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2006年2月28日 (火)

港区の坂-8

2006年2月28日

麻布十番駅(地下鉄南北線)・・・内田坂・・・暗闇坂・・・大黒坂・大法寺大黒天・・・七面坂・・・一本松・・・狸坂・・・狐坂・・・宮村坂・・・さくら坂(旧玄碩坂)・妙経寺・・・けやき坂・・・桜田神社・・・紺屋・・・中坂・・・北条坂・・・鉄砲坂・・・堀田坂・・・御太刀坂・・・牛(鳴)坂・・・大横丁坂・・・霞坂・・・笄坂・・・根津坂・・・北坂(姫下坂)・・・大松稲荷・・・表参道駅(地下鉄千代田線)

 麻布十番商店街を西北に進み、六本木高校と南山小学校の間の内田坂を上りました。 坂上をさくら坂公園の近くまで行きました。商店街に戻り、暗闇坂を上ると、大黒坂が東へ下り、一本松坂が南西に上り、狸坂が北西に下り、大黒坂の途中から北に七面坂が下っています。まさに坂銀座、坂の交差点です。大黒坂の途中に、大法寺の大黒天、一本松坂には伝説の松(何代目かの)があります。

 狸坂を下ると西に中国大使館の南側へ坂が上っています。無名の坂のようですが、この辺の昔の俗称、大隈山に因み大隅坂とでも呼びたい坂です。この坂の途中から北に上るのが狐坂ですが、今はマンション街の間の坂となっています。狐坂は坂上から宮村坂となり、テレビ朝日通りまで上ります。中国大使館の周辺は、広く何重にも警備の警官に囲まれていて写真を撮るのは無理です。

 六本木ヒルズの建設により玄碩坂が消滅し、同じ道筋がさくら坂と命名されました。「玄碩坂」の名を残しておいてもよさそうにと思うのですが、現代的なシャレタ街には、古めかしい名は似合わないと考え、ありふれた、無難な「さくら坂」にしたのでしょう。坂上近くに妙経寺は今も残っています。けやき坂はヒルズ内を通る新しい坂です。坂上からテレビ朝日通りを渡り、桜田神社に参り、南に進み紺屋坂(芥坂)と中坂を歩きました。平行してテレビ朝日通りに上る坂です。

 中坂の坂上からテレビ朝日通りを南に行くと、愛育病院前の交差点から北西方向に、北条坂が下り、さらに鉄砲坂となり下って外苑西通りまで下ります。鉄砲坂の坂標は北条坂となっています。一つの坂としているのでしょうか。坂下から外苑西通りを渡り、堀田坂を上りました。南西方向に上り右に曲がり高陵中学校の先あたりまで上る長い坂です。 坂下に戻り、北に少し行き神道大教院の北側の御太刀坂と、その北側に平行する牛(鳴)坂を上り下りしました。

 牛坂の坂下から外苑西通りを挟んで大横丁坂が上っています。坂の南側にルーマニア大使館、ギリシャ大使館、ラオス大使館があり、坂上はテレビ朝日通りとなる長い坂です。 坂上から六本木通りへ出、西に霞坂を下り、外苑西通りを渡り笄坂を上りました。人と車の通行の多い所です。坂上、長谷寺の南側から何度が道を間違え、根津美術館に着きました。美術館の北側、南青山4丁目の交差点から美術館沿いに根津坂を下りました。この坂は、一般には北坂(=姫下坂①)とされています。

 坂下を北西方向に進むと青山霊園立山墓地の南側に沿い北坂が上っています。これが伝説の姫下(ひめおり)坂②でしょうか?坂下には青山の庚申塔があります。姫下坂をもう一本北寄りの道筋とする説もあります(姫下坂③)。北坂(姫下坂②)の坂上を西に行き、根津坂上から北方向に進み、大松稲荷を過ぎ、青山通りの表参道駅に着きました。

  写真をクリックすると拡大します。

DSC06664 内田坂 六本木6-16と元麻布3-8の間を北西に上る。《地図

坂の南に下総小見川藩主内田豊後守の屋敷があった。明治以降の坂。『今昔東京の坂』

DSC06672 暗闇坂  元麻布1-1と3-12の間を南西に上る。《地図

DSC06680 大黒坂 元麻布1-2と1-1の間を西に上る。坂下は七面坂上。(暗闇坂の《地図》にある)

DSC06678 大法寺大黒天

大黒坂の途中にある。港区七福神の一つ。

DSC06688 大黒天?

DSC06685 七面坂  麻布十番2-4と2-5の間を南に上る。《地図

東側にあった本善寺に七面大明神の木像があった。

DSC06694 一本松坂  元麻布1-3と2-11の間を南西に上る。坂下は暗闇坂上。暗闇坂の《地図》にある。

源経基などの伝説をもち、古来、植えつがれている一本松が坂の南側にある。『観光マップみなと』 

DSC06691 一本松由来碑

DSC06693 一本松

DSC06701 狸坂  元麻布3-13と2-11の間を南東に上る。坂上は一本松坂下。暗闇坂の《地図》にある。

狸が出没したため。旭坂というのは東へのぼるためか。『観光マップみなと』

DSC06705 無名の坂(大隈坂?)  元麻布2-5と3-6の間を西に上る。中国大使館の南側。《地図

DSC06707 狐坂  元麻布3-5と3-6の間を北西に上る。坂上は大村坂下。《地図

DSC06710 さくら坂(旧玄碩坂(げんせきざか))  六本木6-15と6-12の間を北西に上る。六本木ヒルズ内の坂。《地図

一番下に「玄碩坂」の写真あり。

DSC06712妙経寺(さくら坂坂上)

DSC06716 けやき坂  六本木6-9と6-12の間を西に上る。六本木ヒルズ内。《地図

DSC06721 中坂  西麻布3-8と3-6の間を東に上る。《地図

北条坂と紺屋坂の間の坂。

DSC06726 北条坂  南麻布5-4と西麻布3-8の間を南東に上る。坂下から鉄砲坂が続く。《地図

坂下近く南側に大名北条家の下屋敷があった。『観光マップみなと』

DSC06729 鉄砲坂  西麻布3-10と南麻布5-2の間を南東に上る。【坂標】は北条坂としている。《地図

坂の崖下に鉄砲練習場があった。

DSC06732 堀田坂  西麻布4-8と渋谷区広尾4丁目の間を南西に上る。《地図

江戸時代には、大名堀田家の下屋敷に向って上る坂だった。『観光マップみなと』

DSC06740 御太刀坂  西麻布4-9と4-13の間を西に上る。《地図

坂名の由来不明。

DSC06751 牛(鳴)坂  西麻布4-10と4-11の間を西に上る。《地図

源経基や白金長者の伝説のある笄橋に続く古代の交通路で、牛車が往来したためと想像される。『観光マップみなと』

DSC06761 大横丁坂  西麻布3-16と3-17の間を東方向に上る。ルーマニア大使館、ギリシャ大使館、ラオス大使館の北側。牛坂と向き合う坂。《地図

江戸時代この辺を俗に大横丁と呼んでいた。

DSC06765 霞坂  西麻布1-8と3-20の間を東に上る六本木通り。坂下で笄坂と向き合う。《地図

明治初年に霞稲荷(現桜田神社)から霞町の町名ができ明治20年代に開かれた坂に名付けた。

DSC06768 笄坂  西麻布2丁目と4丁目の間を西に上る六本木通り。《地図

坂下を流れていた笄川の名からついた。『観光マップみなと』

DSC06775 根津坂  南青山4-23と根津美術館の間を北西に上る。《地図》(北坂と標示している)

この坂を北坂、伝説の姫下坂とするものが多い。

DSC06784 北坂(姫下坂)  南青山4-25と4-28の立山墓地の間を東南に下る。《地図

「姫下坂の伝説」 坂上一帯を長者丸といい、渋谷長者の姫と白金長者の息子の恋物語伝説。二人はいつも笄橋で落ち合っていた。いつもは姫は籠でこの坂を下っていたが、時折、籠から下りてこの坂を歩いて下り笄橋まで行ったという。

姫下坂の考えられる三つの道筋。《地図》(①の道筋が一番多い説。 ②は「赤坂区史」・私もそう思う。③は「長者丸通」というらしく、伝説にはぴったしだが傾斜がほとんどないようだった。昔はもっと坂らしかったのだろうか? そうならこの道が姫下坂に一番ふさわしい。『港区歴史散歩』もこの道筋としている。

iGa様からコメント(下記)をいただき、北坂はやはり②の道筋が正しいことが分かりました。坂名の由来は、日向高鍋藩秋月家の下屋敷の北に面していたからです。詳しくは、『彷徨える北坂』で。(2013年8月23日)

 

Dsc06783庚申塔標(北坂の坂下)

Dsc06782 庚申塔説明板

「右へ行けば長者丸通り」とある。姫下坂③の道筋だ。

DSC06789 宮村坂(左)  元麻布3-2と3-3の間を北西に上る。狐坂から続く坂。麻布宮村町による名。《地図

紺屋坂(こんやざか)(右)  西麻布3-5と3-6の間を東に上る。 《地図

こうやざかとも読む。この坂付近に紺屋(染物屋)があったのでこう呼んだ。また江戸時代、坂のがけ下がごみ捨て場だったことから、ごみ坂ともいった。

1997年8月撮影

DSC06790玄碩坂 (左が坂上から 右が坂下から)  六本木6-15と6-14の間を北西に上る坂だった。六本木ヒルズの建設で消滅。《地図》(このあたりにあった)

坂付近に玄碩という僧が住んでいた。

 1997年8月撮影

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2006年2月27日 (月)

港区の坂-7

2006年2月27日

六本木1丁目駅(地下鉄南北線)・・・なだれ坂・・・寄席坂・・・丹波谷坂・・・不動坂・不動院・・・閻魔坂・崇厳寺共同墓地・・・市三坂・・・芋洗坂・朝日神社・・饂飩坂①②・・・鳥居坂・・・見坂・・・於多福坂・・・永坂・・・すべり坂・・・あひる坂・・・麻布十番駅(地下鉄南北線)

 なだれ坂と寄席坂は、北西方向に六本木通りに下ります。丹波谷坂の南に平行する不動坂は途中に不動院があります。閻魔坂は崇厳寺の共同墓地から南西方向に外苑東通りへ上ります。共同墓地の中に閻魔堂があるか分かりませんでした。六本木通りの市三坂を六本木交差点まで上り、南に芋洗坂を下りました。坂の途中に朝日神社がありますが、疱瘡神ではないようです。

 饂飩坂は芋洗坂の途中から北東に外苑東通りに上る坂に坂標が設置してありますが、『続江戸の坂東京の坂』では、六本木6-1と6-7の坂とし、詳しい考証をしています。芋洗坂を南に進み、麻布十番の鳥居坂下に出ました。鳥居坂の坂上から東に入り、潮見坂を曲がって下ると於多福坂の坂下です。一度上って平坦になり、もう一度上る坂です。顔の真中の低いお多福面のようなのでつけられた坂名だそうです。

 坂上を東に行き、永坂を下り再び麻布十番に戻り、すべり坂、あひる坂を歩きました。両方とも短く傾斜もほとんどありません。『今昔東京の坂』に載っている坂ですが、今もこの名で呼ばれているのか疑問です。坂名の由来も不明です。

  写真をクリックすると拡大します。

DSC06545 なだれ坂  六本木3-2と3-4の間を南方向に上る。《地図

流垂・奈太礼・長垂などと書いた。土崩れがあったためか。幸国(寺)坂、市兵衛坂の別名もあった。『観光マップみなと』

DSC06552 寄席坂  六本木3-5と3-4の間を南西に上る。《地図

明治から大正3年まで、坂の途中の北側に福井亭という寄席があった。『観光マップみなと』

DSC06558 丹波谷坂  六本木3-5と3-6の間を東に上る。《地図

元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった。明治初年この坂を開き、谷の名から坂の名称とした。『観光マップみなと』

