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2006年4月30日 (日)

小金井市の坂-3

2006年4月30日

武蔵小金井駅・・・大日様の坂・・・山王稲穂神社・山王山の坂・・・築樋跡・・・弥五ちゃんの・・・権寅さんの坂・・・島崎の坂・・・虎さんの坂・・・三五郎さんの坂・・・墓場山の坂(本町4丁目)・・・磯村の坂・・・赤い稲荷坂・大木下之稲荷・・・台の坂・・・墓場道の坂・・・大尽の坂・・・陣屋道の坂・陣屋橋・・墓場山の坂(緑町3丁目)・・・ごぜの坂①②・三光院・・・武蔵小金井駅

  【ルート地図

 JR中央線の北側、仙川と玉川上水の間の坂を歩きました。かつての坂の面影のある坂はありませんでした。ごぜの坂は、『続小金井風土記』と『小金井市の歴史散歩』とでは少し位置が違います。後者の方が坂らしい傾斜がありますが短い坂です。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc09704  大日様の坂(坂上から) 本町4-40の間を西に上る。《地図

坂上に大日如来を祀った祠がある。(写真左側の小祠)

Dsc09703 大日如来の祠

Dsc09702 坂上方向

Dsc09708 山王稲穂神社(山王山の坂上)

Dsc09709 「稲穂神社」由緒

Dsc09707_1 山王山の坂(坂上方向)  本町4-40の間を西に上る。《地図

坂上の突当たりに山王稲穂神社がある。別名を台門の坂。『続小金井風土記』

Dsc09710 疱瘡神社(稲穂神社境内)

Dsc09713 築樋(つきどい)跡

Dsc09711 築樋説明板

Dsc09717 弥五ちゃんの坂  本町4-3と4-4の間を北に上る。《地図

昔は急坂で、この道の西側に通称「弥五ちゃん」と呼ばれる家がたった一軒あっただけだった。『続小金井風土記』

Dsc09715 坂上方向

Dsc09718 権寅さんの坂  本町4-3の間を北に上る。《地図

明治の初めごろ、近くに権(ごん)さんと、その子どもの寅さんが住む家があった。『続小金井風土記』

Dsc09719 坂下方向

Dsc09723 島崎の坂(坂下方向)  本町4-2と4-3の間を北に上る。《地図

かつては島崎家の東側を迂回するように通った坂だった。『続小金井風土記』

Dsc09722 坂上方向

Dsc09728 虎さんの坂  本町4丁目の競技場通りを仙川辺りから南に上る。《地図

南から北の下り口付近に大久保虎吉の家があった。虎吉は雉撃ちの名人といわれ、明治天皇の多摩御鷹狩りの際、何度もお供をしたことがあるそうだ。『続小金井風土記』

Dsc09732 三五郎さんの坂(坂下方向) 本町4-12と4-2の間を北に上る競技場通り。《地図

坂の東側にあった中川三五郎の名をとって、明治中期ごろからこの名があるらしい。『続小金井風土記』

Dsc09729 坂上方向

Dsc09735 墓場山の坂(坂下方向)  桜町2-1と2-2の間を北に上る競技場通り。《地図

小金井養護学校のあたりは、中川一族の墓地だった。『続小金井風土記』

Dsc09734 坂上方向

Dsc09740 水神のミニ祠(小金井橋の脇)

Dsc09738 「水神」説明板

Dsc09746 磯村の坂(坂下方向)  桜町1丁目と2丁目の間を北に上る小金井街道。《地図

大正末期以降、この西側に磯村貞吉という人の別荘があった。『続小金井風土記』

Dsc09747 坂上方向

Dsc09755 赤い稲荷坂(坂上方向)  本町4-1と3-8の間を北に上る小金井街道。《地図

坂下に赤稲荷とも呼ばれていた、大松木之下稲荷がある。

Dsc09748 大松木下之稲荷(赤稲荷)

Dsc09749説明板

Dsc09751 庚申塔(寛政4年(1792))・右は年号不明の庚申塔

Dsc09752 石灯篭(享和2年(1802))

Dsc09758 大尽の坂  本町3-13と桜町1-1の間を北に上る。聖ヨハネ桜町病院の西側に上る坂。《地図

かつてはこの道に面して西側に、醤油醸造と質屋を営む村内では大財産家の誉れが高かった「玉荘(たましょう」という大店があった。別名「玉荘の坂」といい、今は病院の坂とも呼ばれているようだ。『続小金井風土記』

Dsc09760 大尽の坂(坂上方向)

Dsc09759 坂下方向

Dsc09767 墓場道の坂  本町3-12と3-14の間を北に上る。《地図

坂上の右手に鴨下家一族の墓地があり、その通用路として利用されていた。『続小金井風土記』

Dsc09765 坂下方向

Dsc09770 台の坂  本町3-7と3-5の間を北に上る。《地図

坂の頂上が「台」と呼ばれたほか、西側に「鍛冶屋大政」があったので「台のカジヤ坂」の別名もある。『続小金井風土記』

Dsc09772 坂下方向

Dsc09774 陣屋道の坂  桜町1-9と緑町3-10の間を北に上る。《地図

享保(1716~1736)のころ、小金井村名主、関勘左衛門が陣屋へ通った道を「陣屋道」といい、その一部になるこの坂は嶮しく、玉川上水の陣屋橋南側に突き当たる。『続小金井風土記』

Dsc09776 坂下方向

Dsc09780 墓場山の坂(坂下方向)  緑町3-5と3-6の間を北に上る緑中央通り。《地図

明治中期までは、仙川北側に渋谷一族の墓地があり、山林が続く淋しい道であった。『続小金井風土記』

Dsc09781 坂上方向

Dsc09784 三光院

Dsc09788 ごぜの坂①  本町3-2と緑町4-8の間を南に上る。坂上の西側に三光院。《地図

遠い昔にこの道に瞽女(ごぜ)が息絶えていたとの言い伝えによる。『続小金井風土記』 

Dsc09787 坂下方向

Dsc09825 ごぜの坂②  本町3-1と3-2の間を東に上る。《地図

大尽の坂と陣屋道を東西に結ぶ坂道。かつて、花見時期に、”ごぜ”(門付け)等の旅芸人が小金井橋方面に通った道であった。『小金井市の歴史散歩』

Dsc09823 坂下方向

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2006年4月28日 (金)

小金井市の坂-2

2006年4月28日

武蔵小金井駅・・・六道の辻・六地蔵・六地蔵天然水・・・大久保墓地の坂・金乗院・・・車屋の坂・・・白伝坊の・月待板碑・・・小金井神社・・・中念坂・・・ハケの坂・・・ムジナ坂・・・ハケの道・・・いなり坂・・・加藤さんの坂・・・二枚橋の坂・馬頭観音・二枚橋・野川・旧二枚橋の坂・・・東小金井駅

 青く澄んだ好天の下、武蔵小金井駅から東に西武多摩川線脇の二枚橋の坂まで、「はけの道」など武蔵野の面影の残る坂道散歩でした。

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Dsc09611 六地蔵(右) 本町1-7、.六道の辻(前原交差点)を北東に入った所

笠つきの六角柱の各面に一体づつの半肉彫りの地蔵。宝永4年(1707)の建立。

Dsc09613 六地蔵の天然水(六地蔵の前)

登録していないと汲めない。

Dsc09616 大久保墓地の坂(坂上から)

Dsc09618大久保墓地の坂  中町4-15と4-16の間を南に下る石段。《地図

雨が降ると川に早替わりするほどの、赤土がむき出しの急坂だった。大正末期に墓地を迂回するように工事され、以来ゆるやかになっており、階段も設けられている。『続小金井風土記』

Dsc09619 金乗院(大久保墓地の坂下)

Dsc09622 車屋の坂(坂上から)

Dsc09625 車屋の坂(坂上方向)  中町4-17と4-18の間を南に下る。《地図

この坂沿いに「上の車」「下の車」と呼ばれる水車小屋があった。この坂道は陣屋道の南端にあたる。『続小金井風土記』

Dsc09629 白伝坊の坂

Dsc09627 坂上から

Dsc09630 白伝坊の坂(坂上方向)  中町4-18と1-9の間を南に下る。《地図

万延(1860)ごろから明治初めにかけ、この坂中段、西側にある墓地に「白伝」という僧が住みついていた、農家を托鉢して回ったといわれいつしか「白伝坊の坂」と呼ばれるようになった。昭和15、16年ごろの墓地整理で、炉跡、井戸などが見つかり、小さな白伝の墓碑もあったといわれる。【坂標】

Dsc09632 月待板碑の説明板

Dsc09633 月待板碑(白伝坊の坂の途中)

左 天文7年(1538)の月待板碑。右 延慶2年(1309)の阿弥陀三尊の板碑。

Dsc09639 小金井神社(中町4-7)

白伝坊の坂の坂下

Dsc09638 「小金井神社」由緒

Dsc09643 中念坂(坂上方向)  中町1-10と1-11の間を南西に下る。《地図

明治末期まで下り口に地蔵尊が立ち、ここで念仏講が行われていたらしい。旧地名”中山谷”の念仏講から中念坂の名があると思われる。別名をおお坂 『続小金井風土記』

Dsc09644 坂下方向

Dsc09653 ハケの坂(坂下方向)  中町1-12と1-13の間を南西に下る。坂下は「ハケの道」《地図

坂の西側の渡辺家は、通称「ハケの家」といい、『武蔵野夫人』のモデルになった家とされる。『続小金井風土記』 

Dsc09651 坂上方向

左側が渡邊家

Dsc09656 ムジナ坂  中町1-13と1-14の間を南に下る石段。《地図

昔、この坂の上に住む農民が田畑に通った道で、両側は山林の細い道であった。だれいうとなく、この道をムジナ坂といい、暗くなると化かされるといって怖がられ遠回りをした。【坂標】 坂の西側には、戦後2,3年ほど、作家・大岡昇平が寄寓し『武蔵野夫人』を執筆した富永三郎さん宅がある。『続小金井風土記』

Dsc09654 ムジナ坂

Dsc09658 坂下から

Dsc09659 富永三郎家の門

門だけが残る。

Dsc09662 ハケの道  ムジナ坂下の野川沿いの道

Dsc09668 いなり坂  中町1-14と1-15の間を南にハケの道に下る。《地図

かつて、坂の中腹に稲荷社(花咲稲荷)があった。『続小金井風土記』

Dsc09667 坂上近く

Dsc09676 加藤さんの坂  ハケの道から東町5-6を北に上る石段。《地図

大正末期ころ坂道の途中に加藤某という哲学者が住んでいた。近隣の若者は農作業をすませて夜、この加藤さん宅へ勉学に通った。誰いうとなくこの坂名がついた。『続小金井風土記』 

