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2006年3月29日 (水)

落語散歩-浅草・向島・神田・上野・飛鳥山

2006年3月29日

浅草駅・・・浅草寺・・・馬道通り・・・言問橋・・・牛島神社・・・三囲神社・・・長命寺・・・向島堤・・・吾妻橋・・・浅草駅(地下鉄銀座線)→神田駅・・・神田竪大工町(内神田3丁目)・佐竹稲荷・・・神田三河町(神田司町2丁目、神田公園~内神田2丁目、鎌倉橋)・・・神田駅(JR山手線)→上野駅・・・不忍池・弁天堂・・・清水観音堂・清水坂・・・摺蜂山古墳・・・上野駅(JR京浜東北線)→王子駅・・・飛鳥山公園・・・音無川親水公園・・・王子駅

 桜の満開情報が出たので早速、落語散歩に出かけました。

 東西落語散歩

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc08225金龍山浅草寺

浅草寺 

Dsc08220仲見世通り

Dsc08231馬道通り

落語「粗忽長屋」・「付き馬」ほか

Dsc08236牛島神社

落語「おせつ徳三郎」

Dsc08235狛牛?

Dsc08241三囲神社

落語「おせつ徳三郎」・「水神」

宝井其角の「雨乞いの句碑」、西山宗因の句碑がある。

三囲稲荷社

Dsc08243 長命寺

落語「おせつ徳三郎」

芭蕉の「雪見の句碑」がある。 「桜もち」が有名

Dsc08258向島の堤

落語「花見酒

隅田川

Dsc08268神田竪大工町(内神田3丁目)

落語「大工調べ」・「三方一両損

Dsc08270佐竹稲荷(内神田3丁目)

Dsc08272 神田三河町

神田公園(神田司町2丁目)

落語「大工調べ」・「藁人形」・「帯久」

Dsc08275神田三河町(前方の鎌倉橋辺りまで)

Dsc08284清水観音堂と清水坂の石段。

落語「崇徳院

Dsc08281清水観音堂から

上野清水之桜」ほか

Dsc08290不忍池と弁天堂

不忍池

Dsc08308上野公園

落語「長屋の花見

Dsc08316擂鉢山古墳(上野公園内)

前方後円墳

Dsc08332_1飛鳥山公園

落語「花見の仇討

飛鳥山

 

Dsc08371音無親水公園石神井川

王子・滝野川」・「王子音無川堰

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2006年3月25日 (土)

杉並区の坂-6

2006年3月25日

吉祥寺駅(バス)→杉並第二小学校前・・・三年坂・宝昌寺・・・五日市街道・尾崎橋(善福寺川)・・・白幡の坂(旧五日市街道)・馬橋みち・石塔(地蔵・馬頭観音)・・・山王社の小祠?・・・山王坂・・・大宮橋(善福寺川)・・・だいしょうじ公園・大聖寺(だいしょうじ)坂・・・大円寺・いの・・・一本橋(神田川)・・・番屋橋・番屋坂・貴船神社・・・熊野神社・尻割(けつはり)坂・・・龍光寺・・・本村(ほんむら)坂・・・永福町駅(井の頭線)  

 杉並第二小学校と宝昌寺の間の三年坂を下り、尾崎橋を渡り北東に入ると旧五日市街道です。地蔵さんと馬頭観音の所で白幡の坂(旧五日市街道)と、馬橋みちに分岐します。どちらも昔は急坂の難所だったそうです。松ノ木八幡通りに出て南に行くと小さな祠がありました。これが山王坂の坂名の由来となった山王社でしょうか。

 坂下から東に入り大宮橋で善福寺川を越え、荒玉水道道路を渡り大宮小学校に出ました。ここが大正寺山だったそうです。小学校の北側の坂が大聖寺坂でしょう。工事中で写真を撮りにくかったです。近くに「だいしょうじ公園」もあります。方南通りを渡り永福通りを南に少し行くと大円寺があります。『杉並の通称地名』ではこの寺に上る坂を「いの坂」としていますが、永福通りには傾斜がありません。寺の周辺を回ってみましたが、神田川の一本橋から大円寺の南側に上る坂が一番ふさわしいようですが、自信はありません。

 神田川沿いの桜は花を開き始めていました。一本橋の南の番屋橋から西に入ると貴船神社があります。神社の北側の坂が番屋坂です。坂上から新宿の高層ビルが望めました。熊野神社の北側の坂が尻割(けつはり)坂でしょうか。かつては腰の筋肉が張るほどの急坂だったそうです。今はその面影はありません。熊野神社と龍光寺の間の坂の方が雰囲気のある坂です。井ノ頭通りを渡り、井の頭線沿いに本村坂を上り永福町駅に出ました。

 今日で杉並区は一応終わりますが、杉並区で坂標が付いているのは、「地蔵坂」(西荻北4丁目)と「三年坂」(区の教育委員会設置、詳しい説明文つき)と、「笠森坂」(地元で設置、説明文なし、「かさもり坂」と標示)だけだったと思います。その他、神社、寺、道の説明板に坂名が記載されているものもありましたが、歩いていて坂の道筋を特定するのに苦労しました。所在地、道筋は間違っている所もあると思います。

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DSC08121 三年坂 成田西3-3の宝昌寺と3-4の杉並第二小学校の間を東に下る。 《地図

この坂については、『杉並区の坂-1』(2005年12月16日)に記載。 

DSC08115宝昌寺

DSC08122 尾崎橋(善福寺川)から

DSC08137 白幡の坂(右)  成田東3-16と3-17の間を北に上る旧五日市街道。《地図

馬橋みち(左) 分岐する所に、地蔵(2基)、馬頭観音(1基)

DSC08128 白幡の坂(旧五日市街道

DSC08134 馬橋みち

DSC08138 馬頭観音が中、左右が地蔵

白幡の坂と馬橋みちの分岐する所の安置されている。

DSC08139 山王社の祠か?

DSC08142 山王坂  松ノ木1-3のテニスコートと1-2の間を北に上る。《地図

この台地に山王社の小祠があったのでこの名で呼んだ。

DSC08146 だいしょうじ公園

DSC08150 大聖寺坂  堀ノ内1-12と1-13の間を南西に上る。大宮小学校の北西側。《地図

大正寺山の西側の坂。一説に八幡太郎義家が奥州で大勝利を得て帰りに通った坂だから、大勝寺坂というと聞いた。昔は追剥がでたところと伝える。(大正寺が不動明王を本尊としていたと伝えるのをみると、大聖不動明王と称しているから、文字はこちらの大聖寺の方があたっているか。)大正寺はもとの大宮小学校あと。(堀ノ内1-12)大正寺はまじない寺で現存しない。『杉並の通称地名』

DSC08154大円寺(和泉3-52)

DSC08164 いの坂  神田川の一本橋から和泉3-50と3-51の間をに西方向に大円寺の南側に上る?《地図》 

和泉3丁目の大円寺に上る坂。『杉並の通称地名』 

DSC08173貴船神社(和泉3-22)

DSC08179 番屋坂  和泉3-22の貴船神社と3-23の間を西に上る。《地図

この坂の下に番屋橋があるので、ある時期番小屋があったため名がついたかもしれない。『杉並の通称地名』

DSC08181熊野神社

男坂(左)、女坂(右)

DSC08200 尻割坂  和泉3-21の熊野神社と3-22の間を西に上る。《地図

熊野神社と当麻家の間の急坂。急坂なので力を入れて登降するから、腰の筋が張るという意味の<けつはり>が正しい意味かと思う。『杉並の通称地名』

DSC08194 龍光寺

DSC08197 熊野神社と龍光神社の間の坂

DSC08205 本村(ほんむら)坂  和泉3-2と井の頭線の間を北西に上る。《地図

旧字本村の一部に梅田家があって屋号「本村」となっており、もとの名主をつとめた。この家の側の坂が本村坂と呼ばれる。『杉並の通称地名』 下に「本村マンション」あり

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2006年3月22日 (水)

杉並区の坂-5

2006年3月22日

西荻窪駅・・・豆腐屋坂・・・薬罐坂③・・・稲荷坂・・・天祖神社・・・兼吉さん(かねきっつぁん)坂・・・光明院・・・堂前(どうめえ)坂・・・荻窪駅

 西荻窪駅北口から東に向い、わかば公園の所から北に豆腐屋坂を下りました。豆腐屋はありません。坂下から東に行き中田橋で善福寺川を渡り、八丁通りに出ました。南に善福寺川の神明橋辺りまで下る坂を『杉並の通称地名』では薬罐坂としています。この坂の道筋については諸説あるようで、すでに歩いた「杉並区の坂-1」(2005年12月16日)の時も二つの道筋(薬罐坂①②としました。)を歩いています。今日の道筋は薬罐坂③としておきます。

 坂下を善福寺川に沿い南東に行くと、置田橋の先でJR中央線の線路をくぐります。線路の南側の橋が本村橋です。橋の少し西側を南に入る坂が稲荷坂です。坂名の由来の穴稲荷は児童公園になってしまったのか見つかりませんでした。坂上を進むと天祖神社があります。坂下へ戻り置田橋から東に少し行くと、そば屋の本村庵あります。『杉並の通称地名』では、本村庵から四面道へ上る道を兼吉さん坂としています。この坂は、『今昔東京の坂』では薬罐坂としている坂です。(薬罐坂①とした坂。)

