」といい、勾配がきつく荷車などの通行は大変だったそうです。この坂は子供の頃、自転車でよく上り下りした坂です。長い坂で下りは楽で気持ちよかったですが上りは大変でした。

 鵜木大塚古墳は環8通りと中原街道が交差する雪谷大塚町にあります。昔、住んでいた近くにこんな古墳があるとは知りませんでした。雪谷大塚の名もこの古墳の名からきているそうです。

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DSC02468 洗足坂 池上線洗足池駅と洗足池の間を北東に上る中原街道(江戸虎ノ門から平塚の中原御殿に通じる東海道の脇往還・裏街道)。《地図

古い地名は千束で、のちに日蓮が身延山から常陸に湯治に向う途中、ここの池で休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が洗足、池が洗足池となった。大正時代に改修されるまでは、もっと短く急な坂だった。

Dsc02469 坂下方向

今は緩やかで長い、車だらけのただの車道。

DSC02473 稲荷坂② 石川町1-3と1-4の間を曲がりながら東に上る。《地図》 

かつて坂の南側に稲荷社があった。もとは洗足池の脇から世田谷区の九品仏へ通じた古い道。

Dsc02472 坂上方向

DSC02471 神明坂(坂上方向) 石川町1-3と1-31の間を南東に上る。 《地図

昔、坂のそばに石川村の鎮守の神明社があった。現在の石川神社のこと。(坂の北側の石川町1-20) 

DSC02475 稲荷坂③(坂下方向) 南千束2-9と北千束2-36の間を東方向に上る。《地図》 

昔、坂の付近に稲荷社があった。大正時代には稲荷社はすでになかったという。

Dsc02474 坂上方向

DSC02479 急坂(坂下方向) 田園調布5-27と5-28の間を北西に上る。《地図

長い坂で坂上近くで傾斜がきつくなる。「5丁目の急坂」とも呼ばれる。大正末期に耕地整理によりできた坂道。

Dsc02482 坂上方向

Dsc02484 坂上方向

DSC02494 馬坂(坂上近く) 照善寺脇から田園調布5-3と5-29の間を北方向に上る。《地図》 

大正頃までこの付近で、馬で引く荷車で上れる唯一の坂だった。寺の坂の別名もあった。大正から昭和にかけての耕地整理以前は竹薮の中の坂道だったという。

Dsc02485 坂上から

Dsc02489 坂下方向

Dsc02492 坂上方向

Dsc02500 無名の坂(急坂と馬坂の間?)

Dsc02504 無名の坂

正面は多摩川を挟んで川崎市のビル

Dsc02505宝来山古墳説明版

Dsc02506 宝来山古墳(田園調布4-4)

前方後円墳、全長100m、4C中頃の築造。

Dsc02507墳丘図

Dsc02513 多摩川台古墳群説明板

Dsc02516 多摩川台古墳群(田園調布1-63)

円墳、直径(10~20m)、6C前半~7C中の築造、1~9号までだが1号墳は2号墳を利用して、一つの前方後円墳とした(1+2号墳)。

Dsc02522 亀甲山古墳(田園調布1-63)

前方後円墳、全長100m、4C後半の築造。

Dsc02524後円部南側から

DSC02535 どりこの坂(坂上方向) 田園調布2-27と1-51の間を東方向に上る。《地図》 

昭和の初め頃、坂付近に「どりこの」という清涼飲料水を開発した医学博士の屋敷があったのでこの坂名で呼ぶようになった。それまでは池山の坂と呼ばれていたという。「どりこの飲料」については、『レトロおじ散歩』の「どりこの焼」の所に記事が載っています。

Dsc02534 坂下方向

Dsc02536 坂上近く

DSC02540 田園調布坂 田園調布2-9と2-10,2-11の間を南東に上る福徳商店街の通り。《地図

「田園調布坂上」のバス停がある。

Dsc09483 出世稲荷(田園調布坂上近く)

DSC02543 富士見坂①(坂下方向) 田園調布1-12と1-30の間を北東に上る。《地図

かつては坂上から富士山がよく見えたという。

Dsc02542 坂下方向

Dsc02544 坂上方向

Dsc02550 浅間神社古墳(田園調布1-55)

前方後円墳、全長約60m、6C前半の築造、竪穴式石室。

Dsc02526 説明板

Dsc09484 多摩川・東横線

川崎方面

DSC02552 おいと坂(坂下から) 田園調布本町24と25の間を東南に上る。《地図

坂下に雄井戸と呼ばれる井戸があり、旧中原街道の西側に雌井戸があったという。北条時頼が雄井、雌井で病を癒したという伝説による坂名。耕地整理で真っ直ぐな坂になるまでは、竹薮の中の急な曲がった坂だったという。