DSC06564 不動坂  六本木3-6と3-15の間を東に上る。《地図

坂下に不動院があった。『今昔東京の坂』 今でもある。

DSC06560 不動院

DSC06567 閻魔坂  六本木3-13と3-14の間を南西に上る。《地図

坂下にあった?崇厳寺の閻魔堂に因むか。

DSC06572 市三坂  六本木3丁目と4丁目の間を南西に上る六本木通り。《地図

明治20年代に開かれた坂。名主の名がついた市兵衛町と松平三河守忠直邸のあった三河台町との間で両頭文字をとった。『観光マップみなと』

DSC06575 芋洗坂  六本木5丁目と6丁目の間を北に六本木交差点の方へ上る。《地図

正しくは麻布警察署裏へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以降にできて、こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。『観光マップみなと』

Dsc06578 朝日神社

DSC06581 饂飩坂①(坂標のある坂)  六本木5-1と5-2の間を東に上る。《地図

天明年間末(1788年)頃まで松屋伊兵衛という、うどんやがあった。昔の芋洗い坂とまちがうことがある。『観光マップみなと』

DSC06584 饂飩坂② 六本木6-1と6-7の間を西方向に上る。『続江戸の坂東京の坂』はこの坂とします。《地図

この坂は、『観光マップみなと』が昔の芋洗い坂(麻布警察署裏へ上る道)とする道筋です。

DSC06587 鳥居坂  六本木5-12と5-11の間を北東に上る。《地図

江戸時代のなかばまで、坂の東側に大名鳥居家の屋敷があった。元禄年間(1688~1703)ごろ開かれた坂。『観光マップみなと』

DSC06596 潮見坂  六本木5-12と5-14の間を西に上る。《地図

DSC06598 於多福坂(1度目の上り)  六本木5-13と5-14の間を北東に上る。《地図

坂の傾斜が、途中でいったんゆるやかになって、また下ったので、顔のまん中の低いお多福面のようだと名づけられた。『観光マップみなと』

DSC06600於多福坂(上って平になる所、奥に2度目の上り坂が見える。)

DSC06605 坂上から

DSC06610 永坂  六本木5丁目と麻布永坂町の間を北東に上る。《地図

①長い坂であるため。『今昔東京の坂』 ②長坂氏が付近に住んでいた。

DSC06613すべり坂  麻布十番1-6と1-7の間を北に上る。《地図

『今昔東京の坂』に記載のある坂。短く傾斜もほとんどない。坂名の由来不明。

DSC06619 あひる坂  麻布十番1-5を北東に上る。《地図

『今昔東京の坂』に記載のある坂。短く傾斜もほとんどない。坂名の由来不明。

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2006年2月25日 (土)

港区の坂-6

2006年2月25日

四谷駅・・・紀伊国坂・・・九郎九坂・・・弾正坂・・・豊川稲荷・・・牛鳴坂・・・丹後坂・・・稲荷坂(赤坂4丁目)・末広稲荷神社・・・円通寺坂・円通寺・・・薬研坂・・・高橋是清記念公園・・・新坂・・・稲荷坂(赤坂7丁目)・・・三分坂・報土寺・・・乃木坂・乃木神社・・・(埃坂)・・・檜坂・・・本氷川坂・氷川神社・・・氷川坂・・・転坂・・・南部坂・・・桜坂・・・新榎坂・・・鼓坂・・・三谷・・・スペイン坂・・・道源寺坂・道源寺・・・御組坂・・・我善坊谷坂・・・・・・落合・・・合坂・・・江戸見坂・・・汐見坂・・・霊南坂・・・榎坂・・・溜池山王駅(地下鉄南北線)

 きれいなカーブの紀伊国坂を下り、南に九郎九坂、弾正坂を上りました。坂上は青山通りで豊川稲荷があります。青山通りから南西方向に上る牛鳴坂は、今は牛が笑うほどのゆるやかで短い坂です。石段坂の丹後坂を下り、小さな祠の末広稲荷神社まで稲荷坂を上りました。すぐ南側に円通寺坂があります。

 薬研坂は北に下って、青山通りまで上る坂で、形が薬研のようなのがはっきり分かる坂です。高橋是清記念公園を過ぎ、カナダ大使館の西側を南へ新坂を下りました。稲荷坂は坂上を進むと末広稲荷神社へと通ずる坂です。

 三分坂は南東に下り、直角に南西に曲がり下る坂で、曲がってから急坂となります。坂下の報土寺の築地塀は風情があります。この寺には雷電の墓があります。坂下を真直ぐ南西に進み、赤坂小学校の所で赤坂通りに出ました。西に行き乃木坂を上りました。坂上の乃木神社があります。赤坂通りを東の戻り、赤坂6-12と6-16の間という埃(ほこり)坂は傾斜がなく坂とは言えないと思い写真も撮りませんでした。この坂は、「歩いてみたい東京の坂」に載っています。

 檜坂、本氷川坂、氷川坂は平行して南東に上る坂です。転坂は氷川坂の坂下近くから北東に上る坂です。坂上を右に、南東方向へ進み南部坂を下りました。ここが忠臣蔵の「南部坂雪の別れ」の南部坂です。坂下から六本木通りを渡り、いよいよアークヒルズの中に来ました。桜坂を上り、右に曲がる角の所から新榎坂というのが北方向に下っていました。坂下は榎坂です。地図にも載っていない道なので最近できた道、坂名なのでしょう。

 桜坂の坂上付近から南東方向に直線的に上る小さな坂が鼓坂でしょうか。歩道が広く造られてます。坂上正面は大倉集古館です。もう一本南側の霊南坂前の坂とする人もいます。三谷坂は赤坂1丁目と六本木1丁目の間を上る坂で、坂上正面はホテルオークラです。スペイン大使館まで上るスペイン坂はアークヒルズ内に造られた新しい坂です。

 坂下から南に細い、道源寺坂が上っています。昔ながらの空気の漂う空間で、坂上に小さな古びた道源寺もあり隣のアークヒルズとは別次元、別世界にいるようでほっとします。 アークヒルズとその周辺には雁木坂、柳の段々などの坂があったようですが消滅してしまったのでしょう。これも時代の流れといい残念です。

 道源坂上から南西に進み、御組坂を上り更に南西に行き、突き当たって南東方向に我善坊谷坂を下りました。坂下は我善坊谷と呼ばれた所で、三年坂と落合坂の坂下を進むと同じ所へ出ます。落合坂を上ると行合坂の途中に出ます。行合坂は二つの坂が向かい合う形の坂です。北に進んでもう一度、御組坂上、三谷坂上、鼓坂上を通り、霊南坂上と江戸見坂上に出ました。

 アメリカ大使館の警備が厳重で、霊南坂の大使館側の歩道は通行禁止です。先に江戸見坂を下りました。南東に下り、左にカーブして北東に下ります。カーブしてから急坂となります。坂下から汐見坂を上りました。坂上は霊南坂の坂下、榎坂の坂上となります。ここも警備の警官が多いです。霊南坂の写真を撮った直後に警官から注意されました。とぼけて、「何か事件でもあったのか」と聞きくと、「終日この警備をしている。」との答えでした。霊南坂上からの写真はあきらめました。榎坂の写真も無理です。榎坂を下って六本木通りまで出た所で、榎坂の坂下辺りの写真を望遠で撮るのがやっとでした。六本木通りから溜池山王池駅に出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

DSC06362 紀伊国坂  元赤坂2丁目の東宮御所と千代田区の間を北西に上る外堀通り。《地図

坂の西側に紀州家の屋敷があった。赤坂の起源とする説がある。『観光マップみなと』

DSC06372 九郎九坂  元赤坂1-3と1-4の間を南に上る。《地図

一ツ木町の名主秋元八郎左衛門の先祖の九郎九が住んでいた。鉄砲練習場があり鉄砲坂とも呼んだ。『観光マップみなと』

DSC06375 弾正坂  元赤坂1-4の豊川稲荷と元赤坂2丁目の間を南に上る。《地図

西側に代々弾正大弼に任じられた吉井藩松平氏の屋敷があった。『観光マップみなと』

DSC06376豊川稲荷東京別院

DSC06382 牛鳴坂  赤坂4-1と4-8の間を南西に上る。《地図

赤坂から青山へ抜ける厚木通りで、路面が悪く車をひく牛が苦しんだため。さいかち坂ともいう。『観光マップみなと』

DSC06385 丹後坂  赤坂4-2と4-7の間を南東に上る。《地図

元禄(1688年~)初年に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった。『観光マップみなと』

DSC06387 稲荷坂(赤坂4丁目)  赤坂4-13と4-14の間を南西に上る。《地図

坂上近くに末広稲荷神社がある。

DSC06390 末広稲荷

DSC06394 円通寺坂  赤坂4-12と5-2の間を南西に上る。《地図

元禄8年(1695年)に付近から坂上南側に移転した寺院の名称をとった。それ以前に同名の別寺があったともいう。『観光マップみなと』

DSC06393 円通寺

落語「景清」に登場する寺。

DSC06400 薬研坂  赤坂4-17と7-2の間を南に下り、上る。《地図

中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているため。付近に住んでいた人の名で、何右衛門坂とも呼んだ。『観光マップみなと』

DSC06406 新坂  赤坂7-4と8-6の間を北西に上る。《地図

元禄12年(1699年)に開かれた坂。

DSC06410 稲荷坂  赤坂7-5と7-6の間を北東に上る。《地図

円通院境内の旭飛稲荷へ通ずる門があった。坂上に江戸城中清掃役の町があり掃除坂の別名がある。

DSC06418 三分(さんぷん)坂  赤坂5-5と5-7の間を北東に上る。《地図

急坂のため通る車賃を銀3分(さんぷん:100円余)増した。坂下の渡し賃1分に対していったとの説もある。さんぶでは四分の三両になるので誤り。『観光マップみなと』

Dsc06423報土寺

雷電の墓がある。千葉県佐倉市の妙覚寺(旧浄行寺の墓地)にも雷電夫妻と娘の墓がある。長野県東御市、島根県松江市にもあるそうだ。

DSC06425 報土寺の築地塀

DSC06432 乃木坂  赤坂8-11と9-6の間を南西に上る。《地図

大正元年(1912年)乃木将軍の葬儀と同時に幽霊坂という名は廃され、乃木坂に改められた。行合坂、なだれ坂とも呼ばれた。『観光マップみなと』

DSC06438 乃木神社

DSC06446 檜坂  赤坂6-19と赤坂9丁目の檜町公園の間を南東に上る。《地図

檜が多く、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸に添う坂だった。『観光マップみなと』

DSC06450 本氷川坂  赤坂6-10と6-19の間を南東に上る。《地図

坂の途中の東側に本氷川明神があった。明治16年氷川神社に合祀された。

DSC06461 氷川坂 赤坂6-10と6-8の間を南東に上る。《地図

将軍吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面にあたる坂。『観光マップみなと』

DSC06458氷川神社

Dsc06455 氷川神社

DSC06470 転坂  赤坂6-9と6-5の間を南西に上る。《地図

江戸時代から道が悪く、通行する人がよく転んだため。『観光マップみなと』

DSC06475 南部坂  赤坂2-22と六本木2-1のアメリカ大使館宿舎の間を北西に上る。《地図

江戸初期に南部家中屋敷があった。 「忠臣蔵」の南部坂雪の別れ、はこの坂。『観光マップみなと』

Dsc06477 南部坂の坂標

DSC06480 桜坂  赤坂1-11と1-12の間を南東に上る。《地図

坂下に戦災まで大きな桜の木があった。明治の中頃につくられた坂。

DSC06484 新榎坂の坂標

DSC06486 新榎坂  赤坂1-7と1-10の間を榎坂の坂下辺りから南に上る。坂上で桜坂とつながる。《地図

最近開かれた坂か。

DSC06490 鼓坂  赤坂1-11と1-14の霊南坂教会の北側の間を東南に上る。《地図

明治以降の坂か。

DSC06493 三谷坂  六本木1-2と赤坂1-14の間を南東に上る。坂上正面にホテルオークラ。《地図

この辺りは、万延(1860~1861)の頃今井三谷町といった。『今昔東京の坂』

DSC06496 スペイン坂の説明板

DSC06500 スペイン坂  六本木1丁目のアークヒルズの南側を南東に上る坂。《地図

スペイン大使館の方へ上る坂。

DSC06505 道源寺坂  六本木1-3と1-4の間を南東に上る。《地図

DSC06506 道源寺(浄土宗)

DSC06513 御組坂  六本木1-5と1-7の間を南東に上る。《地図

幕府御先手組(おさきてぐみ・戦時の先頭部隊で、常時は放火盗賊を取締まる)の屋敷が南側にあった。『観光マップみなと』

DSC06515 我善坊谷坂  麻布台1-1と六本木1-9の間を北西に上る。《地図

我善坊谷の低地から上る坂。別名を稲荷坂。『今昔東京の坂』

DSC06525 落合坂  麻布台1-4と1-1の間を北西に上る。《地図

我善坊谷へ下る坂で、赤坂方面から往来する人が行きあう位置にある。

DSC06523 行合坂  麻布台1-4、落合坂上から北東と南西に上る。《地図

①双方から行き合う坂 ②市兵衛町と飯倉町の間の坂 『観光マップみなと』

DSC06532 江戸見坂  虎ノ門2-10と4-1の間を南西に上る。《地図

江戸の市街を眺望できた坂。『観光マップみなと』

DSC06538 汐見坂  虎ノ門2-10と2-2の間を北西に上る。《地図

江戸時代中期以前は、海が見えた坂。『観光マップみなと』

DSC06540 霊南坂 赤坂1-10と虎ノ門2-10の間を南西に上る。《地図》 右端は警備の警官と詰め所。

江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名をとったが、いつしか嶺が霊となった。『観光マップみなと』

DSC06541 榎坂坂下の遠望  赤坂1-9と1-10の間を南西に上る。ここにも警備の警官がいる。《地図

一里塚の榎があった。

DSC06543 霊南坂(1997年7月撮影) 坂上付近から

DSC06544 霊南坂(1997年7月撮影) 坂下から  警官の詰め所はある。

DSC06542 榎坂坂上(1997年7月撮影)

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2006年2月24日 (金)

港区の坂-5

2006年2月24日

新橋駅・・・愛宕神社・愛宕男坂・女坂・愛宕新坂・・・切通坂・・・銀杏坂・・・富士見坂・西向観音・東京タワー・・・永井坂・・・土器(かわらけ)坂・・・榎坂・・・雁木坂・・・三年坂・・・西久保八幡男坂・女坂・・・狸穴(まみあな)坂・・・鼠坂・・・植木坂・・・鼬(いたち)・・・六本木一丁目駅(地下鉄南北線)

 愛宕神社男坂の86段の石段は急です。将軍家光の時、曲垣平九郎が馬で上り、下りした(寛永の三馬術)とは信じがたいです。正則高校の北側の切通坂は、落語「芝浜」に「切通しの鐘はどこで聞いたんだい?」で登場します。「時の鐘」のあったという青龍寺は、今も坂の途中にありますが、境内へ入る道が分かりません。(「落語地名事典」は愛宕2丁目の青松寺としています。)

 銀杏坂は東京プリンスホテルの北側を西に上るゆるやかな坂です。南に東京タワーの方へ曲がります。富士見坂は芝公園内の西向観音に上る細い坂らしいです。東京タワーと芝公園の間の坂とする説もあります。永井坂の坂下の飯倉交差点から桜田通りを渡ると、榎坂の上りとなります。桜田通りを南方向に下るのが土器(かわらけ)坂です。

 桜田通りを北に少し行き西に入ると、霊友会の建物に沿って雁木坂と三年坂があります。どちらも石段坂で小さな坂ですが静かで、きれいな坂です。桜田通りへ出て、西久保八幡神社へ参りました。この辺で貝塚跡が発掘されたそうです。男坂から上り、女坂を下りました。

 飯倉交差点へ戻り、榎坂を上りました。ロシア大使館の回りは警備員が何ヶ所にも張り付いています。大使館の西側に沿う狸穴坂を下り、坂下から鼠坂を上り、植木坂を上り下りし、鼬坂を上り外苑東通りに出ました。飯倉片町の交差点を右に曲がり、北に進み六本木1丁目駅に出ました。

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DSC06275 愛宕男坂  愛宕1-5の愛宕神社の86段の石段。《地図

「おっ立つやうに愛宕の男坂」 柳多留 「出世の石段」ともいうそうだ。

愛宕山

愛宕社(男坂・女坂)『江戸名所図会』(正面の石段が男坂、右の斜めの石段が女坂)

DSC06287 愛宕女坂  男坂の右側の石段。

DSC06283 愛宕新坂  愛宕1-3と1-6の間を北西に愛宕神社を巻いて上る。《地図

DSC06273 愛宕神社

DSC06296 切通坂  愛宕2-22と芝公園3-1の間を西方向に上る。《地図

落語の『芝浜』に出てくる坂。

Dsc06290青松寺(愛宕2丁目)

Dsc06295 青龍寺(切通坂の途中、入口がどこか分からず)

DSC06627 銀杏坂  芝公園3-3の東京プリンスホテル前を西から南西に上る。《地図

DSC06308 富士見坂  芝公園4丁目の東京タワーの東側の芝公園内を南に西向観音堂に上る。《地図

DSC06302 西向観音堂

DSC06315 永井坂  芝公園3-6と4-1の間を南東に上る。《地図

明治初期までこの辺を芝永井町といった。

DSC06319 土器(かわらけ)坂  東麻布1-3と1-4の間を北西に上る。永井坂の《地図》にある。

①坂下の赤羽は赤埴(赤土)で土器(かわらけ)職人が住んでいた。②渡辺綱の馬の毛並み。

DSC06322 榎坂  麻布台1-9と2-3の間を北西に上る外苑東通り。永井坂の《地図》にある。

古街道を示す榎があった。

DSC06325 雁木坂  麻布台1-9と1-7の間を西に上る石段。《地図

①階段になった坂 ②敷石が直角に組まれていた。

DSC06329 三年坂  麻布台2-7霊友会釈迦殿の西側の西に下る石段。《地図

DSC06332 西久保八幡男坂  虎ノ門5-10の西久保八幡神社の正面の石段。《地図

DSC06338 西久保八幡女坂  男坂の南側を西に上る。

DSC06335 西久保八幡神社

DSC06340 狸穴坂  麻布台2-1と麻布狸穴町の間を北東に上る。《地図》 ロシア大使館(写真右)の西側に沿う坂。

坂下に狸(まみ・・・雌狸、ムササビ、アナグマ)の穴があった。採鉱の穴という説もある。『観光マップみなと』 

DSC06345 鼠坂  麻布永坂町と麻布狸穴町の間を北に上る。《地図

細長く狭い坂。

DSC06348 植木坂  麻布永坂町と麻布台3-4の間を曲がりながら西に上る。《地図

この付近に菊人形を始めたという植木屋があった。『観光マップみなと』

DSC06354 鼬(いたち)坂  麻布台3-4と3-5の間を北東に上る。坂下は植木坂下。坂上は外苑東通り。《地図

近くの狸穴坂、鼠坂を真似て鼬坂と名付けたのか。

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2006年2月23日 (木)

港区の坂-4

2006年2月23日

麻布十番駅・・・仙台坂・・・奴坂阿衡坂・・・(御)薬園坂・・・釣堀坂・・・絶江坂・曹渓寺・・・新坂・・・青木坂・・・新富士見坂・・・河内坂・・・南部坂・・・木下坂・有栖川宮記念公園・・・広尾駅(地下鉄日比谷線)

 今日歩いた坂には大使館が何ヶ所もありました。二の橋交差点から西に進むと仙台坂の上りとなります。坂の途中の南側に韓国大使館があります。けっこう警備が厳しいです。 坂上から南に入り遍照寺と称念寺の間の奴坂を西に下ると、坂下からは阿衡坂となって上ります。港区設置の坂標は、この坂も奴坂となっています。向き合う一つの坂としているようです。

 奴坂の坂上に戻り南に少し行くと、薬園坂の下りとなります。坂上近くから西へ細い釣堀坂が下って、坂下から石段がついた坂となり上ります。形のいい、静かで雰囲気のある坂です。薬園坂の途中にはイラン大使館があります。後で地図で見ると隣にジンバブエ大使館もあります。薬園坂の坂下から明治通りを東に進み、北に曹渓寺の西側に上るのが絶江坂です。この寺と坂は落語の「黄金餅」に登場する「麻布絶口釜無村木蓮寺」のモデルです。坂名は曹渓寺の名僧絶江和尚に因ります。

 明治通りを西に進み、北に新坂を上りました。坂上にフィンランド大使館があります。坂下に戻り、明治通りを更に西に進んで右に曲がり青木坂の坂下に出ました。フランス大使館に沿って北東方向に上ります。坂上を北に行くと新富士見坂の坂上に出ます。いまでも富士山が見えると、どこかの記事で読んだ気がしますがどうでしょうか? 坂上を北に進み、ドイツ大使館の東側を緩やかに北に上るのが河内坂でしょうか?。河内坂は『江戸の坂東京の坂』では消滅した坂とされています。この道筋の坂ではないかも知れません。

 坂上は南部坂の坂上にぶつかります。坂の北側の有栖川宮記念公園が南部屋敷のあった所です。忠臣蔵でおなじみの南部坂は赤坂の南部坂です。南部藩がここへ移って来たのでこの坂も南部坂と呼ばれるようになったのでしょう。

 南部坂を下り、有栖川宮記念公園の西北側に沿って木下坂を上りました。坂途中を北西方向に入るとノルウエ-大使館、スイス大使館があるようです。公園内を歩いて下り広尾の駅まで行きました。

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DSC06201 仙台坂  元麻布1-5と南麻布1-2の間を西に上る。《地図

坂の南部一帯が、仙台藩伊達家の下屋敷であった。『観光マップみなと』

DSC06203 奴坂  南麻布3-4と3-9の間を東に上る。坂下で阿衡坂と向き合う。《地図

竹ケ谷の小坂で谷小坂、薬王坂のなまりでやっこう坂、奴が付近に多く住んでいた坂の三説がある。『観光マップみなと』

DSC06209 阿衡坂  南麻布3-4と3-9の間を西に上る。【坂標】は奴坂となっている。《地図

徳川将軍の補佐役の阿衡の職にあった保科肥後守の屋敷があった。『今昔東京の坂』

DSC06225 釣堀坂  南麻布3-11と3-9の間を西に下り、上る。《地図

付近に釣堀があったのか。

DSC06211 薬園坂  南麻布3-20と3-21の間を北に上る。《地図

江戸時代前期、坂上の西部に幕府の御薬園(薬草栽培所・小石川植物園の前身)があった。なまって役人坂・役員坂と呼ぶ。『観光マップみなと』

DSC06217 絶江坂  南麻布3-21と2-9の間を北に上る。《地図

承応2年(1654年)、坂の東側へ赤坂から曹渓寺が移転してきた。初代和尚絶江が名僧で付近の地名となり坂名に変わった。『観光マップみなと』

Dsc06219 曹渓寺

赤穂義士の中でただ一人生き残った寺坂吉右衛門夫婦の墓がある。(非公開)

