品川区の坂-2
2005年10月1日(土)
五反田駅・・・相生坂・・・雉子の宮・・・宝塔寺・・・五反田駅(山手線)→目黒駅(目黒線) →不動前駅・・・禿(かむろ)坂・・・不動前駅(目黒線)→西小山駅・・・江戸見坂・・・小山八幡神社・・・八幡坂(上の写真)・・・鏑木坂・・・さいかち坂・・・カナリヤ坂・・・旗の台駅(池上線)→戸越銀座駅・・・桐ヶ谷坂・・・清水坂・・・宮前坂・・・八幡坂(戸越八幡神社)・・・三井坂・・・平和坂・・・百反坂・・・峰原坂 ・・・大崎駅
今日は雉子の宮の祭礼日で屋台が準備中でした。相生坂の坂名の由来は、御殿山方面から宝塔寺前を通る道と、この坂のある中原街道が雉子神社の手前で合流していたことによるそうです。『江戸の坂 東京の坂』(横関英一著)の相生坂の3つの分類のうちの一つです。(A分類)
目蒲線に久し振りに乗ったら目黒線に変わっていました。西小山から旗の台にかけて静かで、いい雰囲気のある坂が何本もあります。鏑木坂は直線的な急坂です。両側の崖に挟まれ、樹木や雑草が生い茂り、昼なお暗かったというさいかち坂は、今は中原街道の広く明るい坂ですが坂の西側の方に少し往時の面影の名残りがあります。
戸越銀座の商店街に南北に同じような坂が並んでいます。宮前坂、八幡坂とも戸越八幡神社による坂名です。百反坂は曲がりくねる長い坂、昔はもっと傾斜がきつかったそうです。峰原坂は道路工事中でした。
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相生坂(坂上方向) 東五反田1丁目と5丁目の間を東北に上る桜田通り。《地図》
御殿山方面から宝塔寺の前を通る道と、この坂のある中原街道が雉子神社の手前で合流していた。別名を下大崎坂・雉子の宮坂。
*相生坂の3類型 A.:坂路が途中でY字型に分かれているもの。(この坂) B.:二つの坂が平行しているもの。(大田区(1)の相生坂) C.:二つの坂が離れて向き合っているもの。(大田区(2)の相生坂)
今は宝塔寺(写真の右の石垣)前の道は桜田通りの下をくぐっている。
昔はのどかな田園風景が広がっていたという。
雉子の宮 (東五反田1-2)
雉子宮の別当寺
禿(かむろ)坂 西五反田4-3と4-31の間を南西に上るかむろ坂通り。《地図》
鈴が森で白井権八が処刑され、遊女の小紫が後追い自殺する。小紫を慕っている禿(侍女)が池に身を投げたという。その禿に因む坂名。歌舞伎「浮世柄比翼稲妻」(うきよつかひよくのいなづま)。池は第四日野小学校西側の谷戸窪にあったという。桜並木はしながわ(品川)百景の一つ。
江戸見坂(坂下方向) 小山6-18と6-19の間を南に上る。《地図》
昔は江戸市中、さらに大森の海、富士山も見えたという。
八幡坂 小山6-22と荏原7-5の間を西に上る。 《地図》
坂上近くに小山八幡神社。
「しながわ百景」の一つ
鏑木坂 旗の台1-5と1-6の間を西南に上る。《地図》
名主の鏑木氏の屋敷があった。(今でも坂の途中にある?)
さいかち坂(坂上方向) 旗の台1-11と2-8の間を西南に上る中原街道。 《地図》
①坂の右手に「さいかちの原」があった。 ②坂の両側にさいかちの木が繁っていた。近年まで坂下にさいかちの木が残っていたそうだ。 大正時代までは右手に清水山、左手に亀の子島(山)の崖と崖にはさまれ、樹木と雑草のしげる、昼なお暗い坂であったといわれる。『品川区の坂』
カナリヤ坂(坂上から) 旗の台5-8と5-11の間を南に旗の台南公園の方へ上る。《地図》
昭和30年頃、商店街の鳥獣店の主人と荏原5中の校長が命名。鳥獣店は今はない。ここも「しながわ百景」の一つ。
カナリヤ坂
「しながわ百景」のプレート
桐ヶ谷坂 荏原1-16と平塚2-1の間を南西に上る中原街道。《地図》
もとは旧中原街道のあった坂だが、区画整理で現中原街道ができて坂名もこの坂に移った。
坂下で第二京浜国道と合流する。
清水坂(坂下方向) 戸越2-1と3-2を南に上る。《地図》
字名藪清水に因む名か。藪の中に清水が湧いていたのだろう。、『江戸越えて 清水の上の 成就庵 ねがひの糸の とけぬ日はなし』
宮前坂(坂下方向) 戸越2-5と2-6の間を南に上る宮前通り。《地図》
戸越八幡神社(しながわ百景)による坂名。
八幡坂 戸越2-6と2-7の間を南に上る。 《地図》
戸越八幡神社による坂名。
三井坂 豊町1-6と戸越2-8の間を南に上る。《地図》
坂上付近にかつて三井農園、三井文庫(現在は中野区上高田5丁目)があった。坂の途中の民家の塀に、 昭和2年11月に建てられた「三井坂」の小石標が残されているというが見逃した。
(2009年7月10日撮影)
平和坂 西品川2-9と2-10の間を南に上る。 《地図》
大正時代に改修され、上野で開催された平和博覧会の名をとった。昔はここで6つの道が交わり六道坂と呼んでいた。座間市(神奈川県)にも平和坂(「座間市の坂-2」に記載。)がある。坂名の由来(平和博覧会から)も、六道坂と呼ばれていたことも同じで面白い。
百反坂(坂下方向) 大崎2-7と西品川3-6の間をカーブして西方向に上る百反通り。《地図》
昔は急坂で、段々が多かったので百段坂と呼ばれていたのが転訛した。かつては坂下にJR線路を横断する踏切があった。
峰原坂 大崎3-2と4-2の間を南西に上る峰原通り。 《地図》
江戸時代以前の谷山村時代からのこの辺一帯の地名の峰原に因む。
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