大田区の坂-4
2005年10月28日(金)
洗足池駅(東急池上線)・・・洗足坂・・・稲荷坂②(石川町)・・・神明坂・・・稲荷坂③(北千束)・・・北千束駅(大井町線)→(大岡山駅)→田園調布駅(目黒線)・・・急坂(右の写真)・・・馬坂・・・浅間様古墳(穴八幡)・・・宝来山古墳・・・多摩川台古墳群・・・亀甲山古墳・・・古墳展示室・・・どりこの坂・・・田園調布坂・・・出世稲荷・・・富士見坂①・・・浅間神社古墳・・・おいと坂・・・桜坂・・・鵜木大塚古墳・稲荷神社・・・雪が谷大塚駅(池上線)
今日は主に多摩川近くの坂と古墳を歩きました。洗足坂は日蓮上人の故事が残る洗足池沿いの中原街道です。石川町の稲荷坂は上の台公園の脇を上る細く短い坂です。以前、坂の南側に稲荷神社があったそうです。田園調布5丁目にある急坂と馬坂は、丸子川まで下る急で長い坂です。宝来山古墳、亀甲山古墳は公園として整備されよく保存されて、公園内に古墳展示室があります。
「どりこの」という清涼飲料水を開発した人の屋敷があったという「どりこの」坂です。田園調布坂は田園調布2丁目に「田園調布坂上」というバス停があり、坂になっています。 実際にこの坂名で呼ばれているかは未確認です。富士見坂を下り多摩川線を渡ると浅間神社があります。神社は古墳の上に建てられています。多摩川駅の近くです。
おいと坂は多摩川線の沼部駅のそばで、坂下に雄井戸と呼ばれる井戸があり、北条時頼の故事も伝わっています。おいと坂の坂下から北東に上るのが桜坂です。桜の頃は桜のトンネルといった感じで見事でした。 『大田区の坂道』によると、この坂は旧中原街道の切通しで、昔は「沼部の大坂」といい、勾配がきつく荷車などの通行は大変だったそうです。この坂は子供の頃、自転車でよく上り下りした坂です。長い坂で下りは楽で気持ちよかったですが上りは大変でした。
鵜木大塚古墳は環8通りと中原街道が交差する雪谷大塚町にあります。昔、住んでいた近くにこんな古墳があるとは知りませんでした。雪谷大塚の名もこの古墳の名からきているそうです。
写真をクリックすると拡大します。
洗足坂 池上線洗足池駅と洗足池の間を北東に上る中原街道(江戸虎ノ門から平塚の中原御殿に通じる東海道の脇往還・裏街道)。《地図》
古い地名は千束で、のちに日蓮が身延山から常陸に湯治に向う途中、ここの池で休息し足を洗ったという言い伝えが生まれ、千束の一部が洗足、池が洗足池となった。大正時代に改修されるまでは、もっと短く急な坂だった。
今は緩やかで長い、車だらけのただの車道。
稲荷坂② 石川町1-3と1-4の間を曲がりながら東に上る。《地図》
かつて坂の南側に稲荷社があった。もとは洗足池の脇から世田谷区の九品仏へ通じた古い道。
神明坂(坂上方向) 石川町1-3と1-31の間を南東に上る。 《地図》
昔、坂のそばに石川村の鎮守の神明社があった。現在の石川神社のこと。(坂の北側の石川町1-20)
稲荷坂③(坂下方向) 南千束2-9と北千束2-36の間を東方向に上る。《地図》
昔、坂の付近に稲荷社があった。大正時代には稲荷社はすでになかったという。
急坂(坂下方向) 田園調布5-27と5-28の間を北西に上る。《地図》
長い坂で坂上近くで傾斜がきつくなる。「5丁目の急坂」とも呼ばれる。大正末期に耕地整理によりできた坂道。
馬坂(坂上近く) 照善寺脇から田園調布5-3と5-29の間を北方向に上る。《地図》
大正頃までこの付近で、馬で引く荷車で上れる唯一の坂だった。寺の坂の別名もあった。大正から昭和にかけての耕地整理以前は竹薮の中の坂道だったという。
正面は多摩川を挟んで川崎市のビル
前方後円墳、全長100m、4C中頃の築造。
円墳、直径(10~20m)、6C前半~7C中の築造、1~9号までだが1号墳は2号墳を利用して、一つの前方後円墳とした(1+2号墳)。
前方後円墳、全長100m、4C後半の築造。
どりこの坂(坂上方向) 田園調布2-27と1-51の間を東方向に上る。《地図》
昭和の初め頃、坂付近に「どりこの」という清涼飲料水を開発した医学博士の屋敷があったのでこの坂名で呼ぶようになった。それまでは池山の坂と呼ばれていたという。「どりこの飲料」については、『レトロおじ散歩』の「どりこの焼」の所に記事が載っています。
田園調布坂 田園調布2-9と2-10,2-11の間を南東に上る福徳商店街の通り。《地図》
「田園調布坂上」のバス停がある。
富士見坂①(坂下方向) 田園調布1-12と1-30の間を北東に上る。《地図》
かつては坂上から富士山がよく見えたという。
『東京(23区)の富士見坂』
浅間神社古墳(田園調布1-55)
前方後円墳、全長約60m、6C前半の築造、竪穴式石室。
川崎方面
おいと坂(坂下から) 田園調布本町24と25の間を東南に上る。《地図》
坂下に雄井戸と呼ばれる井戸があり、旧中原街道の西側に雌井戸があったという。北条時頼が雄井、雌井で病を癒したという伝説による坂名。耕地整理で真っ直ぐな坂になるまでは、竹薮の中の急な曲がった坂だったという。
桜坂(坂上方向) 田園調布本町24と36の間を北東に上る。 《地図》
旧中原街道の切通しの坂で、「沼部の大坂」といわれた急坂で荷車の通行は大変だった。坂の両側に大正時代に植えられた桜並木にちなむ名。
桜並木の下を通る。
かつては沼部の村落は荷車、旅商人の往来でにぎわい、腰掛け茶屋などが坂道の両側にあったともいう。坂下には六郷用水が流れていた。現在は湧き水を使って、一部、散策路として整備されている。
円墳、直径27m
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