Dsc02551 坂上から

DSC02554 桜坂(坂上方向) 田園調布本町24と36の間を北東に上る。 《地図

旧中原街道の切通しの坂で、「沼部の大坂」といわれた急坂で荷車の通行は大変だった。坂の両側に大正時代に植えられた桜並木にちなむ名。

Dsc02555 (坂上方向)歩道橋の上から

桜並木の下を通る。

Dsc02556 坂下方向

かつては沼部の村落は荷車、旅商人の往来でにぎわい、腰掛け茶屋などが坂道の両側にあったともいう。坂下には六郷用水が流れていた。現在は湧き水を使って、一部、散策路として整備されている。

Dsc02559 鵜木大塚古墳(雪ケ谷大塚町14) 《地図

円墳、直径27m

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2005年10月25日 (火)

大田区の坂-3

2005年10月25日(火)

Dsc02449 長原駅(池上線)・・・夫婦(めおと)坂・・・貝塚坂・・・庄屋坂・・・射水(いみず)坂・射水坂公園・・・相生坂②・・・鸛の巣(こうのす)坂・・・蝉坂・・・開光坂・開光坂公園・・・稲荷坂①・・・高倉稲荷・・・大久保坂・・・猿坂・・・花抜坂(上の写真)・・・雪見坂・・・権現坂・・・宮前坂・雪谷八幡神社・・石川台駅(池上線)

 上池台付近は坂だらけという感じです。無名の急坂も多くあります。今は閑静な住宅街ですが、貝塚、蝉、猿、鸛の巣、庄屋など坂の名前に昔のこのあたりの様子が目に浮かんできます。射水坂は上池台4丁目の射水坂公園の前の坂、開光坂は3丁目の開光坂公園の前の坂です。相生坂、鸛の巣坂は長原駅から学研(学習研究社)へ行く途中にあります。 相生坂は小池の東側の向き合う坂です。昔、学研でアルバイトをしていた時は、朝夕にこの坂を往復したものです。 当時はむろん坂の名を知らず(坂にも関心が薄かった)、坂標も設置されていませんでした。

 花抜坂には日蓮に関する故事があります。坂上から池上本門寺の五重塔が望めます。(上の写真) この坂は古い道で、中原街道から分かれて矢口の渡しまで通じる道でした。花抜坂から石川台駅に向かう途中にも雪見坂などの急坂が並んでいます。

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DSC02402 夫婦坂(北側の坂の坂上から) 環状7号の夫婦坂交差点から北と南に上る坂 《地図

向かい合う坂から夫婦にたとえた。昭和初期までは、環状7号線も通ってなく、急な狭く曲がった坂道で、竹薮、雑木林に囲まれ昼なお暗い寂しい坂だった。この坂は品川道(東は大井を通って品川へ、西は中原街道へ通じた古い道)へ通じていた。

DSC02405 貝塚坂(坂下方向) 上池台4丁目と5丁目の間を東北に上る。坂上で夫婦坂とつながる。《地図

この周辺は古くは貝塚をともなう集落があった。

DSC02407 庄屋坂(坂下方向) 上池台4-20と4-23の間を北西に上る。《地図

付近に庄屋の家があった。庄屋の名は不明。

Dsc02419 無名の急坂(上池台4丁目)《地図

DSC02410 射水坂(坂下方向) 上池台4-19の射水坂公園(写真の右側)の前を北東に上る。《地図

昔はこのあたりに湧き水(射水)の洗い場があったのだろう。

DSC02420 相生坂②(南側の坂の坂上から) 上池台1-39と1-38の間を北に下り、上る。《地図

向き合う坂でこの名がついた。相生坂①は東海道新幹線を挟んで平行する坂。(「大田区の坂-2」に記載)

DSC02422 鸛の巣坂(坂下方向) 上池台4-37と4-42の間を北西に上る。《地図

この付近は、かつて鸛の巣(こうのす山)と呼ばれ、鸛(こうのとり)の巣があった。坂下にあった水路は、「鸛の巣流れ」と呼ばれ、かつては用水路として使われていた。

DSC02427 蝉坂(坂上方向) 上池台3-7と3-10の間を北に上る。 《地図

この辺は池上村字蝉山と呼ばれていた。今は閑静な住宅街だが、昔は木々に覆われた高台で、夏は蝉の鳴き声が絶えなかったのだろう。

Dsc02426 坂下方向

DSC02430 開光坂 上池台3-26の開光坂公園の脇を南に上る。《地図

新しくつけられた公園の名だろう。

DSC02434 稲荷坂①(坂上方向) 上池台5-6と5-15の間を東南に上る。《地図》 

坂上(5-14)に玉倉稲荷がある。

Dsc02437_1 玉倉稲荷

DSC02438 大久保坂(坂上方向) 上池台5-17と5-18の間を南東に上る。《地図

昔、大久保氏の屋敷があった。

Dsc02439 坂下方向  

DSC02444 猿坂(坂上方向) 上池台5-22と5-24の間をカーブして北東に上る。《地図

この辺の台地は森林が続き、猿が多く生息していた。池上本門寺前から仲池上の根方を通り、猿坂から台地へ上り、夫婦坂を経て荏原町の達する古道。

Dsc02441 坂下方向

Dsc02447 花抜坂(坂上から) 東雪谷5-12と5-13の間を北西に上る。《地図

日蓮が洗足池から池上に向う途中、この付近に美しく咲き乱れていた野花を手折ったという伝説に因む。昔は曲がった坂道で、両側は崖で、坂下は竹薮だったらしい。中原街道から分かれて矢口の渡しまで通ずる古道の坂。(今でも東急多摩川線に蒲田駅の一つ手前に矢口渡駅がある)