DSC06234 新坂  南麻布3-19と4-11の間を北に上る。《地図

明治20年代に開かれた坂。『観光マップみなと』

DSC06241 青木坂  南麻布4-10と4-11の間を北東に上る。《地図

江戸時代中期以降、北側に旗本青木氏の屋敷があった。『観光マップみなと』

DSC06249 新富士見坂  南麻布4-5と4-10の間を東に上り曲がって北に上る。《地図

江戸時代からあった富士見坂(青木坂)とは別に明治末大正ごろに開かれた坂で富士がよく見えるための名。『観光マップみなと』

DSC06255 河内坂  南麻布4-6とドイツ大使館の間を北東に上る。坂上は南部坂。《地図

DSC06257 南部坂  南麻布4-5と5-7の間を南東に上る。《地図

有栖川宮記念公園の所が、赤坂から移ってきた盛岡城主南部家の屋敷があった。『観光マップみなと』

Dsc06271有栖川宮記念公園

DSC06263 木下坂  南麻布5-7と5-13の間を北東に上る。《地図

北側に、大名木下家の屋敷があり、その門前に面していたため。『観光マップみなと』

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2006年2月22日 (水)

港区の坂-3

2006年2月22日

麻布十番駅(地下鉄南北線)・・・日向(ひゅうが)坂・・・神明坂・・・綱の手引坂・・・綱坂・・・安全寺・・・潮見坂・・・聖坂・・・蛇坂・・・幽霊坂・・・魚籃坂・魚籃寺・・・伊皿子坂・・・田町駅

 桜田通りの二の橋から東に上る日向坂、道路工事中と車の往来で写真を撮るのに苦労しました。丁度、坂上から真直ぐ東に綱の手引坂が下り、北に神明坂が下っています。坂下の天祖神社が元神明と呼ぶことからついた坂名です。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱の伝説があるのが綱の手引坂と綱坂です。綱坂は三井倶楽部の塀とイタリア大使館の間を南に下る美しい坂です。

 綱坂の坂下を南に進み、慶応大学前の通りを渡り南西方向に細い安全寺坂を上りました。坂上から普連土学園の校舎の間を抜け、潮見坂の坂上に出ました。かつては東方面が開け海が見えたとは、今の周辺の様子からは信じられません。潮見坂を下ると聖坂の坂下近くに出ます。聖坂は南西に上る広く、明るい感じの坂で車の往来もさほどではありません。この坂は古代、中世からの要路だったそうです。竹芝の坂の別名もあります。

 蛇坂は桜田通りから普連土学園まで上る細い坂で、かつては藪があり蛇が出たそうです。桜田通りを南西に進むと寺と墓地の間を細い幽霊坂が南東方向に上っています。ここも道路工事中でした。魚籃坂下の交差点から魚籃坂を上る途中に、坂名の由来となった魚籃観音があるという魚籃寺があります。坂上からは伊皿子坂となり南東に下っています。坂下近くから第一京浜国道の高輪大木戸跡の交差点に出て、北に歩き田町駅に着きました。

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DSC06129 日向(ひゅうが)坂  三田2-1と2-11の間を東に上る。《地図

江戸時代前期、南側に徳山藩毛利日向守の屋敷があった。『観光マップみなと』

DSC06136 神明坂  三田1-4と1-13の間を北に上る。《地図

天祖神社を元神明ということから呼んだ名。『観光マップみなと』

Dsc06133 天祖神社(元神明宮)

DSC06144 綱の手引坂  三田1-4と2-6の間を西に上る。《地図

平安時代の勇士源頼光四天王の一人渡辺綱にまつわる名称。『観光マップみなと』

DSC06152 綱坂  三田2-3と2-4の間を北に上る。《地図

羅生門の鬼退治の渡辺綱がこの付近で生まれたという伝説。『観光マップみなと』

DSC06157 安全寺坂  三田4-1と3-2の間を南西に上る。《地図

坂の西に江戸時代のはじめ安全寺があった。『観光マップみなと』

DSC06161 潮見坂  三田4-14と3-2の間を北西に上る。《地図

坂上から芝浦の海辺一帯を見渡し、潮の干満を知ることができた。『観光マップみなと』

潮見坂『江戸名所図会』

DSC06167 聖坂  三田4-14と4-15の間を南西に上る中原街道。《地図

古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野(こうやひじり)と呼ばれ、寄付をつのるため、高野山から出て諸国を勧進遊行した僧で、近世になると主として乞食僧・行商僧をさすようになった)が開き、その宿所もあったためという。竹芝の坂と呼んだとする説もある。『観光マップみなと』 「竹芝の坂」は『更級日記』に登場する坂で、「今は武藏の國になりぬ。・・・・竹芝といふ寺あり。・・・・「いかなる所ぞ」と問へば、「これは、いにしへ竹芝といふさかなり。・・・・」とある。

聖坂『江戸名所図会』

DSC06177 蛇坂  三田4-1と4-2の間を南東に上る。《地図

付近の藪から蛇の出ることがあったためと想像されている。『観光マップみなと』

DSC06182 幽霊坂  三田4-11と4-12の間を南東に上る。《地図

坂の両側に寺院が並び、ものさびしい坂であるためこの名がついたらしいが有孔坂の説もある。『観光マップみなと』

DSC06192 魚籃坂  三田4-8と高輪1-5の間を南東に上る。坂上は伊皿子坂上。《地図

坂の中腹に魚藍観音を安置した寺があるため。『観光マップみなと』

Dsc06189 魚藍寺

DSC06198 伊皿子坂  三田4-18と高輪2-1の間を北西に上る。

明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝えるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりともいいさらふ(意味不明)の変化ともいう。『観光マップみなと』

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2006年2月21日 (火)

港区の坂-2

2006年2月21日

品川駅・・・いちょう坂・・・柘榴坂・・・さくら坂・・・桂坂・・・洞坂・・・幽霊坂・・・桂坂・・・泉岳寺駅(京浜急行)

 品川プリンスホテルの北側のいちょう坂を上りました。ここはホテルの敷地内のようです。 柘榴坂、さくら坂、桂坂は第一京浜国道から西に上る坂です。さくら坂はきれいにカーブして高輪プリンスホテルまで上ります。

 桂坂は高輪2丁目の交差点から西に上る直線的な坂で、途中から南に上り、曲がって南に下るのが洞坂です。桂坂の坂上近くから北に入り、高輪幼稚園の脇を北に下るのが幽霊坂です。今でもこの名で呼ばれているのか疑問です。桂坂に戻り、第一京浜国道まで下り北に進み泉岳寺駅に出ました。駅の北の第一京浜国道のところに江戸時代、高輪大木戸がありました。

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DSC06094 いちょう坂  高輪4-10の品川プリンスホテル内を西に上る。《地図

Dsc06091坂標

DSC06099 柘榴坂  高輪3-13と4-8の間を北に上る。《地図

ざくろの木があったためか。江戸時代はカギ形に曲がり、明治に直通して新坂と呼んだ。『観光マップみなと』

DSC06101 さくら坂  第一京浜国道から高輪3-23を北西に上る高輪プリンスホテル内の坂。《地図

Dsc06102 さくら坂地図

DSC06125 桂坂  高輪2-12と3-19の間を北西に上る。《地図

①むかし蔦葛がはびこっていた。(桂は当て字)②かつらをかぶった僧が品川からの帰途急死した。『観光マップみなと』

DSC06113 洞坂  高輪3-16と3-19の間を曲がりながら北に上る。坂上は桂坂。《地図

この辺の字を洞村といった。昔ほら貝が出たとも、また窪地だから洞という等様々な説がある。『観光マップみなと』

DSC06118 幽霊坂  高輪2-10と2-12の間を南西に上る。

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2006年2月17日 (金)

八丈島の坂-1

2006年2月17日

護神バス停・・・倉の坂・・・西山ト神居記の碑・・・旧倉の坂・・・護神(三根)・・・護神公園(大賀郷)・・・河口交差点・・・川口坂・・・綴喜が坂・・・優婆夷宝明神社・・・大里の玉石垣・・・陣屋跡・・・為朝神社・・・車(輪)坂・城山・・・横間ケ浦・・・大坂・横間洞門・大坂トンネル・・・三島神社(樫立)・・・庁の坂(井戸の坂)・井戸川・・・地蔵の向いの坂・・・地蔵堂(ぼんさんぱら(盆参原))・・・小坂・・・大神宮・・・富次郎商店バス停

 主に、「八丈実記」から坂を拾い出し道筋を調べ、推測して歩いてみました。

 護神のバス停から北に進み、「倉の坂」の信号から神湊方向に下るのが現在の倉の坂です。旧倉の坂は坂の途中を東に入り、西山ト神居記の碑の前の小道を北に50mほど行った所から左に入り下る坂です。雑草が生い茂り、道の入口がよく分かりません。草木を押し分けて進むと、途中に石垣の名残りのようなものがあります。坂下は釣宿「あさぎく」の駐車場の脇ですが、崖一面をコンクリートの壁にする工事中で、旧倉の坂の坂下は塞がれてしまったようです。残念です。

 護神(三根)、島酒の碑のある護神公園に寄り、八丈島歴史民俗資料館前から河口交差点に出ました。交差点から八重根港の方へ川口坂が下っています。途中から南に優婆夷宝明神社まで上る坂が綴喜が坂でしょう。都道に出て南に進み、八丈八景「大里の晩鐘」の大里の玉石垣、北条氏の陣屋跡を過ぎると左側に為朝神社があります。神社前から横間ケ浦の方へ下るのが車(輪)坂だと思います。坂の北側が城山で、戦国時代に北条、三浦、奥山氏が争った時の城跡だそうです。横間ケ浦まで下って海辺で一休みし、都道に戻り進むと大坂の上りとなります。

 横間洞門を過ぎ、大坂トンネルの手前あたりが、八丈八景「大坂の夕照」の展望です。ここから望む八丈富士、八丈小島、そして海の眺めは格別です。トンネルを抜け樫立に入りました。三島神社に参り、社の正面から下る玉石の石段を下りました。これが旧道まで下りる庁の坂(井戸の坂)だと思います。(庁とは三島神社のことです。) 急な石段で保存状態が良くないため、土と落ち葉に覆われている所もあり何度も滑り、下るのに一苦労しました。坂下から見上げると絶壁で、道ではなく玉石垣の崖のようです。

 庁の坂下の5~6m先に井戸川の水場跡があります。別名の井戸の坂はこれに因ります。黒砂への道が分岐する少し手前です。ここも草に覆われ注意して見ないと見逃します。都道へ戻り地蔵の向いの坂を上り、「ぼんさんぱら」(盆参原)と呼ばれている地蔵堂に参りました。境内から大神宮に上る小坂の途中に出られます。石畳の小坂を大神宮まで上ると小さな祠の中に天照大神?が鎮座していました。石畳の小坂は都道まで下っていますが、坂下は道路工事中で小坂は途中で途切れています。工事が終われば復旧すると思うのですがどうでしょう。都道を進み「富次郎商店」のバス停に着きました。

 《参考文献》 「八丈実記」 近藤富蔵

         「八丈島仙郷誌」 大脇繁吉著

         「八丈島探索・学習ガイドブック」 八丈町発行

         『八丈町ホームページ』 

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DSC05945 倉の坂 《地図

DSC05957 旧倉の坂跡(坂上)《地図

DSC05954 旧倉の坂(坂の途中) 石積みの名残りのようなものがある。

DSC05959 旧倉の坂(坂下) コンクリートの壁で塞がれ通行不能。

DSC05975 川口坂 《地図

DSC05980 綴喜が坂 《地図

DSC05988 大里の玉石垣

DSC06005 車(輪)坂  『八丈実記』第三巻に「大岡郷ノ車坂ニ城ヲ(中略)車輪坂ノ城トハ今ノ城山ナリ」とある。 城内と横間ケ浦の間を荷車が往来した坂か? 《地図

DSC06009 大坂 《地図

正面は八丈富士 

DSC06018 大坂・八丈富士・城山(真中のこんもりしている所)

DSC06025 三島神社(樫立)

DSC06026 庁の坂(井戸の坂)の坂上。 三島神社の境内。《地図》(道の標示はない)

DSC06027 庁の坂の途中から坂上を望む。

DSC06032 庁の坂の坂下近くから坂上を望む。

DSC06031 庁の坂の坂下 玉石垣のようで、道とは分からない。

DSC06033 井戸川の水場 庁の坂(井戸の坂)の坂下近く。

DSC06037 地蔵の向いの坂《地図》(道の標示はない)

DSC06040 地蔵堂(ぼんさんぱら)

DSC06043 小坂(大神宮へ上る坂) 《地図》(道の標示はない)

地蔵堂の西側から小坂の途中に出られる。

DSC06047 大神宮の祠の中の天照大神?