 坂上から光明院に寄りました。荻寺とも呼ばれ、荻窪の名の由来となった寺です。光明院の前の環8通りで善福寺川までの間ぐらいが堂前坂でしょうか?傾斜はほとんどありません。今日歩いた坂は傾斜もゆるく、坂らしい坂はありませんでした。

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DSC08069 豆腐屋坂  西荻北2-17と2-18の間を南に上る。《地図

豆腐屋があったわけではないが、この名は古くからあり、坂上の十字路ではサイノカミの火祭が行われた。『杉並の通称地名』

DSC08077 薬罐坂③  上荻3-1と2-5の間を北に上る八丁通り。坂下は善福寺川の神明橋。《地図

坂名の由来については「杉並区の坂-1」(2005年12月16日)に記載。

DSC08083 稲荷坂  南荻窪3-28と3-29の間を南西に上る。《地図

本村橋から天祖神社に通ずる坂。南荻窪3-28にある穴稲荷の西側の坂であるため。『杉並の通称地名』 穴稲荷は見当たらず。児童公園の所にあったのか

DSC08089天祖神社(南荻窪2丁目)

DSC08092 本村庵(上荻2-7のそば屋)

DSC08097 兼吉さん坂  上荻2-7と2-4の間を東から北東に上る。(薬罐坂①と同じ坂)《地図

本村庵から四面道へ登る坂。小張兼吉家(鳶職)の前を通る坂であった。小張家は、2-12に今でもある。

DSC08103光明院(上荻2丁目)

DSC08108 堂前坂  光明院の東側から善福寺川あたりまで下るの環8通り?《地図

光明院観音堂の南の坂なのでこの名がある。『杉並の通称地名』

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2006年3月20日 (月)

杉並区の坂-4

2006年3月20日

上井草駅(西武新宿線)・・・道灌橋公園・道灌橋跡・道灌坂・・・天祖神社・神戸(ごうど)坂・・・妙正寺公園・・・銀杏稲荷・稲荷坂・・・げんぼう坂・・・八幡神社(天沼2丁目)・・・小坂跡・天沼弁天跡?・・・荻窪駅

 昨日の強風の名残りがまだ吹いていました。上井草3丁目の道灌橋公園のそばに道灌橋跡の石柱が立っていました。井草川が流れていたのでしょうか。ここから南に早稲田通りまで上る坂が道灌坂です。道灌橋から北にも上り坂となります。

 早稲田通りを東に行き、妙正寺公園北の交差点を右に曲がると天祖神社があり、脇を神戸坂が下っています。傾斜はゆるやかです。神社境内の説明版に「神戸坂」の記載もあります。

 妙正寺公園から妙正寺川に沿い東に向いました。松下橋から北に銀杏稲荷の方へ上る坂が稲荷坂です。この通りは旧早稲田通りです。銀杏稲荷は銀杏稲荷公園にはなく、民家の間の路地の奥に小さい祠がありました。手入れ、保存の状態がよくないように見えました。坂下の早稲田通りを渡ると短い上り坂となります。これがげんぼう坂でしょう。『杉並の通称地名』に記載のあった「源坊の家」と呼ばれたという「篠家」が坂上近くにありました。そばに小さな稲荷社が祀られています。

 南西方向に行き、天沼本通りを越え、天沼2丁目の八幡神社に寄りました。すぐ近くの天沼弁天の門は全部閉ざされていました。廃寺になってしまたのでしょうか?八幡社から弁天池の通ずる道が小坂ですが、今は平な道で坂とは呼べません。

 帰宅してから調べると、『杉並区の地名の由来』というホームページに次のような記事がありました。「天沼3-23の所の瓢箪池に天沼池畔亭という料理屋があり、弁財天の祠を祀っていた。昭和50年に八幡の境内に移し跡地を売却。現在敷地の西南角に1m四方の弁天の祠があり、事務を八幡神社で取り扱っている。」 確かに道路に面して小さな祠がありましたがそれが弁天の祠とは思いませんでした。八幡神社境内に弁財天が祀られていることも気がつきませんでした。しかし、跡地は売却後、ずっとそのままになっているのでしょうか。

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DSC08017道灌橋跡の碑(上井草3丁目の道灌橋公園

DSC08021 道灌坂(坂上近くから。坂下の道灌橋辺りから再び上り坂となる。)  上井草3-8と3-5の農芸高校実習場の間を南に上る。坂上は早稲田通り。《地図

太田道灌豊島泰経を討った切通しに因む名。

DSC08029中瀬天祖神社(清水3-19) 

ご神体は石剣。江戸時代は十羅刹様と呼ばれていた。 

DSC08030 神戸(ごうど)坂  中瀬天祖神社と清水3-28の間を南西に上る。《地図

昔この地域は府中明神(大国魂神社)の四の宮の神領だったので神戸と名づけられたという。『杉並の通称地名』

DSC08032妙正寺公園(清水3丁目)

DSC08037ハクモクレン

妙正寺川沿い

DSC08046銀杏稲荷(下井草2-15)

旧下井草村の鎮守。以前はもっと広かった。

DSC08048稲荷坂  下井草3-4と2-15の銀杏稲荷公園の間を北に上る旧早稲田通り。《地図

DSC08060 げんぼう坂  本天沼2-42と2-43の間を南東に上る。坂下から早稲田通りを越え、旧早稲田通りとなり下井草駅方向へ上る。《地図

天沼本村の境から向井草に通ずる道はもと急な坂道で下井草方面に向って右が共同墓地となっていた。(中略)本天沼2-44にあった篠家を源坊の家と呼んだという。『杉並の通称地名』 篠家は今も坂上の本天沼2-42にある

DSC08062稲荷社

げんぼう坂の坂上近く、篠家のそば。

DSC08063地蔵さん(本天沼2丁目)

DSC08064天沼八幡神社(天沼2丁目)

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2006年3月18日 (土)

落語散歩-神田・日本橋・品川

2006年3月18日

秋葉原駅・・・神田川・柳原通り御神酒徳利・柳森神社・・・日本橋馬喰町御神酒徳利』・『宿屋の富』・『宿屋の仇討』ほか・・・長谷川町三光新道・三光稲荷百川』・『天災』・(日本橋堀留町2丁目)・・・椙森(すぎのもり)神社『宿屋の富』(日本橋堀留町1丁目)・・・浮世小路・福徳稲荷『百川』(日本橋室町2丁目)・・・日本橋・・・東京駅 → 品川駅・・・東海道品川宿居残り佐平次』・『品川心中』ほか・問答河岸の碑・・土蔵相模跡・・法禅寺・・一心寺・・品川橋(目黒川)・・荏原神社・・・海蔵寺・・・ゼームス坂・ゆうれい坂・・・大井町駅

 今日は落語に登場する所を歩きました。昭和通りの神田川に架かる和泉橋を渡り、柳原通りを西に行き柳森神社に寄り、東に戻り美倉橋から南に入り、馬喰町へ出ました。宿屋が多い所だったそうです。
 江戸通りを南西に進み、小伝馬町交差点から人形町通りに入り南に行くと、三光稲荷神社の路地があります。これが三光新道です。短い路地ですが落語の登場人物が多く住んでいた所です。

 人形町通りを渡り椙森神社に出ました。賽銭をあげ、熱心に手を合わせている男性の若者がいました。宝くじの大当たりをお願いしたのでしょうか。境内には富塚もあります。浮世小路の福徳稲荷は、福徳会館の屋上に祀られています。階段がついていますが、扉に鍵が掛かっていて上れませんでした。日本橋の上の高速道路は、小泉首相の一声で撤去されるのでしょうか。重要文化財の橋の上を高速道路が邪魔して、圧迫感があります。橋の上から空が仰げるようになって欲しいものです。

 東海道の品川宿だった商店街を歩きました。土蔵相模は品川宿の大妓楼です。荏原神社から目黒川を北に行き、第一京浜国道を渡り、ゼームス坂通りに入るとすぐに海蔵寺があります。「投込寺」と呼ばれ、行き倒れや、身寄りのない遊女などを葬ったそうです。ゼームス坂の坂上近くから入るゆうれい坂を上り下りし、大井町駅に着きました。

東西落語散歩

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DSC07924 和泉橋から神田川

DSC07929柳森神社

DSC07931 柳原通り

DSC07937 日本橋馬喰町1丁目

DSC07941 長谷川町三光新道

DSC07942 三光稲荷

DSC07950椙森(すぎのもり)神社

DSC07949 富塚(椙森神社境内)

DSC07953 三井越後屋ステーション(三越前)

DSC07956 浮世小路(日本橋室町2丁目)

DSC07959 福徳稲荷(浮世小路の福徳会館の屋上)

DSC07983 品川宿(東海道)

品川宿

DSC07979 土蔵相模のあった所

DSC07994目黒川から荏原神社を望む。

DSC07997 海蔵寺投げ込み寺・南品川4丁目)

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2006年3月17日 (金)

杉並区の坂-3

2006年3月17日

高円寺駅・・・氷川神社・・・高円寺・子育地蔵・・桃園川緑道・・・地蔵坂?・六つ塚跡・・東高円寺駅(地下鉄) → 新中野駅・・・鍋屋横丁・・・十貫坂・十貫坂地蔵堂・・・長延寺・ぼたもち地蔵・・・・・・常仙寺・・・和田帝釈天・・・鉈無坂?・・・小坂・・・左内坂・・・妙法寺・・・蚕糸の森公園・・・東高円寺駅(地下鉄丸ノ内線)

