中野区の坂-1
2005年12月14日(水)
中野富士見町駅(地下鉄丸ノ内線)・・・駒ケ坂・・・東坂・・・十貫坂・・・宝仙寺・・・犬坂・・・中野坂上駅(地下鉄丸ノ内線)
駒ケ坂は善福寺川の駒ケ坂橋から南に上る坂です。坂上から方南町通りへ出て、地下鉄車庫の東側の東坂を北に下りました。十貫坂は中野通りの十貫坂上交差点から杉並区和田1丁目に下る坂で、坂名の由来には諸説(5説?)あります。
犬坂の位置については、①中野警察署裏手にある宝仙寺裏の坂とする説(『今昔東京の坂』岡崎清記著・『中野の文化財11「中野の昔話、伝説、民話)の古老の話』。 ②中野坂上東側の山手通りとする説(中野区報第810号昭和59年5月15日)があるようです。また、坂名の由来についても説が分かれます。
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駒ケ坂 弥生町6丁目の駒ケ坂橋(善福寺川)から南西に上る。《地図》
昔の小字名、駒ケ崎に因るか。『今昔東京の坂』
東坂 弥生町5-6と5-7の間を方南通りへ南に上る。坂下は和田見橋。《地図》
十貫(じっかん)坂 本町5丁目と6丁目の間を杉並区和田から北東に上る鎌倉街道(中の道)。《地図》
①昔、中野の長者が十貫文の銭を埋めた。②中野の長者が坂上に立って目の及ぶ限りの土地を十貫文で買った。③江戸時代、銭十貫が掘り出された。この銭は①の中野の長者が埋めた物ともいう。④坂を上る荷物の後押しをすると十貫もらえた。⑤十貫の荷物を持って上れない急な坂だった。 など坂名の由来には諸説ある。
犬坂(宝仙寺裏) 中央2-33の宝仙寺の裏を曲がりながら東に上る。《地図》
①「生類憐みの令」により中野駅を中心に30万坪にわたり野犬のための犬小屋が設けられたことに因むか。『今昔東京の坂』 ②江戸時代の末ごろ、将軍が狩猟のために連れていた猟犬がこのあたりの野犬とかみ合いのけんかをしたため、村人たちが飼い主のいない犬をつかまえてここにつないだことにより名づけられた。『中野区報第810号』
この寺には広南国から8代将軍吉宗に献上された象の頭骨と牙が納められ供養されていたという。昭和20年の戦災で一部を残し焼失したそうだ。(宝仙寺のHP『象と源助さんの話』から) 象は大里の本土渡海口(門司往還)から赤間関(下関)に渡り、山陽道→東海道→中山道→美濃路→東海道→姫街道→東海道と歩んで江戸に入ったのだろう。姫街道には「象鳴き坂」がある。『姫街道③』に記載。
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