Dsc02446 坂上方向

DSC02456 雪見坂(坂下方向) 東雪谷3-14と3-16の間を北東に上る。《地図

かつて、坂上から富士山の雪がよく見えた。

Dsc02451 坂上方向

DSC02458 権現坂(坂下方向) 東雪谷3-14と3-19の間を北西に上る。坂上で雪見坂の途中に出る。

この付近に権現社があり、権現山と呼んでいた。坂の位置については異説もある。(異説が地図の標示のところか?)

DSC02467 宮前坂(坂上方向) 東雪谷2-25と2-27の間を北東に上る。《地図

雪谷八幡神社の前の坂。坂下の呑川の橋は宮前橋

Dsc09400 雪谷八幡神社

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2005年10月23日 (日)

大田区の坂-2

2005年10月23日(日)

Dsc02289 西馬込駅(都営地下鉄三田線)・・・大尽坂・・・六郎坂・・・林昌寺・・・子安八幡神社・・・八幡坂(右の写真)・・・相生坂①・・・弁天池公園・・・貴船坂・・・汐見坂・黒鶴稲荷神社・・・蓬莱坂・・・太田神社・・・めぐみ坂・・・堤方神社・・・呑川・・・妙見坂・・・朗師坂・・・此経難持坂(しきょうなんじざか)・・・おんな坂・・・紅葉坂・・・弁天池公園・・・五重塔・・・大坊坂・・・車坂・・・本町稲荷神社・・・池上駅(池上線)

 坂道散歩にはもってこいの好天です。馬込は坂の町、気持ちのいい坂が沢山あります。東海道新幹線を挟んで平行する相生坂からは富士山が見えます。若い母親に連れられた幼な子が跨線橋で新幹線と富士山を見ながら遊んでいました。のどかなひとこまです。近くに富士見公園もあり、富士見坂と呼びたいと思いました。貴船坂、汐見坂、蓬莱坂は池上本門寺裏手の坂です。

 昔は大森海岸の景色が見えたという汐見坂。蓬莱坂の由来となった黒鶴が捕らえられた黒鶴稲荷神社は汐見坂の途中から入る石段の上にあります。この辺はどこも歩きがいのある坂でいっぱいという感じです。

 妙見坂から大坊坂は池上本門寺内の坂で、女坂は此経難持坂(男坂)の脇に平成14年に造られた新しい坂です。大坊坂の途中に宝塔があります。小学生の時、この寺に写生に来ました。私は宝塔を描きましたが思うように描けなかったことを思い出しました。本門寺の西側に沿う、両側を樹木が覆い、きれいにカーブする車坂を下って池上駅に向いました。

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DSC02269 大尽坂(坂下方向) 仲池上2-2と2-5の間を東方向に上る。《地図》 

昔、大尽(財産家)が住んでいた。それが誰かは諸説あり不明。

Dsc02270 坂下方向

Dsc02271 坂上方向

DSC02272 六郎坂(坂上方向)  仲池上1-10と1-13の間を北方向に上る。《地図

江戸時代後期、池上村のために尽くした海老沢六郎左衛門の屋敷があった。この坂は古い道で、坂下の用水にかかる橋は六郎橋。

Dsc02277坂下方向

Dsc02280 林昌寺

室町時代の文亀3年(1503)の開創の日蓮宗の寺で、明治時代の神仏分離まで子安八幡神社の別当寺だった。かつては猿坂あたりにも墓地があり広大な寺域だったという。

Dsc02288 八幡坂(坂下方向) 仲池上1-14と1-15の間を北東に上る。《地図

子安八幡神社の脇の坂。

Dsc02286 坂上方向

坂下には子安橋がある。

Dsc02281 子安八幡神社

DSC02299 相生坂(南側) 仲池上1-2と上池台5-29の間に東海道新幹線を挟んで平行して東に上る2つの坂。《地図

(新幹線の北側と南側の坂)

Dsc02302 正面上方に富士山が見える。

DSC02303 相生坂(北側)