 今日は風の強い一日でした。高円寺には地蔵坂の由来となった子育地蔵が移されて祀られています。桃園川緑道を越え、地蔵坂?を上りました。途中に六つ塚と呼ばれる円墳型の墓らしいものがあったそうです。

 新中野駅から鍋屋横丁を通り、十貫坂を下りました。坂下近くに十貫坂地蔵堂があります。坂下から北西に進み、女子美術大学の北側を西に行くと、長延寺に出ます。境内にぼたもち地蔵が祀られています。長延寺の前の「坂」と呼ばれた道を往復し、常仙寺の前の坂を下り西に行くと、和田帝釈天があります。

 環7通りを渡り西に入りました。堀の内3-4の道が鉈無坂というのですが、3-4の区画には起伏がありません。少し西に行くと下りになりますが、これが鉈無坂でしょうか?よく分かりません。小坂は堀の内2-24の加納家の脇の坂です。坂下に「第一小坂マンション」があります。左内坂幼稚園の西側の左内坂を下り、堀の内のお祖師さまで呼ばれる妙法寺へ寄りました。祖師堂は本堂より立派です。鉄門は、イギリスの建築家コンドルの設計で重要文化財です。環7を北に行き青梅街道沿いの蚕糸の森公園の中を通り、東高円寺駅に出ました。

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DSC07820氷川神社(高円寺南4丁目)

境内に気象神社がある。

DSC07828高円寺(高円寺南4丁目)

DSC07829 地蔵坂の由来の子育地蔵(着物の下に子どもがいる)  

高円寺境内

DSC07836桃園川緑道

DSC07845 地蔵坂?  高円寺南2-37と2-36の間を南東に上る。坂上は環7通り。《地図

『杉並の通称地名』は高円寺に上る坂としていますが、坂らしい起伏がある道は見当たりません。消滅したのでしょうか?

六地蔵はいまは高円寺境内に移され「子育地蔵」といわれている。『杉並の通称地名』

DSC07851 鍋屋横丁(中野区本町4丁目)

DSC07858 十貫坂  杉並区和田と中野区の境

この坂については、『中野区の坂』(2005年12月14日)に記載してあります。

鎌倉街道中の道』の道筋でもある。

DSC07854 十貫坂地蔵堂

DSC07861 長延寺の「ぼたもち地蔵」(和田1-44)

DSC07864 常仙寺 

DSC07868 坂 長延寺前を南に下る。《地図》 

和田、堀の内方面から江戸へ荷車で品物を運ぶのに、手前の下り坂はよいが、向うの登り坂は重いので、特に「坂」と呼んで後押しをさせるものとした。『杉並の通称地名』

DSC07883 和田帝釈天(和田3丁目)

DSC07889 鉈無坂?  堀の内3-8と2-34の間を西に下る。《地図》 『杉並の通称地名』は、3-4の道とする。

この坂に住んだ某家は落ちぶれて屋敷の手入れが出来ず樹木は繁り、草が生え荒れはてていた。付近の人は木を伐る鉈もないだろうと噂して同家を鉈無とあだなしたと伝えている。一説に豪農で樹木が密生し外部から家ないのをそねみ、枝を切る鉈もないかと冗談で呼んだともいう。『杉並の通称地名』

DSC07892 小坂  堀の内2-34の加納家と2-33の間を北に上る。《地図

加納家の傍に小さい坂があり、これをとって同家の周囲を小坂と呼んだ。

DSC07891 小坂の坂下にあるマンション     

DSC07901 左内坂を望む 堀の内3-8と3-13の間を北に下る。《地図

坂名の由来不明

DSC07898 左内坂幼稚園

DSC07906 妙法寺山門(堀の内3丁目)

落語『堀の内

DSC07907 祖師堂(妙法寺)

DSC07914 妙法寺の鉄門(重要文化財)の上部

DSC07919蚕糸の森公園(和田3丁目) 

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2006年3月15日 (水)

杉並区の坂-2

2006年3月15日

久我山駅(井の頭線)・・・御女郎坂・・・馬頭観音・・・笠森坂・笠森稲荷・・・久我山稲荷神社・元坊坂・・・久我山駅 → 永福町駅・・・法印坂・・・永福稲荷神社・・・永福寺・・・永福橋(神田川)・・・永泉寺坂・・・永昌寺・・・龍泉寺・玉川上水公園・・・地蔵坂・・・永福町駅

 久我山駅前の六地蔵通りの商店街を、北に上るのが御女郎坂です。短くゆるやかな坂です。坂上を東に行くと馬頭観音の石碑が立っていました。その少し先から南に下るのが笠森坂です。これも短いゆるやかな坂です。坂上に「かさもり坂」の表示板がついています。坂の東側の小作氏宅内に笠森稲荷は祀られているようです。坂下から西に進み、久我山駅を通り越した所で、踏み切りを渡り、久我山稲荷神社へ出ました。神社に沿って元坊坂が北に上っています。

 久我山駅に戻り、永福町まで電車です。永福通りを南に少し進み、南東方向に入り法印坂を下りました。坂の途中から永福通りの方へ行くと、永福稲荷神社があり、少し離れて永福寺がありました。永福通りを神田川の永福橋まで行くと、南に永泉橋が上ります。坂上の東側に永昌寺、西側に龍泉寺があります。坂上を東西に伸びる公園は玉川上水公園です。大慈会(宗教法人?)の西側に沿って下り、神田川を渡り、北東に進むと、地蔵坂がゆるやかに上っています。北方向に進み永福町駅に出ました。今日歩いた坂は皆、ゆるやかでした。また、永泉寺坂を除いて短い坂でした。

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DSC07759 御女郎坂  久我山5-8と4-2の間を北に上る六地蔵通りの商店街。《地図

坂名の由来不明

DSC07762坂標

DSC07774笠森坂  久我山5-8と5-9の間を北に上る。《地図

坂上に笠森稲荷を屋敷神とする小作氏の住宅があったのでこう呼ばれた。『杉並の通称地名』 今でも、小作氏宅はあります。庭に笠森稲荷もあるようです。

DSC07764 笠森稲荷?(小作氏宅内)

DSC07765久我山稲荷神社

DSC07766元坊坂  久我山3-37の久我山稲荷神社と3-39の間を北に上る。《地図

昔、この坂の西(東の誤りか)、神社側に光明寺という寺があり、火災で移転し幕末に廃された。もと坊があったのでこう呼ばれたらしい。『杉並の通称地名』

DSC07779法印坂  永福1-27と1-34の間を北西に上る。《地図

和泉(今は永福か)1-34にもと日照寺という法印住職のいた真言寺があったが明治初年廃寺となった。この寺と中川家の間の坂を指す。旧和泉村と永福寺村の境。『杉並の通称地名』  (中川家は今でもある。) 現在の天理教の所に日照寺があったのか。

DSC07787永福稲荷神社

DSC07790永福寺

DSC07792永泉寺坂  下高井戸2-21の龍泉寺と、永福1-5の永昌寺の間を北に下る永福通り。坂下は神田川の永福橋。《地図

昔、永泉寺がここにあり、後に永昌寺と合併した。そこで永昌寺と龍泉寺の間の坂をこの名で呼ぶ。

DSC07805永昌寺

DSC07809龍泉寺

DSC07810北向地蔵(龍泉寺内)

DSC07815地蔵坂  永福2-9と2-10の間を北西に上る。《地図

神田川に谷に下る坂道で地蔵があった。『杉並の通称地名』

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2006年3月11日 (土)

板橋区の坂-5

2006年3月11日

小竹向原駅(地下鉄有楽町線)・・・だらだら坂・・・地蔵坂・・・西光寺・・・氷川神社・・・海老山坂・豊敬稲荷・下頭六蔵祠・下頭橋(石神井川)・・・暗闇坂・・・天祖神社・・・城山の・熊野神社・志村城址・・・平次坂・・・清水坂・・・魚藍坂・・・小豆沢神社・女坂の名残の石標・・・龍福寺・・・寺坂・・・北赤羽駅(埼京線)

 小竹向原駅から南東に上るだらだら坂を往復しました。文字通りの坂です。北に向い、大谷口2丁目の西光寺まで地蔵坂を上りました。境内に坂の由来となった代かき地蔵が移され祀られています。坂下近くの氷川神社に寄り、北東に進み川越街道に出ました。弥生町の2と4の間を通る道が旧川越街道でゆるやかに下ります。これが海老山坂らしいです。坂下辺りに豊敬稲荷、石神井川に架かる下頭橋のたもとに下頭六蔵祠があります。

 環7通りを渡り、ゆるやかな暗闇坂を上り天祖神社に向かいました。この坂は途中で行き止まりになり直接天祖神社には通じていません。天祖境内の狛犬の台座の窪みは昭和20年6月の空襲の爆弾の跡だそうです。ときわ台駅の北口から中央通り、富士見街道、前野中央通り、前野本通りと進み、志村小学校の下から城山の坂を上りました。坂上の熊野神社の所が志村城址です。本殿の西側に城の空濠の跡が残っています。城山通りへ出、北に平次坂を下りました。カーブして下る急坂で木が覆い被さっている所もあるけっこうな坂です。 坂下を少し行くと清水坂の坂下に出ます。

