世田谷区の坂-1
尾山台駅(東急大井町線)・・・寮の坂・・・八幡塚古墳・宇佐神社・傳乗寺・・狐塚古墳・・・向田坂・・・地頭坂・・・御岳山古墳・・・等々力坂・・・等々力不動・等々力渓谷・横穴墓・・・野毛大塚古墳・・・六所神社・・・明神橋(丸子川)・明神坂・・・稲荷坂(上の写真)・稲荷神社・・・原の坂・・・深沢坂・・・満願寺坂・・・等々力駅(大井町線)
等々力方面の坂と古墳を歩きました。寮の坂には詳しい説明の石板があります。坂下にこの坂にゆかりの傳乗寺があり、今年の3月に完成したばかりのきれいな五重塔があります。
向田坂はどう読むのでしょうか? ムカイダ、ムコウダ、コウデン、ムコンダ、ムコンデなど分かりません。地頭坂は向田坂に向き合う石段の坂です。周辺の丘陵は地頭山と呼ばれていたそうです。この辺は今も静かで昔の面影の残る風景があります。
野毛大塚古墳は全長84mの帆立貝式前方後円墳で、公園になっていて、古墳の上は子供たちの遊び場になっています。明神坂の坂名の由来の六所明神は野毛2丁目に移って六所神社となっています。明神坂は丸子川の明神橋から上る急坂で、曲がりながら上り緩やかになり、坂上から環8通りまで通じています。坂下には明神池がありました。
稲荷坂は上野毛駅近くの環8通りから曲がりながら下る、長くて急な坂です。木々が坂を覆い気持ちのいい坂道です。途中に稲荷神社があります。原の坂は二つの道筋が考えられます。
写真をクリックすると拡大します。
寮の坂(坂上方向) 尾山台1-10と2-11の間を北東に上る。《地図》
昔は傳乗寺は坂の東側の台地上にあり、本堂と並んで僧侶の学寮が建てられたためこの坂名で呼ばれるようになった。今は傳乗寺は坂下の尾山台2-10にある。江戸時代には、この坂は軍用道路として兵馬の往来がはげしかったという。
円墳
傳乗寺五重塔
今年の3月完成したばかり。
円墳、直径40m
円墳、全長57m、5C中頃。
向田坂(坂下方向) 等々力1-15と1-27の間を東に上る。《地図》
田んぼに向う坂の意か? 坂下正面に見える石段が地頭坂。
地頭坂 等々力1-16と1-26の間を西に上る石段。《地図》
周辺の丘陵地帯は地頭山と呼ばれた。この坂を向田坂とする説が多い。
向い正面は向田坂。
等々力坂 等々力1-17と1-20の間を北に上る目黒通り。《地図》
等々力不動尊(等々力1丁目)
野毛大塚古墳(野毛1丁目)
帆立貝式前方後円墳、全長83m、5C前半。
明神坂(坂下から) 上野毛2丁目と野毛3丁目の間を南西に下る。丸子川(六郷用水)の明神橋から上る。《地図》
坂上に野毛2丁目の六所神社に移された「六所明神」があった。坂下に明神池があったが今は埋め立てられいる。
明神坂にあった「六所明神」がここへ移され、野毛の神社と合祀されたそうだ。
稲荷坂(坂下方向) 上野毛2-16と3-6の間を東北に上る。《地図》
坂の途中に稲荷社がある。
原の坂 ①中町2-9と3-1の間を西に、天祖神社の方へ下る上野毛通り。《地図》 ②等々力8-15と8-6の間を東に、東横学園の方へ下る坂。《地図》 ①②の両方の坂か、どちらかの坂? 『今昔東京の坂』は①の坂としている。
小字名による坂名。
深沢坂(坂下方向) 深沢4丁目と5丁目の間を南に上る駒沢公園通り。《地図》
満願寺坂(坂上方向) 等々力駅前近くから北東に、満願寺前を通り目黒通りまで上る。《地図》
正面の満願寺は平安時代末の開創で、室町時代に吉良氏の世田谷城の出城、兎々呂城(トドロジョウ、それとも「等々力」の地名の由来のトドロキか?)に祈願寺として中興したという古刹。現在地に450年くらい前に移転した。
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