Dsc09678 坂下方向(坂途中から)

Dsc09697 二枚橋の坂  ハケの道から東町5-3、西武多摩川線の西側に沿い北に上る。《地図

Dsc09685 二枚橋の坂

西武多摩川線の敷かれる以前は、坂の中段から東に迂回して野川に架かる”二枚橋”へ通じていたが、以後、線路沿いに西側を下り、トンネルを掘って旧道につないだ。『続小金井風土記』

Dsc09700 坂下方向

Dsc09694 馬頭観音  二枚橋の坂下近くの線路沿い。

この付近は捨場といって、行き倒れの人や、息絶えた馬、犬など、不浄とされるものを焼いた所だったから、その霊を供養するために建てられた。『続小金井風土記』

Dsc09686 二枚橋から野川

二枚橋の伝説 かなわぬ恋のすえ、庄屋の息子と山守の娘が野川に身を投げ、その霊が大蛇に化けて幻の橋となって、人々を惑わした。これを哀れんだ庄屋が、大木を挽き割り、二枚並んだ橋を造って、供養したといわれている。『小金井の坂』

Dsc09693 旧二枚橋の坂(二枚橋から北に真っ直ぐ上っていた。)

西部多摩川線が敷かれる以前は、坂の中段から東に迂回して二枚橋に通じていた。『続小金井風土記』

Dsc09692 坂下方向

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2006年4月26日 (水)

小金井市の坂-1・府中市の坂-4

2006年4月26日

武蔵小金井駅(JR中央線)・・・妙観(貫)坂・・・前原坂・・・質屋坂・・・幡随院(ばんずいん)坂・・・念仏・・・平代(へいだい)坂・・滄浪(そうろう)泉園・弁車の坂・・・貫井大坂・・・学校の坂・・・貫井神社・車屋の坂・・・くらぼね坂・・・貫井トンネル下 (バス)→ 浅間山(せんげん)公園・・・浅間神社・坂・女坂・・・浅間公園 (バス) → 武蔵小金井駅

  【ルート地図

 武蔵小金井駅から西へ国分寺市との境のくらぼね坂まで、武蔵野段丘と一段低い立川段丘との間の国分寺崖(がい)線に沿う坂を歩き、府中市の浅間神社まで足を伸ばしました。

 *2008年8月18日に念仏坂の道筋を訂正し、写真を追加した。

  写真をクリックすると拡大します

Dsc09502_1 妙観(貫)坂  中町4-13と小金井街道の間を北に上る石段。《地図

前原坂上交差点は、その昔「六道の辻」といって六本の道が交差していた。そのうちの一本がこの道で、畑や水田の耕作のための農道だった。急な坂の東側に墓地があり、その南側、現在のカシ並木があるあたりに、明治の中頃から大正の初めごろまで、「妙観(貫)」といわれる僧が「庵」を造って住んでいたので妙貫坂と呼ばれるようになった。【坂標】 金蔵院の前身である観音寺の坊の一つであるともいう。『続小金井風土記』

Dsc09503 坂上方向

Dsc09505 前原坂(坂下方向)  中町4丁目と前原町3丁目の間を前原坂上交差点(小金井街道と連雀通りが交差。)から南に下る小金井街道。《地図

Dsc09504 坂上方向

Dsc09508 質屋坂通り

Dsc09513 質屋坂  前原町3-40と3-41の間を南西に下る。《地図

府中から志木・所沢に行くための商人道で、旧志木街道の一部だった。この坂の中腹に幕末から明治のかけて星野家が質屋を営んでいた。また、途中から鎌形に曲がっているところから「鎌坂」ともいわれた。『続小金井風土記』 【坂標】

Dsc09512 坂の途中の旧家(星野家?)とその前の坂標

Dsc09509 坂下方向

Dsc09515 幡随院坂(なそい坂)  前原町3-37の幡随院と3-38の間を南に下る。《地図

左の塀が幡随院。なそいとは斜めという意。

Dsc09518 坂下方向

Img_0581 念仏坂(坂上方向) 薬師通りから前原町3-24と3-35の間を北に入って上り、右に曲がって突当り左に上って県道134号に至る坂。

昔、江戸街道から薬師通りに通じ、農民が便利にしていたこの道は、狭く両側から笹や樹木が生い茂っていた。坂の中段、東側に墓地があり、人はいつしか念仏を唱えながら通ったので念仏坂と呼ばれるようになった。【坂標】

2008年8月18日撮影

Img_0575 坂下方向

車は通れない細い坂

2008年8月18日撮影

Img_0570

坂標

Dsc09520 真ん中の石段を下った先の右側の坂標の所(上の写真)から右に入り下る。

坂上を進むと小金井市役所前の県道134号に突当たる。

Dsc09528 平代坂

Dsc09530 平代坂  前原町3-27と3-32の間を南西に下る。《地図

万延か文久(1860~1864)のころ、坂の東側に住む梶平太夫が、玉川上水の分水を使って水車を回したので皆が、平太坂と呼んでいた。いつのころからか、これが平代坂と呼ばれるようになった。【坂標】

Dsc09534 坂下方向

Dsc09527 平代坂遺跡説明板

Dsc09535 滄浪(そうろう)泉園  小金井市貫井南町3-2

武蔵野の特徴的な地形である「ハケ」(崖のこと)とその湧水を巧みに取り入れた、波多野家の別荘地跡。

Dsc09536 弁車の坂(坂下方向)  滄浪泉園の中。《地図

文政年間(1818~1830)にこの土地所有者、鈴木弁次郎が池の水を利用して水車業を営んでいたことによる。なお現在の坂は当時よりやや東側に移動しており、この新坂に名はないようだ。『続小金井風土記』

Dsc09547 坂上方向

Dsc09538

Dsc09540 ハケからの湧水

Dsc09539 「ハケ」の説明板

Dsc09543 おだんご地蔵

正徳3年(1713)、念仏供養のため祀るられた。左手にもつのはおだんごか。

Dsc09544 「おだんご地蔵」説明板

Dsc09546 鼻欠け地蔵

寛文6年(1666)庚申さまとしてまつられた。市内で最古の地蔵。何百年もの間、信心深い人々から撫でられ鼻や目が磨り減っている。

Dsc09545「鼻欠け地蔵」説明板

Dsc09548 滄浪泉園(右)に沿う坂(無名の坂)《地図

弁車の坂の替わる新しい坂。

Dsc09556 貫井大坂(坂上方向)  貫井南町丁目の警察署前交差点(連雀通りと新小金井街道の交差点)から南に下る新小金井街道。《地図

正面は貫井トンネル

Dsc09550 「はけうえ遺跡」説明板(貫井トンネルの上)

Dsc09552 旧貫井大坂  貫井大坂の西側を北西に上る。

昔は質屋の坂とともに、所沢、志木へ通う商人たちが多く利用した。『続小金井風土記』

Dsc09555 坂下方向

Dsc09559 学校の坂  貫井南町3-6と3-8の間を北に上る。《地図

坂上に小金井第4小学校がある。この坂の東側に大正時代、実業家の前田家が別荘(三楽荘)を建設したところから「三楽の坂」とも呼ばれる。『小金井市の歴史散歩』

Dsc09558 坂上方向

坂上左側に小金井4小

Dsc09565貫井神社(貫井南町3-8)

Dsc09568 地蔵さん 

貫井神社境内の愛宕神社へ上る石段脇。

Dsc09572 愛宕神社への石段

Dsc09576 車屋の坂(坂上方向)

Dsc09578 車屋の坂(坂の途中から坂下方向)  貫井神社の南側から北西に上る。《地図

かつて、二つの水車小屋があった。貫井弁天に通ずる坂なので弁天坂の名もある。『続小金井風土記』

Dsc09574 庚申塔(車屋の坂の坂下)

Dsc09583 くらぼね坂  貫井南町3-14と国分寺市南町1丁目の東京経済大学の間を南に下る。《地図

今の貫井北町や小平、国分寺方面から府中に行くこの道は、急坂の東側が切り立つような赤土の崖で、雨の降る時などは人も馬も滑って歩くことができなかったといわれる。鞍(馬)でも骨を折るとか、「くらぼね」は断崖の連続した段丘崖を意味するともいわれ、諸説がある。【坂標】

Dsc09584 くらぼね坂(坂上方向)

Dsc09585 坂下近く

Dsc09588 坂上から

Dsc09592 浅間神社男坂  府中市若松町《地図

『府中市内旧名調査報告書』は神社の北側の裏参道(この道があるのか未確認)を男坂としているが、男坂は神社正面に上る石段をさすのが一般的なのでこの長い石段を男坂とした。

Dsc09594 浅間神社

堂山(海抜80m)の山頂。古多摩川、その他の河川により、周囲が削りとられここだけが残った。この辺りは人見ケ原の戦(正平7年(1352))で、新田義興、義宗兄弟が足利尊氏と戦った古戦場跡。

Dsc09596 浅間山(せんげんさん)説明板

Dsc09598 女坂【坂標】

Dsc09595 女坂(坂下方向)

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2006年4月24日 (月)

国分寺市の坂-2

2006年4月24日

国分寺駅(中央線)・・・池の坂・・・お鷹の道・真姿の池・・・国分寺・国分寺跡・・・堂の坂・仁王門・薬師堂・八幡神社・・・府中街道・・・東八道路・・・武蔵府中熊野神社古墳(上円下方墳)・・・多摩蘭坂下・しらみ坂②・・築山橋(JR中央線)・・・しらみ坂③(捨場坂)・・・国立駅(中央線)→西国分寺駅・・・阿弥陀坂・阿弥陀堂跡(阿弥陀堂霊園)・・・東福寺・・・西国分寺駅

 国分寺駅南口から南に進み、野川に架かる不動橋へ池の坂を下り、西に行くとお鷹の道の遊歩道に出ます。真姿の池を過ぎると国分寺の楼門と現在の国分寺があります。西側の仁王門の西側を堂の坂が上ります。仁王門の上が薬師堂で、この辺は国分寺北方建物跡です。堂の坂の坂上に八幡神社、楼門を南に行くと、国分寺の金堂跡などの遺跡です。

 府中街道から東八道路へ出て南に行き、府中市の西府町の甲州街道沿いにある武蔵府中熊野神社古墳へ寄りました。全国で3例目、最大最古(7世紀中頃)の上円下方墳で国指定遺跡です。期待していましたが整備されてなく、回りをフェンスで囲まれ、墳丘はシートで覆われていました。せっかくの貴重の遺跡をこんな状態で放ったらかしにしておくなんて情けない。このままでは、いずれ墳丘の形も崩れ、高松塚古墳のように取り返しがつかなくなってしまうのでは。早急に整備して上円下方墳の姿を大勢の人に見せて欲しいものです。

