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2005年12月 7日 (水)

新宿区の坂-4

2005年12月7日(水)

飯田橋駅(JR総武線)・・・軽子坂・・・筑土八幡神社・御殿坂・・・芥(ごみ)坂・・・相生坂・・・瓢箪坂・・・赤城坂・・・朝日坂・・・袖摺坂・・・弁天坂・・・新坂・・・逢坂・掘兼の井・・・若宮八幡神社・・・庾嶺(ゆれい)坂・・・飯田橋駅

 軽子坂は神楽坂の北に平行する坂です。御殿坂上から下る芥坂、ともに小さな坂です。 相生坂は東西に並ぶ二つの坂が対で一つの坂名がついています。白銀公園まで上る瓢箪坂は、坂の形状が瓢箪に似ているというがどうでしょう? 『続江戸の坂東京の坂』(横関英一著)は、この坂名の由来について別解釈をしています。

 朝日坂は旧泉蔵院にあった朝日天満宮によります。袖摺坂下と大久保通りの弁天坂は工事中でした。新坂から逢坂の坂上に出ました。みごとな急坂が下っています。外人の親子が自転車のブレーキをかけながら慎重に下りていきました。坂名の由来は伝説のような恋物語ですが・・・。坂下に掘兼の井があります。こちらも伝説的な話があります。

 若宮八幡神社から下る庾嶺坂は石垣と木々に覆われた美しい坂です。坂標があったはずですが見当たりませんでした。

  写真をクリックすると拡大します。

DSC03702 軽子坂  神楽坂2丁目と揚場町の間を北西に上る。《地図

神楽河岸の揚場から船荷を運ぶ軽子が、この坂に集まっていた。『江戸の坂東京の坂』

「牛込揚場」(「絵本江戸土産」広重画)

DSC03709 御殿坂 筑土八幡町の八幡神社の西側を北に上る。《地図

かつて、この辺は牛込御殿山と呼ばれた。『今昔東京の坂』

Dsc01006筑土八幡神社

DSC03711 芥坂  筑土八幡町3と4の間を南に八幡神社の西側に上る。坂上は御殿坂上。《地図

DSC03714 相生坂(東側)  東五軒町1と白銀町6の間を北東に下る。《地図

平行する2つの坂。別名を鼓坂

DSC03718 相生坂(西側)  赤城元町と東五軒町の間を北東に下る。《地図

DSC03727 瓢箪坂  白銀町と神楽坂6丁目の間を北西へ白銀公園の南側に上る。《地図

①坂の途中がくびれているためその形状から。【坂標】 たしかに坂上の方が膨らんだ形で瓢箪のように見えないこともない。

②昔は子供の下駄に瓢箪の絵を描いたものを売っていた。「ころばずの下駄」といった。転びやすい坂に転ばないまじないの瓢箪という名をつけたのではないか。『続江戸の坂東京の坂』 ちょっと考え過ぎ、こじつけの感がするが。昔は坂の周辺に瓢箪畑でもあったのでは。

 

DSC03730 赤城坂  築地町から南に曲がりながら赤城神社の西側を南に上る。《地図

DSC03737 朝日坂  横寺町15と38の間を北東に早稲田通りに下る。《地図

旧泉蔵院に朝日天満宮があった。『今昔東京の坂』

DSC03739 袖摺坂  大久保通りから横寺町と箪笥町の間を西北に上る。《地図

狭い坂で袖が摺りあうほどであった。【坂標】 今はちっぽけな石段で何の風情もない。

DSC03746 弁天坂  箪笥町の南蔵院の前を西南に上る大久保通り。《地図

南蔵院内に弁天堂があった。【坂標】

DSC03750 新坂  若宮町と袋町の間を南西に上る。《地図

享保16年(1731)、諏訪安芸守の屋敷地の中に新しい道路が造られ新坂と命名された。【坂標】

DSC03759 逢坂  市谷船河原町14と9の間を西に上る。《地図

坂名の由来とされる『美作吾とさねかずらの悲恋伝説』:「昔、武蔵守となってこの地に下った小野美作吾は、さねかずらという美しい娘と恋仲になった。時が経ち美作吾は都へ戻ったが、さねかずらを忘れることなく没した。さねかずらも美作吾のことを思い続け、夢の中の神のお告げにより、この坂で美作吾と逢った。そして生きていることのむなしさを感じたさねかずらは、坂下の流れに入水して死んでしまったという」別名を大坂・美男坂。

『江戸の坂東京の坂』はこの由来話に否定的で、大坂という坂を逢坂にして悲恋物語を創作したのだと。けだし正解だろう。歌枕の地の逢坂(の関)の古歌の一つ、「名にしおはば 逢坂山の さねかづら人に知られで くるよしもがな」を元にしたか。

坂下に「ほりかねの井」があった。ここにも、両親からいじめられ死んでしまった哀れな子の伝説が残る。

Dsc03756 掘兼の井の説明碑

児童虐待は古今東西、止むことなしか。歌枕の「堀兼の井」を通る鎌倉街道(堀兼道)もある。

Dsc01007 船河原町築土神社

ここに掘兼の井戸があった。

DSC03769 庾嶺坂(ゆれいざか) 神楽坂1丁目と市谷船川原町の間を外堀通りから北西に上る。坂上右側に若宮八幡神社がある。別名を幽霊坂・若宮坂・新坂など。《地図

江戸の初期、この坂あたりは美しい梅林で、二代将軍秀忠が中国江西省の梅の名所大庾嶺に因み命名したと伝える。【坂標】 

将軍がわざわざ坂の名をつけるだろうか? 木々の覆い被さる暗い坂で、幽霊坂だったのを逢坂と同じく、閑なえせ文化人が気取ったこの名をつけたのでは。

Dsc01008若宮八幡神社

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