DSC02941 「八丈実記」の著者、近藤富蔵ゆかりの坂

別所坂(目黒区中目黒1丁目と2丁目の間)  坂上は「別所台」といわれた景勝地。 近藤富蔵の父、重蔵の屋敷があり、邸内に富士塚を作り「目黒新富士」呼ばれていた。ここでの殺傷事件により富蔵は八丈島へ流された。実際は写真で見るよりずっと急坂です。
「元富士」は目切坂にありました。『目黒区の坂①

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2006年2月14日 (火)

港区の坂-1

2006年2月14日

白金高輪駅(地下鉄南北線)・・・名光坂・・・葭見坂・・・天神坂・・・覚林寺(清正公)・・・日吉坂・・・桑原坂・古地老稲荷神社・・・三光坂・・・蜀江坂・・・明治坂・・・日東坂・・・ねっこ坂・・・白金台駅

 白金高輪駅前の桜田通りの名光坂を南に上り、清正公前近くの葭見坂と天神坂を上りました。葭見坂は坂下が石段の細い坂です。天神坂は昔、南側に菅原道真の祠があったそうです。覚林寺(清正公)に寄り、目黒通りの日吉坂を上りました。坂上から南に桑原坂が下っています。日吉坂の途中から北に入り進むと、名光坂の坂上に出ます。

 名光坂下を西に向い、朝日中学校の西側の蜀江坂を上りました。ゆるやかに曲がる、細めの長い坂で、坂名の由来は新宿区の蜀江坂と同じです。目黒区にも同じ名の坂があります。坂上を西に進むと明治坂の坂上に出ます。曲がりながら北に下っています。坂上を南に行き、外苑西通りを越え自然教育園の手前を西方向に下るのが日東坂です。

 自然教育園の塀に沿い東南に外苑西通りまで上るのがネッコ坂らしいのですが、傾斜はほとんどありません。坂名の由来も不明です。外苑西通りを南に行き白金台駅に出ました。

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DSC05866 名光坂  高輪1-4と白金2-3の間を南西に上る桜田通り。《地図

蛍の名所で名光の地名ができたという。東側下に明治までの名光坂が残る。『観光マップみなと』

DSC05871 葭見坂  高輪1-16と1-17の間を曲がりながら南に上る。《地図

DSC05875 天神坂  高輪1-18と1-23の間を南東に上る。《地図

坂の南側に菅原道真の祠があった。『観光マップみなと』

Dsc05882 覚林寺(清正公)

落語『清正公酒屋』・『井戸の茶碗

DSC05887 日吉坂  白金2-5と白金台1-1の間を南西に上る目黒通り。《地図

能役者日吉喜兵衛が付近に住んでいた。『観光マップみなと』

DSC05890 桑原坂  白金台1-1と3-1の間を北西に上る。《地図

今里村の地名のひとつ。『観光マップみなと』

Dsc05893古地老稲荷神社(桑原坂上)

Dsc05894 古地老稲荷説明板

DSC05897 三光坂  白金2-1と4-4の間を南西に上る。《地図

本来は坂下専心寺の三葉の松にもとづき三鈷坂だったというが、日月星の三光などともいう。『観光マップみなと』

DSC05904 蜀江坂  白金4-6と6-7の間を南西に上る。《地図

坂上の丘を紅葉が美しい中国の蜀江にちなみ蜀江台と呼んだことから。『観光マップみなと』

DSC05917 明治坂  白金6-10と6-16の間を南に上る。《地図

昔からの坂だったが、大正時代になって明治坂と呼ばれるようになった。『観光マップみなと』

DSC05931 日東坂  白金台5-8と5-11の間を南東に上る。《地図

別名を日糖坂。日東紡か日本製糖の用地があった。大正初年に開かれた坂。『観光マップみなと』

DSC05937 ねっこ坂  白金台5-12と5-21の自然教育園の間を曲がりながら南東に上る。《地図

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2006年2月12日 (日)

文京区の坂-8・北区の坂-1

2006年2月12日

護国寺駅(地下鉄有楽町線)・・・希望の坂・・・小篠坂・・・清戸坂・・・薬罐坂・・・幽霊(目白台2丁目)・・・豊坂・・・小布施坂・・・日無坂・・・幽霊坂(目白台1丁目)・・・胸突坂・・・鉄砲坂・・・護国寺駅→池袋駅→赤羽駅・・・清水坂・・・馬坂・旧馬坂・・・石神井坂・・・地蔵坂・・・芝坂・・・三平坂・・・王子稲荷神社・王子稲荷の坂・・・王子大坂(地蔵坂)・・・権現坂・王子神社・・・装束稲荷神社・・・王子駅

 不忍通りから青柳小学校へ上るのが希望の坂です。生徒の命名で、校舎の壁に「希望の坂」の歌が書かれています。小篠坂は雑司が谷霊園まで上る広い坂です。坂下から不忍通りのゆるやかな清戸坂を上りました。途中から南に薬罐坂が上っています。

 清戸坂を更に進み、日本女子大の西側の幽霊坂を南に上りました。コンクリートの塀の間の暗い坂で、坂上は目白通りで豊坂が南に下っています。豊坂は真直ぐ下り左に曲がり、右に曲がるカーブが美しい坂です。坂上に戻り豊明小学校の西側の小布施坂を下りました。すぐ西側に豊島区との境の日無坂が上っています。

 目白通りを東に行き、老松交番の脇から幽霊坂に入りました。新江戸川公園の西側まで下る塀と木立に挟まれた狭く暗い坂で、幽霊坂の名にぴったしの感じです。坂下から神田川沿いに東に進み、駒塚橋から胸突坂の石段を上りました。坂下に水神社、途中に芭蕉庵永青文庫、坂上に和敬塾があります。坂上で目白通りを渡り、北に入り目白台図書館の前から鉄砲坂の坂上に出ました。今日は工事中ではありませんでした。坂下から北に護国寺駅に出ました。

 赤羽駅西口から南に日光御成道(岩槻道)を行き清水坂を上り、環7に出ると馬坂が東に下っています。JRの跨線橋の平和橋から旧馬坂の石段を下り、線路沿いに南に進み、東十条駅北口に石神井坂を上りました。自転車置場のような坂ですが、今日は日曜のせいか自転車は少なめでした。

 日光御成道に出て南に行くと十条富士塚があります。元は古墳だったようです。地蔵坂は曲がりながらJRの線路の方へ下ります。東十条駅南口に坂名の由来の子育地蔵が安置されています。芝坂は南西方向に上り、二つに分かれて更に上る珍しい坂です。アルファベットのYの形の坂です。

 日光御成を進み、名主の滝公園の北側を曲がりながら三平坂を下り、王子稲荷神社の脇の王子稲荷の坂を上りました。かなりの急坂です。王子大坂の坂下には子育地蔵が祀られ,地蔵坂の別名があります。王子大坂の坂下から王子神社へ権現坂を上りました。北本通り近くにある王子稲荷ゆかりの装束稲荷を訪ねました。大晦日に王子稲荷に挨拶に行く狐が、ここにあった榎の木の下で衣装を整えたそうです。

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DSC05686 希望の坂  大塚5-40の青柳小学校へ不忍通りから上る坂。《地図

生徒から坂名を募集して昭和53年に名づけられた。『ぶんきょうの坂道』

DSC05690 小篠坂  大塚5丁目と豊島区雑司が谷の間を北西に上る。《地図

幕府の御鷹部屋の開設による新坂で、笹が繁っていたのだろう。『ぶんきょうの坂道』

DSC05698 清戸坂  目白台2-26と2-15の間を南西に上る。《地図

清戸道(目白通り)に上る坂。『ぶんきょうの坂道』

DSC05704 薬罐坂  目白台2-6と3-18の間を南に上る。《地図

江戸時代、大名屋敷と矢場にはさまれた、さびしい坂道であったのだろう。『ぶんきょうの坂道』

DSC05708 幽霊坂  目白台2-8と2-9の間を南に上る。坂上は目白通り。《地図

DSC05715 豊坂  目白台1-7と1-9の間を曲がりながら北に上る。《地図

坂下に豊川稲荷がある。『ぶんきょうの坂道』

DSC05727 小布施坂  目白台1-15と1-16の間を北に上る。《地図

明治時代、株式の仲買で財をなした小布施新三郎の屋敷が豊明小学校の所にあった。『ぶんきょうの坂道』

DSC04256 日無坂  目白台1-15と豊島区高田1丁目の間を南に下る。《地図

せまい道で両側の樹木の枝葉で、日光もささなかった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05736 幽霊坂  目白台1-1の新江戸川公園と1-4の間を北東に上る。坂上は目白通り。《地図

坂の西側に本住寺があり墓地があった。『ぶんきょうの坂道』

Dsc05741 神田川(駒塚橋から)

Dsc05747 水神社

右側が胸突坂

Dsc05744説明板

DSC05748 胸突坂  目白台1丁目と関口2丁目の間を駒塚橋から北東に上る。《地図

別名を水神坂

DSC05759 鉄砲坂  関口3丁目と目白台3丁目の間を西に上る。《地図

江戸時代、的場(鉄砲の射撃練習場)があった。『ぶんきょうの坂道』

***ここからは北区の坂***

DSC05762 清水坂 北区中十条4-13と4-14の間を南に上る。《地図

昔は大半が切通し道で古木が茂り、崖から清水がしたたり落ちていた。公園あたりは貝塚遺跡。『北区の坂道』

DSC05769 馬坂  中十条3丁目と4丁目の間を南西に上る環7通り。《地図

急坂で荷馬が立往生した。『東京の坂道』

DSC05776 旧馬坂  馬坂のJRの平和橋の西側からJRの線路沿いに南方向に下る石段。《地図

DSC05779 石神井坂  JR東十条駅北口の線路脇から中十条3-16と3-17の間を北西に上る。《地図

坂名の由来不明

Dsc05784 十条富士塚

Dsc05783 富士塚説明板

DSC05791 地蔵坂 東十条駅東口から曲がりながら南西に上る。《地図

坂の途中に石地蔵が立っていた。現在は駅前の祠に安置。

Dsc05788 子育地蔵

DSC05799 芝坂(北側の坂)  岸町2-8と2-9の間を南西に上り左右に分かれ上る。 《地図》(ここから左右に分かれて上る)

相生坂のA型(横関英一の分類) 坂名の由来不明

DSC05805 芝坂(南側の坂)