 北に進み多摩蘭坂の坂下に出ました。ここから北方向に国分寺市内藤1丁目と2丁目の間を上る坂が、『わが町国立』で「しらみ坂」と呼んでいる坂のようです。(しらみ坂②とします。) 築山橋?で中央線の線路を越え進むと、日吉町2丁目と光町1丁目の境の坂上に出ます。『今昔東京の坂』では、この坂がしらみ坂です。(しらみ坂③とします。) この坂は南西に国立駅方向へ下ります。

 阿弥陀坂は『江戸名所図会』に記載のある坂で、恋ヶ窪の阿弥陀堂跡の阿弥陀堂霊園に沿う、鎌倉街道上の道の坂です。恋ヶ窪・姿見の池・傾城の墓・阿弥陀堂などは畠山重忠と遊女の夙妻(あさづま)の悲恋物語に由来します。(この坂については、『鎌倉街道(上の道⑤』に記載)

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc09417 池の坂  南町3-1と2-14の間を北東に上る。野川の不動橋の北から上る。《地図

玉川上水開削以前の上水工事の計画の中にあった貯水池に因むものであろうか。別名のかなしい坂は工事が失敗したことによる。市史編纂室の話では、池の坂、かなしい坂の名は聞いたことがないという。『今昔東京の坂』

Dsc09418 坂下方向

Dsc09419不動橋から野川

北側に石橋供養塔、庚申塔、不動明王碑があるようだ。

Dsc09424お鷹の道

市内の村は尾張藩の御鷹場に指定され、野川に注ぐ清流沿いの道はいつしか「お鷹の道」と呼ばれるようになった。

Dsc09428道沿いの花

Dsc09439 真姿の池 《地図》 

不治の病にかかった玉造小町がこの池の水で身を清めたところ全快し、元の美しい姿に戻ったという由来の池。

Dsc09434国分寺楼門

東久留米市の米津寺の楼門を明治27年に移築。

Dsc09432 楼門説明板

Dsc09435国分寺

奈良時代に建立された武蔵国国分寺の後継寺院。

Dsc09458 堂の坂(坂上方向)  西元1-13と2-14の間を北西に上る。仁王門の南側から上る坂。《地図

『今昔東京の坂』に記載のある坂

Dsc09453 坂下方向

Dsc09443 仁王門

宝暦年間(1751~1763)の建立

Dsc09448 薬師堂

木造薬師如来坐像(平安末~鎌倉初期の作)は国の重要文化財。

Dsc09457 八幡神社

Dsc09461 国分寺金堂跡

Dsc09467_1武蔵府中熊野神社古墳(府中市西府町3丁目) 《地図》 

国指定遺跡。全国で3例目の最大で最古の上円下方墳、7世紀中頃の築造。

Dsc09462 説明板

Dsc09463墳形図

Dsc09474 しらみ坂③(坂上方向)  日吉町2丁目と光町1丁目の間を北東に上る。 《地図

正平7年(1352)府中人見ケ原(府中市若松町の浅間神社付近一帯)の戦で足利尊氏軍に勝った新田義興・義宗軍が上野国(群馬)へ引上げる途中、この坂で東の空が白み始めた。土地の人は、捨場坂と呼んでいる。この急坂に行き倒れた牛馬が、捨てられたという。『今昔東京の坂』  
*この坂の位置については、しらみ(白明)坂①(府中市の坂-1)に記載。しらみ坂②(多摩蘭坂下あたりから国分寺市内藤1丁目と2丁目の境を北東に上る坂で、《地図》 今日歩いた道筋の坂だが写真を撮るのを忘れた)がある。 ただし、しらみ坂①は元弘3年(1333)の戦の伝承の坂なので別の坂か? いずれも伝承の坂なので道筋の特定は困難だが③の坂より②の坂の方が坂の形状、雰囲気などからそれらしい気がする。

Dsc09473 坂上近く

Dsc09471 坂下方向

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2006年4月21日 (金)

落語散歩-中央区・台東区・北区

2006年4月21日

月島駅(都営地下鉄大江戸線)・・・佃島・・・中央大橋・・・新川・・・永代橋・・・水天宮・・・松島神社・・・大門通り・元吉原・・・玄冶店跡・・・三光新道・三光稲荷・・・伝馬町牢跡・処刑場跡・吉田松陰終焉の地・・・日本橋横山町・・・柳橋・・・浅草橋・浅草見附跡・・・鳥越神社・・・三味線堀跡・・・本法寺(はなし塚)・・・東本願寺・・・八幡神社(誓願の梅)・・・浅草寺・浅草神社(三社さま)・・・花川戸公園(姥が池・助六歌碑)・・・待乳山聖天・天狗坂・・今戸焼き・・・今戸神社・・・潮江院(三笑亭可楽の墓)・・・山谷堀公園・・・山谷堀橋・禿(かむろ)坂跡・・・地方橋・化粧(けわい)坂跡・・・吉原大門・見返り柳の碑・衣紋坂跡・・・春慶院(二代目高尾太夫の墓)・・・東禅寺(江戸六地蔵の一つ)・・・吉原弁財天・・・鶯谷駅 → 上中里駅・・・北区上中里コミュニティ会館(大黒湯内)九郎助落語会かみなか寄席)

 今日はずいぶん歩きました。ちょうど永代橋の所で空が真っ暗になり大粒の雨が落ちてきました。急いでコンビニでビニール傘を買い永代橋の下から写真を撮っていたら雨は上がってしまいました。 橋の下で雨宿りをしていればいいものを、荷物が一つ増えて苦労しました。

 元吉原、日本橋横山町、浅草、吉原と歩き最後に「九郎助落語会」で吉原の花魁(おいらん)が登場する落語「山崎屋」を聞きました。六代目の円生がむずかしいと言っていた噺です。

 東西落語散歩

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Dsc09237 佃島天台稲荷

細い路地の真ん中左側にある。

Dsc09241 佃小橋

隅田川から入る堀川に架かる。

Dsc09243 佃島の渡し跡碑

渡し船は正保2年(1645)に始まり昭和39年(1964)まで続いた。

Dsc09244 渡し船のルート

佃大橋の西詰辺りまで通った。

落語佃祭

佃島

Dsc09246 佃煮屋

つくだに丸久、元祖天安、本家佃源。歩いていると佃煮の甘いかおりが漂ってきた。

Dsc09247 住吉神社(佃1丁目)

正保3年(1646)の創建

Dsc09250写楽終焉の地(住吉神社境内)

説明碑によると、「寛政9年没。両足の指が6本あり、本名庄六で転じて画号の写楽となった。職業は欄間の彫師、後に2代目下駄屋甚兵衛となる」とある。(追記(2011年5月28日):現在では阿波の能役者斎藤十郎兵衛だとする説が有力となっている)

写楽は謎の多い人物で終焉の地も各地にあるようです。確か徳島の東光寺にもありました。

Dsc09261 石川島灯台(佃公園内に復元)

慶応2年(1866)に石川島人足寄場の西端、佃島の北端に設置された。

Dsc09263 中央大橋

Dsc09264 佃大橋を望む。(中央大橋から)

Dsc09266 永代橋を望む。(中央大橋から)

何度も焼失、落下の記録がある。文化4年(1807)8月19日には、深川八幡の祭礼の見物人と、本所で若い女の処刑を見に行く人たちで橋の上が混み合い、橋は崩れ落ちた。町奉行の報告では、溺死者440人だが、733人とも1500余人ともいわれている。『中央区史跡散歩』

落語永代橋 」・「たがや 」・「もう半分

永代橋

Dsc09267 田宮於岩稲荷神社(新川2丁目)

四谷怪談のお岩の霊を祀る。明治12年(13年?)に新宿区左門町から移転。『中央区史跡散歩』

今も左門町にあるのでは?

Dsc09268 霊厳島跡の碑(越前公園内)

かつて、霊厳寺があった。明暦3年の大火で類焼し、万治2年(1659)深川に移転。『中央区史跡散歩』 落語宮戸川

Dsc09272新川大神宮(新川1丁目)

由来誌に、昭和27年、酒問屋有志が社殿を整備した旨が記してある。

新川大神宮『江戸名所図会』

Dsc09273 新川の通り(新川1丁目)

日酒販の看板が見える。

新川酒問屋『江戸名所図会』 

落語長者番付

Dsc09275 新川跡の碑(新川1丁目の新川第1児童公園内)

新川は現在の中央区新川一丁目のほぼ中央部を、日本橋川と並行して流れていた亀島川の支流の運河で隅田川へ流れていた。河岸には下り酒(関西で造られた上等な酒)を扱う多くの酒問屋が集まっていた。毎年11月に樽廻船で江戸に到着する新酒の入荷は江戸の年中行事の一つでもあった。昭和23年に埋め立てられた。

Dsc09277 永代橋から中央大橋方面

『八丁堀周辺歴史案内-新川編』

Dsc09280 水天宮(日本橋蠣殻町2丁目)

安産の神、赤ん坊を連れたお礼参りの若い夫婦が多かった。

Dsc09281 大門通り(元吉原)

日本橋人形町2丁目

Dsc09282 元吉原(人形町2丁目辺り)

元和3年(1617)に開かれた。明暦3年(1657)正月の大火(振袖火事)で類焼し、6月に浅草日本堤に移転。『中央区史跡散歩』

Dsc09284 玄冶店跡(人形町交差点北側)

岡本玄冶という医師の屋敷があったというが、歌舞伎「与話情浮名横櫛」で有名。

Dsc09287 伝馬町牢屋敷跡の十思公園(日本橋小伝馬町3丁目、小伝馬町交差点辺り。)

落語藁人形

Dsc09288 伝馬町処刑場跡碑

安政の大獄(安政5年(1858))で吉田松陰らが処刑された。

Dsc09286 吉田松陰終焉の地碑(十思公園内)

Dsc09294 日本橋横山町9,10番辺り

落語「山崎屋」・「たがや 」・「おせつ徳三郎」

Dsc09305 浅草橋から柳橋を望む。下は神田川。

落語船徳 」・「悋気の独楽」・「おせつ徳三郎」

Dsc09299 船宿(柳橋脇)

Dsc09307浅草見附跡(浅草橋脇)

落語「宮戸川」・「蔵前駕篭

Dsc09309 鳥越神社(鳥越2丁目)

一説には、平将門の首が京都から飛び越えてきたので鳥越の名がついたともいう。社殿は古墳の上にある。

Dsc09312三味線堀跡近く(小島1丁目)

不忍池から忍川でこの堀に注がれ、更に隅田川に通じていた。『中央区史跡散歩』

落語豊竹屋

Dsc09315はなし塚本法寺内)(寿2丁目)

