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2006年4月28日 (金)

小金井市の坂-2

2006年4月28日

武蔵小金井駅・・・六道の辻・六地蔵・六地蔵天然水・・・大久保墓地の坂・金蔵院・・・車屋の坂・・・白伝坊の・月待板碑・・・小金井神社・・・中念坂・・・ハケの坂・・・ムジナ坂・・・ハケの道・・・いなり坂・・・加藤さんの坂・・・二枚橋の坂・馬頭観音・二枚橋・野川・旧二枚橋の坂・・・東小金井駅

 青く澄んだ好天の下、武蔵小金井駅から東に西武多摩川線脇の二枚橋の坂まで、「はけの道」など武蔵野の面影の残る坂道散歩でした。

ル-ト地図

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc09611 六地蔵(右) 本町1-7、.六道の辻(前原坂上交差点)を北東に入った所

笠つきの六角柱の各面に一体づつの半肉彫りの地蔵。宝永4年(1707)の建立。

Dsc09613六地蔵の天然水(六地蔵の前)

登録していないと汲めない。

Dsc09616 大久保墓地の坂(坂上から)

Dsc09618大久保墓地の坂  中町4-15と4-16の間を南に下る石段。《地図

雨が降ると川に早替わりするほどの、赤土がむき出しの急坂だった。大正末期に墓地を迂回するように工事され、以来ゆるやかになっており、階段も設けられている。『続小金井風土記』

Dsc09619金蔵院(大久保墓地の坂下)

Dsc09622 車屋の坂(坂上から)

Dsc09625 車屋の坂(坂上方向)  中町4-17と4-18の間を南に下る。《地図

この坂沿いに「上の車」「下の車」と呼ばれる水車小屋があった。この坂道は陣屋道の南端にあたる。『続小金井風土記』

Dsc09629 白伝坊の坂

Dsc09627 坂上から

Dsc09630 白伝坊の坂(坂上方向)  中町4-18と1-9の間を南に下る。《地図

万延(1860)ごろから明治初めにかけ、この坂中段、西側にある墓地に「白伝」という僧が住みついていた、農家を托鉢して回ったといわれいつしか「白伝坊の坂」と呼ばれるようになった。昭和15、16年ごろの墓地整理で、炉跡、井戸などが見つかり、小さな白伝の墓碑もあったといわれる。【坂標】

Dsc09632 月待板碑の説明板

Dsc09633 月待板碑(白伝坊の坂の途中)

左 天文7年(1538)の月待板碑。右 延慶2年(1309)の阿弥陀三尊の板碑。

Dsc09639小金井神社(中町4-7)

白伝坊の坂の坂下

Dsc09638 「小金井神社」由緒

Dsc09643 中念坂(坂上方向)  中町1-10と1-11の間を南西に下る。《地図

明治末期まで下り口に地蔵尊が立ち、ここで念仏講が行われていたらしい。旧地名”中山谷”の念仏講から中念坂の名があると思われる。別名をおお坂 『続小金井風土記』

Dsc09644 坂下方向

Dsc09653 ハケの坂(坂下方向)  中町1-12と1-13の間を南西に下る。坂下は「ハケの道」《地図

坂の西側の渡辺家は、通称「ハケの家」といい、『武蔵野夫人』のモデルになった家とされる。『続小金井風土記』 

Dsc09651 坂上方向

左側が渡邊家

Dsc09656 ムジナ坂  中町1-13と1-14の間を南に下る石段。《地図

昔、この坂の上に住む農民が田畑に通った道で、両側は山林の細い道であった。だれいうとなく、この道をムジナ坂といい、暗くなると化かされるといって怖がられ遠回りをした。【坂標】 坂の西側には、戦後2,3年ほど、作家・大岡昇平が寄寓し『武蔵野夫人』を執筆した富永三郎さん宅がある。『続小金井風土記』

Dsc09654 ムジナ坂

Dsc09658 坂下から

Dsc09659 富永三郎家の門

門だけが残る。

Dsc09662 ハケの道  ムジナ坂下の野川沿いの道

Dsc09668 いなり坂  中町1-14と1-15の間を南にハケの道に下る。《地図

かつて、坂の中腹に稲荷社(花咲稲荷)があった。『続小金井風土記』

Dsc09667 坂上近く

Dsc09676 加藤さんの坂  ハケの道から東町5-6を北に上る石段。《地図

大正末期ころ坂道の途中に加藤某という哲学者が住んでいた。近隣の若者は農作業をすませて夜、この加藤さん宅へ勉学に通った。誰いうとなくこの坂名がついた。『続小金井風土記』 

Dsc09678 坂下方向(坂途中から)

Dsc09697 二枚橋の坂  ハケの道から東町5-3、西武多摩川線の西側に沿い北に上る。《地図

Dsc09685 二枚橋の坂

西武多摩川線の敷かれる以前は、坂の中段から東に迂回して野川に架かる”二枚橋”へ通じていたが、以後、線路沿いに西側を下り、トンネルを掘って旧道につないだ。『続小金井風土記』

Dsc09700 坂下方向

Dsc09694 馬頭観音  二枚橋の坂下近くの線路沿い。

この付近は捨場といって、行き倒れの人や、息絶えた馬、犬など、不浄とされるものを焼いた所だったから、その霊を供養するために建てられた。『続小金井風土記』

Dsc09686 二枚橋から野川

二枚橋の伝説 かなわぬ恋のすえ、庄屋の息子と山守の娘が野川に身を投げ、その霊が大蛇に化けて幻の橋となって、人々を惑わした。これを哀れんだ庄屋が、大木を挽き割り、二枚並んだ橋を造って、供養したといわれている。『小金井の坂』

Dsc09693 旧二枚橋の坂(二枚橋から北に真っ直ぐ上っていた。)

西部多摩川線が敷かれる以前は、坂の中段から東に迂回して二枚橋に通じていた。『続小金井風土記』

Dsc09692 坂下方向

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コメント

 初めまして。
今昔(と言ってもまだ7年しか経ってませんが)の「いなり坂」の写真と記事を興味深く読みました。写真に残すことも大切なことだと改めて思いました。

          坂道散歩

投稿: とびぃ様へ | 2013年10月30日 (水) 14:30

初めまして。とびぃと申します。

私が開いているサイト「塔婆守の写真雑記帳」では、目下小金井市の坂をテーマとした連載を行っておりますが、本日更新した「自転車散行 -はけの道㉔「稲荷坂」-」のページに貴サイト「坂道散歩」の「小金井の坂-2-」に掲げられている「稲荷坂」の画像の1枚を参考資料として転載させて頂きました。事後報告となってはなはだ恐縮ですが、このことをお許し下さるようお願いいたします。なおブログへのご感想などもお聞かせ頂ければ幸いに存じます。

略儀ながら、上記の件よろしくお願い申し上げます。

投稿: とびぃ | 2013年10月30日 (水) 07:05

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