 清水坂を上り中山道を志村坂上で渡り、小豆沢通りを行くと小豆沢公園の東側から魚藍坂が環8通りまで北西下っています。坂の途中から北に上る坂に入り、小豆沢神社に出ました。正面の石段の脇に「女坂の名残」と読める石標が立っています。ただ、正面の石段(男坂?)も8段くらいしかなく、女坂も数メートルでしょう。昔は違っていたのでしょうか? 小豆沢神社の隣に龍福寺があります。境内のしだれ梅が見事でした。寺の東側を北から東にカーブして下るのが寺坂です。この坂も緑のあるいい坂です。坂下から環8通りを渡り、北赤羽駅へ向かいました。

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DSC07619 だらだら坂 向原2-34の向原小学校と2-24の間を南東にだらだらと上る。《地図

台橋道の一部 『いたばしの地名』

DSC07626 地蔵坂  大谷口上町90と大谷口2-67を南東に上る。《地図

付近に地蔵堂があったので名付けられた。地蔵は西光寺にて移され「しろかき地蔵」として祀られている。 『いたばしの地名』

DSC07630 代かき地蔵(西光寺境内・中世期の波形地蔵)

大谷口の代かき地蔵:「明日は村中あげて一斉に田植えというのに、日頃から仏様を深く信仰している心やさしいお百姓さんは一生懸命働いたが、まだ代掻き(しろかき)が半分も終わっていない。するとこれを見かねてお地蔵さんが一夜のうちに代をかいてくれた。それからというもの大谷口村の人々はこのお地蔵さんを「代かき地蔵尊」として厚くお祭りしたというお話。『いたばしの昔ばなし』より

DSC07631西光寺

DSC07633氷川神社

DSC07639 海老山坂  弥生町2と4の間を北西に下る旧川越街道。《地図

上板橋、下宿あたりは、江戸時代より海老山といい、飢饉に備えた稗蔵があった。ヒエが訛ってエビになった。川越に向う時の宿場の入口で、下りの坂道でしたので海老山坂と呼ばれていました。 『いたばしの地名』・『郷土 板橋の坂道』 ヒエがエビに転訛するだろうか? 尻取りなら分かるが。

DSC07643豊敬稲荷神社  

海老山坂の坂下近く

DSC07645下頭六蔵祠  下頭橋(石神井川)たもと

DSC07648 下頭(げど)橋から石神井川

下頭の六蔵と呼ばれていた乞食が、橋のたもとで受けた喜捨の金をもとにして、この橋を架け替えたとも伝わっている。

Dsc07657 暗闇坂  南常盤台1-24と1-20の間を北西に上る。《地図

下頭橋から始まる前野道は、天祖神社に向って上り坂となります。この坂を暗闇坂と呼びました。『いたばしの地名』
崖の上から覆い被さる樹木で昼なお暗かったというが、今は明るい、崖も傾斜もほとんどない道。

DSC07654天祖神社

DSC07653 狛犬の台座に空襲の爆弾の跡

DSC07663 城山の坂  志村2-15と志村小学校の間を東に上る。《地図

志村坂上の中山道から別れ、ここを通り、中台の南坂を登りやがて下練馬宿に至る大山道の一部。崖上一帯に志村城があった。

DSC07675熊野神社(志村城址の二の丸)

DSC07676 志村城の空濠跡

DSC07681 平次坂  志村2-5と2-11の間を南に上る。《地図

いつの頃か平次という人が開いたと言います。台地の上と下を結ぶ坂道で清水坂を回らなくとも近道なので、農家の人々が利用しました。急勾配に加え崖から清水が道いっぱいに流れてくるので歩くのに大変でした。この様なところなので蛇が多く平次が転訛して「へび坂」と呼ばれていました。 『いたばしの地名』

DSC07689 清水坂  志村2-4と2-7の間を曲がりながら東南に志村坂上まで上る旧中山道。《地図

坂の中程を左に入った所に大善寺があり、徳川吉宗が鷹狩の折りに休憩して崖より落ちる清水を賞して、寺の本尊の薬師如来を清水薬師と命名したことから清水坂と呼ばれる。隠岐殿坂は大善寺の僧と勧進してこの坂を開いた隠岐守某にちなむ。地蔵坂は坂の中程にあった石の地蔵尊(元禄4年(1691)造立)による。勧進の由来の石碑と地蔵尊は坂上の総泉寺に移されている。 『郷土 板橋の坂道』 途中で大きく曲がる所が旧中山道で唯一右手に富士山が望め、「右富士」という名所だった。

DSC07701 魚藍坂  小豆沢3-1の小豆沢公園と4-6の間を北西に環8通りまで下る。《地図

新河岸沿いで漁業をしていた人々が、農業を始めた時、今まで使っていた多くの魚藍(びく)を一ヶ所に埋め塚を作った。その塚を「八百魚藍塚」と呼び、そこから始まる坂の名称にもなった。 『いたばしの地名』

『郷土 板橋の坂道』では、「村人が農業に転じた時、勝手に漁を行わないように魚藍(びく)を埋めた。」とするが、今まで使っていたびくに感謝して塚を築いて埋めたのではないだろうか。

DSC07706 魚藍坂の途中の地蔵さん

DSC07712 魚藍坂の途中から北に上る坂。

DSC07722 小豆沢神社

DSC07723 「女坂の名残」?と読める石標

DSC07726 女坂の跡?

DSC07720 小豆沢神社の脇へ北から上る石段坂

DSC07728 龍福寺

DSC07743しだれ梅

DSC07751 寺坂(坂上から)  小豆沢4-15と4-16の間を南西から曲がって南に上る。《地図

龍福寺の裏を降りる坂の名前です。 『いたばしの地名』

この先は荒川(現新河岸川)に行き着き、江戸時代から舟運で栄えた小豆沢河岸(大根河岸)や、浮間の渡し場があった。『郷土 板橋の坂道』

DSC07757 寺坂(坂下から)

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2006年3月 9日 (木)

板橋区の坂-4

2006年3月9日

東武練馬駅(東上線)・・・お伊勢坂・・・宮の下交差点・・・向坂・・・鷹番の坂・・・宮坂・・・北野神社・郷土芸能伝承館・・・大坂・・・赤塚公園・・・番場の坂・・・番場稲荷の坂・・・西徳第2公園・・・天祖神社・・・神明坂・・・馬坂・・・京徳観音堂・・・伝兵衛坂・・・天狗坂・・・バス停志村高校裏 → 浮間舟渡駅(埼京線)

 東武練馬駅から西に進み、徳丸石川通りを北に入ると「おいせ坂上」のバス停辺りから北にお伊勢坂が下ります。坂下から東に、西徳通りを行くと宮の下交差点に出ます。ここから徳丸通りを北西に鷹番の坂が、南東に向坂が上っています。

 鷹番の坂の坂上近くで、徳丸槙の道を東に入り坂を上ると、北野神社の前から前谷津川緑道辺りまで宮坂(天神坂)が下っています。かなりの急坂です。北野神社から北に進むと、松月院通りの徳丸7丁目の交差点の先から大坂が北に下っています。途中に小さな稲荷の祠がありました。坂下を西に行き、赤塚公園の中を南西に上る番場の坂を上りました。坂上付近から南に入り松月院通りまで上る坂です。

 松月院通りを東に進み、不動通りを南に曲がりました。徳丸2丁目の中尾不動尊に因む通りの名でしょうか。徳丸1丁目の交差点から東に入り番場稲荷の坂を上りました。現在、稲荷は天祖神社に合祀されているそうです。西徳第2公園の脇を下り、志村第5小学校へ上る石段を上り、天祖神社に出ました。神社の本殿は古墳の上に築かれたそうです。合祀されている番場稲荷を見るのを忘れました。(2006年9月7日再訪) 神社の正面から神明坂が北に下っています。

 坂下から西から南に天祖神社下を巻くように上るのが馬坂です。傾斜はゆるやかです。坂上を東に行くと、京徳観音堂があります。観音堂の前に庚申塔と地蔵さんが立っています。堂の前の道は、江戸時代に代官が巡視に通った峡田(はけた)道だそうです。

 峡田道を東に行き西台中央通りを渡り、志村高校に向かいました。高校の西側を下るのが伝兵衛坂です。坂下を東へ行き若木通りに入ると上り坂になります。これが天狗坂です。坂下へ戻り、志村高校裏のバス停から浮間舟渡駅までバスに乗りました。

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DSC07477 お伊勢坂  徳丸4-32と4-33の間を南に上る徳丸石川通り。「おいせ坂上」のバス停がある。《地図

小字京宗の台地の先端の小高い所にあった伊勢社へ、字石川の低地から登って行った坂です。 『いたばしの地名』

DSC07493 向坂(坂下近くから)  徳丸通りの宮の下交差点から南方向に上る.。《地図

通称、「むけい坂」とも呼びます。徳丸出張所前の東京電力高圧送電塔が建っている小高いところで、徳丸本村の台地から望む南方の向山に登って行く坂道です。現在の徳丸通りです。『いたばしの地名』 北側の徳丸台地から望めば、向かいの台地を上がる坂となる。『郷土 板橋の坂道』