戦時中、艶笑落語や漫談の台本を埋めた塚。「明烏」・「居残り佐平次」・「五人廻し」などの廓噺も自粛禁演とした。戦後、塚の前で盛大に復活祭が行われた。

Dsc09318 東本願寺(浅草1丁目)

門跡さまの名がある。

落語野ざらし

Dsc09324 八幡神社前(西浅草2丁目)の通り

誓願寺長屋があった辺り。

落語唐茄子屋政談

Dsc09330 浅草神社(三社さま)

落語百川

Dsc09337 花川戸の助六歌碑(花川戸2丁目の花川戸公園内)

落語悋気の火の玉」・「文七元結

Dsc09338待乳山聖天と天狗坂の石段(浅草7丁目)

落語「文七元結」・「崇徳院

待乳山聖天宮・今戸橋

Dsc09344 今戸焼の店(今戸1丁目の白井氏宅)

低火で焼く陶器。天保から安政時代が隆盛期。『中央区史跡散歩』

落語今戸焼」・「今戸の狐」

Dsc09348今戸神社(今戸1丁目)

源義家が安倍貞任を征討するために、石清水八幡宮を勧請した。

Dsc09349 潮江院(今戸1丁目)

初代三笑亭可楽の墓がある。

Dsc09340 山谷堀  隅田川から、今戸橋、聖天橋、吉野橋、正法寺橋、山谷堀橋、紙洗橋、新地方(じかた)橋、地方橋、日本堤橋が架かっていた。水源は音無川。

落語付き馬」・「宮戸川」・「夢金

日本堤

Dsc09341 山谷堀公園

Dsc09352 禿(かむろ)坂跡  山谷堀橋(東浅草1-4)辺りから日本堤に上る坂だった。

Dsc09353 化粧(けわい)坂跡  地方橋(東浅草2-7)辺りから日本堤に上る坂だった。

地方橋辺りに編み笠茶屋があり、吉原へ行く客がここで編み笠をかぶり扇子で顔をかくして大門をくぐったという。

Dsc09357 見返り柳の碑 土手通りの吉原大門交差点そば。

落語「明烏」

見返り柳・衣紋坂」・「大門

Dsc09358 衣紋坂跡 台東区千束4丁目。日本堤の土手から吉原大門へ下る坂だった。

吉原へ遊びに行く人たちが、この坂で衣装を整えた。

新吉原

Dsc09363春慶院(東浅草2丁目)

二代目高尾太夫(万治高尾・仙台高尾)の墓がある。

Dsc09367江戸六地蔵の一つ(東浅草2丁目東禅寺内)

Dsc09369吉原弁財天(千束3丁目)

Dsc09372 遊女供養塔(吉原弁財天内)

関東大震災の時、大門が閉められ焼死した遊女の慰霊塔。

Dsc09386 「山崎屋」を熱演する三街道九郎助(みつかいどうくろすけ)

「九郎助落語会(かみなか寄席)」

大黒湯内の北区上中里コミュニティセンタ-にて。

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2006年4月19日 (水)

国立市の坂

2006年4月19日

谷保駅(南武線)・・・甲州街道・谷保天満宮・天神坂・厳島神社・馬坂・・滝の院・仮屋坂・仮屋上遺跡・・・峯っ坂(みねっつあか)・・・(甲州街道)・・・ハケ下の道・(城山公園)・・・古民家園・・・矢川・府中用水合流点・寺の下坂・南養寺・・・(甲州街道)・・・矢川駅(南武線)

 谷保天満宮の前の甲州街道が天神坂で、天満宮境内の厳島神社の脇から甲州街道に上るのが馬坂です。馬坂の坂上で甲州街道を越え、北に入り上るのが仮屋坂で、途中に滝の院があります。坂上は奈良から平安時代にかけての集落跡の仮屋上遺跡です。南武線の線路を渡り、西に行くと国立市役所に出ます。市役所の前の踏切を越えて南に下るのが峯っ坂でしょうか。

 甲州街道を渡り、南西に進み、城山公園の下の青柳段丘のハケ下の道を行くと復元古民家に出ます。矢川と府中用水の合流点辺りから寺の下坂が北に上ります。途中の南養寺に寄り、甲州街道を渡り矢川の駅に出ました。

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Dsc09182 谷保天満宮

天神島(府中市本宿)から養和元年(1181)ここへ遷座と伝える。本来は「やほ」でなく、「やぼ」だったとも。

「野暮天」の語源由来逸話: 太田蜀山人の狂歌に、「神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼな天神」 陰暦10月は神々は出雲へ行って神無月となるが、谷保天満宮はこの月に目白で開帳したというわけで、「野暮=谷保な天神」→「野暮天」というわけ。「野暮」の語源は雅楽からだとか。

谷保天神社『江戸名所図会』

Dsc09181 湯島天神・亀戸天神とならぶ関東三大天神。

Dsc09180 谷保天満宮由緒

Dsc09177 天神坂(坂下方向) 谷保駅の南側の谷保天満宮の前を南東に上る甲州街道。《地図》 左側が谷保天満宮。

今はだらだら坂になっているが、大正時代までは、坂下部落から一気に下谷保部落に上る百米ほどの急坂だった。老人や子供は、途中で一と休みしないと上れないほどだった。『わが町国立』

Dsc09186 坂上方向

Dsc09184 馬坂(坂上方向)  天満宮境内の厳島神社から北に甲州街道へ上る。右側が厳島神社。《地図

天神坂の北方にある仮屋上から、京からの勅使が馬に乗って下りてきた。或いは、別当寺安楽寺の住職(宮司兼職)が、天満宮奉仕に馬で上下した坂だとも言われている。『わが町国立』

Dsc09183 厳島神社

Dsc09185 坂下方向

Dsc09188 仮屋坂  天神坂下近く谷保5213の津戸歯科の西側を北東に上る。途中に滝の院(安楽寺?)、坂上は仮屋上遺跡(奈良から平安時代の集落跡)《地図

坂上に、天神島からこの地に菅公社(天満宮)を遷座する時、御神体その他を一時奉安するために作られた「お仮屋」の社殿があった。『わが町国立』

Dsc09189 滝の院の地蔵さん

Dsc09190 坂下方向

Dsc09192 仮屋上遺跡説明板(仮屋坂の坂上一帯)

Dsc09196 峯っ坂  国立市役所の前の南武線の踏切を渡った所から南に下る。《地図

このあたりは、坂の上を峯上、下を峯下と言い、東西に続いている段丘(青柳段丘)のことを「ミネ」と呼んでいる。『わが町国立』

Dsc09196 坂下方向

Dsc09204 古民家(柳澤家復元)

江戸時代後期に建築。養蚕業とともに、屋号を「つけもの屋」といい、明治から昭和初期にかけて漬物業も営んでいたという。

Dsc09203 古民家説明板

Dsc09207 城山(じょうやま)公園ハケ下の道 《地図

Dsc09210 矢川(手前)と府中用水の合流点

Dsc09211 寺の下坂  谷保6231の「くにたち郷土文化館」の西側を北に上る。《地図

このあたり一帯を寺の下と言い、道路改正前はかなりの急坂だった。『わが町国立』

Dsc09215 坂下方向

Dsc09217 南養寺(谷保6218)

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2006年4月17日 (月)

府中市の坂-3

2006年4月17日

府中本町駅(武蔵野線)・・・御殿坂・妙光院・金毘羅坂・金毘羅堂・・・地獄坂・・・大国魂神社・・・京所(きょうづ)・庚申塔・・・天神坂・天神橋跡・日吉神社・馬頭観音・馬霊塔・・・普門寺・普門寺・・・天地の・・・馬坂・・・鳩林坂・鳩林荘・・・国府八幡神社・・・高札場跡・・・鹿島坂・・・坪の宮・・・高安寺・秀郷稲荷・弁慶硯の井戸・・・弁慶坂・弁慶橋跡・・・棒屋の坂・・・台の坂・・・分倍河原駅(南武線)

 今日歩いた坂は、ほとんど東京競馬場の北側にあります。府中本町駅の東側を妙光院の方へ下る府中街道(鎌倉街道)が御殿坂です。境内から北に金毘羅坂を上りました。坂上に金毘羅堂があります。妙光院境内から大国魂神社の東側に上るのが地獄坂です。

 大国魂神社から東に京所道(きょうづみち)を通り、天神坂に出ました。坂下から日吉神社へ石段が上っています。ここが天神山なのでしょうか。天神社は見当たりません。坂下近くに小さな稲荷社の祠と隣に社がありますが何の社か分かりませんでした。(後日妙顕神社と分かりました。翌日、天神社の位置について調べました。府中市観光協会に問合せました。天神坂の坂上の東側の京所集会所の所の小社が天神社のようです。また『多摩の道探訪記』というホームページに写真が載っていました。もう少しじっくり探して見るべきでした。)

 天神坂下にはかつて、府中用水に架かる天神橋があったそうです。ここは東京競馬場の正門前辺りで、馬頭観音、馬霊塔があります。正門前から北に競馬場正門前駅に上るのが普門寺坂で坂上の西側に普門寺があります。坂下を東に行くと競馬博物館前辺りから、天地の坂と馬坂が上っています。競馬場東門辺りから鳩林荘の東側に沿って上るのが鳩林坂です。前回来た時(1999年12月)樹木名表示板に坂名があったので見つけた坂です。

 坂上に武蔵国府八幡神社があります。八幡神社の参道を進むと、旧甲州街道に出ます。街道を西に行き、大国魂神社を過ぎて鎌倉街道(府中街道)との交差点の所が、高札場跡です。向い側の中久米店は万延2年(1861)の建物で、趣があります。西に進むと鹿島坂が坪の宮まで下っています。坂に沿って下河原緑道が通っています。

 鹿島坂の西側が高安寺です。もとは、藤原秀郷の館だったと伝えます。境内に秀郷稲荷、弁慶硯の井戸があります。高安寺前の旧甲州街道が弁慶坂で西に緩やかに下っています。坂下からは棒屋の坂が京王線の線路辺りまで緩やかに上っています。台の坂は民家の間を通る細い坂で今は傾斜はほとんどありません。坂の途中に供養塔が5基あると坂標にありますが見当たりませんでした。

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Dsc01202 妙光院通用門(本町1丁目)

Dsc09031 「御殿坂」説明板

徳川将軍家の「府中御殿」に由来。家康が鷹狩、鮎漁で府中に来たときの宿泊する所として、本町1-14に建てられた。御殿は正保3年(1646)に府中大火で焼失した。【坂標】