DSC05811 三平坂  岸町2-1と1-15の間を南西に上る。《地図

三平村の名から。『北区の坂道』

DSC05820 王子稲荷の坂  岸町1丁目の王子稲荷の南側を南西に上る。《地図

Dsc05823王子稲荷神社

落語『王子の狐』にも登場する。

王子稲荷社

DSC05832 王子大坂  王子本町1-25と1-26の間を北西に上る。《地図

別名を宇都布坂、うつり坂、地蔵坂。日光御成街道(岩槻街道)の古道。坂下に子育地蔵。坂下には上郷用水が流れ、三本杉橋が架かっていた。うつり坂はうとう坂の転訛。『北区の坂道』 「うとう」はアイヌ語で突端とか出崎の意。「うつり」は崖の意。

Dsc05830 子育地蔵(王子大坂の坂下)

王子大坂の別名の由来となった。

DSC05846 権現坂  王子本町1-1と1-24の間を西に上る。《地図

王子権現(王子神社)の表門への道。現在の坂の途中から南に分岐した小坂が残る。『北区の坂道』

Dsc05848王子神社

Dsc05858 装束稲荷神社

大晦日、関八州の狐が、かつてここにあった大きな榎(装束榎)の下で装束を整え王子稲荷に初詣に向ったという。

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2006年2月11日 (土)

文京区の坂-7

2006年2月11日

茗荷谷駅(地下鉄丸の内線)・・・茗荷坂・林泉寺(縛られ地蔵)・・釈迦坂・徳雲寺・・藤坂・伝明寺(藤寺)・・・宗四郎稲荷・蛙坂・・・切支丹坂・・・庚申坂・・・浅利坂・・・荒木坂・・・新坂・・・金剛寺坂・・・薬罐坂・・・横町坂・・・服部坂・・・大日坂・妙足院大日堂・・・目白坂 ・・・目白新坂・・・七丁目坂・・・尾坂・・・鉄砲坂・・・三丁目坂・・・護国寺駅(地下鉄有楽町線)

 茗荷坂を下り、地下鉄丸の内線の線路沿いの釈迦坂、藤坂、蛙坂を歩きました。この辺は地下鉄は地上を走っています。蛙坂の坂上を進み切支丹坂の坂上に出ました。坂を下り、地下鉄のガードをくぐると庚申坂の石段が上っています。

 切支丹坂の坂上に戻り南に少し行くと、浅利坂が東に下っています。この坂は現存しない坂とされているのが一般的ですが、道路に設置してある案内地図には浅利坂が載っています。小日向1-14と1-3を東に下る坂で、実際短い坂があります。荒木坂の北側です。

 荒木坂を下り、巻石通りを東に行き、新坂と金剛寺坂を上りました。共に北に上る坂です。巻石通りを引き返し、もう一度荒木坂を上り、西に入り薬罐坂を南に下りました。傾斜はゆるいですが、寺と墓の間の坂で、昔は暗く、野狐(野豻-やかん)が出るような寂しい所だったのでしょう。坂下を南に少し進み、横町坂を西に上りました。坂上で服部坂の途中にぶつかります。北に上る服部坂の坂上近くに小日向神社があります。

 坂下から巻石通りを西に進み、先日寄るのを忘れた大日坂の由来となった妙足院の大日堂に寄りました。堂の扉は少し開いていて、大日如来が拝めました。小さな座像ですが、気品のある穏やか顔立ちのように見えました。

 巻石通りを更に西に行き、音羽通りを渡り、西に目白坂を上りました。右側に並ぶ大泉寺、永泉寺、正八幡神社を過ぎ、椿山荘の先で目白通りと交わる長い坂です。目白坂の北側の目白新坂は目白通りの坂でこれも長い坂です。さらに北側に、七丁目坂、鳥尾坂、鉄砲坂、三丁目坂が並びます。いずれも西方向に上る坂」です。

 七丁目坂は途中が石段になっています。鳥尾坂は、「鉄砲坂が急坂すぎるので、新しく開かれたと」と坂標の説明文には書いてありますが、道幅は広いですがかなりの急坂です。 たしかに鉄砲坂は細すぎて、車の往来は大変だったでしょう。工事中で写真を撮りづらかったです。右にカーブして上る三丁目坂を上り下りして護国寺駅に着きました。今日は暖かで歩きやすかった半日でした。

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DSC05544 茗荷坂  小日向3-4と4-9の間を北に上る。《地図

付近は茗荷畑が多かった。

Dsc05548 林泉寺の縛られ地蔵

Dsc05549 縛られ地蔵説明板

大岡政談の「縛られ地蔵」は葛飾区東水元の南蔵院にある。ここの地蔵さんよりもっと縄を巻かれている。『岩槻慈恩寺道』に記載。

DSC05553 釈迦坂  小日向4-4と4-9の間を北に上る。坂下で蛙坂と向き合う。《地図

徳雲寺に釈迦の石像がある。『ぶんきょうの坂道』

DSC05556 藤坂  小日向4-3と4-4の間を北東に上る。《地図

坂下の伝明寺が「藤寺」の俗称で呼ばれる。『ぶんきょうの坂道』
富士山が望めたので富士坂、このあたりは湿地帯で河童(禿(かむろ))がいたので禿坂とも呼ばれた。

Dsc05557藤寺(伝明寺)

Dsc05562 宗十郎稲荷

DSC05563 蛙坂  小日向1-26と1-25の間を曲がりながら南に上る。《地図

坂の東側は崖で湿地帯で、蛙が集まっていた。ある時、蛙の合戦があったので蛙坂と呼ぶようになった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05574 切支丹坂  小日向1-16と1-24の間を西に上る。《地図

坂上に切支丹の牢屋敷があった。幽霊坂の別名がある。『ぶんきょうの坂道』

DSC05575 庚申坂  春日2-9と小日向4-1の間を東に上る石段。《地図

昔、坂下に庚申の碑があった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05584 浅利坂  小日向1-14と1-3の間を東に下る。《地図

付近に住んだ人、屋敷の名か。

Dsc05580 浅利坂地図

DSC05589 荒木坂  小日向1-1と1-4の間を北に上る。《地図

坂上に荒木志摩守の屋敷があった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05611 新坂  春日2-7と2-8の間を北東に上る。《地図

坂上の西側に徳川慶喜が明治34年以後、没する大正2年まで住んだ。別名を今井坂 『ぶんきょうの坂道』

DSC05619 金剛寺坂  春日2-4と2-5の間を北東に上る。《地図

坂上の東側に永井荷風が生まれた。『ぶんきょうの坂道』 金剛寺は今はない。

DSC05592 薬罐坂 小日向1-10と1-11の間を北に上る。《地図

野狐(野豻-やかんが出て人をたぶらかすような淋しい場所だった。転じて湯を沸かす薬罐となった。)

DSC05599 横町坂  小日向1-6と1-8の間を西に上る。《地図

組屋敷の間の横町の坂。『ぶんきょうの坂道』

DSC05605 服部坂  小日向1-7と1-16の間を北に上る。《地図

服部氏の屋敷があった。

Dsc05621 大日坂下の妙足院大日堂

Dsc05622 大日如来

Dsc05606 小日向神社(服部坂上)

DSC05632 目白坂  関口2-2と2-3の間を西から北西に上る。《地図

目白坂『江戸名所図会』

DSC05645 目白新坂  関口2丁目と目白台3丁目の間を西から北西に上る目白通り。《地図

明治になり開かれた坂。別名を椿坂、椿山の旧跡に上る坂。『ぶんきょうの坂道』

DSC05653 七丁目坂  関口3-1と3-3の間を南西に上り、曲がって北西に上る。途中に石段の所がある。《地図

旧音羽7丁目と6丁目から上る坂。『ぶんきょうの坂道』

DSC05660 鳥尾坂  関口3-9と3-11の間を西に上る。《地図

鳥尾家が私財を投じて開いた坂。『ぶんきょうの坂道』

DSC05670 鉄砲坂  関口3丁目と目白台3丁目の間を西に上る。《地図

江戸時代、的場(鉄砲の射撃練習場)があった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05680 三丁目坂  目白台3-5と3-29の間を西に上る。《地図

旧音羽町3丁目から上る坂。『ぶんきょうの坂道』

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2006年2月 9日 (木)

文京区の坂-6

2006年2月9日

大塚駅・・・開運坂・・・吹上稲荷・・・富士見坂・・・付属横坂・・・鼠坂・・・八幡坂・今宮神社・・・鷺坂・・・大日坂・・・華水橋・・・比丘尼坂(新宿区)・・・神楽坂駅(地下鉄東西線)

 大塚駅から南に上り、地下鉄の新大塚駅の所で春日通りを渡り右に入り、坂下通りから開運坂を上りました。坂下通りを南に進むと吹上稲荷があり、その先で不忍通りの富士見坂の途中に出ました。坂標には、「秋冬の晴れた日には、今でも坂の一部から美しい富士山が望まれる。」とあります。本当でしょうか?、坂標の設置が平成14年ですから、古い話しではありません。

 付属横坂は音羽通りから東に、筑波大附属中学、高校の北側を上る坂です。左にカーブし、苔の生えた高い石垣の間を上る坂で、緑の多い美しい坂です。ただ名前が美しくありません。坂下あたりから南に入り、鼠坂の石段を上り、八幡坂の石段を下り、今宮神社から鷺坂の坂下に」出ました。鷺坂は左に曲がり右に曲がる坂で、坂上付近は久世山と呼ばれ、京都山城の「久世の鷺坂」に由来する坂名です。

 鷺坂の坂上を進み大日坂の途中に出ました。坂名の由来となった大日堂のある妙足院に寄るのを忘れてしまいました。(2月11日再訪「文京区の坂-7」) 坂下から華水橋、山吹町を通り、中里町に入り比丘尼坂を上り神楽坂の駅に着きました。

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DSC05469 開運坂 大塚5-30と6-11の間を南西に上る。《地図

吉兆を願っての命名か。

 

Dsc05473 吹上稲荷

かつては、吹上坂(小石川4丁目)の善仁寺内にあった。

 

DSC05474 富士見坂 大塚2丁目と5丁目の間を北東に上る。《地図

【坂標】は、秋冬の晴れた日には、富士の一部が見えることがあると記しています。

 

DSC05485 付属横坂 大塚1-10と2-2の間を東に上る。《地図

筑波大付属高・中学とお茶の水女子大の間。

 

DSC05490 鼠坂 音羽1-10と1-13の間を東に上る石段。《地図

細長くて、狭く鼠の通るような坂。

 

DSC05497 八幡坂 音羽1-6と小日向2-25の間を北に上る石段。《地図

以前あった田中八幡宮による。田中八幡は日輪寺(小日向1-4)境内にあった氷川神社と合祀して服部坂上の小日向神社になった。『今昔東京の坂』

 

Dsc05498 今宮神社

 

DSC05501 鷺坂 音羽1-2と1-1の間を北東から北西に上る。坂下で目白坂と向き合う。《地図

下総関宿藩主の久世大和守の下屋敷があって、久世山と呼ばれた。坂の近くに住んでいた堀口大学、三好達治、佐藤春夫などによって、万葉集に歌われた山城国の「久世の鷺坂」(「城陽市の坂」(2008年6月1日))と結びつけ名づけられた。『ぶんきょうの坂道』 文化人たちが万葉集の「久世の鷺坂」の古歌と結びつけてたわむれに名づけた坂名で、久世大和守もこの坂も、山城の京都府城陽市久世の「久世の鷺坂」とは無縁だ。それとも関連づけたのだから有縁か。

 

Dsc05500 鷺坂碑

 

DSC05508 大日坂 小日向2-17と2-18の間を北に上る。《地図

妙足院の大日堂に因む。『ぶんきょうの坂道』

大日坂『江戸名所図会』

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2006年2月 5日 (日)

文京区の坂-5

2006年2月5日(日)

千石駅(都営地下鉄三田線)・・・猫又坂・・・白鷺坂・・・氷川坂・簸川神社・・・網干坂・・・湯立坂・・・団平坂・・・播磨坂・・・吹上坂・・・三百坂・・・安藤坂・・・北野神社(牛天神)・牛坂・・・富坂・・・こんにゃくえんま(源覚寺)・・・堀坂・・・六角坂・・・善光寺坂・善光寺・澤蔵司稲荷・伝通院・・・新坂・・・新壱岐坂・・・壱岐坂・・・金毘羅神社・金毘羅坂・・・忠弥坂 ・・・お茶の水坂・・・建部坂・・・富士見坂・・・油坂・・・御茶ノ水駅

 今日は冷え込んでカメラを持つ手が痛いくらいです。猫又坂と白鷺坂は不忍通りの坂で坂下で向き合っています。氷川神社に上る氷川坂。小石川植物園の北西側の網干坂は緑の多い長い急な坂で、坂下で湯立坂と向き合います。湯立坂はカーブが美しい形のいい坂で、ここも木々の多い歩いていて気持ちのいい坂です。

 団平坂は小石川図書館脇の小さな坂、播磨坂は広く長い坂で、春日通りから小石川植物園まで下っています。坂下から吹上坂が分かれ、これも春日通りまで上ります。三百坂は学芸大竹早中学、高校脇の坂で、面白いいわれがあります。春日通りに出て伝通院の前から南に安藤坂を下り、北野神社(牛天神)の石段を上りました。境内で甘酒をごちそうになり、「北野の紅梅」というお饅頭をひとついただきました。神社脇の牛坂を上り春日通りの富坂の坂上に出ました。

 坂下あたりから北に入り、堀坂、六角坂、善光寺坂と進みました。善光寺坂には善光寺、澤蔵司稲荷、そして坂上に伝通院があります。善光寺坂を下り、「こんにゃくえんま」の源覚寺に寄り、富坂下から白山通りを南に行き、新壱岐坂の坂下から東に新坂の石段を上りました。

 新壱岐坂に出て、坂の途中から東方向に壱岐(旧壱岐坂)を上りました。新壱岐坂を挟んで(旧)壱岐坂は白山通りまで下ります。坂下あたりから南に入ると金毘羅神社があります。神社の北側を東に上る急坂が金毘羅坂です。金毘羅坂の坂上を進むと忠弥坂の坂上に出ます。桜蔭学園の脇を角ばって曲がる面白い形の坂です。坂下から外堀通りのお茶の水坂を上りました。

 お茶の水坂の途中から北へ4本の坂が上っています。一番西側の無名の坂(本郷1-1と1-2の間)が一番急で長く、坂の形も美しいです。都心にこんな静かな坂があるとは驚きです。名前のついていないのが不思議です。帰ってから調べると『今昔東京の坂』もこの坂を取上げて「江戸そのままの姿をしのばせる」と書いています。無名の坂の東に建部坂、富士見坂、油坂が続いています。今は傾斜も少ない坂で、むろん外堀通りから南の眺望は開けません。お茶の水坂を上りきり進み、湯島聖堂脇の相生坂の坂上に出、お茶の水駅に着きました。

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DSC05294 猫又坂  千石2丁目と3丁目の間を北東に上る不忍通り。坂下で白鷺坂と向き合う。《地図

仙川にかかる猫又橋に因む。木の根っこの股で橋をつくったので根子股橋といわれた。『ぶんきょうの坂道』

DSC05300 白鷺坂  大塚3丁目と4丁目の間を南西に上る。坂上から富士見坂の下りとなる。《地図

このあたり一帯は宇和島藩伊達家の屋敷で、白鷺が棲んでいた。明治の末に道路が整備され無名の坂が「白鷺坂」と呼ばれるようになった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05309 氷川坂  千石2-9と2-10の間を北東に上る。《地図

坂上の簸川神社による名。

Dsc05308 簸川神社

DSC05321 網干坂  白山3丁目と千石2丁目の間を北東に上る。坂下で湯立坂と向き合う。《地図

坂下一帯の谷は入江で、船の出入りがあったという。漁のための網を干したのだろう。『ぶんきょうの坂道』

DSC05327 湯立坂  小石川5丁目と大塚3丁目の間を南西に上る。《地図

昔は坂下は入江で氷川明神へ渡れなかったので、坂下から湯花を立てて献じたという。『ぶんきょうの坂道』

DSC05336 団平坂  小石川5-9と5-10の間を南西に上る。《地図

団平という米つき商が住んでいた。『ぶんきょうの坂道』

DSC05349 播磨坂  小石川4丁目と5丁目の間を南西に上る。《地図

戦後、ここに新しく坂が出来たとき、播磨屋敷の跡地であったため。『ぶんきょうの坂道』

DSC05362 吹上坂  小石川4-14と4-15の間を南西に上る。《地図

極楽水と呼ばれた湧き水が吹き上げていたので、一名吹上水ともいわれ、この吹上が地名となり、そこを通る坂名となった。『ぶんきょうの坂道』 現在、大塚5丁目にある吹上稲荷も明治45年までは、ここの善仁寺内(小石川4-13)にあった。

DSC05366 三百坂  小石川3-6と4-2の間を南に上る。《地図

松平家の家来がこの坂まで衣服を整えて追いつかないと遅滞の過料として銭300文を取られた。『ぶんきょうの坂道』

DSC05369 安藤坂  春日1丁目と2丁目の間を北に春日通り上る。《地図

坂の西側に安藤飛騨守の屋敷があった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05376 牛坂   春日1-6の北野神社の北側を東に上る。《地図

牛天神(北野神社)に因む。『ぶんきょうの坂道』

Dsc05375 北野神社(牛天神)

DSC05382 富坂  春日1丁目と小石川2丁目の間を西から北西に上る春日通り。《地図

鳶坂から転じた名。西富坂、飛坂とも呼ばれる。『ぶんきょうの坂道』

DSC05389 堀坂  小石川2-3と2-20の間を西に上る。《地図

宮内坂、源三坂と呼ばれていたのを文政の頃、堀家が坂の修理をして、自ら堀坂というようになった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05398 六角坂  小石川2-17と2-18の間を南西から南に上る。《地図

高家六角氏の屋敷があった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05411 善光寺坂  小石川2-17と3-18の間を南西に上る。《地図

坂の途中にある善光寺による名。

Dsc05403 善光寺

Dsc05406澤蔵司稲荷

Dsc05408伝通院

DSC05416 新坂  本郷1-25と1-33の間を東に上る石段。《地図

江戸時代に開かれた坂『ぶんきょうの坂道』 

DSC05422 新壱岐坂  本郷1-22と1-23の間を南東に上る。《地図》(標示は壱岐坂)

DSC05426 壱岐坂(旧)  本郷1-20と1-22の間を白山通りから北東に上り、新壱岐坂を渡り、本郷2-26と2-27の間を北東に上る。《地図

小笠原壱岐守の下屋敷があった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05433 金毘羅坂  本郷1-5の金毘羅宮の北側と1-13の間を東に上る。《地図

Dsc05430 金毘羅神社

DSC05441 忠弥坂  本郷1-3と1-6の間を東に上る。《地図

丸橋忠弥の槍の道場があった。『ぶんきょうの坂道』

丸橋忠弥生は慶安4年(1651)油井正雪らと江戸幕府転覆を図った慶安事件を起こす。

DSC05450 お茶の水坂  水道橋の東側からお茶の水駅方向へ上る外堀通り。《地図

DSC05456 無名の坂(本郷1-1と1-2の間) 《地図

坂上近くから

DSC05454 無名の坂

坂下近くから

DSC05459 建部坂  本郷2-3と1-1の間を外堀通りから北に上る。《地図

江戸時代、建部氏の屋敷があった。初音の森の近くなので初音坂の別名がある。『ぶんきょうの坂道』

DSC05462 富士見坂  本郷2-2と2-3の間を外堀通りから北に上る。《地図

DSC05465 油坂  本郷2-1と2-2の間を外堀通りから北に上る。《地図

別名を揚場坂。神田川の堀端に舟をつけて荷物の揚げおろしする場所があり、そこに通ずる坂を揚場道坂といい、後に揚場坂となった。『ぶんきょうの坂道』 揚場が油に転じたのか。

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2006年2月 4日 (土)

文京区の坂-4

2006年2月4日(土)

千石駅(都営地下鉄三田線)・・・一行院坂・一行院・・・暗闇坂・・・逸見坂・・・蓮華寺坂・蓮華寺・・・御殿坂・・・伊賀坂・・・薬師坂・妙清寺・白山神社・・・円乗寺・浄心寺坂・・・・・・胸突坂(白山)・・・曙坂・・・新坂(西片)・・・石坂・・・新坂(本郷)・・・胸突坂(本郷)・・・菊坂・・・鐙坂・・・梨木坂・・・炭団坂・・・本妙寺坂・・・見送り坂・見返り坂・・・旧東富坂・・・富坂・・・春日駅(都営地下鉄三田線)

 千石駅から白山通りを南に行き、一行院の前の一行院坂、京華女子高校裏手の暗闇坂、逸見坂と進みました。いづれも傾斜はさほどでない坂です。蓮華寺坂を上ると小石川植物園の塀に沿って、御殿坂が下っています。白山通りに戻り指ケ谷小学校前を曲がりながら伊賀坂を上りました。

 白山通りを渡り薬師坂を上ると、坂上に白山神社、坂名の由来となった薬師堂があった妙清寺があります。坂下から浄心寺坂が上っています。坂下の円乗寺には八百屋お七の墓があります。坂上の浄心寺の場所は分かりませんでした。(日蓮宗浄心寺は坂上の白山1-36のライオンズマンションの所にあった寺です。(2008年4月23日追記)) 中坂は浄心寺坂と胸突坂の間の坂で短い急坂です。坂上辺りで膨らんだような形になっています。胸突坂を過ぎ誠之小学校の崖下の細い、曲がりくねった道を行くと曙坂の石段があります。崖下の道を更に進み新坂の坂下に出ました。曲がって南方向に上る坂で、坂下あたりは工事中でした。

 石坂を南に下り、本郷5丁目と6丁目の境の急な新坂を上り下りし、菊坂下に出ました。坂下近くから胸突坂が上っています。昔はこの坂が菊坂と呼ばれていたそうです。菊坂を渡り、もう一本の細い道を下るといい姿の鐙坂のに出ます。坂下付近の細い路地を入った所に樋口一葉が一時住んでいて、一葉ゆかりの井戸も残っています。

 梨木坂、炭団坂は菊坂を挟んだ形です。石段の炭団坂の坂上には坪内逍遥、正岡子規らが住んでいました。春日通りへ出て少し進み、本妙寺坂を下り菊坂の坂上あたりに出ました。本郷3丁目の交差点から本郷通りを北に下り、上るのが見送り坂と見返り坂です。傾斜はほとんどありません。「本郷もかねやすまでは江戸のうち」の川柳の「かねやす」は交差点角に今でもあります。

 春日通りを西に行き、そのまま直進して白山通りへ下るのが旧東富坂、北西方向に下る春日通りが現在の東富坂です。坂下で富坂と向き合います。今日は寒い日でしたが、南方向に歩きそれほど寒さは感ぜず24坂を歩きました。地下鉄春日駅から帰途につきました。

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DSC05178 一行院坂  千石1-14の一行院と白山4-37の間を北東に白山通りへ下る。《地図

坂上に一行院がある。

Dsc05176一行院

諸国を巡錫した徳本上人の墓がある。

DSC05182 暗闇坂  白山5-9と5-12の間を北東に上る。《地図

昔は、細く、屈折し、暗い坂だった。『ぶんきょうの坂道』

DSC05186 逸見坂  白山4-32と4-34の間を南西に上る。《地図

旧幕士逸見氏の屋敷があった。坂の西側の本念寺には太田南畝の墓がある。『ぶんきょうの坂道』

DSC05200 蓮華寺坂  白山2丁目と4丁目の間を白山下から西に上る。坂上は御殿坂上。《地図

坂下に蓮華寺、別名を小石川御殿(白山御殿)の裏門に通じる坂なので御殿裏門坂

Dsc05191 蓮華寺

DSC05199 御殿坂  白山2丁目と3丁目の小石川植物園の間を北東に上る。《地図

将軍綱吉の白山御殿(現小石川植物園)があった。別名を富士見坂、大坂、御殿表門坂。

DSC05292 伊賀坂  白山2-28と2-29の間を西方向に上る。《地図

①伊賀同心衆居住説と②真田伊賀守の屋敷説がある。『ぶんきょうの坂道』は真田伊賀守は上州沼田城主で、両国橋修理の材木の件でとがめを受けて天和元年(1681)に断絶(改易)したために①がよいかもしれないとする。

Dsc05204 白山神

DSC05208 薬師坂  白山1丁目と5丁目の間を白山下から北東に上る。《地図

坂上の妙清寺の薬師堂に因む。別名を白山坂、浄雲寺坂(坂下にあった寺)『ぶんきょうの坂道』

Dsc05207 妙清寺薬師堂?

