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2005年12月21日 (水)

板橋区の坂-2・和光市の坂

2005年12月21日(水)

和光市駅(東武東上線)・・・白子坂(和光市)・・・(白子)大坂(和光市)・・・熊野神社・清瀧寺不動院・・・滝坂(和光市)・・・白子橋(白子川)・・・新田坂(板橋区)・・・八坂神社・・・成増駅

 白子坂は和光市と板橋区成増の境あたりにあります。坂下から南西方向に入り、曲がりながら北西に上る長い坂が(白子)大坂です。坂の両側から樹木が被さる急坂で、道幅は広いですが車、人の通行も少ない雰囲気のある坂です。坂の途中に川越街道白子宿の上宿本陣、坂下に中宿本陣があったそうです。

 熊野神社の境内の北側を上ると滝坂の上に出ます。坂上の道路標識にTaKizaKa、とあり濁って呼ぶようです。清瀧寺不動院(通称滝不動)の「白子不動滝」の滝のよる坂名です。 急坂で住宅地の間を下り白子川の方へ続きます。白子橋の手前が川越街道の白子宿の下宿本陣があった所です。白子橋を渡ると新田宿と呼ばれた集落となり緩やかに上り坂となります。かつてはもっと急な坂だったといいます。この坂が新田坂ですが、白子坂と呼ぶ人もいます。坂途中に八坂神社があり、向かいの空き地にこの辺にあった石の地蔵、稲荷の石祠、道祖神、常夜灯を並べて保存、安置してありました。

  写真をクリックすると拡大します。

DSC04375 白子坂(和光市)  白子2-14と2-15の間を北西に上る。《地図

DSC04387 (白子)大坂  白子2-14と2-23の間を南西に上り、カーブして北西に上る川越街道。《地図

Dsc04395 清瀧寺不動院(白子2丁目)

Dsc01311 開運利益洞窟めぐり(不動院内の稲荷大明神)

反対側に抜けられる。

DSC04401 滝坂(坂下方向、正面へ下る坂)  白子2-15と2-17の間を北西に上る。《地図

清瀧寺不動院(通称滝不動)の「白子不動の滝」による。『新編武蔵風土記稿』に、「西北ノ方ヨリ下ル坂ナリ、滝不動ノ側ニアル故ニ名トセリ」とある。

Dsc04399標識

Dsc01312 白子橋から白子川

橋の欄干には白子に移り住んだ童謡詩人、清水かつらの「靴が鳴る」の歌詞が刻まれている。

DSC04410 新田坂(板橋区)  成増2-35と3-37の間を南東に上る旧川越街道。《地図

昔このあたりは成増村の向新田と呼ばれた。かつては急勾配の曲がった道で旅人は難渋して行き倒れも多かったという。そこで新田宿の人たちは石地蔵を建立し供養した。この地蔵は坂の途中にある新田坂の石造物群の中に移されている。『郷土 板橋の坂道』

Dsc04417 新田宿と八坂神社説明板

Dsc01313 八坂神社

Dsc04424 新田坂の石造物群説明板

Dsc04425 道祖神

文久3年(1862)の銘

Dsc04426 稲荷の石祠

Dsc04427 地蔵の丸彫り

これが村人が行き倒れの旅人供養のために建てた石地蔵。「延命地蔵」という。

「白子坂の首欠け地蔵さん」『いたばしの昔ばなし』:いつの頃か、地蔵さんの首が折られてしまった。首欠け地蔵さんを毎日熱心に拝んでいた、旧家「油屋」のおばあさんの夢枕に立った地蔵さんが首のありかを教え、元通りにしてくれと告げた。おばあさんは首を見つけて、地蔵さんは元の姿になったというお話。坂の途中の旧家の油屋は最近まで残っていたようだが見当たらなかった。

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