板橋区の坂-1
2005年12月20日(火)
赤羽駅(JR京浜東北線)・・・静勝寺坂(北区)・・・弁天坂(北区)・・・三岩通り・・・西が丘競技場・・・岩の坂・縁切り榎・板橋・・・板橋本町駅(都営三田線)→志村坂上駅・・・志村坂・・・清水坂・・・城山の坂・・・熊野神社・志村城址・志村城址坂・・・志村一里塚・・・志村坂上駅
赤羽駅から歩きました。岩の坂は旧中山道で、石神井川に架かる板橋から緩やかに上っています。清水坂は曲がりながら下る緑の多い坂で、旧中山道で江戸を出て最初の急坂でした。
城山の坂は、志村2丁目の志村小学校の前を通る坂です。志村坂上で中山道から分かれ、この坂を下り下練馬宿に通ずる大山道の一部でした。城山とは、千葉氏の志村城で、空濠跡が残っています。志村城址坂は志村城山公園から熊野神社の裏に上る急坂です。熊野神社の社殿の下は古墳(前方後円墳か円墳)らしいです。熊野神社境内の城山幼稚園から帰る親子連れが多く、坂の写真を撮るのに苦労しました。
写真をクリックすると拡大します。
岩の坂 本町の板橋(石神井川)あたりから北方向に上る旧中山道。《地図》
昔、坂の左側に二股の榎の大木が聳え、奥に第六天社があった。今は榎は反対側に移され、3、4代目になっている。坂の両側から樹木が覆い被さり、昼なお暗い不気味な坂だったので「いやな坂」が訛って、「いわの坂」と呼ばれた。別名を縁切坂・いやの坂・宝来坂。『郷土 板橋の坂道』 坂下に石神井川に架かる板橋がある。
10代将軍家治、12代家慶に降嫁の行列はここを避けて根村道を通ったが、二人とも若死した。縁切榎の名は高まり、その樹皮を煎じて飲めば男女の縁が切れるという俗信が生じ、榎の皮を粉にして売る者まであったという。落語『縁切り榎』
石神井川と板橋
「板橋」
志村坂 志村2丁目と小豆沢3丁目の間を南東に上る中山道(国道17号)。《地図》
清水坂 志村2-4と2-7の間を東南に志村坂上に上る。《地図》 隠岐殿坂、地蔵坂ともいう。
坂の中程を左に入った所に大善寺があり、徳川吉宗が鷹狩の折りに休憩して崖より落ちる清水を賞して、寺の本尊の薬師如来を清水薬師と命名したことから清水坂と呼ばれる。隠岐殿坂は大善寺の僧と勧進してこの坂を開いた隠岐守某にちなむ。地蔵坂は坂の中程にあった石の地蔵尊(元禄4年(1691)造立)による。勧進の由来の石碑と地蔵尊は坂上の総泉寺に移されている。 『郷土 板橋の坂道』 大善寺は今はないようだ。坂名は①隠岐殿坂→②地蔵坂→③清水坂と変わった。
中山道で唯一の「右富士」の名所だった。
清水坂『江戸名所図会』
城山の坂 志村2-15と志村小学校の間を東に上る。《地図》
城山の学校といわれた志村小学校の南側を通る坂道で、かなり急勾配な坂です。志村坂上の中山道から分かれ、ここを通り、中台の南坂を登りやがて下練馬宿に至る大山道の一部です。『いたばしの地名』
志村城址と熊野神社説明板
志村城址坂 志村2-16と2-17の志村城山公園の間を東方向に上る。坂上はコパルの工場と熊野神社。志村城址の裏の坂。《地図》
志村一里塚(志村坂上近くの中山道)
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント