八丈島の坂-1
2006年2月17日
護神バス停・・・倉の坂・・・西山ト神居記の碑・・・旧倉の坂・・・護神(三根)・・・護神公園(大賀郷)・・・河口交差点・・・川口坂・・・綴喜が坂・・・優婆夷宝明神社・・・大里の玉石垣・・・陣屋跡・・・為朝神社・・・車(輪)坂・城山・・・横間ケ浦・・・大坂・横間洞門・大坂トンネル・・・三島神社(樫立)・・・庁の坂(井戸の坂)・井戸川・・・地蔵の向いの坂・・・地蔵堂(ぼんさんぱら(盆参原))・・・小坂・・・大神宮・・・富次郎商店バス停
主に、「八丈実記」から坂を拾い出し道筋を調べ、推測して歩いてみました。
護神のバス停から北に進み、「倉の坂」の信号から神湊方向に下るのが現在の倉の坂です。旧倉の坂は坂の途中を東に入り、西山ト神居記の碑の前の小道を北に50mほど行った所から左に入り下る坂です。雑草が生い茂り、道の入口がよく分かりません。草木を押し分けて進むと、途中に石垣の名残りのようなものがあります。坂下は釣宿「あさぎく」の駐車場の脇ですが、崖一面をコンクリートの壁にする工事中で、旧倉の坂の坂下は塞がれてしまったようです。残念です。
護神(三根)、島酒の碑のある護神公園に寄り、八丈島歴史民俗資料館前から河口交差点に出ました。交差点から八重根港の方へ川口坂が下っています。途中から南に優婆夷宝明神社まで上る坂が綴喜が坂でしょう。都道に出て南に進み、八丈八景「大里の晩鐘」の大里の玉石垣、北条氏の陣屋跡を過ぎると左側に為朝神社があります。神社前から横間ケ浦の方へ下るのが車(輪)坂だと思います。坂の北側が城山で、戦国時代に北条、三浦、奥山氏が争った時の城跡だそうです。横間ケ浦まで下って海辺で一休みし、都道に戻り進むと大坂の上りとなります。
横間洞門を過ぎ、大坂トンネルの手前あたりが、八丈八景「大坂の夕照」の展望です。ここから望む八丈富士、八丈小島、そして海の眺めは格別です。トンネルを抜け樫立に入りました。三島神社に参り、社の正面から下る玉石の石段を下りました。これが旧道まで下りる庁の坂(井戸の坂)だと思います。(庁とは三島神社のことです。) 急な石段で保存状態が良くないため、土と落ち葉に覆われている所もあり何度も滑り、下るのに一苦労しました。坂下から見上げると絶壁で、道ではなく玉石垣の崖のようです。
庁の坂下の5~6m先に井戸川の水場跡があります。別名の井戸の坂はこれに因ります。黒砂への道が分岐する少し手前です。ここも草に覆われ注意して見ないと見逃します。都道へ戻り地蔵の向いの坂を上り、「ぼんさんぱら」(盆参原)と呼ばれている地蔵堂に参りました。境内から大神宮に上る小坂の途中に出られます。石畳の小坂を大神宮まで上ると小さな祠の中に天照大神?が鎮座していました。石畳の小坂は都道まで下っていますが、坂下は道路工事中で小坂は途中で途切れています。工事が終われば復旧すると思うのですがどうでしょう。都道を進み「富次郎商店」のバス停に着きました。
《参考文献》 「八丈実記」 近藤富蔵著
「八丈島仙郷誌」 大脇繁吉著
「八丈島探索・学習ガイドブック」 八丈町発行
写真をクリックすると拡大します。
倉の坂 《地図》
旧倉の坂跡(坂上)《地図》
川口坂 《地図》
綴喜が坂 《地図》
車(輪)坂 『八丈実記』第三巻に「大岡郷ノ車坂ニ城ヲ(中略)車輪坂ノ城トハ今ノ城山ナリ」とある。 城内と横間ケ浦の間を荷車が往来した坂か? 《地図》
大坂 《地図》
正面は八丈富士
庁の坂(井戸の坂)の坂上。 三島神社の境内。《地図》(道の標示はない)
地蔵の向いの坂《地図》(道の標示はない)
小坂(大神宮へ上る坂) 《地図》(道の標示はない)
地蔵堂の西側から小坂の途中に出られる。
別所坂(目黒区中目黒1丁目と2丁目の間) 坂上は「別所台」といわれた景勝地。 近藤富蔵の父、重蔵の屋敷があり、邸内に富士塚を作り「目黒新富士」呼ばれていた。ここでの殺傷事件により富蔵は八丈島へ流された。実際は写真で見るよりずっと急坂です。
「元富士」は目切坂にありました。『目黒区の坂①』
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