DSC05211 浄心寺坂  白山1-32と1-33の間を東に上る。《地図

坂上に浄心寺、坂下の円乗寺には八百屋お七の墓があり、別名をお七坂。『ぶんきょうの坂道』 坂名の由来の日蓮宗浄心寺は坂上のライオンズマンション(白山1-36)の所にあった寺です。

Dsc05209 八百屋お七の墓(円浄寺境内)

DSC05219 中坂  白山1-24と1-27の間を北東に上る。《地図

浄心坂と胸突坂の間の坂

DSC05215 胸突坂  西片2-15と白山1-24の間を北東に上る。《地図

別名を峰月坂、新道坂

DSC05224 曙坂  西片2-7と2-14の間を北東に上る。《地図

旧曙町からとった名。このあたりは古河藩主土井家の下屋敷で、南に鶏声ケ窪があり、「鶏声暁に時を告げる」ことから、暁=曙をとり町名にした。別名を徳永坂

白山

Dsc05223 曙坂石柱

上部が欠けている。

DSC05230 新坂  西片1-20と2-6の間を曲がりながら南方向に上る。《地図

福山藩主の阿部屋敷へ新しく開かれた坂。別名を福山坂。『ぶんきょうの坂道』

DSC05232 石坂  西片1-3と1-14の間を北方向に上る。《地図

坂名の由来不明

DSC05240 新坂  本郷5-33と6-11の間を東から北東に上る。《地図

坂上の蓋平館別荘(現太栄館)に石川啄木が下宿していた。

DSC05244 胸突坂  本郷5-9と5-33の間を北東に上る。《地図

昔はこの坂を菊坂と呼んでいた。

DSC05248 菊坂  本郷4丁目と5丁目の間を南東に本郷通りまで上る。《地図

菊畑があり菊花を作る者が多く住んでいた。『ぶんきょうの坂道』

DSC05256 鐙坂  本郷4-31と4-20の間を北に上る。《地図

①鐙の製作者の子孫が住んでいた。②坂の形が鐙に似ている。 の両説あり。『ぶんきょうの坂道』

Dsc05257 樋口一葉旧宅辺りと井戸

DSC05262 梨木坂  本郷5-6と5-7の間を北に上る。《地図

①大きな梨の木があった。②戸田茂睡(江戸時代前期の歌学者)の庵の前に大きな山梨の木があった。③菊なし坂と呼ばれていたのが転じた。などの説がある。『ぶんきょうの坂道』  

DSC05265 炭団坂  本郷4-32と4-35の間を南に上る。《地図

①たどんなどを商う者が多くいた。②急坂で転ぶと炭団のようになった。の両説あり。『ぶんきょうの坂道』

DSC05271 本妙寺坂  本郷4-8と4-36の間を南に上る。《地図

振袖火事(明暦3年(1657)1月の大火)の火元の本妙寺があった。明治になり豊島区巣鴨へ移転。すぐ近くの赤心館に石川啄木が下宿していた。『ぶんきょうの坂道』  (本妙寺は火元であることを否定している)

DSC05276 見返り坂・見送り坂(見送り坂上から見返り坂方向)  本郷4-37から北と南に上る本郷通り。《地図

江戸を追放された人が振り返りながら去った坂。見送った坂 『ぶんきょうの坂道』

Dsc05274 かねやす

「本郷もかねやすまでは江戸の内」

DSC05278 旧東富坂  本郷1-34と1-35の間を白山通りから東に上る。《地図

別名を鳶坂、飛坂。鳶が多かったので鳶坂、それが転じて富坂。春日町交差点の所は昔、二ケ谷と呼ばれた。谷を飛び越えて両方向い合っている坂で飛び坂といわれた。『ぶんきょうの坂道』

DSC05285 東富坂  本郷1-35と4-14の間を南東に上る。《地図

小石川の富坂の東にある坂。鳶坂が旧名。真砂町へ上る坂なので真砂坂の別名がある。坂の北側は江戸時代松平右京亮の中屋敷があり、「右京山(右京ケ原)」と呼ばれ、小説『姿三四郎』の舞台となった。『ぶんきょうの坂道』

 

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2006年2月 2日 (木)

文京区の坂-3

2006年2月2日(木)

本駒込駅(地下鉄南北線)・・・目赤不動(南谷寺)・・・吉祥寺・・・富士神社・・・神明坂・・・稲荷坂・・・駒込名主屋敷(高木家)・・・動坂・・・むじな坂・・・きつね坂・・・狸坂・・・大給・・・アトリエ坂・・・団子坂・・・(藪下通り)・・・汐見坂・・・解剖坂・・・根津裏門坂・・・根津神社・・・坂(S坂)・・・お化け階段・・・異人坂・・・根津駅(地下鉄千代田線)

 南谷寺の目赤不動は江戸五色不動の一つです。不動尊のお堂は扉が開いていて、目赤不動を見ることが出来ます。目は赤くないようです。 吉祥寺には吉三、お七の比翼塚があります。富士神社から不忍通の神明坂を下り、坂下から南方向に稲荷坂を上りました。坂上に「宗十郎稲荷」を祀っている駒込名主屋敷の旧家、高木家があります。

 不忍通りを進み動坂を上りました。坂上から南東に「本郷保健所通り」に入ると、むじな坂、きつね坂、狸坂が並んででいます。狸坂だけに坂標が設置されています。あとの二つの坂名は狸に因んでつけられたのでしょう。大給坂は細い、かなり傾斜のある坂で、坂上の公園にある銀杏は昔、大給屋敷にあったものだそうです。アトリエ坂は千駄木3丁目の須藤公園の南側を上る静かな坂です。

 車の通行の多い団子坂を上り、ふたたび「本郷保健所通り」(藪下通り)に入ると、鴎外記念図書館があります。図書館と汐見小、中学校の間の坂が汐見坂、昔は東方面が開け海が見えたのでしょう。解剖坂は日本医科大の北側を上る石段坂です。誰が名づけたか面白い坂名です。

 根津裏門坂から根津神社へ入り、表門へ抜けると新坂がS字形に曲がって上っています。お化け階段はマンションの奥の段差の違う石段坂で、新しい石段が片側につけられています。明治時代、外国人が多く通ったという異人坂を上り下りし、根津駅に出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc05094 南谷寺目赤不動尊

Dsc05095 目赤不動

江戸五色不動」の一つ

Dsc05098 目赤不動説明板

Dsc05099 お七、吉三比翼塚(吉祥寺境内)

DSC05101 神明坂  本駒込5-41と5-42の間を西に上る不忍通り。《地図

旧町名の駒込神明町による。町名は駒込の総鎮守だった天祖神社(旧名神明社)による。

DSC05111 稲荷坂  本駒込4丁目と5丁目の間を南に上る。《地図

坂上のつきあたりに上駒込村の草分け名主の高木家があり「宗十郎稲荷」を祀っている。

Dsc05107駒込名主屋敷高木家

享保2年(1717)築と伝えられる。

Dsc05108 「宗十郎稲荷」?(高木家内)

屋敷神として祀られている。

DSC05116 動坂(不動坂・堂坂)  本駒込4丁目と千駄木4丁目の間を不忍通りから南に上る。《地図

もと、坂上の北側に日限地蔵堂があり、目赤不動尊の旧跡といわれる。現在は本駒込1丁目の南谷寺が目赤不動。

DSC05119 むじな坂  千駄木4-4と4-10の間を北東に下る。《地図

北からむじな坂、きつね坂、狸坂と並ぶ。

DSC05122 きつね坂  千駄木3-17と4-4の間を北東に下る。《地図

狸坂に対して名付けられたのか。

DSC05125 狸坂  千駄木3-12と3-20の間を南西に上る。《地図

坂上の千駄木山の一部が狸山といわれた。坂下の根津の谷を挟んで日暮里の台地に諏方神社がある。8月15日の祭礼が終わってもどこからともなく毎夜「里ばやし」が聞こえて、土地の人は狸山の狸のしわざとも言い伝えてきた。

DSC05130 大給(おぎゅう)坂  千駄木3-27と3-28の間を西に上る。《地図

坂上に大給豊後守の屋敷があった。大給氏は戦国時代に三河国賀茂郡大給を本拠とした豪族で、後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)三河西尾に移封された。

DSC05136 アトリエ坂  千駄木3-4の須藤公園の南側を西に上る。《地図

『谷根千界隈そぞろあるき地図』の谷根千工房があり、工房のことを「アトリエ」として名づけたのだろう。

DSC05140 団子坂  千駄木2丁目と3丁目の間を西方向に上る。坂下で三崎坂と向き合う。《地図

団子の茶店があった。幕末から明治末にかけて菊人形で有名で、「自雷也も がま(蝦蟇)も枯れたり 団子坂」(正岡子規)や夏目漱石の『三四郎』にも菊人形を見物する場面がある。『団子坂菊人形の復元』(文京ふるさと歴史観)

千駄木

江戸川乱歩の『D坂の殺人事件』はこの坂のこと。坂上には森鴎外の観潮楼跡(鴎外記念本郷図書館)があり、平塚らいてうの「青鞜社発祥の地」でもある。別名を潮見坂、千駄木坂、七面坂(坂下に七面堂があった)

DSC05147 汐見坂  千駄木1-23の鴎外記念図書館と千駄木2-19の第八中学校、汐見小学校の間を南西に下る。《地図

DSC05151 解剖坂  千駄木1-3と日本医科大の間を西に上る石段。《地図

日本医科大のそばの坂なのでこう呼ぶのか。

DSC05158 根津裏門坂  根津1-28の根津神社と千駄木2-2の間を西に上る。《地図

根津

DSC05161 新坂(S坂)  根津1-21と根津神社の間をカーブして西方向に上る。《地図

森鴎外の小説「青年」に「この坂はS字をぞんざいに書いたように屈曲してついている。」とあるのを旧制一高生がS坂と呼んだ。根津権現(根津神社の旧称)に下る坂なので権現坂ともいう。

DSC05169 お化け階段  弥生1-18と1-19の間を西に上る石段。《地図

上り下りするたびに石段の段数が違うという。別名を幽霊坂

DSC05173 異人坂  弥生2-13と2-20の間を西に上る。《地図

坂上に明治時代、東大の外国人教師の官舎があり、この坂をよく通った。

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