新宿区の坂-7
2005年12月12日(月)
高田馬場駅(JR山手線)・・・相馬坂・・・氷川神社・・・七曲(囲)坂・・・薬王院・・・久七坂・・・聖母坂・・・西坂・・・霞坂・・・市郎兵衛坂・・・見晴坂・・・六天坂・・・一の坂・・・二の坂(蘭塔坂)・・・三の坂・・・四の坂・・・五の坂・・・六の坂・・・七の坂・・・八の坂・御霊神社・・・妙正寺川・・・中井駅(西武新宿線)
昨日から冷え込んでいます。今日は高田馬場から西へ落合、中井方面の坂を歩きました。地理的にも分かりやすく、住宅地なので車と人の往来もさほどでなく快適な坂道散歩ができました。相馬坂、七曲坂、久七坂は北に上る長く、気持ちのいい急坂です。聖母病院まで直線的に上る聖母坂、坂標はありませんが坂の途中に「クレール聖母坂」というマンションがあります。聖母病院は西洋の建築家の設計による美しい建物です。
市郎兵衛坂は上って下る小さな坂です。電線工事の車が止まっていました。六天坂の坂上近くにマンションが建設中です。建設反対の旗が何本も坂の両側に立っていました。(旗には建築設計事務所は、耐震偽装事件の某事務所と書いてありました)
中井2丁目から西へ、一の坂から八の坂までが並んでいます。どの坂も南方向の西武新宿線、妙正寺川方向へ下っています。四の坂には林芙美子記念館があります。八の坂上の御霊神社内の一本の銀杏の黄葉が見事でした。
二の坂には「蘭塔坂」の別名があります。辞書には「蘭塔」とは、「禅僧の墓標などに用いられる台座の上に卵形の塔身がのせられた墓石。無縫塔・卵塔」とあります。坂上付近に法華宗獅子吼会の本堂がありますが、これと関係がある坂名なのでしょうか?
写真をクリックすると拡大します。
おとめ山(御留山)公園の南側を買い取った相馬家が屋敷を建てた。同じ頃、新井薬師道から相馬邸に開削された坂。【坂標】
氷川神社(下落合2丁目)
七曲坂 下落合2丁目と4丁目の間を曲がりながら北に上る。《地図》
曲がりくねった坂の意。七囲坂ともいう。
薬王院(下落合4丁目)
久七坂 下落合4-3と4-4の間を北に上る。《地図》
坂付近に久七という農民が住んでいたのか。
聖母坂 下落合4丁目と中落合2丁目の間を北に上る。《地図》
坂上に聖母病院がある。坂の途中に「クレール聖母坂」というマンションもある。
スイス人マックス・ヒンデルの設計により、昭和6年の開院。
西坂 中落合2-7と2-8の間を北西に上る。《地図》
字本村の西にあったから。【坂標】
霞坂 中落合2-9、2-10と2-15、2-14の間を北東に上る。《地図》
新しい坂、昔、坂下は一面の水田で春かすみの立つ、のどかな田園風景が美しかった。【坂標】
市郎兵衛坂 中落合2-11から新目白通りから離れ北西に上り、下って2-12で新目白通りに合流する。《地図》
坂名の由来不明、この坂にゆかりのある人の名か【坂標】
見晴坂 中落合1-7と1-11の間を北に上る。《地図》
昔、この坂からの眺望は素晴らしく、特に富士山の雄大な姿は抜群だった。【坂標】
六天坂 中落合1-11と1-14の間を北に上る。《地図》
昔、坂上に第六天の祠が立っていた。【坂標】
一の坂 中井2-4と2-11の間を北に上る。《地図》
二の坂(蘭塔坂) 中井2-11と2-12の間を北西に上る。《地図》
蘭塔とは卵塔で、卵形の墓石。無縫塔のこと。近くの寺に由来するはずだが、坂上近くの法華宗獅子吼会なのか? よく分からない。朝霞市の一乗院の墓地脇にも卵塔坂がある。
三の坂 中井2-12と2-19の間を北に上る。《地図》
四の坂 中井2-19と2-20の間を北に上る石段。《地図》
林芙美子記念館がある。(写真右側の塀) 「放浪記」の林芙美子の「終の棲家」跡。唐津街道の若松には住居跡、広島県尾道市には文学記念室、尾道駅のそばにはブロンズ像・『尾道市の坂①』、東京の世田谷区太子堂には住居跡・『滝坂道①』がある。
五の坂 中井2-20と2-24の間を北西に上る。《地図》
六の坂 中井2-24と2-25の間を北に上る。《地図》
七の坂 中井2-25と2-27の間を北に上る。《地図》
八の坂 中井2-27と2-28の間を北に上る。《地図》
坂上に御霊神社がある。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント