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2006年2月25日 (土)

港区の坂-6

2006年2月25日

四谷駅・・・紀伊国坂・・・九郎九坂・・・弾正坂・・・豊川稲荷・・・牛鳴坂・・・丹後坂・・・稲荷坂(赤坂4丁目)・末広稲荷神社・・・円通寺坂・円通寺・・・薬研坂・・・高橋是清記念公園・・・新坂・・・稲荷坂(赤坂7丁目)・・・三分坂・報土寺・・・乃木坂・乃木神社・・・(埃坂)・・・檜坂・・・本氷川坂・氷川神社・・・氷川坂・・・転坂・・・南部坂・・・桜坂・・・新榎坂・・・鼓坂・・・三谷・・・スペイン坂・・・道源寺坂・道源寺・・・御組坂・・・我善坊谷坂・・・・・・落合・・・合坂・・・江戸見坂・・・汐見坂・・・霊南坂・・・榎坂・・・溜池山王駅(地下鉄南北線)

 きれいなカーブの紀伊国坂を下り、南に九郎九坂、弾正坂を上りました。坂上は青山通りで豊川稲荷があります。青山通りから南西方向に上る牛鳴坂は、今は牛が笑うほどのゆるやかで短い坂です。石段坂の丹後坂を下り、小さな祠の末広稲荷神社まで稲荷坂を上りました。すぐ南側に円通寺坂があります。

 薬研坂は北に下って、青山通りまで上る坂で、形が薬研のようなのがはっきり分かる坂です。高橋是清記念公園を過ぎ、カナダ大使館の西側を南へ新坂を下りました。稲荷坂は坂上を進むと末広稲荷神社へと通ずる坂です。

 三分坂は南東に下り、直角に南西に曲がり下る坂で、曲がってから急坂となります。坂下の報土寺の築地塀は風情があります。この寺には雷電の墓があります。坂下を真直ぐ南西に進み、赤坂小学校の所で赤坂通りに出ました。西に行き乃木坂を上りました。坂上の乃木神社があります。赤坂通りを東の戻り、赤坂6-12と6-16の間という埃(ほこり)坂は傾斜がなく坂とは言えないと思い写真も撮りませんでした。この坂は、「歩いてみたい東京の坂」に載っています。

 檜坂、本氷川坂、氷川坂は平行して南東に上る坂です。転坂は氷川坂の坂下近くから北東に上る坂です。坂上を右に、南東方向へ進み南部坂を下りました。ここが忠臣蔵の「南部坂雪の別れ」の南部坂です。坂下から六本木通りを渡り、いよいよアークヒルズの中に来ました。桜坂を上り、右に曲がる角の所から新榎坂というのが北方向に下っていました。坂下は榎坂です。地図にも載っていない道なので最近できた道、坂名なのでしょう。

 桜坂の坂上付近から南東方向に直線的に上る小さな坂が鼓坂でしょうか。歩道が広く造られてます。坂上正面は大倉集古館です。もう一本南側の霊南坂前の坂とする人もいます。三谷坂は赤坂1丁目と六本木1丁目の間を上る坂で、坂上正面はホテルオークラです。スペイン大使館まで上るスペイン坂はアークヒルズ内に造られた新しい坂です。

 坂下から南に細い、道源寺坂が上っています。昔ながらの空気の漂う空間で、坂上に小さな古びた道源寺もあり隣のアークヒルズとは別次元、別世界にいるようでほっとします。 アークヒルズとその周辺には雁木坂、柳の段々などの坂があったようですが消滅してしまったのでしょう。これも時代の流れといい残念です。

 道源坂上から南西に進み、御組坂を上り更に南西に行き、突き当たって南東方向に我善坊谷坂を下りました。坂下は我善坊谷と呼ばれた所で、三年坂と落合坂の坂下を進むと同じ所へ出ます。落合坂を上ると行合坂の途中に出ます。行合坂は二つの坂が向かい合う形の坂です。北に進んでもう一度、御組坂上、三谷坂上、鼓坂上を通り、霊南坂上と江戸見坂上に出ました。

 アメリカ大使館の警備が厳重で、霊南坂の大使館側の歩道は通行禁止です。先に江戸見坂を下りました。南東に下り、左にカーブして北東に下ります。カーブしてから急坂となります。坂下から汐見坂を上りました。坂上は霊南坂の坂下、榎坂の坂上となります。ここも警備の警官が多いです。霊南坂の写真を撮った直後に警官から注意されました。とぼけて、「何か事件でもあったのか」と聞きくと、「終日この警備をしている。」との答えでした。霊南坂上からの写真はあきらめました。榎坂の写真も無理です。榎坂を下って六本木通りまで出た所で、榎坂の坂下辺りの写真を望遠で撮るのがやっとでした。六本木通りから溜池山王池駅に出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

DSC06362 紀伊国坂  元赤坂2丁目の東宮御所と千代田区の間を北西に上る外堀通り。《地図

坂の西側に紀州家の屋敷があった。赤坂の起源とする説がある。『観光マップみなと』

DSC06372 九郎九坂  元赤坂1-3と1-4の間を南に上る。《地図

一ツ木町の名主秋元八郎左衛門の先祖の九郎九が住んでいた。鉄砲練習場があり鉄砲坂とも呼んだ。『観光マップみなと』

DSC06375 弾正坂  元赤坂1-4の豊川稲荷と元赤坂2丁目の間を南に上る。《地図

西側に代々弾正大弼に任じられた吉井藩松平氏の屋敷があった。『観光マップみなと』

DSC06376豊川稲荷東京別院

DSC06382 牛鳴坂  赤坂4-1と4-8の間を南西に上る。《地図

赤坂から青山へ抜ける厚木通りで、路面が悪く車をひく牛が苦しんだため。さいかち坂ともいう。『観光マップみなと』

DSC06385 丹後坂  赤坂4-2と4-7の間を南東に上る。《地図

元禄(1688年~)初年に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった。『観光マップみなと』

DSC06387 稲荷坂(赤坂4丁目)  赤坂4-13と4-14の間を南西に上る。《地図

坂上近くに江戸幕府黒鍬同心の鎮守だった末広稲荷神社がある。黒鍬組は上方落語の『狸の化寺』にも登場する。

DSC06390 末広稲荷神社

DSC06394 円通寺坂  赤坂4-12と5-2の間を南西に上る。《地図

元禄8年(1695年)に付近から坂上南側に移転した寺院の名称をとった。それ以前に同名の別寺があったともいう。『観光マップみなと』

DSC06393 円通寺

落語「景清」に登場する寺。

DSC06400 薬研坂  赤坂4-17と7-2の間を南に下り、上る。《地図

中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているため。付近に住んでいた人の名で、何右衛門坂とも呼んだ。『観光マップみなと』

DSC06406 新坂  赤坂7-4と8-6の間を北西に上る。《地図

元禄12年(1699年)に開かれた坂。

DSC06410 稲荷坂  赤坂7-5と7-6の間を北東に上る。《地図

円通院境内の旭飛稲荷へ通ずる門があった。坂上に江戸城中清掃役の町があり掃除坂の別名がある。

DSC06418 三分(さんぷん)坂  赤坂5-5と5-7の間を北東に上る。《地図

急坂のため通る車賃を銀3分(さんぷん:100円余)増した。坂下の渡し賃1分に対していったとの説もある。さんぶでは四分の三両になるので誤り。『観光マップみなと』

Dsc06423報土寺

雷電の墓がある。千葉県佐倉市の妙覚寺(旧浄行寺の墓地)にも雷電夫妻と娘の墓がある。妙覚寺前には雷電の碑が立つ。『成田街道③』、島根県松江市にもあるそうだ。長野県東御市には生家跡がある。『善光寺街道①

