豊島区の坂-1
2005年12月17日(土)
駒込駅(JR山手線)・・日光御成道・・・妙義坂・・・妙義神社・・・染井坂・西福寺・・・有松坂・・・木戸坂・・・駒込駅→大塚駅・・・宮坂(文京区との境)・・・さいとう坂・・・あさみ坂・・大塚三業通り・・・大塚駅(JR山手線)
妙義神社は思ったより小さな神社でした。染井坂の西側に有松坂があります。坂名の由来は不明だそうです。木戸坂の坂上に駒込東公園があります。この辺一帯は木戸孝允の屋敷だったそうです。
大塚駅から千川通りを進みさいとう坂を目指しましたが行き過ぎて文京区との区境まで来てしまいました。ここには、無名の急坂が北東方向に上っていました。(この坂は「宮坂」という名らしいです。2006年8月16日追記) 宮坂を上り大塚方面に引き返しながら、何とかさいとう坂に出ました。坂の途中に「さいとう坂」と書かれた石の坂標がありました。土地の所有者の斎藤氏が一部を寄付して作られた坂のようです。
大塚駅方面に戻り、あさみ坂に出ました。直線的に上る急坂です。大塚の三業地(花街)の発展に貢献した「あさみ」という人の名から由来する坂名のようですが、「浅見」なのでしょうか? 花街らしく「あさみ」という女性なのでしょうか。なるほどこのあたりは花街の名残りの風情、匂いを感じさせるところです。→(浅見さんで男性です。ご子息の方から下記のとおりコメントが届きました。(2014年6月18日))
*『東京散歩(豊島区)』・『谷端川跡を歩く』にも記事あり。写真をクリックすると拡大します。
妙義坂 駒込2丁目と3丁目の間を北に下る日光御成道(本郷通り)。《地図》
坂の西側に妙義神社
日本武尊(ヤマトタケル)が東征の折に陣営を構え、大田道灌が出陣に際し戦勝を祈願したというにしては小さな神社だ。
染井坂 駒込2丁目と6丁目の境、西福寺と駒込小の間を南西に上る。《地図》
旧地名の染井村に因る。
ダダイストの辻潤の墓がある。
有松坂 駒込6-20と7-14の間を南西に上る。《地図》
坂名の由来不明
木戸坂 駒込1-21と1-23の間を西に上る。坂上は駒込東公園、坂下近くに木戸坂クリニックがある。《地図》
駒込東公園一帯は、木戸孝允の屋敷だった。
宮坂? 南大塚1丁目と文京区千石3丁目との境を北東に上る。《地図》
「坂学会」の「東京の坂」リスト一覧に載っている坂。坂上は文京区なので「文京区の坂」とする。坂の近辺に神社等が見当たらず、坂名の由来不明。→「ねずみ様」からのコメント(下欄)により、「有栖川宮親王の別邸があったことからつけられた名前」ということが分かりました。(2012年7月7日追記)
さいとう坂 南大塚1-10と1-25の間を東北に上る。《地図》
「初代町会長 秋田金蔵 昭和三七年十月?日」と刻む。
あさみ坂 南大塚1-35と1-33の間を東北に上る。《地図》
花街大塚三業(芸妓置屋・待合・料亭)の発展に貢献した「あさみ」という人の名からついた。「豊島区のHP」
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コメント
【あさみ坂】豊島区南大塚1丁目
浅見坂が残っていた~
私の父が住んでいた所です。
戦時中に埼玉に疎開しました。
父が住んでいた家はどうなっているのだろうか?
今度、見に行って来ます。
投稿: 浅見 | 2014年6月18日 (水) 17:14
なるほど宮様の宮だったのですね。てっきり神社とばかり思っていました。
貴重な情報をありがとうございます。
投稿: ねずみ様へ(坂道散歩) | 2012年7月 7日 (土) 07:21
宮坂の地名の由来は
江戸時代大名屋敷だったこの地に、明治か
ら大正にかけて、維新の東征大総督、有栖川宮親王の別邸があったことからつけられた名前です。この宮家別邸には明治天皇が何度も足を運ばれといいます。坂そのものは昔からあったわけではなく、有栖川宮が亡くなられて後、跡継ぎも絶え、処分された跡地を大正時代に宅地分譲する際に、新たに付けられたものだそうです。
投稿: ねずみ | 2012年7月 6日 (金) 14:56