DSC07504 鷹番の坂(坂上近くから坂下方向) 徳丸通りの宮の下交差点から北西に上る坂。《地図

高番の坂とも書く。徳丸ケ原は徳川将軍家代々の鷹狩りの場所であったので鷹番の番所でもあったのかともいわれる。『郷土 板橋の坂道』

DSC07510 宮坂  前谷津川緑道の徳丸6-6と6-7の間から北に北野神社に上る坂。《地図

坂上に北野神社。昔は赤土の急坂で、上り下りに大変難儀した坂。別名を天神坂

DSC07501 前谷津川緑道

DSC07517北野神社

DSC07520 郷土芸能伝承館

DSC07532 大坂  徳丸7-20と8-19の間を南に上る徳丸槙の道。《地図

徳丸台地から荒川低地に下る坂で一番古く重要な坂の名称です。『いたばしの地名』

北の神社の「田遊び」の唱え言葉にある、「・・・大坂をぞっとおりて 早瀬の渡しをぞっとこえて・・・」の大坂はこの坂であろうといわれる。『郷土 板橋の坂道』

DSC07531 大坂の途中の稲荷の祠

DSC07543 番場の坂  徳丸8丁目の赤塚公園の8-17と8-23の間を南西に上り、途中で曲がり8-13と8-6の間を南に上る。《地図

坂の上に番場屋号の家があります。その東裏に湧水があって代官から水番を命ぜられ、その番小屋があったといいます。『いたばしの地名』 徳丸台地の農家の人たちが徳丸田圃(今の高島平)に行くのに一番通った坂道。郷蔵があり蔵番が置かれていた。『郷土 板橋の坂道』

DSC07554 番場の坂(途中から南に入り上る坂)

DSC07560 番場稲荷の坂  西台3-8と3-9の間を南東に上る。《地図

この坂の南側一帯は番場と呼ばれ、現在、天祖神社に合祀されている番場稲荷の前の坂で、上板橋から中台を経由して徳丸へ抜ける道。

Dsc05018_1 番場稲荷神社(天祖神社境内)

番場稲荷の坂にあった稲荷。(2006年9月7日撮影)

DSC07563 志村第五小学校の前の道に上る石段を望む。

DSC07568天祖神社

DSC07575 神明坂  西台2-9と2-10の間を南に天祖神社上る。《地図

西台の総鎮守の天祖神社(明治6年に神明社から改称)への参道。『いたばしの地名』

DSC07583 馬坂  西台2-8と2-29の間を南西に上る。《地図

天祖神社下の台地のへりをまく長い登り坂をいいました。『いたばしの地名』 

地元では「まさか」と呼んでいる。坂上から右に折れる道が吹上観音に向っていた。崖下に山口という名主の家があり、村人は「まさかの家」と呼んでいた。『郷土 板橋の坂道』

DSC07592 京徳観音堂

DSC07597 伝兵衛坂  西台1-41の志村高校と1-52の間を南西に上る。《地図

志村高校西側の坂。坂の上は民家はなく畑でした。伝兵衛は人の名ですが、不明です。『いたばしの地名』

DSC07611 天狗坂  若木3-6と中台3-27の間を南東に上りカーブして南に上る若木通り。《地図

坂下に天狗杉が聳えていた。坂上に松林があったので別名を松山の坂。台地の家と低地の畑を結ぶ道で現在若木通り。松林は昭和の初め頃には一面の畑に変わってしまった。『郷土 板橋の坂道』・『いたばしの地名』   

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2006年3月 8日 (水)

板橋区の坂ー3

2006年3月8日

成増駅(東上線)・・・天神下公園・・・菅原神社・・・石坂・・・(赤塚)氷川神社・・・出口坂・・・赤塚城跡・・・赤塚公園・板橋区立郷土史料館・・・馬坂・・・しったり坂・・・諏訪神社・・・藪坂・・・乗蓮寺・東京大仏・・・松月院・・・つるし坂・・・六道の辻・・・成増駅

 今日は暑いくらいで、坂を上ると汗をかくほどでした。成増4丁目の天神下公園から北に上ると、途中に菅原神社があります。この坂を石坂と思っていましたが違っていました。菅原神社から西に急坂が下っています。西側が開けいい景色が望めます。菅原神社の石段を下り坂を上り少し進むと下り坂になります。これが石坂のようです。直線的な長い坂です。

 石坂下から三園通りに入りました。南方向に上る長い坂です。坂名はあるのでしょうか? 坂上近くから東に入り氷川神社に寄り、さらに東に行き急坂を下ると赤塚城跡の西側に出ます。この辺りに城の出入り口があったそうです。城跡に沿って、長く曲がりながら南に上るのが出口坂です。赤塚城の本丸跡に上り、郷土史料館に下りました。資料館を見学し、新大宮バイパス沿いの馬坂を上りました。これも長くて直線的な坂です。

 大門みはらし台公園の所でバイパスを渡り、しったり坂を下りました。この坂は今では途中から赤塚公園の中に入ります。公園内のバイパスの手前が坂下となっています。坂上に戻り、西に進み赤塚公園と乗蓮寺(東京大仏)の間の藪坂を上って、乗蓮寺に寄り東京大仏を見ました。昭和40年代に作られた大仏だそうで、かなり大きいです。松月院に寄り、松月院通りを南西に進み、赤塚庁舎前の交差点の先で北に入り、つるし坂に出ました。下って上る坂で、今は傾斜もさほどではなく短い坂です。松月院通りに戻り、六道の辻から西に入り成増駅に向かいました。

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DSC07349 成増4丁目の天神下公園から上る坂

DSC07356菅原神社(成増ー3)

DSC07357 菅原神社前から西に下る坂。

DSC07364 石坂  成増5-18と4-33の間を南西に上る。《地図

菅原神社の石段を上って、吹上観音(和光市)に向うと、やがて台地から下る坂をいいます。『いたばしの地名』 

坂名の由来は成増村になる以前の石成村からか。『郷土 板橋の坂道』 

DSC07367氷川神社(赤塚4-22)

DSC07372 赤塚城跡の西側に下る坂

DSC07377 出口坂  赤塚5-35の赤塚公園(赤塚城跡)と赤塚4丁目の間を南方向に上る。《地図

赤塚5-35あたりは中世の赤塚城跡です。城の西側に出口があったので、大手にあたる地帯を(脱字)といいます。またここを通る急坂を出口坂といい、台地上に出て、原、向台の地を通り六道の辻を通って、川越街道に出る道があります。『いたばしの地名』

DSC07388 赤塚城本丸跡

DSC07400板橋区立郷土資料館

DSC07390 旧田中家(前の樽は漬物樽、大根4千本以上入るそうです)

DSC07404 馬坂  赤塚8-20辺りから新大宮バイパス沿いに南東に上る。(かつてはもっと先まで下っていたのでしょう。) 《地図

大門の台地から高島平に下る坂、みはらし台公園の所です。地名の起こりは台地上に住む赤塚の人たちが、農作業で低地の田んぼへ行き来する馬のために開かれた坂道です。『いたばしの地名』 

しったり坂は牛馬が通れないので新しく開削した坂。しかし馬車、牛車ででこぼこになり、人はしったり坂を利用したという。新大宮バイパスと重複しているため昔の坂の姿を留めていない。『郷土 板橋の坂道』

DSC07424 しったり坂(坂下)  赤塚公園内の大門16から南に上り、一般道路に出て、大門11と14の間を南に上る。《地図

諏訪神社の西から「くの字」形に田んぼに下る急坂で、かまくら道の道筋とされる要路でした。(中略)呼称は上体をそらせ腰を下げ、尻を垂らすように下るので「尻垂り」、また坂の途中から清水が沸き湿気がこもるので「湿ったり」の二説があります。

DSC07423 しったり坂(赤塚公園内を上る)

DSC07430 しったり坂(坂上から公園の下り口を望む。)

DSC07433諏訪神社(大門11-1)

DSC07441 藪坂  赤塚5-29と5-30の間を南西に上る。《地図

赤塚5丁目26,27辺りを藪と呼んでいます。不動の滝の前から赤塚城跡の台地との間を通る挟間道を登ってきた笹の繁みの深い地域で、藪と呼ばれています。『いたばしの地名』

DSC07445乗蓮寺(赤塚5-28)

DSC07452 東京大仏

DSC07461 松月院(赤塚8-4)

DSC07462 つるし坂  赤塚5-9と5-10の間を北西に上る。《地図

「つる」は水流で「し」は接尾語であり、雨の時は大いに水の流れるさまを意味します。この坂道に通ずる道が、大堂下の旧前谷津川を渡る「亀橋」に続き、そんな所から対照的に「鶴嘴坂、つるし坂」とつると亀のめでたい意味付けがなされていました。『いたばしの地名』

DSC07470 つるし坂(南東に上る。) 

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2006年3月 7日 (火)

世田谷区の坂-4

2006年3月7日

二子玉川駅(大井町線)・・・まむし坂・・・(丸子親水公園)・・・岡本静嘉堂緑地・おんな坂・岡本八幡神社・男坂・岡本民家園・岡本公園・・・堂ケ谷戸橋・堂ケ谷戸坂・アルジェリア大使館・・・(水神橋)・・・大蔵氷川神社・・・永安寺・新坂・・・バス停永安寺→調布駅(京王線)→仙川駅・・・旧甲州街道・・・仙川坂・大川橋・給田坂・・・仙川駅(京王線)(井の頭線)(小田急線)→東北沢駅・・・馬場坂・・・東北沢駅(小田急線)

