杉並区の坂-3
2006年3月17日
高円寺駅・・・氷川神社・・・高円寺・子育地蔵・・桃園川緑道・・・地蔵坂?・六つ塚跡・・東高円寺駅(地下鉄) → 新中野駅・・・鍋屋横丁・・・十貫坂・十貫坂地蔵堂・・・長延寺・ぼたもち地蔵・・・坂・・・常仙寺・・・和田帝釈天・・・鉈無坂?・・・小坂・・・左内坂・・・妙法寺・・・蚕糸の森公園・・・東高円寺駅(地下鉄丸ノ内線)
今日は風の強い一日でした。高円寺には地蔵坂の由来となった子育地蔵が移されて祀られています。桃園川緑道を越え、地蔵坂?を上りました。途中に六つ塚と呼ばれる円墳型の墓らしいものがあったそうです。
新中野駅から鍋屋横丁を通り、十貫坂を下りました。坂下近くに十貫坂地蔵堂があります。坂下から北西に進み、女子美術大学の北側を西に行くと、長延寺に出ます。境内にぼたもち地蔵が祀られています。長延寺の前の「坂」と呼ばれた道を往復し、常仙寺の前の坂を下り西に行くと、和田帝釈天があります。
環7通りを渡り西に入りました。堀の内3-4の道が鉈無坂というのですが、3-4の区画には起伏がありません。少し西に行くと下りになりますが、これが鉈無坂でしょうか?よく分かりません。小坂は堀の内2-24の加納家の脇の坂です。坂下に「第一小坂マンション」があります。左内坂幼稚園の西側の左内坂を下り、堀の内のお祖師さまで呼ばれる妙法寺へ寄りました。祖師堂は本堂より立派です。鉄門は、イギリスの建築家コンドルの設計で重要文化財です。環7を北に行き青梅街道沿いの蚕糸の森公園の中を通り、東高円寺駅に出ました。
写真をクリックすると拡大します。
氷川神社(高円寺南4丁目)
境内に気象神社がある。
高円寺(高円寺南4丁目)
高円寺境内
地蔵坂? 高円寺南2-37と2-36の間を南東に上る。坂上は環7通り。《地図》
『杉並の通称地名』は高円寺に上る坂としていますが、坂らしい起伏がある道は見当たりません。消滅したのでしょうか?
六地蔵はいまは高円寺境内に移され「子育地蔵」といわれている。『杉並の通称地名』
鍋屋横丁(中野区本町4丁目)
この坂については、『中野区の坂』(2005年12月14日)に記載してあります。
『鎌倉街道中の道』の道筋でもある。
坂 長延寺前を南に下る。《地図》
和田、堀の内方面から江戸へ荷車で品物を運ぶのに、手前の下り坂はよいが、向うの登り坂は重いので、特に「坂」と呼んで後押しをさせるものとした。『杉並の通称地名』
鉈無坂? 堀の内3-8と2-34の間を西に下る。《地図》 『杉並の通称地名』は、3-4の道とする。
この坂に住んだ某家は落ちぶれて屋敷の手入れが出来ず樹木は繁り、草が生え荒れはてていた。付近の人は木を伐る鉈もないだろうと噂して同家を鉈無とあだなしたと伝えている。一説に豪農で樹木が密生し外部から家ないのをそねみ、枝を切る鉈もないかと冗談で呼んだともいう。『杉並の通称地名』
小坂 堀の内2-34の加納家と2-33の間を北に上る。《地図》
加納家の傍に小さい坂があり、これをとって同家の周囲を小坂と呼んだ。
左内坂を望む 堀の内3-8と3-13の間を北に下る。《地図》
坂名の由来不明
妙法寺山門(堀の内3丁目)
落語『堀の内』
蚕糸の森公園(和田3丁目)
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