Dsc09034 御殿坂  本町1丁目、JR府中本町駅と妙光院の間を北に上る府中街道。《地図

Dsc09036 坂下方向

正面は府中本町駅から東京競馬場への専用歩道。

Dsc09040 妙光院

貞観元年(859)年の創建と伝えられる、真言宗の古刹。八王子城主の北条氏照が帰依、徳川家康から15石を寄進される。『府中伝説の道』

Dsc09044 金毘羅坂説明板

Dsc09043 金毘羅坂  妙光院の境内から金毘羅堂に上る石段。《地図

Dsc09046 坂下方向

Dsc09047 金毘羅堂

妙光院の境外仏堂。

Dsc09049 「地獄坂」説明板

Dsc09053地獄坂  妙光院境内から大国魂神社の東側に上る。別名を暗闇坂。《地図》(道の標示はない。)

Dsc09052 坂下方向

Dsc09059 大国魂神社

社伝によると景行天皇41年(111)の創建。武蔵国の総社と六所宮を併せ、「総社六所宮」と併称された。明治4年(1871)に武蔵総社大国魂神社と改称された。

Dsc09056 説明板

Dsc09058 鼓楼

大鼓を掛けて時を報じた建物。

Dsc09062 庚申塔 京所(きょうづ)道(宮町2丁目)の所に立つ。台座に「京所」と刻む。

Dsc09069 「天神坂」説明板

Dsc09068 天神坂(坂下方向)  宮町3-21の日吉神社の西側を北に上る。《地図

Dsc09070 坂下から

Dsc09071 坂上近く

坂上右側に天神社

Dsc01198天神社(天神坂の坂上)

(2006年6月1日撮影)

Dsc09074天神坂の坂下から日吉神社への石段

Dsc09076 日吉神社

Dsc09073 稲荷社(左側の小さな祠)と右側は妙顕神社

Dsc01196 馬頭観音

Dsc09077 馬霊塔

Dsc09079 「普門寺坂」説明板

Dsc09078 普門寺坂  東京競馬場正門前から正門前駅(京王線)に北に上る。《地図

別名を薬師の坂、古墓(ふるはか)の坂。

Dsc09081 坂下方向

正面は東京競馬場

Dsc09084 普門寺(普門寺坂の西側)

妙光院の末寺。「目の薬師さま」として知られている。寺の西側(宮町2丁目・3丁目)は武蔵国国庁跡の有力候補地。『国史跡武蔵国府跡

Dsc09085 「天地の坂」説明板

Dsc09091 天地の坂(坂下方向) 八幡町2-13を北西方向に上る。《地図

Dsc09088 坂上方向

Dsc09098 馬坂(右へ上る)・天地の坂(左に上る)

Dsc09093 「馬坂」説明板

Dsc09094 馬坂  八幡町2-13と2-15の間を西から北に上る。《地図

Dsc09096 坂下方向

Dsc09104 鳩林坂  八幡町3-36の鳩林荘と3-14の間を北に上る八幡道。坂上に国府八幡神社。《地図

Dsc01195 「鳩林坂」の名がある樹木標示板

Dsc09107_2 坂下方向

Dsc09109 鳩林荘(右)と鳩林坂

鳩林荘は、ブリジストンの石橋財団の所有で非公開。年2回の公開日があるそうだ。

Dsc09113国府八幡宮(八幡町2-33)

大国魂神社の境外末社。聖武天皇が一国一社の八幡宮として創立したものと伝えられる古社。入口は旧甲州街道に面している。

Dsc09114 八幡神社参道

Dsc09121 高札場跡(宮西町2丁目の市役所交差点の所)

Dsc09117 札の辻(高札場跡)説明板

Dsc09120 中久米店

万延2年(1861)の建造

Dsc09122 「鹿島坂」説明板

本町2-2の坪の宮から北に上る。下河原緑道に沿う坂。坂上は旧甲州街道。《地図

Dsc09127 鹿島坂(左)、下河原緑道(右)

下河原緑道は昭和51年に廃線となった旧国鉄下河原線の跡地を自転車、歩行者の専用道路として整備したもの。その前は多摩川の砂利を運ぶ東京砂利鉄道だった。『府中伝説の道』

Dsc09128 坂上方向

Dsc09131 坪の宮(鹿島坂の坂下)

Dsc09130 坪の宮由来

Dsc09140 高安寺山門

高安寺は、14世紀半ば足利尊氏が市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりといわれる古刹。寺伝によれば藤原秀郷が武蔵守であった時の館跡。山門は安政元年(1854)の建立。

Dsc09142 高安寺縁起

Dsc09139 高安寺観音堂

Dsc09138 観音堂説明板

Dsc09137 延命地蔵

Dsc09143 秀郷稲荷

田原藤太秀郷(藤原秀郷)を鎮守として祀る。

Dsc09145 弁慶硯の井戸

頼朝から鎌倉入りを許されなかった義経一行が京都へ帰る途中にこの寺に滞在し、大般若経を書き写した。この時、弁慶がこの井戸の水で墨をすったという伝説の井戸。

Dsc09150 「弁慶坂」説明板

Dsc09149 弁慶坂  片町2丁目の高安寺の北側を西に下る旧甲州街道。《地図

高安寺境内の弁慶硯の井戸に因む名か。

Dsc09154 「棒屋の坂」説明板  弁慶坂下から西に上る旧甲州街道。《地図

Dsc09160 棒屋の坂

Dsc09161 坂下方向

Dsc09162 「台の坂」説明板

Dsc09164 台の坂  片町2-14内を西から北に上る細い坂。《地図》(道の標示は途切れている。)

傾斜はほとんどない。

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2006年4月15日 (土)

府中市の坂-2

2006年4月15日

武蔵野台駅(京王線)・・・八幡山本願寺・八幡神社・・・おっぽり坂・・・はけた坂・・・諏訪神社・・・どやの坂・道祖神・・・まむし坂①(小柳町3丁目)・・・庚申坂・溝合神社・庚申塔・・・かなしい坂・・・東郷寺坂・東郷寺・・・池の坂・・・まむし坂②(清水が丘2丁目)・・・滝神社・・・なるい坂・・・馬頭観音・・・柳坂・・・東府中駅(京王線)

 武蔵野台駅から東にハケ(段丘崖)の道に出ると、八幡山本願寺、八幡神社があります。 白糸台通りを越えると、おっぽり坂、その東側にはけた坂が南北方向に京王線の線路の方へ上っています。はけた坂の坂上には諏訪神社があります。西に行き、車坂団地(車坂もあるのだろうか?)を過ぎると、どやの坂が中通りから北東に上っています。坂の途中が工事中で坂標が見つかりません。ハケの道と交差する所に、道祖神が立っています。

 ハケの道と西武多摩川線の交差する所からまむし坂が下っています。細い坂で、往時の雰囲気の残る坂です。坂下を南に行き、府中九中の脇を入り庚申坂を上りました。坂の途中の溝合神社に庚申塔が2基保存されています。坂上は東郷寺通りにぶつかります。南西に東郷寺坂が下っています。坂の途中の東郷寺の脇に玉川上水工事でのかなしい物語がある「かなしい坂」が上っています。坂は下る途中で東郷寺に突き当たり途切れています。東郷寺坂の坂下にかなしい坂の上り口の道が一部残っています。

 東郷寺下の交差点辺りに池の坂の由来となった、「しょうたん池(ひょうたん池?)」があったそうですが、跡形もありません。池の坂の道筋もはっきりしませんが、御滝道へ上る細い坂があります。これを池の坂としておきます。坂上の御滝道(いかだ道、ハケタ道、いききの道ともいった。)の北側は東郷寺の墓地です。御滝道を西に進み、まむし坂を下ると滝神社の前に出ます。滝はもう無いようですが、湧水が残っています。

 坂下を西に行き、なるい坂を上ると御滝道に出て、競馬場通りの柳坂につながります。坂名の由来の鳴泉(なるい)の湧水は残っていないようです。坂上に馬頭観音?が立っています。昔ここに、柳坂の由来の大きな柳の木が立っていたともいわれています。柳坂を上り東府中の駅に出ました。

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Dsc08935_1 八幡山本願寺(白糸台5丁目)

Dsc08933 説明板

Dsc08938 八幡神社(本願寺の隣)

Dsc08940 「 おっぽり坂」説明板

Dsc08944 おっぽり坂(坂上方向)

Dsc08941 おっぽり坂  白糸台5-15と5-17の間を北に上る。《地図

雨が降るといつもここを流れていた。そして、ハケを下りる辺では大きな堀状になっていたという。その堀にそって造ったのがこの坂道だという。大堀がなまって”おっぽり”となったのか。この辺の旧小字に大堀下がある。『府中市内旧名調査報告書』

Dsc08951「はけた坂」説明板

Dsc08946 はけた坂(坂上方向)  白糸台5-48の南白糸台小学校の西側を北に上る。《地図

坂名の由来等は坂標に記載。

Dsc08949 坂下方向

Dsc08953 諏訪神社(はけた坂の坂上)

Dsc08963 どやの坂  白糸台4-40と小柳町3-2を北東に上る。《地図

昭和17~18年頃までは坂の途中から西へカーブしてハケを上っていた。別名をやとの坂 『府中市内旧名調査報告書』

Dsc08962 坂上方向

Dsc08961 道祖神

どやの坂とハケの道の交差する所。

Dsc08964「まむし坂」説明板

Dsc08967 まむし坂①(坂下方向)  小柳町3-5と3-6の間を北に上る。《地図

西武多摩川線(武蔵境方面行き)が通る。

Dsc08969 坂上方向

Dsc08972 「庚申坂」説明板 

Dsc08975 庚申塔

溝合神社に安置。

Dsc08977 溝合神社(庚申坂の途中)

Dsc08978 庚申坂(坂上方向)  小柳町1-24と1-25の間を北に上る。《地図

Dsc08980 坂下方向

Dsc08983 「かなしい坂」説明板

Dsc08986 かなしい坂(坂下方向)  清水が丘3-32と3-37の間を北に上る。昔は東郷寺下まで続いていた。《地図

Dsc08984 坂上方向

Dsc08998 かなしい坂(昔の坂下から)

東郷寺に行き当たり坂は途切れる。

Dsc08994東郷寺山門(清水が丘3-40)

映画「羅生門」のモデルといわれる。

Dsc08995 東郷寺しだれ桜

Dsc08993 東郷寺坂  清水が丘3-35の東郷寺の東側を北東に上る東郷寺通り。《地図

東郷平八郎の別荘跡に、昭和15年5月に建立された東郷寺にちなむ名称。『府中市内旧名調査報告書』

Dsc08997 坂上方向

Dsc08999 池の坂(坂下から)