 丸子川に架かる雁追橋からまむし坂を上りました。坂標はありませんが、坂の途中に「まむし沢」の石柱があります。まむしが沢山いたのでしょう。丸子川に沿いに丸子川親水公園を進み、岡本静嘉堂緑地と岡本民家園の間から北に入ると、岡本八幡神社があります。正面の石段(男坂)に向う手前に「右、おんな坂」と書かれたの石標が立っています。おんな坂を上り、神社に参り男坂の石段を下りました。

 岡本民家園を見学し、丸子川沿いに進むと、堂ケ谷戸橋へ出ます。ここから北東方向に上るのが堂ケ谷戸坂が上っています。坂上にアルジェリア大使館があります。丸子川をさらに西に行き、仙川の水神橋を渡り少し行くと北側に大蔵氷川神社があります。門の前に庚申塔が並んでいます。氷川神社の西にある、永安寺の西側の新坂を上りました。新しく開かれた坂のようで、寺、墓地が坂に沿ってありますが、暗い感じはしません。

 新坂下から永安寺のバス停へ出て、調布駅まで乗りました。仙川駅で降り、旧甲州街道へ出て、北東(東京方面)に行き仙川三差路から大川橋へ仙川坂を下りました。坂下からは給田坂となり上ります。仙川駅から乗り継ぎ東北沢駅で降り北へ行き、北沢公園の西側辺りから馬場坂を下りました。坂の途中に小さな地蔵堂が祀られていました。

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DSC07265 まむし坂  瀬田4-8の玉川病院寮と4-9の間をカーブして北方向に上る。(丸子川(六郷用水)の雁追橋から上る) 《地図

まむしが沢山生息していたのか。

Dsc02799 まむし坂の位置(治太夫堀(六郷用水)の説明板。上が南)

中央右あたりに「まむし坂」がある。その右に「馬坂」・「女坂」もある。

DSC07264 まむし沢の石標(坂の途中)

DSC07280岡本静嘉堂緑地

DSC07281 おんな坂の坂標

DSC07285 おんな坂  岡本2-23の静嘉堂緑地の西側と2-20の岡本民家園の間を岡本八幡へ上る石段。正面の石段(男坂)の右側(東側)《地図

DSC07289岡本八幡神社

DSC07292 正面の石段(男坂)

DSC07296岡本民家園

DSC07297 岡本公園

DSC07300 堂ケ谷戸坂  岡本2-17と3-30の間を南西に堂ケ谷戸橋(丸子川)まで下る。坂上にアルジェリア大使館。《地図

DSC07309大蔵氷川神社

DSC07311 氷川神社前の庚申塔

DSC07316永安寺

DSC07320 新坂  大蔵6-4の永安寺と6-15の間を北東に上る。《地図

新しく開かれた坂のようだ。

Dsc02801 新坂の位置(治太夫堀の説明板)

中央下あたり。

DSC07328 仙川坂  給田3-18と3-25の間を大川橋(仙川)から南西に上る旧甲州街道。《地図

DSC07333 給田坂  大川橋から北東に上る。坂下で仙川坂に向き合う。仙川左岸の坂。《地図

DSC07338 給田坂下近くから仙川坂を望む。

DSC07344 馬場坂  北沢4-5と3-14の間を北東に上る。《地図

DSC07347 馬場坂の途中の地蔵堂

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2006年3月 5日 (日)

北区の坂-5

2006年3月5日

西ヶ原駅(地下鉄南北線)・・・熊野坂・不動院・新熊野坂・・・下瀬坂・・・道音(どういん)坂・・・牛蒡・・・御代台の坂・・・子育観音・・・八幡神社・狐塚の坂・伏見稲荷・重吉稲荷・・・観音橋・・・谷津観音の坂・寿徳寺(谷津子育観音)・・・音無川・・・王子駅

 晴れて暖かい好天の中、西ヶ原駅から南に行き、熊野坂を下りました。坂下近くに坂名の由来となった熊野神社があった不動院があります。新熊野坂は西ヶ原3の交差点から北に上ります。坂下を南に進み、右に曲がり南西方向に行き下瀬坂の坂下に出ました。外語大学と武蔵野高校の間の下瀬坂を上り、都電荒川線を越えた所で右、北東に入り進むと道音坂の下りとなります。道音坂の坂上付近から北に、短くゆるやかな牛蒡坂が下っています。

 道音坂上から西に進み、国道17号に出て、滝野川5丁目の宮元商店街の御代台の坂を下りました。八幡通り商店街を越えさらに下ると坂下に子育地蔵が祀られています。八幡神社へ参り、北側の狐塚の坂を上りました。坂上付近に古塚というのがあります。坂上の消防署は、狐塚という塚の上に建っているそうです。今は伏見稲荷を祀っています。国道の向かい側の郵便局の隣に、道標があったという重吉稲荷があります。

 狐塚の坂の途中を北に入り、音無川の観音橋を渡ると、谷津子育観音の寿徳寺への谷津観音の坂が上っています。子育観音は秘仏でした。音無川(石神井川)沿いに王子駅に向かいました。

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DSC07204 熊野坂  西ヶ原3-23と3-31の間を北東に上る。《地図

不動院の裏に熊野神社があった。坂上の東西の道は板橋道と呼ばれた鎌倉街道。『北区の坂道』

DSC07205 不動院

DSC07211 新熊野坂  西ヶ原3-31と3-32の間を北に上る。《地図

DSC07217 下瀬坂  西ヶ原4-51と4-52の間を北西に上る。《地図

明治32年に設けられた海軍の下瀬火薬製造所による。『北区の坂道』

DSC07222 道音(どういん)坂  滝野川1-32と西ヶ原4-42の間を南西から西に上る。《地図

鎌倉街道で、道音塚があったと伝えられる。『北区の坂道』

DSC07225 牛蒡坂  滝野川1-33と1-37の間を南に上る。《地図

滝野川村の滝野川牛蒡によるもので、この辺りは牛蒡、人参の生産が盛んであった。『北区の坂道』

DSC07231 御代台の坂  滝野川5-21と5-12の間を南西に上る。《地図

DSC07235 子育地蔵(御代台の坂を下りきった所)

寛文11年(1671年)造立。

DSC07239滝野川八幡神社(狐塚の坂の坂下)

DSC07242 狐塚の坂  滝野川5-26と5-48の間を南西に上る。《地図

坂上の滝野川消防署の出張所は、狐塚という塚の跡に建っていて伏見稲荷を祀っている。『北区の坂道』

DSC07250 伏見稲荷

DSC07251 重吉稲荷(滝野川6-76)

DSC07257 谷津観音の坂  滝野川4-15と4-23の間を北に上る。《地図

坂上の寿徳寺の谷津子育観音による。『北区の坂道』

DSC07262寿徳寺 

新撰組の近藤勇、および隊士の菩提寺でもある。

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2006年3月 4日 (土)

北区の坂-4

2006年3月4日

王子駅・・・飛鳥大坂・・・飛鳥山公園・・・六石坂・・・妙見寺・妙見(寺)坂・・・西ヶ原一里塚・・・七社神社・・・平塚神社・蝉坂旧蝉坂の石段・・大炊介坂・・・大竜寺・八幡神社・八幡坂・・・ポプラ・・・石坂(早川坂?)・・・日枝神社・・・東覚寺・赤紙仁王尊・田端八幡男坂・女坂・・・東覚寺坂・・・の坂・・・与楽寺坂・・・与楽寺・・・幽霊坂・・・与楽寺坂・・・不動坂・・・江戸坂・・・もち坂・・・車坂跨線橋・・・車坂?・・・上中里駅

 飛鳥大坂を上り、本郷通りを進むと六石坂の上りとなります。飛鳥山公園の渋沢英一史料館の先を北に入ると、妙見寺があり妙見寺坂がJRの線路まで下っています。戦前は渋沢邸の横裏なので土地の人は横裏坂と呼んでいたそうです。本郷通りに戻ると、西ヶ原の一里塚があり、そばに七社神社があります。平塚神社の辺りは平塚城があった所だそうです。神社沿いに蝉坂がきれいにカーブして上中里駅まで下っています。

 古河庭園に沿う大炊介坂を下り東に入り、JR山手線の線路を越え八幡神社に出ました。神社に沿って八幡坂が上ります。坂下の赤紙仁王通りを東に少し行くと、ポプラ坂が北に上ります。赤紙仁王通りをさらに進み、石坂(早川坂?)を上りました。途中で二つに分かれ、右は滝野川第一小学校へ、左はポプラ坂の坂上に上ります。

 石坂の東側に東覚寺があり門前に2体の赤紙仁王が全身に赤紙を張られ立っています。自分の悪い所と同じ場所に赤紙を張り祈ると治るそうです。仁王さんは、顔まで赤紙を貼られ呼吸もできないくらいです。治ったお礼で奉納された沢山の草鞋も吊るしてあります。 東覚寺の隣に田端八幡神社があります。神社の東側を直線的に東覚寺坂が田端高台通りまで上っています。

 坂上から東に入ると上の坂の石段が下っています。坂下を東に行くと与楽寺坂の坂下付近に出ます。幽霊坂は与楽寺の南側を北東に上る坂で、けっこう暗さのある名にふさわしい坂です。与楽寺坂を上ると坂上で田端高台通りを挟んで、不動坂の石段が田端駅まで下っています。駅の西口へ出て江戸坂を上り、高台通りを西に進み、山手線を越えて北に入りJR(京浜東北線ほか)の線路沿いの道に出ました。

