« 渋谷区の坂-1 | トップページ | 渋谷区の坂-3 »

2005年11月19日 (土)

渋谷区の坂-2

2005年11月19日(土)

渋谷駅・・・間坂(あいだざか)・・・南平坂・・・かめやま坂・・・天狗坂・・・代官山坂・・・ 古代住居跡・・・上村坂(目黒区)・・・目切坂(目黒区)・・・猿楽塚・・・内記坂・・・衆楽坂・・・夕焼け坂・・・新富士坂・・・いなり坂・福徳稲荷・・恵比寿駅

 今日は北風が吹き寒く感じました。玉川通りから南西方向に上る間坂を上り、南平坂を下り、向かい合うかめやま坂を上りました。天狗坂は短い坂、説明板がありましたが落書きがされていました。代官山坂には4本の道筋があるようですが、代官山町14と15の間の坂が一番ふさわしく感じました。この坂は下って東横線を渡り、無名の坂を上ると衆楽坂の坂上に出ます。

 目切坂の坂上の近くに猿楽塚があります。6~7世紀頃の径20mほどの円墳で、上に神社が祀られています。南にもう一基の円墳があり、その間を鎌倉街道(中の道)が通っていたそうです。代官山駅から内記坂を下り、衆楽坂を上りました。旧町名の衆楽町に因む坂名です。 坂上から南に進み内記坂を横切り、夕焼け坂に出ました。「夕焼け小焼け」の作曲家が音楽の先生をしていた長谷戸小学校の前の坂です。

 新富士坂(「目黒区の坂-2」に記載)は、「新富士」と呼ばれた別所坂上に続く坂です。恵比寿駅線路沿いの、いなり坂の途中に福徳稲荷の小さな社が祀られていました。

 写真をクリックすると拡大します。

DSC03228 間坂(あいださか)  桜丘町24と25の間を西南に南平台町に上る。《地図

かつての大和田町と桜丘町の境で、「両町の間にある坂」の意。『渋谷区の坂』

Dsc03231 坂上方向

DSC03234 南平坂(坂下方向)  南平台町7と8の間を北西に上る。坂下でかめやま坂と向き合う。《地図

町名に由来

Dsc03237 坂下方向

DSC03240 かめやま(亀山)坂(坂上方向)  鉢山町3と9の間を南東に上る。《地図

坂の形状を亀の背に見立てた。『渋谷区の坂』

Dsc03242 坂下方向

DSC03247 天狗坂  猿楽町2と5の間を南東に上る。《地図

明治38年に紙巻煙草(金天狗・銀天狗)の開祖、岩谷商会を設立した岩谷松平(自称岩谷天狗)が銀座からここに移り住み邸宅(赤く塗って、岩谷御殿と称した)を構えた。敷地内で養豚業を始めたが失敗し、大正9年にこの地で没した。梅窓院に墓がある。

Dsc03245 天狗坂の説明板

Dsc03244 坂上から

DSC03258 代官山坂(坂下方向)  代官山町14と15の間を北西に上る。《地図

代官山の名は昔、代官所があったからと伝えるが、その証左はなく、むしろ「関東郡代(代官)の持地の山林があったためこの名が起こった」(『大日本名所図会』)のではないか。『渋谷の坂』

Dsc03261 猿楽古代住居跡

Dsc03262古代住居跡(復元)

Dsc03263 猿楽塚

Dsc03265 猿楽塚

円墳・古墳時代末期

DSC03268 内記坂(坂上方向)  恵比寿西1-30と2-17の間を南西に上る。《地図

寛延3年(1750)の江戸絵図を見ると、ここに「横山内記抱屋敷」があった。内記は当時の定火消しの頭となった人で、のちに西の丸御小姓組の番頭から西の丸書院組の番頭になっている。采地(さいち)(領地、知行地)4500石の大身の旗本であった。『渋谷の坂』 別名は富士見坂

Dsc03267 坂下方向

DSC03278 衆楽坂(坂下方向)  恵比寿西1の交差点から恵比寿西2-10と2-11の間を西北に上る。《地図

旧衆楽町の真ん中を通っていた坂。

Dsc03282 無名の坂  衆楽坂上から西に下り東横線の線路を越え代官山坂につながる坂。

DSC03285 夕焼け坂  恵比寿西1-18と1-23の間、長谷戸小学校の北側を西北に上る。《地図

夕焼け小焼け」の作曲家草川信が大正から昭和にかけ長谷戸小学校の音楽教師をしていた。記念碑がある。

Dsc03286 「夕やけこやけ」の碑

Dsc03289 「夕やけこやけ小学校」の長谷戸小学校

Dsc03287 坂上方向

DSC03307 いなり坂  恵比寿駅西側の恵比寿南1-13と1-18の間を南に上る。《地図

坂の途中に福徳稲荷がある。

Dsc03348 福徳稲荷

|

« 渋谷区の坂-1 | トップページ | 渋谷区の坂-3 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 渋谷区の坂-2:

« 渋谷区の坂-1 | トップページ | 渋谷区の坂-3 »