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2005年11月21日 (月)

渋谷区の坂-3

2005年11月21日(月)

恵比寿駅(JR山手線)・・・南郭坂・・・ネギヤマ坂・・・ビール坂・・・伊達坂・・・和田・・・恵比寿駅 →原宿駅・・・ネッコ坂・・・勢揃坂・・・観音坂・・・榎坂・瑞円寺・榎稲荷・・・将棋会館・・・八幡坂・鳩森八幡神社・・・聖輪寺・・・千駄ヶ谷駅(JR総武線)

 ネギヤマ坂は明治通りから入り東北寺の方へ上る短い坂で、このあたりにねぎ畑があったそうですが今の周辺の様子からは想像できません。ビール坂は恵比寿橋から曲がりながらサッポロビールまで上る坂です。港区との境付近にある和田坂も短い坂です。和田姓の著名人でも住んでいたのでしょうか? 

 原宿の表参道の南側にあるネッコ坂。細い坂で根っこのように曲がりくねっているのでこの名がついたといいます。外苑西通りから鎌倉街道の勢揃坂に出ました。後三年の役の時、八幡太郎義家がこの坂で軍勢を揃え出陣したという伝承の坂です。坂上に熊野神社、坂の途中に竜厳禅寺、坂下に慈光寺があります。

 観音坂は坂下の聖輪寺の今はなき十一面如意輪観音による坂です。榎坂の由来となった榎稲荷は移築されて坂下近くにあり、お萬榎の石柱、由縁碑もあります。鳩森八幡神社の境内には、富士塚、甲賀神社、将棋堂などがありました。

   写真をクリックすると拡大します。

DSC03318 南郭坂(坂上近く)  東2丁目と3丁目の間を東に上る。《地図

坂上に儒学者服部南郭の別邸「白賁塾」(はくふんじゅく)があった(東2-10)。 邸内には高野マキがそびえていたが、今は切り倒されてその面影はない。南郭の子孫が代々住んでいる。『渋谷の坂』

別名を富士見坂だが今は冨士は望めない。

Dsc03313 坂下方向

Dsc03319_1 服部南郭屋敷の説明板

DSC03322 ネギヤマ坂(坂上方向)  広尾1-5と1-7の間を東北寺に向け、北東に上る。《地図

かつてこの辺にねぎ畑があった。

Dsc03323 坂下方向

DSC03326 ビール坂  恵比寿1-21と1-24の間から4-10と4-25の間へ曲がりながら南方向に上る。坂上はサッポロビール。《地図

明治20年(1887)目黒村三田に開業した日本麦酒醸造有限会社は、商品名を恵比寿ビールと命名し、明治36年に恵比寿荷扱駅を設置した。この年に工場の敷地が渋谷村まで拡張された。ビールを馬車で東京市中に運ぶために恵比寿橋が架けられ、ビール橋、ビール坂と呼ぶようになった。『渋谷の坂』

Dsc03328 坂上方向

Dsc03331 サッポロビール

DSC03340 伊達坂(坂上方向)  恵比寿3-1、3-7と3-2、3-5の間を南に上る。《地図

坂上に享保3年(1718)から伊予宇和島藩伊達家の下屋敷があった。(宇和島城は『四国遍路道(愛媛県③)』に記載) それ以前は長府藩毛利甲斐守綱元の拝領屋敷で約11000坪あったという。(長府毛利邸は『山陽道(長府駅→下関駅)』に記載) 明治22年から伊達跡、その東側を伊達前と称されるようになり、昭和3年に合併して伊達町となった。『渋谷の坂』

Dsc03342 坂下方向

DSC03343 和田坂(坂上方向)  恵比寿2-29と2-30の間を南東に下る短い坂。《地図

由来不明、坂付近に和田姓の著名人か坂に関係した人が住んでいたのか? 和田義盛と関係がある坂なのか?

Dsc03345 坂下方向

DSC03353 ネッコ坂(坂上方向) 神宮前5-12と5-16の間を曲がりながら東南に上る。《地図

坂が木の根っこのように曲がっていることによる。鎌倉道の一部ともいわれる。明治42年に代々木練兵場ができると練兵場に向かう兵隊や、演習を終えて市内へ向かう兵隊で、この狭い坂道が一日中混雑したという。

Dsc03354 坂下方向

DSC03365 勢揃坂  神宮前2-3と2-2の間を南に上る。《地図

後三年の役の時、八幡太郎(源)義家がここで軍勢を整え出陣したという伝承の坂で、『鎌倉街道中の道』の道筋。
この坂に面している国学院高校の校門を、同校は「勢揃坂門」と命名している。 別名を源氏坂

Dsc03361 勢揃坂の説明板

Dsc03360 坂下方向

Dsc00643竜厳禅寺(勢揃坂坂下近く)

DSC03370 観音坂  千駄ヶ谷1丁目と2丁目の間を北西に上る。《地図

聖輪寺の慈覚大師の作(行基の作のと伝もある)と伝える十一面如意輪観音によるが、戦災で焼失してしまった。観音の眼は金だと聞いた賊が盗みに入ったが自分の刀に貫かれて死んでしまった。爾来、「目玉の観音」として崇められたという。『渋谷の坂』

Dsc00646 聖輪寺

今は鉄筋のビルだが広大な敷地で本堂も壮大だったという。

Dsc00644 瑞円寺

DSC03373 榎坂(坂下方向)  千駄ヶ谷2-35、瑞円寺の南側を東北に観音坂の方へ上る。《地図

坂下(千駄ヶ谷2-29)にかつて、俗に「お万榎」と呼ばれていた榎の老巨木があった。江戸初期の大風で折られ、根幹は朽ちて洞穴を開けていたが、不思議にも2本の檗(ひこばえ)(切り株や根元から群がり生える若芽。又生え)を生じて伸長し、それが人間が逆立ちしたような形になったので評判となり、その洞穴に稲荷を祀り、拝むようになった。やがてこの木の形による性的信仰から、子授かり、子育て、縁結び、商売繁盛、金縁など多方面の俗信仰を集めた。今でも柳楊枝や飴などが祀られ、新しい供物や幟を見かける。昔は新宿の遊女や、堀の内詣りの男女のお参りが多かったという。『渋谷の坂』

お万榎の名は、仙寿院を創建した紀州藩主徳川頼宣の生母お万の方がこの木を信仰したことによる。榎の根元に洞窟があり、江戸庶民は「古里大明神」と幟を立てて祀り、色街の信仰が厚かったという。『今昔東京の坂』
房総半島の勝浦城跡(八幡岬公園)にはお万の方の像が立っている。『伊南房州通往還⑤

Dsc03374 坂上方向

Dsc03379 榎稲荷

榎は戦災で焼失してしまったので移築された。

Dsc03377「 江戸名所 お萬榎 榎稲荷」

Img_3980古里大明神」の洞窟だろう。

 2013年7月25日撮影

Dsc03378 由縁碑

お万榎と榎稲荷の縁起と由緒が書かれている。昭和25年5月に仙寿院と瑞円寺で建てたもの。

DSC03389 八幡坂(坂下方向)  千駄ヶ谷3丁目の鳩森八幡神社の北側を北東に上る。左が鳩森八幡。《地図

鳩森八幡は千駄谷八幡ともいい、江戸時代には千駄ヶ谷の総鎮守だった。境内で定芝居が行われ、水茶屋、楊弓場などもあって庶民の遊興の場となっていた。『渋谷の坂』

Dsc03384 坂上方向

Dsc03383 甲賀稲荷神社(鳩森八幡神社境内)

Dsc03381 富士塚

寛政元年(1789)の築造で、都内最古。

Dsc03382 説明板

Img_3986将棋堂

鳩森八幡神社の向いに将棋会館がある。

Img_3985由来記

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