目黒区の坂-1
2005年11月8日(火)
神泉駅(井の頭線)・・・松見坂・・・富士見坂・・・大坂(旧・新)・・・上目黒氷川神社・・・蛇坂・・・相ノ坂・・・菅刈公園・・・西郷山公園・・・上村坂・・・目切坂(上の写真)・・・小川坂・・・寿福寺・・・半兵衛坂・・・ 稲荷坂・・・謡坂・・・祐天寺駅(東横線)
富士見坂は松見坂と向き合う坂です。かつては坂上から富士山が見えたのでしょう。大坂は玉川通りの坂で、旧大坂(大山街道)は北側を通っていて厚木街道の48坂の中で一番急で大きな坂でした。
大坂の坂上あたりから南に曲がりながら下るのが蛇坂です。途中から石段坂になります。相ノ坂は大坂と新道坂の間の坂という意味で、細い見事な急坂が玉川通りまで上っています。鎌倉街道の道筋の目切坂も緑が多く、静かで気分のいい坂です。稲荷坂には刺抜(とげぬき)稲荷があるはずですが今回は見つけることができませんでした。
謡坂の坂標は新しくなっていましたが、説明文は以前と同じで「昭和の初めに謡の好きな人が坂の付近に住んでいた。」というものです。どうも納得がいきません。歌坂などと同様に「うとう坂」が転訛し、「うたい坂」となり「謡」の字を当てたのではないでしょうか。この坂標とは別に石で造られた新しい坂標もありました。
*参考:『目黒の坂』
写真をクリックすると拡大します。
松見坂(坂下方向) 駒場1-4と大橋2-1の間を西に上る。《地図》
①道玄太郎という山賊が松の木に上り、旅人を狙っていたという「道玄物見の松」があった。道玄太郎は和田義盛の残党の大和田太郎道玄とする説がある。②坂の途中に松見地蔵があった。
昔はこの坂の北西は駒場野といわれた広大な原野だったというが、今はまったくその面影はない。別名を駒場坂。
東京都が設置したもの。石製だが設置位置が低すぎて読みにくい。
富士見坂(坂下方向) 青葉台4-2と4-6の間を東に上る。松見坂と向き合う坂。《地図》
旧大坂(坂上方向) 青葉台4-7と4-8の間を東に上る大山街道。《地図》
大坂 旧大坂の南側の玉川通り(厚木街道)。《地図》
蛇坂(坂上から) 青葉台3-5と3-6の間を南に曲がりながら下る。 《地図》
昔はもっと蛇のように曲がりくねった坂だったのだろう。
相ノ坂(坂上方向) 青葉台3-3の菅刈小学校の北西側と3-5の間を北に上る。 《地図》
大坂と新道坂の間という意味。
西郷山公園から
上村(かみむら)坂(坂上方向) 青葉台1-4と1-5の間を北方向に上る。《地図》
坂の西側に海軍大将上村彦之丞の屋敷があった。
目切坂(坂上方向) 青葉台1-6と上目黒1-9の間を東方向に上る。《地図》
①坂上に伊藤與右衛門という石臼の目切りを業とする者が住んでいた。②丸旦山の斜面を斜めに切通したのでちょうどひき臼の目切に似ていた。
ここは目黒の元富士(富士講の富士塚、別所坂上の富士塚は新富士と呼ばれた)があった所。別名を〆切坂・くらやみ坂。
「目黒元不二」
小川坂(坂上方向) 東山1-19と上目黒3-19の間を南西に烏森小学校まで上る。《地図》
①坂下は小川田んぼと呼ばれた。【坂標】 ②坂の周辺に宿山の旧家小川家の所有地が多かった。『目黒の坂』
この坂も鎌倉街道(中の道)で、下って目黒川の宿山橋、目切坂から渋谷へ通じ、上って寿福寺から碑文谷八幡宮、下野毛へと通じていた。
半兵衛坂(坂下から) 上目黒5-25と5-26の間を北東に寿福寺前まで上る。《地図》
名主の清水半兵衛に因む。
寿福寺(上目黒5-16)
「権兵衛が種まきゃ・・・」の権兵衛の墓があるとか?
稲荷坂(坂下方向) 上目黒4-4と4-9の間を南に上る。《地図》
坂の途中の東側に旧家田中家の刺抜稲荷がある。
謡坂(坂上方向) 五本木1-6と上目黒4-30の間を南東に上る。《地図》
①謡の好きな人が坂の付近に住んでいた。【坂標】 ②「うとう」坂の転訛で、坂が鳥の口ばしのように突き出て、出崎のようになっている。坂下の蛇崩川の出崎だろう。
「うとう坂」については『白河市(福島県)の坂』の善知鳥坂の所を参照。『うとう坂表』
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