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2005年11月10日 (木)

目黒区の坂-2

2005年11月10日(木)

目黒駅(JR山手線)・・・行人坂大円寺・・・権之助坂・・・富士見坂・・・茶屋坂・・・新茶屋坂・・・目黒川・・・別所坂・・・新富士坂(渋谷区)・・新道(しんどう)坂・・・けころ(けこぼ)坂・正覚寺・・・天祖神社・・・中目黒駅(地下鉄日比谷線・千代田線)→西日暮里駅・・・富士見坂(荒川区)・・・西日暮里駅

 行人坂は文字通り通行人が多い坂です。坂下の雅叙園に向かう(中年)女性が目立ちました。大円寺境内の石仏を熱心に見て、写真を撮っている若い外国人の女性が印象的でした。富士見坂の一本手前の目黒寄りの坂から撮った富士山の写真が「郷土目黒」という小冊子に載っていました。

 茶屋坂には爺ケ茶屋があったといい、落語の「目黒のさんま」の話の由来ともなっています。住宅街を曲がりながら上る静かな雰囲気の坂です。別所坂は曲がりくねった急坂で、かつて坂上からの眺望はよく、新富士と呼ばれた近藤重蔵の屋敷がありました。長男の富蔵がここで殺傷事件を起こし八丈島に流され、重蔵も近江国大溝藩に預けられました。この坂は恵比寿駅への通勤、通学路ですが、坂下に住んでいたことがある友人は、二日酔いなどで体調が悪い時はこの急坂を上るのはしんどく、中目黒駅まで歩くと言っていました。坂上から新富士坂(渋谷区)の下り坂になります。

 新道坂は駒沢通りの坂としていますが、『続江戸の坂東京の坂』(横関英一著)ではこの坂を駒沢通りと東横線の間の坂であるとし、詳しく考証しています。

 日暮里の富士見坂にダイヤモンド富士(富士の山頂から日が沈む)を見に行きましたが晴れてはいても風が無いせいか、富士山ははっきりとは見えませんでした。

 写真をクリックすると拡大します。

DSC02904 行人坂(坂下方向) 下目黒1-4と1-8の間を北東に上る。《地図

湯殿山の行者、法印大海が大日如来堂(後の大円寺)を建てて修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったことからつけられた坂名という。江戸時代に権之助坂が開かれる以前は、二子道として江戸市中から目黒筋に通ずる主要道路だった。

Dsc02906 行人坂案内板

太鼓橋・行人坂

行人坂・夕日岡『江戸名所図会』

Dsc02905 坂上方向

Dsc02907大円寺の石仏

江戸三大火のひとつ、明和9年(1772)の明和の大火(行人坂の火事)の火元の寺。とろけ地蔵、お七地蔵、西運(八百屋お七の恋人、吉三の出家後の名)の墓もある。
本尊の木造釈迦如来立像は鎌倉の釈迦堂切通しの釈迦堂にあったものという。『鎌倉市の坂③

DSC02900 権之助坂(坂下方向・左側の道) 目黒区1-4と下目黒1-2の間を南東に目黒駅前に上る目黒通り。《地図

江戸時代中期の、菅沼権之助という名主に由来する坂名。

DSC02915 富士見坂(坂下方向) 目黒1-1(都立教育研究所)と目黒1-2の間を東に上る。《地図

Dsc02914 坂上方向

Dsc02910 富士山が望めるという無名の坂(目黒1-3と1-2の間)《地図

Dsc02912 坂下方向

DSC02924 茶屋坂(坂下方向) 三田2-14と2-15の間を曲がりながら北方向に上る。《地図》(茶屋坂の標示の所は新茶屋坂)

別名を爺ケ茶屋坂といい、将軍家光が鷹狩の時に立ち寄った茶屋があった。落語「目黒のさんま」はこれのパロディ。

Dsc02918 坂上方向

Dsc02920 茶屋坂と清水碑

DSC02933 新茶屋坂(坂下方向) 三田二丁目と中目黒2丁目、防衛庁幹部学校の間を東北に上る。

Dsc02935 坂下方向

DSC02942 別所坂(坂上方向) 中目黒1丁目と2丁目の間を東北に上る。《地図

坂下に別所と呼ばれる地名の所があり、坂上は別所台と呼ばれた景勝地だった。えぞ・千島を探検した近藤重蔵の屋敷があり、「新富士」と呼ばれた富士塚があった。長男の近藤富蔵の殺傷事件により、近江国大溝藩に預けられその地で没した。

Dsc02944 坂上方向

Dsc02941 坂下近くから坂上方向

正面の高台まで何度も曲がりながら上る長い急坂。写真では急坂の感じがうまくでない。

Dsc02951坂下方向

Dsc02952 別所坂上(目黒新富士)からの眺望(安藤広重)

目黒新富士

Dsc02953 新富士説明板

Dsc02950 別所坂上の庚申塔

寛文~明和頃(1665~1764)の建立。

Dsc02949 説明板

DSC02959 新富士坂(渋谷区)(坂上方向)  別所坂上から北東に下る。渋谷区恵比寿3-11と3-9の間を北東に下る。《地図

別所坂上の「新富士」に通ずる坂。傾斜はゆるい。『今昔東京の坂』はこの坂を中山坂としている。防衛庁技術研究所一帯は将軍の狩猟地で、お留め山だった。地守の中山勘右衛門の屋敷が坂沿いにあったことに因むという。

Dsc02955 坂下方向

Dsc03292 馬頭観音(新富士坂の途中)

Dsc03293 馬頭観音

DSC02962 新道(しんどう)坂①(駒沢通り)(坂下方向) 中目黒1丁目と上目黒1丁目の間を北に上る駒沢通り。《地図

別所坂と目切坂の間に新しく開かれた坂。『目黒の川と用水と坂の今昔』

DSC02965 新道坂②(東横線と駒沢通りの間)(坂下方向) 《地図

『続江戸の坂東京の坂』、『今昔東京の坂』は、この坂を新道坂とする。

Dsc02963 坂下方向

右側は東横線

Dsc02966 坂下から

DSC02976 けこぼ坂(けころ坂) 中目黒3丁目と上目黒2丁目の間を南西に上る駒沢通り。《地図

①地面の土が崩れ、その痕が凹んでいる状態をこのあたりの古い方言で「けこぼ」といった。【坂標】 ②この辺に「けころ」と呼ばれた売娼婦がいた。『今昔東京の坂』

Dsc02971 バス停は「けこぼ坂上」 

Dsc02969正覚寺

けこぼ坂の坂下近く

Dsc02975天祖神社の庚申塔

左は宝永5年(1708)・右は享保元年(1716)で、九品仏、世田谷方面、目黒不動への道標も兼ねている。

Dsc02974 説明板

日暮里の富士見坂に向かう。

Dsc02979 富士見坂(日暮里)「通行止め」の立看板

Dsc02986 富士見坂(坂上から)

Dsc02987 太陽と富士山の位置

Dsc02995 日暮里富士見坂(《地図》)のダイヤモンド富士(16時30分前後)

太陽が欠けている所が富士山の稜線。「日暮里富士見坂を守る会」にダイヤモンド富士の写真が載っている。

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