Dsc02317 貴船(きぶね)坂(坂下方向) 中央5-8と池上1-7の間を北西に上る。《地図

本門寺公園の中にあった本門寺の子院の一つの東之院の貴船明神にちなむという。明治の神仏分離により貴船明神は同寺院と分離され、明治45年に太田神社に合祀された。

Dsc02315 坂下方向

Dsc02319 坂上方向

DSC02324 汐見坂(坂下方向) 中央5-14と5-15の間を西に上る。《地図》 

かつては大森の海や舟の白帆、海苔ひび(海苔を付着させるため、海中に立てておく木や竹の枝をたばねたもの)がよく見えた。

Dsc02328 説明板

Dsc02322 汐見坂と反対側に下る坂

DSC02336 蓬莱坂(坂上方向) 中央5-20と5-23の間を北西に上る。《地図

将軍家光の頃、稲荷神社の境内で吉兆の黒鶴が捕まったのでそれを祝って名づけた。蓬莱とはその吉兆を象徴した名。稲荷神社は黒鶴神社(中央5-4)で汐見坂の途中を北に入った所にある。

Dsc09394_1 黒鶴稲荷神社

Dsc09395 太田神社(中央6-3)

貴船坂の由来となった貴船明神が合祀されている。

DSC02348 めぐみ坂(坂上方向) 池上1-19と1-20の間を堤方神社まで曲がりながら西北に上る。《地図》 

坂途中にめぐみ教会がある。以前は徳富蘆花の小説「富士」にも出てくる料亭「あけぼ乃楼」があり、あけぼの坂と呼ばれていた。あけぼ乃楼は明治大正期に大そう繁盛し、日露戦争の戦勝祝賀会も催されたというが、昭和4年に廃業。古くは相の坂とも呼ばれていたそうだ。

Dsc02353 坂下方向

Dsc02356 めぐみ教会

わが国最大のプロテスタント教派の教会で、都内で一番広い2000坪の敷地を有するという。

Dsc09396 堤方神社

めぐみ坂の坂上

Dsc02358呑川(池上本門寺近くの流れ)

以前は台風や大雨の時などは氾濫して、周辺の住宅が床上、床下浸水になった。

DSC02360 妙見坂(坂上方向) 池上本門寺、妙見堂前の石段。《地図

妙見堂は照栄院の鎮守堂で、加藤清正の娘の瑤林(ようりん)院の納めた室町時代の妙見菩薩像を祀っている。

Dsc02362坂下方向

DSC02364 朗師坂 池上本門寺、朗師会館東側を北に上る石段。《地図

朗師とは日蓮の門下六老僧(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)の一人、日朗(1243~1320)のこと。祖師入滅後、寺窪(照栄院付近)に草庵をつくり、以後30年以上毎日この坂を上り、日蓮の廟所へ参拝したという。

池上本門寺境内案内

DSC02369 此経難持(しきょうなんじ)坂 池上本門寺、表参道の96段の石段。(男坂)《地図

「法華経」宝塔品の偈文(げぶん)の文頭の文字をとって坂名にした。石段は加藤清正が寄進したものと伝える。

右下に「おんな坂」の案内板が立っている。

Dsc02368 坂下方向

正面奥は総門

Dsc02374 池上本門寺仁王門(三門)

DSC02372 おんな坂(坂上方向) 比経難持坂(男坂)の途中から右方向に上る階段。2002年に新設。《地図》(道の標示はない)

Dsc02371 おんな坂の上り口

案内板が立っている。

DSC02376 紅葉坂(坂下方向) 池上本門寺、祖師堂裏を西に上る。《地図

紅葉の木が多かったらしい。坂下北の松濤園は池上本門寺の奥庭で、幕末に勝海舟と西郷隆盛が江戸城明け渡しの会見をした所とされているが事実は定かでない。

Dsc02380 五重塔

関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔。

Dsc02383 宝塔

日蓮入滅の折に荼毘に付した所。

DSC02384 大坊坂(坂上方向) 池上本門寺、大坊本行寺前から東に上る石段。《地図

Dsc02382 坂下方向

Dsc02385 大坊(本行寺)

もとは、この地の領主で日蓮の崇拝者の池上宗仲の屋敷だった。

Dsc02386 車坂(坂下方向) 池上本門寺の西側に沿い、曲がりながら北に上る。 《地図》 

江戸時代からあった古い坂道で、荷車を通す坂の意。本門寺境内の経蔵脇へ上る。

Dsc02390 坂上方向

DSC02393 車坂(坂下近くから)  

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2005年10月20日 (木)

大田区の坂-1

2005年10月20日(水)

Dsc02210 大森駅(JR京浜東北線)・・・大森貝墟碑(大田区山王)・・・大森貝塚遺跡公園(品川区大井6丁目)・・・山王日枝神社・・・八景坂・・・天祖神社・・・闇(くらやみ)坂(右の写真)・・・熊野神社・善慶寺・・・春日神社・・・臼田坂・・・右近坂・・・鐙坂・・・おいはぎ坂・北向稲荷・・・万福寺男坂・女坂・・・蛇坂・・・馬込八幡神社・・・南坂・・・馬込坂・・・二本木坂・・・二本木橋・・・湯殿神社・・・大田区立郷土博物館(休館日)・・・馬込駅(都営地下鉄) 

 大森貝塚は大田区だと思っていましたが、朝日新聞の記事によると品川説があり、90年代にほぼ確定的(品川に)になったとありました。たいして離れていません、400m~500m程でしょうか。大森駅前の池上通りの八景坂は車が渋滞するなだらかな車道で、むろん今は海を見晴らすことなど望むべくもありません。天祖神社の正面の石段は狭く急です。今でも暗さの残るところがある闇坂の坂上から熊野神社まで起伏の多い、気分のいい道を行きました。臼田坂は馬込から荏原町、三軒茶屋を通り田無に通じて、田無街道と呼ばれ、坂周辺は萩原朔太郎、川端康成、石坂洋次郎など多くの作家が住み「馬込文士村」という言葉の生まれたところで、当時は赤土の急坂だったそうです。

 おいはぎ坂の坂上付近は明るい住宅地ですが、坂の途中に万福寺の墓地があり、坂下の北向稲荷は木々に覆われ暗い感じです。おいはぎ坂から蛇坂に向かう途中に万福寺があります。境内の案内図に男坂、女坂が載っています。本堂へ正面から上る石段が男坂、鐘楼に上り本堂へ向かうのが女坂です。今は蛇坂に蛇など出そうもなく、蛇のように曲がった坂というのがふさわしい感じです。南坂を下ると第二京浜国道の馬込坂を挟んで、二本木坂の上りとなり東海道新幹線の二本木橋あたりまで上っています。この道は旧池上村の根方(仲池上1丁目付近)へ通じている古道です。

  参考:『大田区の坂道

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Dsc02194_1 大森貝墟碑(大田区山王)

Dsc09223 大森貝塚公園(品川区大井6丁目)

Dsc02197 山王日枝神社(山王1-6)

DSC02198 八景坂 JR大森駅西側を線路沿いに北東に上る池上通り。《地図

かつては坂上からの眺めがよく、八景が選ばれたことによる。昔は急坂で、雨が降るたび坂が掘れて薬研の溝のようになったので薬研坂の別名がある坂上に安藤広重の浮世絵にも描かれた源義家の鎧掛松も明治時代に枯れてしまった。ハケの坂」と呼ばれていたのを、「八景」に結びつけたのだろう。

八景坂・鎧掛松『江戸名所図会』

Dsc02204 天祖神社正面石段(男坂)(大森駅前)

石段横に八景碑があり、「笠島夜雨、鮫州晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」と八勝景が刻まれているというが見逃した。

笠島夜雨の「笠島」はどこなのか? 京浜急行大森海岸駅南の第一京浜国道沿いの磐井神社の境内に東海七福神の笠島弁財天があり、万葉集の「草陰の荒藺(あらい)の崎の笠島を見つつ君が山路越ゆらむ」の歌にある笠島とは、ここの笠島弁財天を指したものという説もあるが、この歌は「(海に浮かぶ)笠島を見ながら(高台の)荒藺の崎を越えて行く頃だろう」というもので、笠島弁財天のことではないだろう。弁財天はもとは笠島にあったものがここに移ってきたともいう。(万葉集に詠まれた時代より後) また、「荒藺の崎」は大森駅周辺の高台という説もあり、笠島は荒藺の崎の東下の現在の東京湾に浮かぶ小島だったのでは。磐井神社は東京湾の浜までが境内で、海中に鳥居があったという。笠島はその東方向にあったのではないだろうか。人工島の平和島を造る際に一緒に埋め立てられてしまったか? 袖浦秋月の「袖浦」は東京湾の対岸の千葉の袖ヶ浦のことだろう。

Dsc09225 天祖神社

DSC02214 闇(くらやみ)坂(坂下方向) 山王2-12と3-31の間を曲がって北西に上る。《地図》  

坂のそばに八景園(明治17年開園の遊園地)があり、反対側に加納子爵邸があっての樹木が坂を覆い、昼間でも暗かったためこの名がついた。

Dsc02211 坂下方向

Dsc09228 熊野神社

Dsc02218 臼田坂(坂上方向)

DSC02221 臼田坂(坂下方向) 南馬込3丁目と4丁目の間を北西に上る。《地図》 

坂周辺に臼田姓が多いためにこの名がついた。今でも臼田家は何軒もある。

馬込文士村に住んでいた萩原朔太郎の散文詩「坂」の冒頭部分:「坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、のすたるぢやの感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別の遥《はる》かな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がさうである。坂が――風景としての坂が――何故にさうした特殊な情趣をもつのだらうか。(以下省略)」

