さいたま市の坂-2
2006年4月3日
南与野駅(JR埼京線)・・・富士見小坂・・・本杢(ほんもく)古墳・・・日向(ひなた)古墳・・・日向坂・・・西堀氷川神社・・・社(やしろ)坂・・・医王寺・・・神明社・神明神社古墳・・・東福寺・・・別所沼・・・木遣(きやり)坂・・・調(つき)神社・・・観音坂・・・白幡観音堂・・・武蔵浦和駅(JR武蔵野線)
【ルート地図】
冷たくない北風の強い一日でした。中島1丁目の中島小学校の方へ上るのが富士見小坂です。富士は見えませんでした。すぐ先に本杢古墳があります。戻って富士見小坂を下り、向いの坂を上ると日向古墳らしき所にでました。説明版も無いようで、保存状態も悪いです。南に行くとマミヤオービーの工場の南側に急な坂がありました。「急坂注意」の標識が立っています。南に進み日向坂を上り下りし、さらに南に行くと西堀氷川神社に出ます。神社の脇を社坂が下っています。
社坂下から医王寺へ寄り、鴻沼川を渡ると神明神社があります。境内に神明神社古墳があります。市内(浦和市)で最大の円墳だそうです。(大宮市などと合併後はどうでしょうか?) 埼京線を越え別所沼、その南側の「花と緑の散歩道」を通り東へ進み、浦和商業高校の前から北に木遣坂を下りました。向い側の坂を上り、東に入り調神社へ参りました。旧本殿のうさぎの彫刻、池にもうさぎの置物があります。月待信仰と結びつくようです。
旧中山道を南に行き、焼米坂の坂上から西に入り観音坂上に出ました。坂を下り国道17号線を渡り、前回(4月1日)に見落とした観音坂の由来となった白幡観音堂へ寄り、国道17号から武蔵浦和駅へ向いました。
写真をクリックすると拡大します。
正面の上り坂が富士見小坂。
富士見小坂 中島1-12と1-30の間を南西に上る。《地図》
冬の朝この小さな坂を駆け上がると雪化粧をした富士山がくっきりと見えるところからこの名がある。『わがまち浦和』
正面左は中島小学校
坂下から上り坂となる。
本杢古墳(中島2丁目)
円墳、土合古墳群の一つ。直径30m、高さ4.3m、6C後半頃の築造。『わがまち浦和』
円墳、これも土合古墳群のひとつ。直径12m、高さ2m
無名の急坂(西堀10-12と10-13のマミヤオービーの間を東に上る。
前方は新大宮バイパス
日向坂 西堀9丁目の日向交差点から西南に下る。《地図》
大字西堀字日向にあるため。『わがまち浦和』
西堀氷川神社(西堀8-26)
上の宮といい、田島の氷川神社を下の宮という。
社坂(坂下方向) 西堀8-26の西堀氷川神社の西側を北西に上る。《地図》
氷川神社(左側)に因んで、社(やしろ)坂と命名。『わがまち浦和』
医王寺(西堀2-6)
真言宗智山派の寺、大日如来坐像は県指定有形文化財。
円墳、土合古墳群。直径32m、高さ4m、6C後半頃の築造。南西部の一角が神社敷地として切られている。『わがまち浦和』
水源は台地からの湧水と天水。弁財天堂がある。もとは別所沼排水路(現在は花と緑の散歩道)で笹目川へ流れていた。
木遣坂(坂下方向) 岸町5-14と5-15の間を南に上る。《地図》
近くで市指定無形文化財である木遣歌がうたいつがれているため。『わがまち浦和』
調神社旧本殿(岸町3丁目)
享保18年(1733)築造。現在は稲荷社。
調が月と同じ読みから月待信仰と結びつき、月宮殿に擬せられてきた。
鳥居はなく、狛犬の代わりに兎像。
白幡観音堂(白幡4-14)
観音坂の坂名の由来となった観音堂。
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