杉並区の坂-4
2006年3月20日
上井草駅(西武新宿線)・・・道灌橋公園・道灌橋跡・道灌坂・・・天祖神社・神戸(ごうど)坂・・・妙正寺公園・・・銀杏稲荷・稲荷坂・・・げんぼう坂・・・八幡神社(天沼2丁目)・・・小坂跡・天沼弁天跡?・・・荻窪駅
昨日の強風の名残りがまだ吹いていました。上井草3丁目の道灌橋公園のそばに道灌橋跡の石柱が立っていました。井草川が流れていたのでしょうか。ここから南に早稲田通りまで上る坂が道灌坂です。道灌橋から北にも上り坂となります。
早稲田通りを東に行き、妙正寺公園北の交差点を右に曲がると天祖神社があり、脇を神戸坂が下っています。傾斜はゆるやかです。神社境内の説明版に「神戸坂」の記載もあります。
妙正寺公園から妙正寺川に沿い東に向いました。松下橋から北に銀杏稲荷の方へ上る坂が稲荷坂です。この通りは旧早稲田通りです。銀杏稲荷は銀杏稲荷公園にはなく、民家の間の路地の奥に小さい祠がありました。手入れ、保存の状態がよくないように見えました。坂下の早稲田通りを渡ると短い上り坂となります。これがげんぼう坂でしょう。『杉並の通称地名』に記載のあった「源坊の家」と呼ばれたという「篠家」が坂上近くにありました。そばに小さな稲荷社が祀られています。
南西方向に行き、天沼本通りを越え、天沼2丁目の八幡神社に寄りました。すぐ近くの天沼弁天の門は全部閉ざされていました。廃寺になってしまたのでしょうか?八幡社から弁天池の通ずる道が小坂ですが、今は平な道で坂とは呼べません。
帰宅してから調べると、『杉並区の地名の由来』というホームページに次のような記事がありました。「天沼3-23の所の瓢箪池に天沼池畔亭という料理屋があり、弁財天の祠を祀っていた。昭和50年に八幡の境内に移し跡地を売却。現在敷地の西南角に1m四方の弁天の祠があり、事務を八幡神社で取り扱っている。」 確かに道路に面して小さな祠がありましたがそれが弁天の祠とは思いませんでした。八幡神社境内に弁財天が祀られていることも気がつきませんでした。しかし、跡地は売却後、ずっとそのままになっているのでしょうか。
写真をクリックすると拡大します。
道灌橋跡の碑(上井草3丁目の道灌橋公園)
道灌坂(坂上近くから。坂下の道灌橋辺りから再び上り坂となる。) 上井草3-8と3-5の農芸高校実習場の間を南に上る。坂上は早稲田通り。《地図》
中瀬天祖神社(清水3-19)
ご神体は石剣。江戸時代は十羅刹様と呼ばれていた。
神戸(ごうど)坂 中瀬天祖神社と清水3-28の間を南西に上る。《地図》
昔この地域は府中明神(大国魂神社)の四の宮の神領だったので神戸と名づけられたという。『杉並の通称地名』
妙正寺公園(清水3丁目)
妙正寺川沿い
銀杏稲荷(下井草2-15)
旧下井草村の鎮守。以前はもっと広かった。
稲荷坂 下井草3-4と2-15の銀杏稲荷公園の間を北に上る旧早稲田通り。《地図》
げんぼう坂 本天沼2-42と2-43の間を南東に上る。坂下から早稲田通りを越え、旧早稲田通りとなり下井草駅方向へ上る。《地図》
天沼本村の境から向井草に通ずる道はもと急な坂道で下井草方面に向って右が共同墓地となっていた。(中略)本天沼2-44にあった篠家を源坊の家と呼んだという。『杉並の通称地名』 篠家は今も坂上の本天沼2-42にある。
げんぼう坂の坂上近く、篠家のそば。
天沼八幡神社(天沼2丁目)
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