港区の坂-7
2006年2月27日
六本木1丁目駅(地下鉄南北線)・・・なだれ坂・・・寄席坂・・・丹波谷坂・・・不動坂・不動院・・・閻魔坂・崇厳寺共同墓地・・・市三坂・・・芋洗坂・朝日神社・・饂飩坂①②・・・鳥居坂・・・潮見坂・・・於多福坂・・・永坂・・・すべり坂・・・あひる坂・・・麻布十番駅(地下鉄南北線)
なだれ坂と寄席坂は、北西方向に六本木通りに下ります。丹波谷坂の南に平行する不動坂は途中に不動院があります。閻魔坂は崇厳寺の共同墓地から南西方向に外苑東通りへ上ります。共同墓地の中に閻魔堂があるか分かりませんでした。六本木通りの市三坂を六本木交差点まで上り、南に芋洗坂を下りました。坂の途中に朝日神社がありますが、疱瘡神ではないようです。
饂飩坂は芋洗坂の途中から北東に外苑東通りに上る坂に坂標が設置してありますが、『続江戸の坂東京の坂』では、六本木6-1と6-7の坂とし、詳しい考証をしています。芋洗坂を南に進み、麻布十番の鳥居坂下に出ました。鳥居坂の坂上から東に入り、潮見坂を曲がって下ると於多福坂の坂下です。一度上って平坦になり、もう一度上る坂です。顔の真中の低いお多福面のようなのでつけられた坂名だそうです。
坂上を東に行き、永坂を下り再び麻布十番に戻り、すべり坂、あひる坂を歩きました。両方とも短く傾斜もほとんどありません。『今昔東京の坂』に載っている坂ですが、今もこの名で呼ばれているのか疑問です。坂名の由来も不明です。
写真をクリックすると拡大します。
なだれ坂 六本木3-2と3-4の間を南方向に上る。《地図》
流垂・奈太礼・長垂などと書いた。土崩れがあったためか。幸国(寺)坂、市兵衛坂の別名もあった。『観光マップみなと』
寄席坂 六本木3-5と3-4の間を南西に上る。《地図》
明治から大正3年まで、坂の途中の北側に福井亭という寄席があった。『観光マップみなと』
丹波谷坂 六本木3-5と3-6の間を東に上る。《地図》
元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった。明治初年この坂を開き、谷の名から坂の名称とした。『観光マップみなと』
不動坂 六本木3-6と3-15の間を東に上る。《地図》
坂下に不動院があった。『今昔東京の坂』 今でもある。
閻魔坂 六本木3-13と3-14の間を南西に上る。《地図》
坂下にあった?崇厳寺の閻魔堂に因むか。
市三坂 六本木3丁目と4丁目の間を南西に上る六本木通り。《地図》
明治20年代に開かれた坂。名主の名がついた市兵衛町と松平三河守忠直邸のあった三河台町との間で両頭文字をとった。『観光マップみなと』
芋洗坂 六本木5丁目と6丁目の間を北に六本木交差点の方へ上る。《地図》
正しくは麻布警察署裏へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以降にできて、こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。『観光マップみなと』
饂飩坂①(坂標のある坂) 六本木5-1と5-2の間を東に上る。《地図》
天明年間末(1788年)頃まで松屋伊兵衛という、うどんやがあった。昔の芋洗い坂とまちがうことがある。『観光マップみなと』
饂飩坂② 六本木6-1と6-7の間を西方向に上る。『続江戸の坂東京の坂』はこの坂とします。《地図》
この坂は、『観光マップみなと』が昔の芋洗い坂(麻布警察署裏へ上る道)とする道筋です。
鳥居坂 六本木5-12と5-11の間を北東に上る。《地図》
江戸時代のなかばまで、坂の東側に大名鳥居家の屋敷があった。元禄年間(1688~1703)ごろ開かれた坂。『観光マップみなと』
潮見坂 六本木5-12と5-14の間を西に上る。《地図》
於多福坂(1度目の上り) 六本木5-13と5-14の間を北東に上る。《地図》
坂の傾斜が、途中でいったんゆるやかになって、また下ったので、顔のまん中の低いお多福面のようだと名づけられた。『観光マップみなと』
永坂 六本木5丁目と麻布永坂町の間を北東に上る。《地図》
①長い坂であるため。『今昔東京の坂』 ②長坂氏が付近に住んでいた。
落語『おかめ団子』
すべり坂 麻布十番1-6と1-7の間を北に上る。《地図》
『今昔東京の坂』に記載のある坂。短く傾斜もほとんどない。坂名の由来不明。
あひる坂 麻布十番1-5を北東に上る。《地図》
『今昔東京の坂』に記載のある坂。短く傾斜もほとんどない。坂名の由来不明。
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 坂道散歩(2023年11月~)追加分(2023.12.14)
- 「歩いた坂」追加分(2023.12.10)
- JR京浜東北線を歩く①(2022.10.22)
- 大落古利根川・中川を歩く(2023.11.22)
- 柴又街道②(2023.11.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント