大田区の坂-3
2005年10月25日(火)
長原駅(池上線)・・・夫婦(めおと)坂・・・貝塚坂・・・庄屋坂・・・射水(いみず)坂・射水坂公園・・・相生坂②・・・鸛の巣(こうのす)坂・・・蝉坂・・・開光坂・開光坂公園・・・稲荷坂①・・・高倉稲荷・・・大久保坂・・・猿坂・・・花抜坂(上の写真)・・・雪見坂・・・権現坂・・・宮前坂・雪谷八幡神社・・石川台駅(池上線)
上池台付近は坂だらけという感じです。無名の急坂も多くあります。今は閑静な住宅街ですが、貝塚、蝉、猿、鸛の巣、庄屋など坂の名前に昔のこのあたりの様子が目に浮かんできます。射水坂は上池台4丁目の射水坂公園の前の坂、開光坂は3丁目の開光坂公園の前の坂です。相生坂、鸛の巣坂は長原駅から学研(学習研究社)へ行く途中にあります。 相生坂は小池の東側の向き合う坂です。昔、学研でアルバイトをしていた時は、朝夕にこの坂を往復したものです。 当時はむろん坂の名を知らず(坂にも関心が薄かった)、坂標も設置されていませんでした。
花抜坂には日蓮に関する故事があります。坂上から池上本門寺の五重塔が望めます。(上の写真) 花抜坂から石川台駅に向かう途中にも雪見坂などの急坂が並んでいます。
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夫婦坂(北側の坂の坂上から) 環状7号の夫婦坂交差点から北と南に上る坂 《地図》
向かい合う坂から夫婦にたとえた。昭和初期までは、環状7号線も通ってなく、急な狭く曲がった坂道で、竹薮、雑木林に囲まれ昼なお暗い寂しい坂だった。この坂は品川道(東は大井を通って品川へ、西は中原街道へ通じた古い道)へ通じていた。
貝塚坂(坂下方向) 上池台4丁目と5丁目の間を東北に上る。坂上で夫婦坂とつながる。《地図》
この周辺は古くは貝塚をともなう集落があった。
庄屋坂(坂下方向) 上池台4-20と4-23の間を北西に上る。《地図》
付近に庄屋の家があった。庄屋の名は不明。
無名の急坂(上池台4丁目)《地図》
射水坂(坂下方向) 上池台4-19の射水坂公園(写真の右側)の前を北東に上る。《地図》
昔はこのあたりに湧き水(射水)の洗い場があったのだろう。
相生坂②(南側の坂の坂上から) 上池台1-39と1-38の間を北に下り、上る。《地図》
向き合う坂でこの名がついた。相生坂①は東海道新幹線を挟んで平行する坂。(「大田区の坂-2」に記載)
鸛の巣坂(坂下方向) 上池台4-37と4-42の間を北西に上る。《地図》
この付近は、かつて鸛の巣(こうのす山)と呼ばれ、鸛(こうのとり)の巣があった。坂下にあった水路は、「鸛の巣流れ」と呼ばれ、かつては用水路として使われていた。
蝉坂(坂上方向) 上池台3-7と3-10の間を北に上る。 《地図》
この辺は池上村字蝉山と呼ばれていた。今は閑静な住宅街だが、昔は木々に覆われた高台で、夏は蝉の鳴き声が絶えなかったのだろう。
開光坂 上池台3-26の開光坂公園の脇を南に上る。《地図》
新しくつけられた公園の名だろう。
稲荷坂①(坂上方向) 上池台5-6と5-15の間を東南に上る。《地図》
坂上(5-14)に玉倉稲荷がある。
大久保坂(坂上方向) 上池台5-17と5-18の間を南東に上る。《地図》
昔、大久保氏の屋敷があった。
猿坂(坂上方向) 上池台5-22と5-24の間をカーブして北東に上る。《地図》
この辺の台地は森林が続き、猿が多く生息していた。池上本門寺前から仲池上の根方を通り、猿坂から台地へ上り、夫婦坂を経て荏原町へ達する古道で、平間の渡しへの平間道の道筋でもある。
花抜坂(坂上から) 東雪谷5-12と5-13の間を北西に上る。《地図》
日蓮が洗足池から池上に向う途中、この付近に美しく咲き乱れていた野花を手折ったという伝説に因む。昔は曲がった坂道で、両側は崖で、坂下は竹薮だったらしい。ここは六郷田無道の道筋で、この先で矢口の渡しへと続く平間道とも交差していた。
雪見坂(坂下方向) 東雪谷3-14と3-16の間を北東に上る。《地図》
かつて、坂上から富士山の雪がよく見えた。
権現坂(坂下方向) 東雪谷3-14と3-19の間を北西に上る。坂上で雪見坂の途中に出る。
この付近に権現社があり、権現山と呼んでいた。坂の位置については異説もある。
宮前坂(坂上方向) 東雪谷2-25と2-27の間を北東に上る。《地図》
雪谷八幡神社の前の坂。坂下の呑川の橋は宮前橋
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