Dsc02220 坂下方向

DSC02228 右近坂(坂上方向) 南馬込3-24と3-28の間を西北に上る。坂上は臼田坂上。《地図》 

坂名の由来は、①臼田坂の右近くだから。②右近、あるいはおこんという名の人が住んでいた。③うこん色の着物を着た娘がよくこの坂を通った。などさまざま。

Dsc02227 坂上方向

昔は人通りの少ない寂しい坂で、雨が降るとどろんこの道になった。

Dsc02226 坂下方向

DSC02231 鐙(あぶみ)坂(坂上方向) 南馬込4-4と4-12の間を北に上る。《地図》 

梶原景季の愛馬、磨墨の鐙が落ちていたという鐙谷の伝説に因る名。鐙谷は臼田坂上バス停あたりから南西の低い地帯。磨墨塚は南馬込3-19にある。

Dsc02230 坂下方向

Dsc02233 おいはぎ坂(坂下方向)

正面の暗い方へ下る。

DSC02236 おいはぎ坂 南馬込4-7と4-9の間を北東に上る。《地図

墓地があり、木が繁り暗く寂しい場所でかつてはおいはぎが出たところ。右側に北向稲荷。その上は万福寺の墓地。坂下には内川が流れ(現在は暗渠)、善照寺の角に牛洗戸橋があったので別名を牛洗戸坂。この道は池上本門寺に向かう裏道に当たる重要な道だった。

Dsc02234 坂上方向

Dsc09230 北向稲荷神社(おいはぎ坂の坂下)

昔は、北向上台神社と呼ばれていた。「出世稲荷」の扁額がかかっている。江戸時代にはたいそう流行った神社だったそうだ。

DSC02238 万福寺男坂  南馬込1-48万福寺正面の石段。《地図

梶原氏とのつながりの深い寺院で、梶原景時が開基とも伝える。

Dsc02239 境内案内図に男坂、女坂がある。

DSC02243 万福寺女坂 

鐘楼へ上る石段。

DSC02248 蛇坂 南馬込1-27と1-24の間を曲がりながら南西に上る。《地図

この辺に蛇が多く住んでいたとも、蛇のように曲がっているのでついた名ともいわれる。

Dsc02251 坂上近く

DSC02254 南坂 南馬込5-6と5-7の間を東北に上る。 《地図

馬込の氏神の馬込八幡神社の南にあるためついた名。昔は狭い急坂だった。

Dsc09232 馬込八幡神社

旧馬込村の総鎮守

Dsc02253 坂上方向

DSC02255 馬込坂 西馬込1丁目と南馬込5丁目の間を東北に上る第二京浜国道。《地図

このあたりは、昔は小高い丘や水田で、坂下には内川の清流が流れていた。

Dsc02258 二本木坂(坂上方向)

DSC02259 二本木坂(坂下方向) 西馬込1-16と1-10の間を北西に上る。《地図》 

この辺は馬込村小字二本木と呼ばれていた。

Dsc09234湯殿神社(南馬込5-18)

馬込村の根古屋谷の鎮守

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2005年10月13日 (木)

北上市(岩手県)の坂-1

2005年10月13日

北上駅(JR東北本線)・・・川岸観音堂・・・珊瑚橋(北上川)・・・珊瑚岳(259m)・・・国見山(244m)・・・行坂・・・国見山神社・・・国見山廃寺遺跡・・・堂坂・・・極楽寺・・・堂坂・・・男山・・・樺山遺跡・・・下門岡バス停→展勝地・・・みちのく民俗村・・・立花毘沙門堂・・・北上駅

  《地図》(①珊瑚橋 ②珊瑚岳 ③竜行坂 ④堂坂 ⑤樺山遺跡)

  *参考:「きたかみ散策

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02117 朝もやの北上川と珊瑚橋

市街地と展勝地を結ぶゲルバー式吊り橋。

Dsc02118 珊瑚岳(259m) 

展望はない。

Dsc02123 国見山山頂(244m) 

Dsc02125 山頂から

Dsc02129 胎内潜り 

国見山から国見神社へ下りる途中。山頂に近い。

Dsc02138_1 竜行坂地図

胎内潜りから続く下り坂。下った後にこの地図があり、竜行坂の名を見つけたので写真はない。

Dsc02130_1 国見山廃寺遺跡

11C中頃から12C初め(平安後期)の礎石建物跡。この説明板は17年3月に設置された新しいもの。

Dsc02132_1 七間堂跡

礎石が残っている。

Dsc02134_1 堂坂・御神(おみ)坂地図

御神坂は国見山神社への旧参道と標示がある。

Dsc02137 堂坂

堂は国見山廃寺の毘沙門堂や七間堂などのことだろう。

Dsc02146 堂坂

Dsc02140極楽寺

坂上田村麻呂が国家鎮定を祈願し仏像を祀り、後に慈覚大師円仁が寺を建立したと伝える。

Dsc02155_1 男山(163m)から北上川(右)と和賀川(左)の合流点 《地図

Dsc02158樺山遺跡説明板

縄文時代の集落跡(竪穴住居群)と配石遺構

Dsc02161_1 樺山遺跡の配石遺構(墓かそれとも祭祀用施設か?)