 上中里1-10?の所にもち坂の坂標が立っています。(JRの金網のフェンスには上中里2-44の表示板がついています) 駒込辺りから尾久方面に向う坂が通っていたらしいです。高台通りから北に下り、坂標の辺りで今はJRの敷地の崖を下り、尾久へと続いていた道があったのでしょう。線路沿いに西に進むと滝野川女子学園の先あたりに、車坂跨線橋があります。学園の東側を曲がりながら南に上る坂へ続きます。これが車坂でしょうか? 坂上から西に入り、上中里駅へ出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

DSC07045 飛鳥大坂  飛鳥山公園の西側から南東に上る明治通り、日光御成道.。《地図

DSC07054飛鳥山公園

飛鳥山

DSC07061 六石坂  飛鳥大坂の坂上から南東に上る本郷通り。《地図

かつて坂上に租六石を納める水田があった。【坂標】

DSC07059 渋沢英一史料館(飛鳥山公園内)

DSC07062 妙見寺

DSC07072 妙見(寺)坂  西ヶ原2-7と飛鳥山公園の東側を南に上る。《地図

『坂上付近に戦時中、尾久から移ってきた妙見寺がある。それ以前は無名、しいていうと土地の人は渋沢邸の横裏坂といっていた。かつては山腹から滝が落ちていた。王子七滝の一つ「大工の滝」とかいうそうだ。また坂上から筑波山が望めた。』  以上は赤羽図書館にあった、何かの本か新聞のコラムの「史跡漫歩」という一ページのコピー記事を要約したもの。筆者は宮尾しげを。47年12月1日という書き込みがある。「大工の滝」は「王子七滝」の一つの石神井川の滝で、位置が違うのでは?

DSC07080西ヶ原一里塚跡

日光御成道の日本橋から2番目の一里塚跡

DSC07079 七社神社

DSC07082 平塚神社

豊島氏平塚城伝承地

DSC07086 蝉坂  JR京浜東北線の上中里駅から平塚神社の東側を本郷通りへ南方向に上る。《地図

城に因んだ「攻坂」の転訛ともいわれるが、城としては「攻」を忌むとの説もある。『北区の坂道』

Dsc01146 蝉坂の途中から南に上る石段を『北区の坂道』では旧蝉坂とする。《地図

Dsc01150_1 城官寺(旧蝉坂の坂上先)

DSC07097 大炊介坂  西ヶ原1丁目の本郷通りの霜降橋から北に古河庭園の東側を上る。《地図

旧家保坂大炊介による名。暗闇坂、宮坂の別名がある。

DSC07102 八幡神社

DSC07106 八幡坂  田端3丁目と4丁目の間を北東に上る。《地図

(上田端)八幡神社に沿う坂。

DSC07115 ポプラ坂  田端3-18と3-19の間を北に上る。《地図

坂上西側の田端保育園の所にポプラ並木に囲まれたテニスクラブがあった。『北区の坂道』

DSC07126 石坂  田端2-9と3-17の間を北に上る。途中から左右に分かれ上る。左の坂はポプラ坂上に出る。『今昔東京の坂』に記載のある坂。《地図

『東京の坂道』記載の早川坂と同じ坂か。(左右に分岐する所から坂下を望む。)

DSC07128 東覚寺 

田端八幡神社の別当寺

DSC07134赤紙仁王像(東覚寺門前)

昔は田端八幡神社の参道入口に立っていた。病治癒を願う赤紙が全身に貼られている。

Dsc01161 吽形(左側の顔)

(2006年5月31日撮影)

Dsc01162 阿形(右側の顔)

DSC07140田端八幡神社

DSC07137 田端八幡男坂(左)・女坂(右)《地図

DSC07145 東覚寺坂  田端2-12の東側を北に高台通りへ上る。田端八幡の東側の坂。《地図

DSC07158上(かみ)の坂  田端1-18と1-19の間を北に上る石段。与楽寺坂の西側。《地図

坂名の由来不明。坂上西側に芥川龍之介の邸(澄江堂)があった。(『続澄江堂雑記』)
墨田区の両国が生育の地(『竪川を歩く』)で、横須賀の汐入町の長源寺坂の坂下の尾鷲家に下宿していたこともある。(『横須賀市の坂②』

DSC07168与楽寺

江戸六阿弥陀」の4番

DSC07161 幽霊坂  田端1-25と1-30の間を東に上る。与楽寺の南側。《地図

DSC07173 与楽寺坂  田端1-25と1-17の間を北から北東に上る。《地図

DSC07179不動坂  田端駅南口から高台通りへ上る石段。《地図

田端駅東口付近に石造の不動明王立像を祀った不動の滝があった。現在は田端不動尊(田端3-14)に移されている。【坂標】

Dsc01153_1田端不動尊(田端3-14)

Dsc01160不動明王立像

40~50cm位の小さな像だが精悍で勇猛な顔立ち。

DSC07185 江戸坂  田端駅西口から曲がって高台通りへ南西に上る。

かつて坂上から江戸市中が見えた。『今昔東京の坂』

DSC07194 もち坂の坂標(坂標には上中里2-44と記載がある。) フェンスの向うはJR(京浜東北、新幹線ほか)の線路。《地図

大きなもちの木があったのか。

DSC07192 坂標に向って南から下って来る坂。(傾斜ゆるい)

線路がない頃は真直ぐ下って尾久方面に続いていた坂か。

DSC07196 車坂跨線橋

DSC07199 車坂跨線橋

DSC07198 車坂 (車坂跨線橋より)

DSC07202 車坂(坂上から)  上中里1-12と1-27の滝野川女子学園の東側から北に下り、JR線路沿いに西に曲がり、車坂橋でJRの線路を跨ぐ坂。《地図

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2006年3月 3日 (金)

北区の坂-3

2006年3月3日

赤羽駅・・・静勝寺・稲付城址・静勝寺の坂・・・亀ケ池弁財天・弁天池の坂・・・三日月・・・弁天坂・・・蛇坂・・・北谷(きたやつ)・・・市場坂・・・法安寺坂・法安寺・・・庚申・・・鳳生寺坂・鳳生寺・・・野間坂・稲付公園・・・水車の坂・・・遊鯉園の坂・・・真正寺・・・中坂・・・赤羽駅

 静勝寺は、太田道灌の稲付城があった所です。境内に道灌堂があります。静勝寺坂上から赤羽西4の交差点へ出て、亀ケ池弁財天へ寄りました。社の中に小さな池が作られています。弁天池の坂は南へ、赤羽台団地へ上る坂です。赤羽西4の交差点に戻り、北西に三日月坂を上りました。別名を道灌坂といい、坂下近くに道灌湯があります。

 坂上を西に進み、弁天坂を下り、南西方向に行き蛇坂を上りました。道幅は広いですが何度も曲がる坂で、坂上は三岩通りです。蛇坂の坂標に「蛇坂とその西にある市場坂との間の谷を北谷といった。」とあります。蛇坂の坂上近くから西に階段が下っています。階段下が北谷でしょう。そして、さらに西に行くと階段が上っています。階段上の坂が市場坂と思います。法安寺坂の東隣です。

 法安寺坂の途中の法安寺は工事中でした。坂上の三岩通りを西に少し行き、西が丘1の交差点から下るのが庚申坂です。ゆるやかに下り、右に、北東に下る辺りで少し傾斜が出てきます。坂上の三岩通りまで戻り、蛇坂の坂上を南東方向に入り、鳳生寺坂を下り、鳳正寺に寄りました。寺の前を東に進み、南西に野間坂を上ると稲付公園です。

 さらに進むと、石段の水車の坂が南東に下っています。坂下の稲付川に明治の頃、水車場があったそうです。稲付川は今は暗渠になっています。坂下から遊鯉園の坂が上っています。戦前まで川魚の料亭があったそうです。坂下を北東に行き岩槻街道に出て左に、北方向に進み交番の所で西に入る真正寺坂に出ました。坂下に「これより板橋道」の庚申の道標があります。上りはじめは傾斜はありませんが、南にカーブする辺りから少し傾斜がつきます。坂の途中まで戻り、北に入り三日月坂の坂上から中坂の坂上に出ました。下って岩槻街道を北に行き赤羽駅に着きました。

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DSC06918 静勝寺の坂  赤羽1-22の静勝寺正面の石段の南側を南から西に上る。《地図

静勝寺は太田道灌が築いた稲付城跡にあり、この丘を道灌山という。『北区の坂道』

DSC06913 静勝寺正面の石段

DSC06921静勝寺

DSC06928 道灌堂

太田道灌の木像がある。

DSC06937 弁天池の坂  赤羽西1-29の亀ケ池弁財天の北を赤羽台1-4から赤羽台団地へ南に上る。《地図

かつて今の坂より東に池の坂があったが団地造成で消滅した。亀ケ池弁財天と池の坂の旧名保存のため名づけられた。『北区の坂道』

DSC06931 亀ケ池弁財天

DSC06941 三日月坂  赤羽西1-26と4-4の間を南東に上る。坂上は三日月坂上。《地図

道灌湯あたりに大正3年(1914年)帝国火工品製造所ができ、この工場のためにできた坂。大正4年に工場は爆発事故で焼失。その後このあたりは住宅地となり、坂上の北側あたりに三日月茶屋ができたのでついた名。別名を道灌坂。坂下に道灌湯がある。

DSC06938 道灌湯

DSC06948 弁天坂  赤羽西4-5と4-21の間を南に上る。《地図

亀ケ池弁財天に近い坂。『北区の坂道』

DSC06954 蛇坂  赤羽西4-30と4-38の間を南に上る。《地図

蛇のように曲がりくねっているところからついた名。北谷に釣堀のあった頃は、この坂でとんぼ採りをする子供達で賑わったという。『北区の坂道』

DSC06955 北谷に下りる階段(東側、蛇坂側)

DSC06963 北谷の通り?

