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2005年11月12日 (土)

目黒区の坂-3

2005年11月12日(土)

中目黒駅(東横線)・・・なべころ坂・庚申塔・庚申道・・長泉院・・・現代彫刻美術館・・・馬喰坂・庚申塔・・・十七が坂・庚申塔・・・大鳥神社・・・金毘羅坂・・・元競馬場前・・・寄生虫館・・・不動公園・・・三折坂・・・目黒不動男坂・女坂・・・比翼塚・・・林試の森公園・・・石古坂・・・武蔵小山駅(目黒線)→(高輪白金)→(日比谷)→西日暮里駅・・・富士見坂(荒川区)・・・西日暮里駅

 なべころ坂を上り、庚申道を進み現代彫刻美術館の外に展示してある作品を見て十七が坂の坂上に出ました。 この坂の読み方は①じゅうしちがさか②とながさか、坂名の由来は①この坂で17才の娘が殺された。②この坂で転ぶと17才の時に災難に遭う。③17軒の家があった。④急坂なので若者だけが利用した。「じゅうしち」とは目黒の方言で元気な若者という意。など様々です。

 金毘羅坂の途中に寄生虫館がありますが、どうも入る気にはなれません。不動公園から三折坂を下り目黒不動尊の境内に入りました。独鈷の滝から男坂の石段を上り、本堂内、大日如来、八大童子などを見て女坂を下りました。 仁王門そばの白井権八、小紫の比翼塚から林試の森公園、石古坂へ行き武蔵小山駅へ出ました。

 今日も日暮里の富士見坂へダイヤモンド富士を見に行きました。かなりの人が出ていましたがあいにくの曇り空で富士は見えませんでした。

   写真をクリックすると拡大します。

DSC03013 なべころ坂 中目黒4-13と4-14の間を西南に上る。《地図

①昔は鍋が転がるほどの急坂だった。 ②道の粘土状の露出物を「なべころ」といった。

Dsc09952 庚申塔(なべころ坂上)

ここに藤の大木があったことから「藤の庚申」と呼ばれている。左 貞享元年(1684)、右 元禄元年(1688)の建立。

Dsc03017 「藤の庚申」と庚申道の説明板

Dsc03018 現代彫刻美術館(中目黒4-12)

DSC03023 馬喰(ばくろ・ばくろう)坂 目黒3-2と中目黒4-9の間を南西に上る。《地図

①赤土の坂道の凸凹の状態を方言で「ばくろ」という。【坂標】 ②馬車引き泣かせの急坂だった。『今昔東京の坂』

Dsc03020 庚申塔(馬喰坂上)

右から宝永7年(1710)、延宝8年(1680)、宝永3年(1706)、寛保2年(1742)の建立。

Dsc03019 庚申塔説明板

DSC03037 十七が坂  目黒3-5と3-18を北西に上る。《地図

坂名の由来は4説(上述) 東側一帯は旧毛利邸跡。

Dsc09954 庚申塔(十七が坂上)

宝筺印塔型の庚申塔は寛永3年(1626)のもので、都内最古。その前の板碑型庚申塔は明暦3年(1657)で、建立者の筆頭の「権之助」は「権之助坂」の由来となった菅沼権之助らしい。

Dsc03031 庚申塔説明板

DSC03044 金毘羅坂  目黒3丁目と下目黒3丁目の間を南西に上る目黒通り。《地図

坂の西側に目黒三社の一つの金毘羅権現社(明治初年に廃寺)があった。

DSC03047 三折坂  下目黒3丁目の目黒不動の西側と下目黒4-18の間を曲がりながら北に上る。《地図

三つに折れ曲がった坂の形状から。目黒不動への参拝者が下った坂なので、御降坂とも呼んだという。【坂標】

DSC03070目黒不動男坂

DSC03068 目黒不動女坂

男坂に向って右側(東側)

Dsc03067 女坂標

Dsc03059 大日如来(天和3年(1683) ・目黒不動境内)

江戸の鋳物師横山半右衛門尉正重作等の刻名があるそうだ。

Dsc03073 白井権八、小紫比翼塚

DSC03080 石古坂  下目黒5丁目の林試の森公園の東側と西五反田4丁目の間を南方向に上る。《地図

①石ころの多い坂だった。②近くに石河という屋敷があった。

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