Dsc09001 池の坂  清水が丘2-58辺りから北西に御滝道に上る。坂上北側は東郷寺墓地。《地図

東郷寺の南。このハケの下にしょうたん池(ひょうたん池?)(原文のまま)があったという。『府中市内旧名調査報告書』

Dsc09005 坂上の御滝道から

Dsc09007 御滝道(筏道)の石標

Dsc09013 まむし坂②  清水が丘2-9の御滝神社の前を東に上る。《地図

滝神社の東側から御滝道に上る坂。『府中市内旧名調査報告書』

Dsc09016 坂上から

右は御滝道

Dsc09008 滝神社

大国魂神社の末社

Dsc09012 滝神社の由来

Dsc09020 なるい坂(坂下方向) 清水が丘2-37の間を北西に上る。《地図

滝神社の西側で、湧水の鳴泉(なるい)の水の所からハケを上り御滝道へ出る坂。『府中市内旧名調査報告書』

Dsc09021 坂上方向

Dsc09022 馬頭観音(なるい坂の坂上)

ここに昔、柳の大木があったという。

Dsc09023 「柳坂」説明板                                                               

Dsc09024 柳坂(坂上方向)  清水が丘1-7と2-8の間を東に上り、カーブして北に上る。《地図

Dsc09026 坂下方向

 

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2006年4月13日 (木)

府中市の坂-1・国分寺市の坂-1

2006年4月13日

西国分寺駅(武蔵野線)・・・多摩蘭坂(国分寺市)・・・白明坂(しらみ)坂・・・上坂(かみざか・上坂橋・・市川緑道・・・中坂橋・中坂・・・清水坂(下坂?)・・・八雲神社・元応の板碑・光明院・光明院・光明院橋・御猟場道・・・浅間神社・庚申塔・・・分倍河原駅(京王線)→中河原駅・・・段坂・・・中河原駅

 国分寺市内藤1丁目との境を南に行き、西に多喜窪通りの多摩蘭坂を下りました。本宿町4の交差点から西に富士見通りを進み、南に入り甲州街道へ出ました。南武線を越え線路沿いに大山道を進み、上坂の坂上に出ました。坂下の市川用水に上坂橋が架かっています。市川緑道を府中崖線に沿って東に行き、中坂橋から中坂を上りました。坂上から東に入ると清水坂に出ます。坂下は御猟場道です。坂は南武線のガードをくぐり上ります。

 清水坂上から東に入ると八雲神社へ出ます。神社前の道が分梅通りで、昔の鎌倉街道です。陣街道、浅間道、分倍道とも呼ばれていました。この道が光明院坂で坂下が御猟場道で光明院、光明院橋跡があります。この辺りは分倍河原古戦場だった所です。光明院の北側に高倉塚と呼ばれる古墳が保存されています。坂上には浅間神社があり、屋敷分の庚申塔があります。

 分倍河原駅から一駅で中河原駅です。小雨が落ちてきました。線路沿いに住吉町4丁目から四谷1丁目と進み、西に入り四谷3丁目の西府緑地公園に出ました。公園前の坂が段坂のようですが、傾斜もゆるく坂標もありません。かつては多摩川の堤に上る坂で段々状になっていたのでしょうか。府中市は坂、橋、道その他、郷土の旧跡の案内板や説明板の設置が豊富で歩きやすく楽しいです。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc08847「たまらん坂」標柱

Dsc08848 多摩蘭坂(坂上方向)  国分寺市内藤1丁目の多喜窪通りを東に上る。《地図

大正時代に国立と国分寺をつなぐ道路をつくるために段丘を切り開いてつくられた坂。一橋大学の学生が、「たまらん、たまらん」と言って上ったとか、大八車やリヤカーを引く人が、「こんな坂いやだ、たまらん」と言ったことからついたといわれる。【坂標】 

忌野清志郎の♪『多摩蘭坂』がある。

Dsc08852 坂下方向    

Dsc08855 「白明坂」説明板  

Dsc08861 白明(しらみ)坂(坂上方向)  府中市北山町4-23を北に上る。《地図

坂名の由来等は【坂標】に記載。鎌倉街道の裏街道。別名を見返り坂。国分寺市内藤一丁目と二丁目の間の坂道とする説もある。

Dsc08857 坂下方向

Dsc08867 「上坂」説明板  西府町1-44の上坂橋から北東に上る。《地図

Dsc08872 上坂

四谷街道(四谷の人たちが甲州街道へ出る道)・大山道(四谷から多摩川を渡り大山参りの道)の道筋。この辺りの土地を持っていた西府町の石川省二家の屋号が”かじ屋”で別名を「かじやばけの坂」。説明板では鍛冶屋だったという。

Dsc08874 坂下の上坂橋(正面)

Dsc08890 「中坂」説明板

Dsc08887 中坂  本宿町1-37の第五小学校の東側を北に上る。《地図

旧本宿村は西から、上・中・下と呼ぶ。

Dsc08889 坂下方向

Dsc08892 「清水坂」説明板

Dsc08899 清水坂(坂下方向)  本宿1-32と美好町3-57の間を北東に上る。正面は南武線のガード。《地図

坂の両側から清水が湧いていた。下坂にあたる坂。

Dsc08894 坂上方向

Dsc08901 八雲神社(分梅1-20)

Dsc08917 元応の板碑(八雲神社脇)

元応元年(1319年)

Dsc08916 元応の板碑説明板

Dsc08903 「光明院坂」説明板

Dsc08904立派な坂標

Dsc08915光明院坂(坂上方向)  分梅1-13の光明院の西側を北に上る分梅通り。《地図

鎌倉街道で坂下一帯は元弘3年(1333)の分倍河原古戦場跡。以前は荒れた道で、木の根が出ていて「根っ子坂」といわれてた。

『今昔東京の坂』はこの坂を市川坂と呼んでいる。

Dsc08910 坂下方向 

Dsc08913 高倉塚古墳(分梅町1-14)

6世紀前半の円墳か。高倉古墳群の一つ。

Dsc08911 説明板

Dsc08921 浅間神社(美好町3-42)

Dsc08924 庚申塔

浅間神社付近の屋敷分村(美好町3丁目)が延宝2年(1674年)に建立。

Dsc08932 段坂  四谷3丁目の西府緑地の北側を西に上る。《地図

多摩川の旧堤に上る坂。『府中市内旧名調査報告書』

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2006年4月 7日 (金)

立川市の坂-1

2006年4月7日

西立川駅(青梅線)・・・富士塚・・・常楽院入口バス停・・・台へ下る坂(無名坂)①②・・・歴史民俗資料館・・・台の坂・・・狼坂跡・・・富士見第二公園・滝の上坂・滝の下橋・・・残堀川・・・山中坂下橋・・・山中坂・空襲犠牲者慰霊碑・地蔵堂・・・横町(よこちょう)坂・・・馬場坂下橋・・・番場(馬場)坂・・・JR中央線線路・・・普済寺・・・沢の稲荷・・・沢の坂・・・大和田・・・地蔵坂跡・地蔵・・・下和田坂・旧甲州街道・・・日野の渡し碑・・・貝殻坂橋・貝殻・・・西国立駅(南武線)

 西の昭島市の境から東の国立市の境まで、主に段丘に沿う坂を歩きました。台へ下る坂に名前はついていないようです。二つの道筋の坂がありました。狼坂は前回訪れた時(1999年12月)にすでに廃道のようでした。山中坂の途中には戦時中防空壕があり、昭和20年4月3日の空襲で40人以上が犠牲になりました。坂の途中に慰霊の戦災供養地蔵尊が祀られています。

 横町坂の坂下から上る番場坂は途中JR中央線の線路に遮断され、左にカーブして線路に沿って上っていますが、昔は真直ぐに普済寺まで上っていたのでしょう。普済寺前から沢の稲荷の南側の沢の坂の道筋は鎌倉街道の古道で、この坂を下り多摩川へ出て日野宿へ続いていました。地蔵坂も廃道になっています。前回来た時はなんとか通行できましたが、今日は止めました。坂上の墓地に坂名の由来の地蔵さんが立っています。

 旧甲州街道の下和田坂を南に下ると日野の渡し場があって多摩川を渡り、日野宿へ続いていました。甲州街道が多摩川を渡る、「渡し」は何度か移動され、それにともない甲州街道の道筋も変わりました。柴崎村(立川市)と青柳村(国立市)の下る貝殻坂も、かつては甲州街道で「万願寺の渡し」で多摩川を渡り日野宿へ入っていました。

 その他、『坂の今昔』には現存しない坂、位置不明の坂として、「加行坂」「玄番坂」「吉(由)右衛門坂」「井戸坂」「商人坂」の5坂が載っています。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc08723富士塚(富士見町1丁目) 《地図

頂上に富士浅間神社が祀られている。立川に富士講の記録はなく、富士講との関係ははっきりしない。このあたりに井戸坂があったようだ。

Dsc08724 富士塚説明板

Dsc08726 台へ下る坂①(無名の坂)  奥多摩街道のバス停の常楽院入口近くから下る坂。坂下は台の坂の坂下近く。《地図》(道筋の標示はない)

台の上の集落が発展してからできたものであろう。今でも坂の名がないようである。『坂の今昔』

Dsc08733 歴史民俗資料館(富士見町3丁目)

Dsc08739 台へ下る坂②

台へ下る坂①の少し西側から下る坂。坂上は石段で坂下に右側に歴史民俗資料館がある。《地図

Dsc08751 台の坂(坂下方向)  富士見町3丁目の農業試験場前のバス停近くから南西に下る。《地図

台の集落の人たちが、上の畑の耕作のためと、段丘上の滝の上や山中の集落との行き来のための重要な坂だった。台の集落へ下る坂なので、「台の坂」と名付けたものであろう。『坂の今昔』

Dsc08749 坂上方向

Dsc08753 狼坂跡の坂上  富士見町3丁目バス停から南に下る坂だった。《地図

以前は富士見町団地の住人がバス停に上る坂として利用していた。その後団地の交通の便がよくなり、さらに東側に新道ができたため利用しなくなり廃道に近くなった。『坂の今昔』

Dsc08754 狼坂跡の坂上辺りから坂下だった方面を望む。

狼が出た坂というより、狼が出るような、物騒なこわい坂ということであったろうと思われる。『坂の今昔』

Dsc08763 滝の上坂(坂上方向)  富士見町4丁目の富士見第二公園の東側を南に滝下橋(残堀川)まで下る。《地図

滝の上の集落から、下の田畑へ通じる坂だった。『坂の今昔』

Dsc08761 坂上近く

Dsc08765残堀川(滝下橋から)

Dsc08769山中坂標示板

Dsc08767 山中坂  富士見町4丁目の山中坂下橋(残堀川)から曲がりながら東に上る。《地図

古くから、上の山中集落の人たちが、段丘下の田畑を耕作する上に、重要な坂だった。坂の途中の防空壕で空襲をうけ40人以上が爆死した。(昭和20年4月3日) 『坂の今昔』

坂途中の左側に慰霊の碑と地蔵堂がある。

Dsc08771 空襲慰霊の詩碑と地蔵堂

Dsc08776慰霊の地蔵さん

Dsc08770 「山中坂悲歌」の石碑

Dsc08774 山中坂(左)と青梅道、五日市道などと呼ばれた古道(右)

Dsc08772 古道と山中坂説明板

Dsc08782横町坂標示板

Dsc08783 横町坂(坂下から)  富士見町5-26と5-24の間を南東に下る。山中坂の坂上近くから下る。《地図

段丘上の横町の集落の人たちが段丘下の田畑の耕作のおりに通った道。『坂の今昔』

Dsc08779_2 坂上から(右側の坂)

Dsc08785 番場(馬場)坂  横町坂の坂下から南東に上る。坂上付近でJR中央線の線路にぶつかり左に曲がる。《地図

根川か(根川)橋の見張り役の番小屋でもあったのだろう? 都営アパート建築工事中に坂の崖面から貝殻層が露出したことがあり、貝殻坂の別名がある。『坂の今昔』

Dsc08788 坂下方向

Dsc08787 JR中央線の線路沿いに上る。

Dsc08794 番場坂の昔の道筋。

普済寺の裏から真直ぐに下っていたのだろう。今は中央線が遮断している。

Dsc08796

普済寺山門(柴崎4丁目)

江戸時代は多摩川を挟んで多摩丘陵や丹沢の山々、さらには富士山をも一望することができたという。
「加行坂」・「由右衛門坂」は寺の近くにあった坂か?

