文京区の坂-3
2006年2月2日(木)
本駒込駅(地下鉄南北線)・・・目赤不動(南谷寺)・・・吉祥寺・・・富士神社・・・神明坂・・・稲荷坂・・・駒込名主屋敷(高木家)・・・動坂・・・むじな坂・・・きつね坂・・・狸坂・・・大給坂・・・アトリエ坂・・・団子坂・・・(藪下通り)・・・汐見坂・・・解剖坂・・・根津裏門坂・・・根津神社・・・新坂(S坂)・・・お化け階段・・・異人坂・・・根津駅(地下鉄千代田線)
南谷寺の目赤不動は江戸五色不動の一つです。不動尊のお堂は扉が開いていて、目赤不動を見ることが出来ます。目は赤くないようです。 吉祥寺には吉三、お七の比翼塚があります。富士神社から不忍通の神明坂を下り、坂下から南方向に稲荷坂を上りました。坂上に「宗十郎稲荷」を祀っている駒込名主屋敷の旧家、高木家があります。
不忍通りを進み動坂を上りました。坂上から南東に「本郷保健所通り」に入ると、むじな坂、きつね坂、狸坂が並んででいます。狸坂だけに坂標が設置されています。あとの二つの坂名は狸に因んでつけられたのでしょう。大給坂は細い、かなり傾斜のある坂で、坂上の公園にある銀杏は昔、大給屋敷にあったものだそうです。アトリエ坂は千駄木3丁目の須藤公園の南側を上る静かな坂です。
車の通行の多い団子坂を上り、ふたたび「本郷保健所通り」(藪下通り)に入ると、鴎外記念図書館があります。図書館と汐見小、中学校の間の坂が汐見坂、昔は東方面が開け海が見えたのでしょう。解剖坂は日本医科大の北側を上る石段坂です。誰が名づけたか面白い坂名です。
根津裏門坂から根津神社へ入り、表門へ抜けると新坂がS字形に曲がって上っています。お化け階段はマンションの奥の段差の違う石段坂で、新しい石段が片側につけられています。明治時代、外国人が多く通ったという異人坂を上り下りし、根津駅に出ました。
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南谷寺目赤不動尊
「江戸五色不動」の一つ
お七、吉三比翼塚(吉祥寺境内)
神明坂 本駒込5-41と5-42の間を西に上る不忍通り。《地図》
旧町名の駒込神明町による。町名は駒込の総鎮守だった天祖神社(旧名神明社)による。
稲荷坂 本駒込4丁目と5丁目の間を南に上る。《地図》
坂上のつきあたりに上駒込村の草分け名主の高木家があり「宗十郎稲荷」を祀っている。
享保2年(1717)築と伝えられる。
屋敷神として祀られている。
動坂(不動坂・堂坂) 本駒込4丁目と千駄木4丁目の間を不忍通りから南に上る。《地図》
もと、坂上の北側に日限地蔵堂があり、目赤不動尊の旧跡といわれる。現在は本駒込1丁目の南谷寺が目赤不動。
むじな坂 千駄木4-4と4-10の間を北東に下る。《地図》
北からむじな坂、きつね坂、狸坂と並ぶ。
きつね坂 千駄木3-17と4-4の間を北東に下る。《地図》
狸坂に対して名付けられたのか。
狸坂 千駄木3-12と3-20の間を南西に上る。《地図》
坂上の千駄木山の一部が狸山といわれた。坂下の根津の谷を挟んで日暮里の台地に諏方神社がある。8月15日の祭礼が終わってもどこからともなく毎夜「里ばやし」が聞こえて、土地の人は狸山の狸のしわざとも言い伝えてきた。
大給(おぎゅう)坂 千駄木3-27と3-28の間を西に上る。《地図》
坂上に大給豊後守の屋敷があった。大給氏は戦国時代に三河国賀茂郡大給を本拠とした豪族で、後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)三河西尾に移封された。
アトリエ坂 千駄木3-4の須藤公園の南側を西に上る。《地図》
『谷根千界隈そぞろあるき地図』の谷根千工房があり、工房のことを「アトリエ」として名づけたのだろう。
団子坂 千駄木2丁目と3丁目の間を西方向に上る。坂下で三崎坂と向き合う。《地図》
団子の茶店があった。幕末から明治末にかけて菊人形で有名で、「自雷也も がま(蝦蟇)も枯れたり 団子坂」(正岡子規)や夏目漱石の『三四郎』にも菊人形を見物する場面がある。『団子坂菊人形の復元』(文京ふるさと歴史観)
「千駄木」
江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』はこの坂のこと。坂上には森鴎外の観潮楼跡(鴎外記念本郷図書館)があり、平塚らいてうの「青鞜社発祥の地」でもある。別名を潮見坂、千駄木坂、七面坂(坂下に七面堂があった)
汐見坂 千駄木1-23の鴎外記念図書館と千駄木2-19の第八中学校、汐見小学校の間を南西に下る。《地図》
解剖坂 千駄木1-3と日本医科大の間を西に上る石段。《地図》
日本医科大のそばの坂なのでこう呼ぶのか。
根津裏門坂 根津1-28の根津神社と千駄木2-2の間を西に上る。《地図》
「根津」
新坂(S坂) 根津1-21と根津神社の間をカーブして西方向に上る。《地図》
森鴎外の小説「青年」に「この坂はS字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。」とあるのを旧制一高生がS坂と呼んだ。根津権現(根津神社の旧称)に下る坂なので権現坂ともいう。
お化け階段 弥生1-18と1-19の間を西に上る石段。《地図》
上り下りするたびに石段の段数が違うという。別名を幽霊坂
異人坂 弥生2-13と2-20の間を西に上る。《地図》
坂上に明治時代、東大の外国人教師の官舎があり、この坂をよく通った。
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