雷電の登場する落語『鍬潟』・『寛政力士伝

DSC06425 報土寺の築地塀

DSC06432 乃木坂  赤坂8-11と9-6の間を南西に上る。《地図

大正元年(1912年)乃木将軍の葬儀と同時に幽霊坂という名は廃され、乃木坂に改められた。行合坂、なだれ坂とも呼ばれた。『観光マップみなと』

DSC06438 乃木神社

DSC06446 檜坂  赤坂6-19と赤坂9丁目の檜町公園の間を南東に上る。《地図

檜が多く、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸に添う坂だった。『観光マップみなと』

DSC06450 本氷川坂  赤坂6-10と6-19の間を南東に上る。《地図

坂の途中の東側に本氷川明神があった。明治16年氷川神社に合祀された。

DSC06461 氷川坂 赤坂6-10と6-8の間を南東に上る。《地図

将軍吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面にあたる坂。『観光マップみなと』

DSC06458氷川神社

Dsc06455 氷川神社

DSC06470 転坂  赤坂6-9と6-5の間を南西に上る。《地図

江戸時代から道が悪く、通行する人がよく転んだため。『観光マップみなと』

DSC06475 南部坂  赤坂2-22と六本木2-1のアメリカ大使館宿舎の間を北西に上る。《地図

江戸初期に南部家中屋敷があった。 「忠臣蔵」の南部坂雪の別れ、はこの坂。『観光マップみなと』

Dsc06477 南部坂の坂標

DSC06480 桜坂  赤坂1-11と1-12の間を南東に上る。《地図

坂下に戦災まで大きな桜の木があった。明治の中頃につくられた坂。

DSC06484 新榎坂の坂標

DSC06486 新榎坂  赤坂1-7と1-10の間を榎坂の坂下辺りから南に上る。坂上で桜坂とつながる。《地図

最近開かれた坂か。

DSC06490 鼓坂  赤坂1-11と1-14の霊南坂教会の北側の間を東南に上る。《地図

明治以降の坂か。

DSC06493 三谷坂  六本木1-2と赤坂1-14の間を南東に上る。坂上正面にホテルオークラ。《地図

この辺りは、万延(1860~1861)の頃今井三谷町といった。『今昔東京の坂』

DSC06496 スペイン坂の説明板

DSC06500 スペイン坂  六本木1丁目のアークヒルズの南側を南東に上る坂。《地図

スペイン大使館の方へ上る坂。

DSC06505 道源寺坂  六本木1-3と1-4の間を南東に上る。《地図

DSC06506 道源寺(浄土宗)

DSC06513 御組坂  六本木1-5と1-7の間を南東に上る。《地図

幕府御先手組(おさきてぐみ・戦時の先頭部隊で、常時は放火盗賊を取締まる)の屋敷が南側にあった。『観光マップみなと』

DSC06515 我善坊谷坂  麻布台1-1と六本木1-9の間を北西に上る。《地図

我善坊谷の低地から上る坂。別名を稲荷坂。『今昔東京の坂』

DSC06525 落合坂  麻布台1-4と1-1の間を北西に上る。《地図

我善坊谷へ下る坂で、赤坂方面から往来する人が行きあう位置にある。

DSC06523 行合坂  麻布台1-4、落合坂上から北東と南西に上る。《地図

①双方から行き合う坂 ②市兵衛町と飯倉町の間の坂 『観光マップみなと』

DSC06532 江戸見坂  虎ノ門2-10と4-1の間を南西に上る。《地図

江戸の市街を眺望できた坂。『観光マップみなと』

DSC06538 汐見坂  虎ノ門2-10と2-2の間を北西に上る。《地図

江戸時代中期以前は、海が見えた坂。『観光マップみなと』

DSC06540 霊南坂 赤坂1-10と虎ノ門2-10の間を南西に上る。《地図》 右端は警備の警官と詰め所。

江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名をとったが、いつしか嶺が霊となった。『観光マップみなと』

DSC06541 榎坂坂下の遠望  赤坂1-9と1-10の間を南西に上る。ここにも警備の警官がいる。《地図

一里塚の榎があった。

DSC06543 霊南坂(1997年7月撮影) 坂上付近から

DSC06544 霊南坂(1997年7月撮影) 坂下から  警官の詰め所はある。

DSC06542 榎坂坂上(1997年7月撮影)

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