普済寺『江戸名所図会』

Dsc08799立川氏館跡の土塁。普済寺境内。

立川氏は武蔵七党の一つ、西党日奉(ひまつり)氏の氏族。文和2年(1353年)立川宗恒が当寺を建立。戦国時代には後北条氏に従う。天正18年(1590)後北条氏の八王子城が豊臣秀吉に攻め落とされた時、主君とともに滅ぼされ断絶し、城は寺域となる。

Dsc08797 立川氏舘跡説明板

Dsc08803 沢の稲荷(柴崎4-16)

農耕の神として、古くから人々の信仰を集めていた。円墳の上に立っているともいわれている。

Dsc08807 沢の坂(右)  沢の稲荷の南側を東に下る。《地図

沢の集落から下の低地へ下る坂。鎌倉街道の道筋。『坂の今昔』

Dsc08809 坂上方向

Dsc08813 大和田坂  柴崎4-10と4-12の間を北に上る。《地図

大和田の集落から下の田んぼへ下る坂。『坂の今昔』

Dsc08812 坂下方向

Dsc08815 地蔵坂跡  柴崎4-4から北に上る坂だった。《地図

坂下辺りから 

Dsc08817_1地蔵坂跡(坂上から)

通ろうと思えば通れるが道ではない。

Dsc08818 地蔵坂跡の坂上の墓地に立つ地蔵さん

宝永六年(1709年)の造立という。おそらく江戸時代は墓地内でなく、坂の下り口に立っていた路傍の地蔵尊ではなかったろうか。『坂の今昔』

Dsc08821 下和田坂(坂上方向)  錦町5-15の柴崎市民体育館と5-13の間を北東に上る。《地図

旧甲州街道で南に下り多摩川に出た。体育館の北側から西へ五日市道(拝島道)が分かれていた。『坂の今昔』 

Dsc08823 旧甲州街道の標識

Dsc08825 坂下方向

Dsc08828 日野の渡し碑(錦町5丁目の多摩川近く)

Dsc08829 渡し碑の碑文

Dsc08831 日野の渡し跡に立つ馬頭観音供養塔

Dsc08836 日野の渡し付近の多摩川とモノレール。

Dsc08841 貝殻坂坂下近くの貝殻坂橋。

坂標も建っている。

Dsc08837 貝殻坂橋説明板

Dsc08842 貝殻坂(貝殻坂橋から坂上方向)  江戸初期の甲州街道の道筋で、坂を下り万願寺の渡しで多摩川を渡り、日野宿へ入っていった。《地図

昔からこのあたりで、貝殻が多く出土したという。『新編武蔵風土紀稿』にも、「土中をうがてば蛤の殻夥しく出づ、土人の話に古へはこの辺も海なりしと伝う」とある。

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2006年4月 6日 (木)

さいたま市の坂-4

2006年4月6日

与野駅(京浜東北線)・・・西高坂・・・正樹院・・・見沼代用水西縁・・・北宿橋・・・北宿(きたじゅく)・・・船戸橋・無名の坂(船戸坂)・・・敬助橋・・・朝日坂・・・氷川女体神社・・・見沼大橋・・・見沼代用水東縁・・・さぎ山記念公園・・・天久保坂・・・浦和東高入口バス停(バス)→貝殻坂バス停・・・貝殻坂・・・一本木坂(川口市)・・・東川口駅(武蔵野線)

  【ルート地図

 風に桜吹雪が舞う中を見沼代用水西縁沿いに歩きました。用水一面に桜の花びらが浮かんで流れていました。氷川女体神社から見沼大橋を渡り東縁に出ました。
 今日で、「さいたま市の坂」は一段落とします。歩いたのは、合併前の浦和市の地域です。その他、旧大宮市などの坂はいずれ歩くつもりです。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc08620 西高坂  木崎3-1の浦和西高校の南側の坂 《地図

Dsc08624 坂下方向

Dsc08658見沼代用水西縁

Dsc08633 北宿大橋

Dsc08644 北宿坂

Dsc08648 北宿(きたじゅく)坂(坂下方向) 《地図》 

三室の浦和博物館の南側辺りから南に下る北宿通り。

Dsc08649 坂上方向

Dsc08656そろそろ桜も散り時か

Dsc08661見沼代用水西縁の船戸橋から上る無名の坂

(坂下から)樹木と竹薮の間の細く緩やかな坂。かってに「船戸坂」と命名。

Dsc08664坂上近くから。

緑のトンネルを抜ける感じの坂。

Dsc08676朝日坂

Dsc08682 朝日坂  宮本1丁目と2丁目の間を北東に上る。《地図

坂の頂上から見沼方面をのぞむと朝日がうかがえ、また、この坂が大変勇壮で、昇る朝日に似ていることから名づけられた。『わがまち浦和』

Dsc08689 氷川女体神社(宮本2丁目の見沼代用水東縁)

武蔵国一の宮。見沼代用水を挟んで磐船祭祭遺跡がある。

Dsc08686氷川女体神社磐船祭祭祀跡(見沼氷川公園内)

Dsc08695 氷川女体神社への道標。

赤山街道にあったもの。側面に「弘化二年」(1845年)と刻む。

Dsc08697見沼代用水東縁

さぎ山記念公園近く。

Dsc08702 さぎ山記念公園(見沼区上野田)

昭和59年まで、野田のサギ生息地が特別天然記念物に指定されていたことの記念として公園が開設された。『わがまち浦和』

Dsc08704 天久保坂

Dsc08706 天久保坂(坂上方向)  さぎ山記念公園の東側を南に上る日光御成街道の坂。《地図

字天久保からとった坂名。『わがまち浦和』

Dsc08708 坂下方向

Dsc08710【坂標】貝殻坂

Dsc08711 貝殻坂  日光御成街道(県道大宮鳩ケ谷線)の大門の貝殻坂バス停近くから、北方向に曲がって下る。坂下に大門坂下公園がある。《地図

この付近から貝殻が出てくるところから、この名が付けられたと思われる。『わがまち浦和』

Dsc08713 坂下方向

Dsc08715「一本木坂上」バス停

Dsc08717 一本木坂(川口市東川口)  県道大宮鳩ケ谷線の一本木坂上バス停から南東に下る。《地図

坂上から

Dsc08721 坂下から

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2006年4月 4日 (火)

さいたま市の坂-3

2006年4月4日

浦和駅・・・富士見坂・・・原山稲荷神社・・・不動坂・大聖不動尊・・・桜坂・・・沼の上・・・二十三夜塔・・・上谷沼調節池・・・馬坂・・・見沼代用水西縁・・・東浦和駅(武蔵野線)

  【ルート地図

 浦和駅から北東に真っ直ぐな日の出通りを進むと、富士見坂の上りとなります。丁度浦和競馬場の北側あたりです。坂上から左(北方向)に曲がり、原山稲荷の先の交差点を右折して進むと花月の交差点に出ます。ここから東に下るのが不動坂です。坂下の大聖不動尊は寂れた感じですが、どことなく雰囲気のある寺です。花月の交差点へ戻り南方向に進み、県営住宅のバス停辺りから西に入り大谷口と太田窪の境を南に行き桜坂へ出ました。北東へ上る坂と南西に上る坂が向き合っています。坂標は南西に上る坂の途中にありますが、桜があるのは北東に上る坂の方です。

  産業道路を南東に行き、武蔵野線を越え、二十三夜に出ました。道路脇に二十三夜塔が立っています。ここが沼の上坂の坂上です。坂下に上谷沼調節池があります。大雨の水害から守る調節池で普段は公園、運動場になっています。元は自然の沼だったのでしょう。坂下を東に行き、太田窪と円正寺の境の馬坂を北に上りました。昔は馬も難儀するもっと急坂だったのでしょう。地名になっている円正寺は今は無いようです。馬坂の坂下を東に少し行くと見沼代用水の西縁に出ます。桜の見事な用水沿いの遊歩道を歩き東浦和駅に出ました。天気が良く暑いくらいの日でした。

   写真をクリックすると拡大します。

Dsc08568 富士見坂  太田窪1-25と2-4の間を北東に上る日の出通り。《地図

Dsc08566 富士見坂(坂上方向)

西方真正面に富士が見える。『わがまち浦和』

Dsc08569_2 坂下方向

Dsc08570 原山稲荷(原山1丁目)

Dsc08573 不動坂

Dsc08577 不動坂  原山4丁目の県道浦和越谷線の花月交差点から東に下る。《地図

坂の南側に大聖不動尊がある。『わがまち浦和』

Dsc08572 坂下方向

Dsc08576 大聖不動尊

Dsc08574 不動尊境内

Dsc08591 桜坂  太田窪3-19と大谷口の間を南西に上る坂と北東に上る坂。《地図

Dsc08583 桜坂(北東に上る坂の坂下方向)

坂の途中にめずらしい犬桜がある。『わがまち浦和』 どれが犬桜かわからなかった

Dsc08589 坂上方向(南西に上る坂)

Dsc08600【坂標】沼の上坂

Dsc08602 沼の上坂  産業道路の太田窪の二十三夜辺りから南に下る。坂上辺りに二十三夜塔がある。《地図

坂下の遊水池付近に昔は沼があった。『わがまち浦和』

Dsc08599 二十三夜供養塔(沼の上坂の坂上)

