新宿区の坂-3
2005年12月5日(月)
飯田橋駅(JR総武線)・・・神楽坂・・・善国寺・・・三年坂・・・地蔵坂①・光照寺・・・赤城坂・赤城神社・・・ おぼろの坂・・・比丘尼坂・・・地蔵坂②・・・渡邊坂・・・滝の坂・・・宝竜寺坂(幽霊坂)・・・ 焼餅坂・・・銀杏坂・・・新五段坂・・・合羽坂・・・新坂・全勝寺・・・四ツ谷駅(JR中央線)
三年坂は神楽坂の途中から東に下る細く、真直ぐな坂で傾斜は緩やかです。地蔵坂上①の光照寺には坂名の由来となった地蔵像があるそうです。赤城坂は赤城神社から曲がりながら下る坂です。善国寺前の周辺案内図におぼろの坂が載っていました。比丘尼坂の2本東側の道で短い坂です。撮った写真がぶれていて「おぼろ」の感じです。『今昔東京の坂』(岡崎清記著)は朧(おぼろ)坂を比丘尼坂の別名としています。
早稲田通りの地蔵坂②は渡邊坂と続いている坂で、一つの坂のように見えます。坂の近くに地蔵堂でもあったのでしょうか? 早稲田通りから南に上る滝の坂は、細く一直線に伸びた気持ちのいい坂です。傾斜はさほどではありません。宝竜寺坂は石段の坂で別名は幽霊坂ですが、今はそれほど暗い坂ではありません。
外苑東通りを南に行き新五段坂を下り、合羽坂を下りました。新坂を上り靖国通りを東に行き四ッ谷駅に出ました。
写真をクリックすると拡大します。
神楽坂 飯田橋駅南の外堀通りから北西に上る早稲田通り。《地図》
神楽に因んだ諸説がある。神楽を奏した所は、①市谷八幡 ②穴八幡(高田八幡)の御旅所 ③津久戸八幡 ④若宮八幡 ⑤赤城神社 など。
「牛込・神楽坂」
神楽坂『江戸名所図会』
善国寺毘沙門堂
三年坂 津久戸町から神楽坂3丁目と4丁目の間を南西に神楽坂まで上る。《地図》
別名を三念坂
地蔵坂① 神楽坂5丁目から袋町3と10の間を南西に上る。《地図》
光照寺内の子安地蔵に因る。藁を売る店があったので藁坂ともいわれた。【坂標】
赤城坂 築地町から南に曲がりながら赤城神社の西側を南に上る。《地図》
おぼろ(朧)の坂 矢来町120と123の間を北に下る。(比丘尼坂の2本東側の坂、善国寺前の周辺案内板に記載がある坂)《地図》
地蔵坂の位置がおかしい。
比丘尼坂 早稲田通りから矢来町と天神町の間を北に下り、中里町に至る坂。《地図》
①昔、この辺に尼寺があった。『東京の坂道』 ②比丘尼スタイルの私娼がいたのでは。 『今昔東京の坂』
地蔵坂② 天神町から矢来町の間を神楽坂方面に南東に上る早稲田通り。《地図》
由来不明、おそらく近辺にあった地蔵尊にかかわるものと思われる。 【坂標】
渡邊坂 天神町と中里町の間を南に上る。《地図》
坂の東側に旗本渡邊源蔵の屋敷があった。
滝の坂 弁天町と南榎町の間を早稲田通りから南に上る。《地図》(弁天町交差点の所に渡辺坂とあるが、位置が間違っている)
酒井若狭守の上屋敷があり、邸内の池から流水が小滝となって流れ落ちていたことに因る。『今昔東京の坂』
宝竜寺坂 外苑東通りから市谷柳町と弁天町の間を東に上る石段。《地図》
坂上に宝竜寺があった。明治の頃は寺の樹木が繁り淋しい所で幽霊坂とも呼ばれた。【坂標】
焼餅坂 市谷山伏町と市谷甲良町の間を東に上る大久保通り。《地図》
この辺に焼餅を売る店があった。【坂標】
銀杏坂 市谷薬王寺町72と73の間を東に上る。《地図》
坂の北側の、久貝因幡守の邸内に銀杏稲荷があり神木の銀杏の大樹に因む名 【坂標】
新五段坂 曙橋から市谷中之町と市谷本村町の間を北東に上る外苑東通り。《地図》
合羽坂 片町5と6の間を北西に外苑東通りに上る。《地図》
①坂の東南に蓮池という大池があり、雨後などにかわうそが出た。里人が誤って河童と思い、合羽の字を用い坂の呼び名となった。【坂標】
②尾張藩の者たちの合羽干場になっていたためともいう。『今昔東京の坂』
新坂 靖国通りから荒木町22と舟町12の間を南に上る。《地図》(位置表示が間違っている)
全勝寺の地所を削って新しく造った坂。【坂標】
尊王攘夷論者の山県大弐(やまがただいに)墓がある。
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