目黒区の坂-4
2005年11月15日(火)
大岡山駅(大井町線)・・・鶯坂・・・鉄飛坂・・・寺郷坂・・・兵庫坂・中根公園・・・蜀江坂・・・どぜむ坂・・・柿の木坂・・・天神坂・北野天満宮・・・氷川神社・氷川坂・・・しとみ坂・・・太鼓坂・・・化坂・・・睦坂・・・谷畑坂・・・自由が丘駅(大井町線)
鉄飛坂と寺郷坂は向かい合う坂です。寺郷は旧地名で「衾の茶屋坂」の別名があります。浄真寺(九品仏)参りの人たち相手の水茶屋があったそうです。
兵庫坂とすぐ北にある蜀江坂。「ひょうご」と「しょっこう」は音が似ています。元はどちらかの坂に名がついていて、その名が転訛してもう一つの坂の坂名になったのではと思いました。後で調べると、『今昔東京の坂』(岡崎清記著)には、現存しない坂名一覧の中で、「兵庫坂(ひょっこ坂)蜀江坂(しょっこ坂)中根2-18と19の間、住宅が建ち、姿を消す。『江戸名所図会』」とありました。しかし、中根2-18と19の間に今も道はあり中根公園の北側を東方向に下っています。
「どぜむ」は、人の名か堂の前かどちらでしょうか? 柿の木坂の由来についても諸説あります。しとみ坂、太鼓坂は呑川緑道から目黒通りに上る直線的で美しい坂です。
化坂の由来については、①文字通り「化」でこの辺で怪異があった。②寺があり井戸があった。③「化」は、崖の古称「ハケ」の当て字で「崖の坂」という意味。④目黒と世田谷をの境を分ける「分け坂」が訛って「ばけ」となり「化」の字を当てた。など諸説があります。目黒通りを渡り、自由通りの睦坂から谷畑坂を下り、自由が丘駅に出ました。
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鶯坂 大岡山1-22と2-6の間を東に上る。《地図》
両側に杉木立と竹林がありウグイスがよく鳴いていた。(目黒区のHP「目黒区の坂一覧表」)
鉄飛坂 平町2-20と大岡山1-37の間を東に上る。《地図》
①旧小字名の「鉄飛」から ②山頂、てっぺんの意から ③坂の近くに、ポルトガル人のテッピョウスが住んでいた。④鉄砲鍛冶がいたともいわれる。
鉄飛坂の庚申塔説明板
説明板の帝釈堂内の庚申塔は非公開だと。
寺郷坂 中根2-5と緑ヶ丘1-1の間を南西に上る。《地図》
旧地名の衾村の寺郷に因る。別名を「衾の茶屋坂」といい、浄真寺(九品仏)参りの人々目当ての4軒の水茶屋があった。『目黒の坂』
兵庫坂 中根2-6と2-7の間を西に、中根公園の北側に上る。《地図》
兵庫は人名だろうか?
中国の蜀江台、蜀江の錦に因むか? 昔の字名は卒古台だった。蜀江坂は新宿区にもある。『新宿区の坂⑥』
どぜむ坂 碑文谷4丁目と丁目5の間を碑文谷交差点あたりから西南に上る目黒通り。坂上は柿の木坂上。《地図》
①坂を開いた土左衛門の名から ②「堂前」の意で、近くにお堂があった。
柿の木坂 柿の木坂1-6と平町1-10の間を北東に上る目黒通り。《地図》
①大きな柿の木があった。②子どもが野菜車から柿を抜き取る「柿抜き坂」が転訛した。③この辺は人家が少なく、夕暮れになると人の往来が絶えさびしい坂だったので、この坂を駆け抜けて通り、「かけ抜け坂」と呼ばれそれが転訛した。 などの説がある。『目黒の坂』
天神坂 柿の木坂1-32と八雲1-2の間を北西に上る。《地図》
坂の東側に北野天神がある。
氷川坂 八雲2-7と2-12の間を南に上る。《地図》
坂下に氷川神社。別名を宮前坂、かつては宮前町だった。
しとみ(しどめ)坂 八雲3-9と3-13の間を南に上る。《地図》
くさぼけ(草木瓜)の異名(しとみ、しどめともいう。)
太鼓坂 八雲3-13と3-22の間を南に上る。《地図》
①昔、斜面が太鼓のような形をしていた。②急坂で太鼓を転がすように、人が坂を転がり落ちた。
①化坂 ②しどめ坂 ③氷川坂 ④谷畑坂 ⑤睦坂
①の化坂を八雲3-5の中の対角線の道と標示してあるが、この道はなかったと思う。
化坂 八雲3-4と3-5の間を西に上る。《地図》
傾斜はほとんどない。坂名の由来は4説(上述)
睦坂 自由が丘1-17と1-22の間を北に上る自由通り。《地図》
谷畑坂 自由が丘2-18と3-6の間を北に上る。《地図》
衾村の旧小字名谷畑(やわた)から
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