中世以来盛んだった二十三夜信仰(月待信仰)の住民の祈念堂がここにあった。老朽により廃堂になったためこの石塔を立てたと伝えられる。『石塔わきの説明板』

Dsc08598 二十三夜塔由来

Dsc08604 上谷沼調節池

沼の上坂の由来となった沼だった所か。南側を藤右衛門川が流れる。

Dsc08605 馬坂  太田窪3005と円正寺125の間を北に上る。《地図

馬で登るのが困難だといわれるほど急な坂であるというところからこの名がつけられたようである。『わがまち浦和』

Dsc08607 馬坂(坂上方向)

Dsc08614 馬坂(坂下方向)

今はそれほどの急坂ではない。

Dsc08616見沼代用水西縁を東浦和駅に向かった。

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2006年4月 3日 (月)

さいたま市の坂-2

2006年4月3日

南与野駅(JR埼京線)・・・富士見小坂・・・本杢(ほんもく)古墳・・・日向(ひなた)古墳・・・日向坂・・・西堀氷川神社・・・社(やしろ)坂・・・医王寺・・・神明社・神明神社古墳・・・東福寺・・・別所沼・・・木遣(きやり)坂・・・調(つき)神社・・・観音坂・・・白幡観音堂・・・武蔵浦和駅(JR武蔵野線)

  ルート地図

 冷たくない北風の強い一日でした。中島1丁目の中島小学校の方へ上るのが富士見小坂です。富士は見えませんでした。すぐ先に本杢古墳があります。戻って富士見小坂を下り、向いの坂を上ると日向古墳らしき所にでました。説明版も無いようで、保存状態も悪いです。南に行くとマミヤオービーの工場の南側に急な坂がありました。「急坂注意」の標識が立っています。南に進み日向坂を上り下りし、さらに南に行くと西堀氷川神社に出ます。神社の脇を社坂が下っています。

 社坂下から医王寺へ寄り、鴻沼川を渡ると神明神社があります。境内に神明神社古墳があります。市内(浦和市)で最大の円墳だそうです。(大宮市などと合併後はどうでしょうか?) 埼京線を越え別所沼、その南側の「花と緑の散歩道」を通り東へ進み、浦和商業高校の前から北に木遣坂を下りました。向い側の坂を上り、東に入り調神社へ参りました。旧本殿のうさぎの彫刻、池にもうさぎの置物があります。月待信仰と結びつくようです。

 旧中山道を南に行き、焼米坂の坂上から西に入り観音坂上に出ました。坂を下り国道17号線を渡り、前回(4月1日)に見落とした観音坂の由来となった白幡観音堂へ寄り、国道17号から武蔵浦和駅へ向いました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc08467【坂標】富士見小坂

Dsc08486 富士見小坂へ下る坂から

正面の上り坂が富士見小坂。

Dsc08483 富士見小坂  中島1-12と1-30の間を南西に上る。《地図

冬の朝この小さな坂を駆け上がると雪化粧をした富士山がくっきりと見えるところからこの名がある。『わがまち浦和』 

Dsc08479 坂上近く

正面左は中島小学校

Dsc08480 坂下方向

坂下から上り坂となる。

Dsc08473 本杢古墳(中島2丁目)

円墳、土合古墳群の一つ。直径30m、高さ4.3m、6C後半頃の築造。『わがまち浦和』

Dsc08476 本杢古墳説明板

Dsc08463 日向古墳?(中島1丁目)

円墳、土合古墳群。直径12m、高さ2m

Dsc08454 無名の急坂(西堀10-12と10-13のマミヤオービーの間を東に上る。

前方は新大宮バイパス

Dsc08456 急坂注意の看板

Dsc08491【坂標】日向坂

Dsc08495日向坂  西堀9丁目の日向交差点から西南に下る。《地図

大字西堀字日向にあるため。『わがまち浦和』

Dsc08497 西堀氷川神社(西堀8-26)

上の宮といい、田島の氷川神社を下の宮という。

Dsc08496 説明板

Dsc08504 社坂(坂下方向)  西堀8-26の西堀氷川神社の西側を北西に上る。《地図

氷川神社(左側)に因んで、社(やしろ)坂と命名。『わがまち浦和』

Dsc08509 坂上方向

Dsc08513 医王寺(西堀2-6)

真言宗智山派の寺

Dsc08520 神明神社古墳(神明神社境内)

円墳、土合古墳群。直径32m、高さ4m、6C後半頃の築造。南西部の一角が神社敷地として切られている。『わがまち浦和』

Dsc08519 古墳説明板

Dsc08533 別所沼(別所4丁目)

水源は台地からの湧水と天水。弁財天堂がある。もとは別所沼排水路(現在は花と緑の散歩道)で笹目川へ流れていた。

Dsc08542【坂標】木遣坂

Dsc08541木遣坂(坂下方向)  岸町5-14と5-15の間を南に上る。《地図

近くで市指定無形文化財である木遣歌がうたいつがれているため。『わがまち浦和』

Dsc08545 坂下から上った向い側の坂上から

Dsc08549 調神社旧本殿(岸町3丁目)

享保18年(1733)築造。現在は稲荷社。

Dsc08552 旧本殿のうさぎの彫刻

調が月と同じ読みから月待信仰と結びつき、月宮殿に擬せられてきた。

Dsc08553池にもウサギ

Dsc08555神社現本殿

鳥居はなく、狛犬の代わりに兎像。

Dsc08561 白幡観音堂(白幡4-14)

観音坂の坂名の由来となった観音堂。

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2006年4月 1日 (土)

さいたま市の坂-1

2006年4月1日

武蔵浦和駅(武蔵野線)・・・曲(かね)坂・真福寺・・・白幡睦神社・・・地蔵堂・地蔵坂・・・観音・・・焼米坂・・・神明坂・・・神明神社(岸町2丁目)・・・神明神社(根岸1丁目)・・・一ツ木・・・大谷場氷川神社・・・庚申坂・・・大谷場の庚申塔・・・南浦和駅

  【ルート地図

 昨日とうって変わり風も弱く、のどかな春爛漫の日でした。武蔵浦和駅から北に行き、曲坂を上ると真福寺に出ます。境内に「逆さイチョウ」や愛嬌のある顔の地蔵さんが立っています。東に向い、白幡睦神社へ狭い男坂を上りました。神社の南側の道路脇に小さな地蔵堂があります。そこから北東に上るのが地蔵坂です。坂下から南東に進み、観音坂を上りました。観音堂は坂上にあるとばかり思っていましたが見当たらず、帰宅後、坂下を進んだ所に白幡観音堂があることに気づきました。(4月3日に寄りました。「さいたま市の坂ー2」)

 観音坂の坂上から東に行き、旧中仙道の旅人に焼米を売る店があったという焼米坂を下って北へ、武蔵野線をくぐり田島通りの神明坂に出ました。東に下って、上る坂です。神明1、2丁目に神明社は見当たらず、北の岸町2丁目に小さな神明社がありました。神明坂の坂上辺りから南に神明通りを進むと、根岸1丁目の所にも神明社があります。こちらの方が大きいです。東に進み、文化通りを上って、下るのが一ツ木坂です。坂下の南浦和駅そばの大谷場氷川神社に寄りました。南浦和駅の東口へ出て南大通りを進み、北西に入り武蔵野線をくぐると庚申坂の上りになります。坂上を進むと大谷場小学校の隅に名前の由来となった大谷場の庚申塔が保存されています。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc08374曲(かね)坂(北に上る坂下から)  南区別所2-6と2-7の間を北に上り、左に曲がり上る。真福寺前。 《地図

大工さんの使う直角の曲尺(かねじゃく)に似ているところから。『わがまち浦和』

Dsc08376_2 曲坂(曲がって上る所から坂上方向)

坂上方向右側に真福寺

Dsc08379 坂上近くから

Dsc08378 真福寺(別所2-5)

真言宗の寺で玉蔵院の末。正和3年(1314)名の板石塔婆や、「逆さいちょう」の伝説のあるいちょうの木がある。

Dsc08381 真福寺の「逆さいちょう」の説明板

Dsc08384 いちょうの木

さいたま市指定天然記念物

Dsc08386 白幡睦神社(南区白幡1-16)

古くは富士社といった。

Dsc08389地蔵堂(白幡1-16)

地蔵坂の由来の地蔵

Dsc08393【坂標】地蔵坂

Dsc08390 地蔵坂(坂上方向)  白幡1-5と1-16の間を北東に上る。《地図》(地図の地蔵坂の位置とは違う)

写真左下が地蔵堂。

Dsc08391 坂下方向

Dsc08398【坂標】観音坂

Dsc08395 観音坂(坂上方向)  白幡1-3と1-5の間を北方向に上る。《地図

観音堂につきあたる道が坂になっていたところからこの名がある。『わがまち浦和』 

Dsc08397 坂下方向

坂下を進んだ所に白幡観音堂がある。

Dsc08403焼米坂【坂標】

Dsc08409 焼米坂  白幡1-1の南浦和小学校の東側を北に上る旧中山道。《地図

「新編武蔵風土記稿」の根岸村のところに「焼米坂 村の北の街道の内にあり、上り一町半許の坂なり、此所にて焼米をひさぐゆえに名づけり」とあり、中山道を通る旅人に焼米を売る店があった。『わがまち浦和』
焼米坂『江戸名所図会』

Dsc08406 坂上方向(歩道橋の上から)

左側は南浦和小学校

Dsc08410神明社(浦和区岸町2丁目)

Dsc08412【坂標】神明坂

Dsc08415_2 神明坂(東へ下って、上る)

Dsc08418 神明坂  浦和区神明2丁目の田島通りを東へ下り、神明1丁目まで上る。《地図

町名による坂名『わがまち浦和』

Dsc08420 神明社(南区根岸1丁目)

Dsc08421 一ツ木坂【坂標】

Dsc08428 一ツ木坂  南区南本町1丁目の文化通りを、文化センタ-脇から北東に上り、南浦和駅方向へ下る。《地図

住居標示前は大字大谷場一ツ木といい、近くに一ツ木遺跡(古墳時代後期の集落跡)があることから名づけられた。『わがまち浦和』

Dsc08437 大谷場氷川神社

Dsc08436 大谷場氷川神社(南本町1-9)

本殿は寛文元年(1666)建立で市の指定文化財。

Dsc08444【坂標】庚申坂

Dsc08451 庚申坂  南区南浦和2-28と2-30の間を北西に上る。《地図

大谷場小学校脇の市の民俗文化財の庚申塔による。

Dsc08448 坂の途中から坂下方向

正面は武蔵野線のガード

Dsc08439 大谷場庚申塔

寛文8年(1668)造立。三猿が刻してある。お産の神様としても信仰されている。『わがまち浦和』

Dsc08438大谷場庚申塔説明板

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