Dsc02173 正面奥に竪穴住居の復元が見える。

Dsc02183_1 立花毘沙門堂(万福寺)

木造毘沙門天立像(1体)と木造二天王立像(2体)は国指定重要文化財。

Dsc02186_1 夕方の北上川と珊瑚橋

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2005年10月10日 (月)

水沢市(岩手県)の坂-1

2005年10月10日

水沢駅・・・めがね橋(長光寺橋)・・・日高小路・武家屋敷・日高神社・・・水沢駅通バス停 → 十文字・・・五十瀬神社・白井坂・・・十文字→水沢駅通→石名坂バス停・・・石名山慈眼寺・石名坂・・・水沢公園・駒形神社・・・神明社(アテルイの里)・・・乙女川公園・・・水沢城跡・・・水沢駅

  《地図》(①めがね橋 ②白井坂 ③石名坂 ④水沢公園 ⑤アテルイの里)

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02019_1 めがね橋(長光寺橋)

Dsc02020_1 「長光寺橋」説明板

Dsc02021_1 めがね橋上から

Dsc02042_1 日高神社

Dsc02047白井坂

左側が五十瀬神社

Dsc02050 白井坂

坂下近くから

Dsc02066_1 石名山慈眼寺

Dsc02070_1 石名坂

Dsc02054 駒形神社(水沢公園内)

Dsc02059 水沢城黒門説明板

Dsc02060 姥杉 《地図

黒門(冠門)脇の土塁跡上。後ろは奥州市役所。

Dsc02064 SL(水沢駅にて)

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2005年10月 9日 (日)

古代史散歩(岩手県胆沢町)

2005年10月9日

水沢駅(送迎バス)→ 胆沢陸上競技場・・・郷土資料館

いさわ焼石ハーフマラソン(1時間48分30秒)

総合体育館前(バス)→下広岡・・・角塚古墳(バス)→水沢駅

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02035 角塚古墳(最北の前方後円墳) 《地図

5~6世紀初めの築造・全長45m・高さ4m

「塚の山」「蛇塚」「一本杉」ともいわれる。

Dsc02038_1 角塚古墳説明板

Dsc02026_1 角塚古墳出土品(郷土資料館)

鳥形埴輪

Dsc02027 朝顔形埴輪

Dsc02028 円筒埴輪

Dsc02029_1 墳丘模型

Dsc02030 竪穴式石室

Dsc02040_1 伝説「里を救った如来さま」(角塚古墳の前の公園)

小用姫伝説ゆかりの地をたずねる』には、化粧坂・泣き坂・尼坂が出てくる。

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2005年10月 8日 (土)

古代史散歩(水沢市)

2005年10月8日

水沢駅(JR東北本線)バス→八幡・・・市立埋蔵文化財調査センター・・・胆沢城跡・鎮守府八幡宮 バス→水沢駅

 水沢市は、江刺市、前沢町、胆沢町、衣川村と合併し、2006年2月20日に奥州市となった。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02012_1 胆沢城政庁正殿跡 

Dsc02013 政庁正殿説明板

Dsc02015_1 胆沢城跡から鎮守府八幡宮

Dsc02016 鎮守府八幡宮

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2005年10月 1日 (土)

品川区の坂-2

2005年10月1日(土)

Dsc01953 五反田駅(JR山手線)・・・相生坂・・・雉子の宮・・・宝塔寺・・・五反田駅(山手線)→目黒駅(目黒線) →不動前駅・・・禿(かむろ)坂・・・不動前駅(目黒線)→西小山駅・・・江戸見坂・・・小山八幡神社・・・八幡坂(上の写真)・・・鏑木坂・・・さいかち坂・・・カナリヤ坂・・・旗の台駅(池上線)→戸越銀座駅・・・桐ヶ谷坂・・・清水坂・・・宮前坂・・・八幡坂(戸越八幡神社)・・・三井坂・・・平和坂・・・百反・・・峰原坂 ・・・大崎駅(JR山手線)

 今日は雉子の宮の祭礼日で屋台が準備中でした。相生坂の坂名の由来は、御殿山方面から宝塔寺前を通る道と、この坂のある中原街道が雉子神社の手前で合流していたことによるそうです。『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)の相生坂の3つの分類のうちの一つです。(A分類) 

 目蒲線に久し振りに乗ったら目黒線に変わっていました。西小山から旗の台にかけて静かで、いい雰囲気のある坂が何本もあります。鏑木坂は直線的な急坂です。両側の崖に挟まれ、樹木や雑草が生い茂り、昼なお暗かったというさいかち坂は、今は中原街道の広く明るい坂ですが坂の西側の方に少し往時の面影の名残りがあります。

 戸越銀座の商店街に南北に同じような坂が並んでいます。宮前坂、八幡坂とも戸越八幡神社による坂名です。百反坂は曲がりくねる長い坂、昔はもっと傾斜がきつかったそうです。峰原坂は道路工事中でした。