赤羽西4-38と4-39の間。

DSC06964 北谷の西側の階段(市場坂側)

DSC06967 市場坂  赤羽西4-39と4-42の間を南に上る。《地図

法安寺坂と蛇坂の間の坂。蛇坂の坂標に記載のある坂。この坂で市が開かれていたのか?

DSC06975 法安寺坂  赤羽西4-41と4-48の間を南に上る。《地図

坂の途中に法安寺がある。

DSC06974 法安寺

DSC06982 庚申坂  赤羽西4-41と4-51の間を曲がりながら西から南に上る。《地図

坂上の字庚塚に通ずるところから。『北区の坂道』

DSC06991 鳳生寺坂  赤羽西3-21と3-26の間を鳳生寺から西に上る。《地図

坂上に旧家鈴木六右衛門氏の屋敷があり、六右衛門坂ともいう。『北区の坂道』

DSC06997 鳳生寺

DSC07000 野間坂  赤羽3-14と3-20の間を南西に稲付公園に上る。《地図

かつての野間家別邸前の坂。『北区の坂道』 野間清治は講談社の創業者。

DSC07004 稲付公園から

DSC07011 水車の坂  赤羽西3-18と西が丘2-27の間を北東に上る。《地図

坂下の稲付川に明治の頃、水車場があった。【坂標】

DSC07020 遊鯉園の坂  十条仲原4-11と上十条5-29の間を南東に上る。《地図

坂下の東に明治から戦前まで遊鯉園という川魚料亭があった。『北区の坂道』

DSC07036 真正寺の坂  赤羽西2-18と2-19の間を曲がりながら西方向に上る。《地図

かつて真正寺があった。坂下は岩槻街道(日光御成道)。

DSC07027 庚申の道標(真正寺の坂の坂下)

「これよりいたばしみち」

DSC07040 中坂  赤羽西1-22と2-8の間を南西に上る。坂上は三日月坂上。《地図

昔は農道で坂の途中に清水が沸いていた。今は土地の人の協力により切通しの道幅の広い坂となっている。『北区の坂道』

①新しく開かれた坂の意か。②静勝寺の坂と真正寺の坂の間の坂からついた名か。

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2006年3月 2日 (木)

北区の坂-2

2006年3月2日

赤羽駅・・・大坂・・・うつり坂・・・八幡(やわた)坂・・・宝幢院・・・赤羽坂・・・赤羽八幡神社・・・師団坂・・・稲荷の坂・守倉(穀蔵)稲荷・・・宮の坂・諏訪神社・宮の前の坂・・・殿山の坂・・・念仏坂・・・ふか坂・・・富士見坂・善徳寺・・・かなくさ坂・・・赤羽駅

 赤羽駅北口から線路沿いに北に進み、南西に赤羽台団地へ大坂を上りました。坂下近くに小さな稲荷社があります。うつり坂も南方向に団地に上ります。坂下付近に坂本庚申塔があります。坂下からJRの線路をくぐると宝幢院に出ます。日光御成道と鎌倉街道中の道の道筋で、門の前に道標があります。八幡坂も南西に赤羽台団地の方へ上ります。赤羽八幡神社に由来する坂名かと思っていましたが、坂標によると坂の北側(坂下の方)が八幡(やわた)谷と呼ばれていたことによるそうです。

 赤羽八幡神社に寄り、師団坂の途中から、細く、傾斜のゆるい赤羽坂を下りました。この坂は、『今昔東京の坂』に載っている坂ですが、この坂名がついているのか疑問です。 師団坂の坂上を進み、北東方向に稲荷の坂を下りました。長い坂で坂下に守倉(穀蔵)稲荷があります。稲荷坂上に戻り進むと、左右に分かれ坂が下っています。坂下に諏訪神社があります。左の切通しの坂が宮の前の坂、右の坂は樹木が覆い、暗く静かな坂です。これが宮の坂でしょう。『北区の坂道』もこの坂を宮の坂としています。

 左の切通しの坂の途中から諏訪神社の参道が延びています。途中に庚申塔が5基ほど並んでいます。ここから石段を下りると宮の坂の坂標が設置してある坂に出ます。この坂は無名の坂だと思います。諏訪神社の前を南東方向に上って、宮の前の坂と交差します。諏訪神社の北側を南西に行くと、殿山の坂の石段が南西方向に上っています。坂下の坂標はビニールみたいなもので覆われ見落としそうです。

 殿山坂下をさらに進むと、北東に袋町公園まで念仏坂が上っています。坂上に真頂寺の墓地があると『北区の坂道』にありましたが墓地は見当たりません。坂下から、板橋区小豆沢との境を曲がりながら南に上るのがふか坂です。ここも坂標が金網のフェンスの中に設置されていて読みづらいです。坂上を真直ぐ南東に行き、赤羽西6の交差点を左、北東方向に上るのが富士見坂です。傾斜はさほどありません。坂上の善徳寺を右に、南に曲がると島下公園に出ます。公園の北側を上る小さな坂が、かなくさ坂です。歩道橋を渡り、赤羽運動場の北側の坂を下り、弁天坂、三日月坂の坂下を通り赤羽駅に出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

DSC06793 大坂  赤羽西1-39と1-41の間を南西に上る。《地図

別名を狸坂、政右衛門坂。狸にまつわる民話の残っているところでもある。清滝不動の石段を小坂という。『北区の坂道』 清滝不動は見当たらず。

DSC06796 稲荷社(大坂の途中)

これは清滝不動ではないだろう。

DSC06800 うつり坂  赤羽台3-1と3-2の間を南方向に上る。《地図

旧板橋道。うとう坂の転訛した名か。

DSC06803 坂本庚申塔(うつり坂の坂下近く)

DSC06819 八幡(やわた)坂  赤羽台3-6と3-7の間を南西に上る。《地図

北側の八幡(やわた)谷に由来の坂名。【坂標】 ただし、坂上には八幡(はちまん)小学校、坂下には赤羽八幡神社があるのだが。

DSC06809 宝幢院(赤羽3-4)

DSC06806 宝幢院前の道標

「南 江戸道」 「東 川口善光寺道日光岩付道」 「西 西国富士道 板橋道」 元文5年(1740)の造立。
南と東が日光御成道、西が鎌倉街道中の道の道筋。

Dsc06832_1 赤羽坂  赤羽台3-11と3-13の間を東に上る。《地図

『今昔東京の坂』に記載のある坂だが、この坂名で呼ばれているのだろうか。

DSC06824赤羽八幡神社(師団坂の北側)

DSC06827 師団坂(左)・赤羽八幡神社参道(右)

DSC06836 師団坂  赤羽台3丁目と4丁目の赤羽八幡神社の間を北西に上る。坂上に星美学園。《地図

赤羽八幡神社につづく台地に工兵隊(近衛師団・第一師団)が明治20年に移ってきた。別名を工兵坂。『北区の坂道』

DSC06840 稲荷の坂  赤羽北1-3と1-4の間を曲がりながら西方向に上る。《地図

袋の堂山前の守倉稲荷(御倉稲荷)による。昔は工兵隊の演習地(荒川)への近道であった。『北区の坂道』

DSC06842 守倉(穀蔵)稲荷

DSC06852 宮の坂①  赤羽台4-19と諏訪神社の間を南東に上る。【坂標】が設置してある坂。《地図

これは無名の坂でしょう。

DSC06855諏訪神社

DSC06862 宮の前の坂  赤羽台4-19と4-17の間を北東に上る。《地図

宮の坂②の途中から直進する諏訪神社二の鳥居前の新しい切通しの坂。『北区の坂道』

DSC06863 諏訪神社参道

DSC06844袋村の庚申塔群

DSC06874宮の坂②  赤羽台4-19と赤羽北2-3の間を北東に上る。《地図

この坂が宮の坂でしょう。『北区の坂道』もこの坂を宮の坂とします。

DSC06879 殿山の坂  北赤羽2-17と2-16の間を北に上る石段。《地図

台地上の旧字名に由来。『北区の坂道』

DSC06888 念仏坂  赤羽北2-19から東に袋町公園に上る。《地図

坂上に真頂院(赤羽3-16)持の墓地がある。『北区の坂道』

墓地は見当たらず。

DSC06890 ふか坂  赤羽北3-26と板橋区小豆沢4丁目の間を南に上る。《地図

鬱蒼たる樹々につつまれた谷深い中を蛇行していた坂。荒川の大根河岸から中山道へ通じる重要な道であったという。『北区の坂道』

DSC06899 富士見坂  桐ヶ丘1-11と赤羽西6-16の間を北西に上る。《地図

DSC06903 善徳寺(富士見坂上)

DSC06911 かなくさ坂  赤羽西6-10の島下公園の北側を東に上る。《地図

かなくさとは湧水に鉄分が多く、池土が赤錆色に染まったことからであろう。『北区の坂道』

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