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2006年2月22日 (水)

港区の坂-3

2006年2月22日

麻布十番駅(地下鉄南北線)・・・日向(ひゅうが)坂・・・神明坂・・・綱の手引坂・・・綱坂・・・安全寺・・・潮見坂・・・聖坂・・・蛇坂・・・幽霊坂・・・魚籃坂・魚籃寺・・・伊皿子坂・・・田町駅

 桜田通りの二の橋から東に上る日向坂、道路工事中と車の往来で写真を撮るのに苦労しました。丁度、坂上から真直ぐ東に綱の手引坂が下り、北に神明坂が下っています。坂下の天祖神社が元神明と呼ぶことからついた坂名です。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱の伝説があるのが綱の手引坂と綱坂です。綱坂は三井倶楽部の塀とイタリア大使館の間を南に下る美しい坂です。

 綱坂の坂下を南に進み、慶応大学前の通りを渡り南西方向に細い安全寺坂を上りました。坂上から普連土学園の校舎の間を抜け、潮見坂の坂上に出ました。かつては東方面が開け海が見えたとは、今の周辺の様子からは信じられません。潮見坂を下ると聖坂の坂下近くに出ます。聖坂は南西に上る広く、明るい感じの坂で車の往来もさほどではありません。この坂は古代、中世からの要路だったそうです。竹芝の坂の別名もあります。

 蛇坂は桜田通りから普連土学園まで上る細い坂で、かつては藪があり蛇が出たそうです。桜田通りを南西に進むと寺と墓地の間を細い幽霊坂が南東方向に上っています。ここも道路工事中でした。魚籃坂下の交差点から魚籃坂を上る途中に、坂名の由来となった魚籃観音があるという魚籃寺があります。坂上からは伊皿子坂となり南東に下っています。坂下近くから東海道(第一京浜国道)の高輪大木戸跡の交差点に出て、北に歩き田町駅に着きました。

  写真をクリックすると拡大します。

DSC06129 日向(ひゅうが)坂  三田2-1と2-11の間を東に上る。《地図

江戸時代前期、南側に徳山藩毛利日向守の屋敷があった。『観光マップみなと』

DSC06136 神明坂  三田1-4と1-13の間を北に上る。《地図

天祖神社を元神明ということから呼んだ名。『観光マップみなと』

Dsc06133天祖神社(元神明宮)

DSC06144 綱の手引坂  三田1-4と2-6の間を西に上る。《地図

平安時代の勇士源頼光四天王の一人渡辺綱にまつわる名称。『観光マップみなと』

DSC06152 綱坂  三田2-3と2-4の間を北に上る。《地図

羅生門の鬼退治の渡辺綱がこの付近で生まれたという伝説。『観光マップみなと』

DSC06157 安全寺坂  三田4-1と3-2の間を南西に上る。《地図

坂の西に江戸時代のはじめ安全寺があった。『観光マップみなと』

DSC06161 潮見坂  三田4-14と3-2の間を北西に上る。《地図

坂上から芝浦の海辺一帯を見渡し、潮の干満を知ることができた。『観光マップみなと』

潮見坂『江戸名所図会』

DSC06167 聖坂  三田4-14と4-15の間を南西に上る中原街道。《地図

古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野(こうやひじり)と呼ばれ、寄付をつのるため、高野山から出て諸国を勧進遊行した僧で、近世になると主として乞食僧・行商僧をさすようになった)が開き、その宿所もあったためという。竹芝の坂と呼んだとする説もある。『観光マップみなと』 「竹芝の坂」は『更級日記』に登場する坂で、「今は武藏の國になりぬ。・・・・竹芝といふ寺あり。・・・・「いかなる所ぞ」と問へば、「これは、いにしへ竹芝といふさかなり。・・・・」とある。

聖坂『江戸名所図会』

DSC06177 蛇坂  三田4-1と4-2の間を南東に上る。《地図

付近の藪から蛇の出ることがあったためと想像されている。『観光マップみなと』

DSC06182 幽霊坂  三田4-11と4-12の間を南東に上る。《地図

坂の両側に寺院が並び、ものさびしい坂であるためこの名がついたらしいが有孔坂の説もある。『観光マップみなと』

DSC06192 魚籃坂  三田4-8と高輪1-5の間を南東に上る。坂上は伊皿子坂上。《地図

坂の中腹に魚藍観音を安置した寺があるため。『観光マップみなと』

Dsc06189 魚藍寺

DSC06198 伊皿子坂  三田4-18と高輪2-1の間を北西に上る。

明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝えるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりとも、いいさらふ(意味不明)の変化ともいう。『観光マップみなと』

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