 写真をクリックすると拡大します。

DSC01933 相生坂(坂上方向) 東五反田1丁目と5丁目の間を東北に上る桜田通り。《地図

御殿山方面から宝塔寺の前を通る道と、この坂のある中原街道が雉子神社の手前で合流していた。別名を下大崎坂・雉子の宮坂。

*相生坂の3類型 A.:坂路が途中でY字型に分かれているもの。(この坂) B.:二つの坂が平行しているもの。(大田区(1)の相生坂) C.:二つの坂が離れて向き合っているもの。(大田区(2)の相生坂)

Dsc01937 今は宝塔寺(写真の右の石垣)前の道は桜田通りの下をくぐっているので、相生坂とは呼べないか。

Dsc01931 山手線の五反田駅ホームから坂上方向。

昔はのどかな田園風景が広がっていたという。

Dsc09172_1 雉子の宮 (東五反田1-2)

Dsc09173 宝塔寺(東五反田1-2)

雉子宮の別当寺

DSC01941 禿(かむろ)坂  西五反田4-3と4-31の間を南西に上るかむろ坂通り。《地図

鈴が森で白井権八が処刑され、遊女の小紫が後追い自殺する。さらに小紫を慕っている禿(侍女)が池に身を投げたという。その禿に因む坂名。歌舞伎「浮世柄比翼稲妻」(うきよつかひよくのいなづま)。池は第四日野小学校西側の谷戸窪にあったという。桜並木しながわ(品川)百景の一つ。

DSC01947 江戸見坂(坂下方向) 小山6-18と6-19の間を南に上る。《地図

昔は江戸市中、さらに大森の海、富士山も見えたという。

Dsc01944坂上方向

DSC01954 八幡坂 小山6-22と荏原7-5の間を西に上る。 《地図

坂上近くに小山八幡神社。

Dsc01950_2 小山八幡神社

「しながわ百景」の一つ

DSC01965 鏑木坂 旗の台1-5と1-6の間を西南に上る。《地図

名主の鏑木氏の屋敷があった。(今でも坂の途中にある?)

DSC01971 さいかち坂(坂上方向)  旗の台1-11と2-8の間を西南に上る中原街道。 《地図

①坂の右手に「さいかちの原」があった。 ②坂の両側にさいかちの木が繁っていた。近年まで坂下にさいかちの木が残っていたそうだ。大正時代までは右手に清水山、左手に亀の子島(山)の崖と崖にはさまれ、樹木と雑草のしげる、昼なお暗い坂であったといわれる。『品川区の坂』

Dsc01966 坂下方向

DSC01980 カナリヤ坂(坂上から) 旗の台5-8と5-11の間を南に旗の台南公園の方へ上る。《地図

昭和30年頃、商店街の鳥獣店の主人と荏原5中の校長が命名。鳥獣店は今はない。ここも「しながわ百景」の一つ。

Dsc01978「しながわ百景」のプレート

Dsc05007 坂下から

DSC01983 桐ヶ谷坂 荏原1-16と平塚2-1の間を南西に上る中原街道。《地図

もとは旧中原街道のあった坂だが、区画整理で現中原街道ができて坂名もこの坂に移った。

Dsc01984坂下方向

坂下で第二京浜国道と合流する。

DSC01987 清水坂(坂下方向) 戸越2-1と3-2を南に上る。《地図》   

字名藪清水に因む名か。藪の中に清水が湧いていたのだろう。

『江戸越えて 清水の上の 成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし』

DSC01989 宮前坂(坂下方向) 戸越2-5と2-6の間を南に上る宮前通り。《地図》 

戸越八幡神社(しながわ百景)による坂名。

DSC01994 八幡坂 戸越2-6と2-7の間を南に上る。 《地図

戸越八幡神社による坂名。

DSC01995 三井坂 豊町1-6と戸越2-8の間を南に上る。《地図》 

坂上付近にかつて三井農園、三井文庫(現在は中野区上高田5丁目)があった。坂の途中の民家の塀に、 昭和2年11月に建てられた「三井坂」の小石標が残されているというが見逃した。

Img_5301 三井文庫

(2009年7月10日撮影)

DSC02000 平和坂 西品川2-9と2-10の間を南に上る。 《地図

大正時代に改修され、上野で開催された平和博覧会の名をとった。昔はここで6つの道が交わり六道坂と呼んでいた。

座間市(神奈川県)にも平和坂(『座間市の坂-2』に記載)がある。坂名の由来(平和博覧会から)も、六道坂と呼ばれていたことも同じだ。

DSC02004 百反坂(坂下方向) 大崎2-7と西品川3-6の間をカーブして西方向に上る百反通り。《地図

昔は急坂で、段々が多かったので百段坂と呼ばれていたのが転訛した。かつては坂下にJR線路を横断する踏切があった。

Dsc02005 坂上方向

DSC02010 峰原坂 大崎3-2と4-2の間を南西に上る峰原通り。 《地図

江戸時代以前の谷山村時代からのこの辺一帯の地名の峰原に因む。

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