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2005年12月16日 (金)

杉並区の坂-1

2005年12月16日(金)

西荻窪駅(JR中央線)・・・地蔵坂(御立場坂)・・・原寺分橋・・・善福寺川・・・置田橋・・・薬罐坂①②・・・光明院・・・善福寺川・・・矢来橋・・・尾崎熊野神社・・・三年坂・・・尾崎橋・・・五日市街道・・・ 左内坂・・・善福寺川・・・済美台遺跡・・・郷土博物館・・・大宮八幡神社・・・西永福駅(井の頭線)

 地蔵坂の坂下付近の原寺分橋から善福寺川に沿い、南東方向に歩きました。陽射しを正面から受け暖かい道のりでした。薬罐坂の位置については、何通りかの道筋があるようです。薬罐坂①②としました。

 矢来橋を渡り、尾崎熊野神社から三年坂の坂上に出ました。この坂には立派な坂標が設置してあり詳しい説明文があります。坂は宝昌寺と杉並第二小学校の間を下っています。以前は五日市街道の尾崎橋まで一直線に下る石坂だったそうです。坂下から写真を撮っていると自転車に乗った警官が近づいてきて何を撮っているのかと質問を受けました。子どもの誘拐、殺人事件などが続くので、小学校を撮る不審者と思ったのでしょう。

 五日市街道から南に入り、左内坂から荒玉水道通りへ出て済美台遺跡跡から郷土博物館、大宮八幡神社へ寄り、井の頭線の西永福駅に出ました。

 参考:『善福寺川沿いの寺社史跡

  写真をクリックすると拡大します。

DSC04137 地蔵坂  西荻北4丁目と善福寺1丁目の間を西に上る女子大通り。《地図

坂の途中に地蔵堂があり、「北向地蔵」と呼ばれていた。今は地蔵は観泉寺(今川2丁目)に安置されている。

別名の御立場坂は坂上南の旧家が将軍鷹狩の休息所(お立場)になったことに因む。『東京の坂道』 昔の字名の寺分(てらぶ)に因み寺分坂とも呼ぶ。『今昔東京の坂』

Dsc04133 地蔵坂の説明板

Dsc04141 原寺分橋から善福寺川

DSC04147 薬罐坂①  置田橋(善福寺川)から東から北東に上荻本町通りの方へ上る。《地図》

①他の薬罐坂と同様に、かつては暗く淋しく、野狐(野かんといった)などが出る所だった。野かん→薬罐となった。②雨模様の暗夜にここを通ると真赤に焼けたやかんが坂上から転がり落ちてくるという怪談が伝えられ、子どもたちは恐ろしがった。『杉並の通称地名』

DSC04151 薬罐坂②  南荻窪3丁目と4丁目の間を北に上荻本町通りに上る。《地図

Dsc04154 光明院(上荻1丁目)

「荻窪」の地名発祥由来の寺という。

Dsc01304 尾崎熊野神社(成田西3丁目)

DSC04162 三年坂  成田西3-3の宝昌寺と3-4の杉並第2小学校の間を東に下る。《地図

昔は急坂で近くに寺、墓地があり、この坂で転ぶと3年以内に死ぬという伝承があった。昔は尾崎橋から一直線に宝昌寺北に上っていた。【坂標】

Dsc04158 三年坂説明板

Dsc04167 尾崎橋から善福寺川

DSC04169 左内坂  堀の内3-8と3-13の間、坂の東側に左内坂教会、幼稚園がある。《地図

坂名の由来は不明だが、左内は人名だろう。

Dsc04172 左内坂幼稚園・教会

Dsc04175済美台遺跡説明板

Dsc01305大宮八幡神社

 

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