小金井市の坂-1・府中市の坂-4
2006年4月26日
武蔵小金井駅(JR中央線)・・・妙観(貫)坂・・・前原坂・・・質屋坂・・・幡随院(ばんずいん)坂・・・念仏坂・・・平代(へいだい)坂・・滄浪(そうろう)泉園・弁車の坂・・・貫井大坂・・・学校の坂・・・貫井神社・車屋の坂・・・くらぼね坂・・・貫井トンネル下 (バス)→ 浅間山(せんげん)公園・・・浅間神社・男坂・女坂・・・浅間公園 (バス) → 武蔵小金井駅
【ルート地図】
武蔵小金井駅から西へ国分寺市との境のくらぼね坂まで、武蔵野段丘と一段低い立川段丘との間の国分寺崖(がい)線に沿う坂を歩き、府中市の浅間神社まで足を伸ばしました。
*2008年8月18日に念仏坂の道筋を訂正し、写真を追加した。
写真をクリックすると拡大します。
妙観(貫)坂 中町4-13と小金井街道の間を北に上る石段。《地図》
前原坂上交差点は、その昔「六道の辻」といって六本の道が交差していた。そのうちの一本がこの道で、畑や水田の耕作のための農道だった。急な坂の東側に墓地があり、その南側、現在のカシ並木があるあたりに、明治の中頃から大正の初めごろまで、「妙観(貫)」といわれる僧が「庵」を造って住んでいたので妙貫坂と呼ばれるようになった。【坂標】 金蔵院の前身である観音寺の坊の一つであるともいう。『続小金井風土記』
前原坂(坂下方向) 中町4丁目と前原町3丁目の間を前原坂上交差点(小金井街道と連雀通りが交差。)から南に下る小金井街道。《地図》
質屋坂 前原町3-40と3-41の間を南西に下る。《地図》
府中から志木・所沢に行くための商人道で、旧志木街道の一部だった。この坂の中腹に幕末から明治のかけて星野家が質屋を営んでいた。また、途中から鎌形に曲がっているところから「鎌坂」ともいわれた。『続小金井風土記』 【坂標】
幡随院坂(なそい坂) 前原町3-37の幡随院と3-38の間を南に下る。《地図》
左の塀が幡随院。なそいとは斜めという意。
念仏坂(坂上方向) 薬師通りから前原町3-24と3-35の間を北に入って上り、右に曲がって突当り左に上って県道134号に至る坂。
昔、江戸街道から薬師通りに通じ、農民が便利にしていたこの道は、狭く両側から笹や樹木が生い茂っていた。坂の中段、東側に墓地があり、人はいつしか念仏を唱えながら通ったので念仏坂と呼ばれるようになった。【坂標】
2008年8月18日撮影
車は通れない細い坂
2008年8月18日撮影
真ん中の石段を下った先の右側の坂標の所(上の写真)から右に入り下る。
坂上を進むと小金井市役所前の県道134号に突当たる。
平代坂 前原町3-27と3-32の間を南西に下る。《地図》
万延か文久(1860~1864)のころ、坂の東側に住む梶平太夫が、玉川上水の分水を使って水車を回したので皆が、平太坂と呼んでいた。いつのころからか、これが平代坂と呼ばれるようになった。【坂標】
滄浪(そうろう)泉園 (小金井市貫井南町3-2)
武蔵野の特徴的な地形である「ハケ」(崖のこと)とその湧水を巧みに取り入れた、波多野家の別荘地跡。
弁車の坂(坂下方向) 滄浪泉園の中。《地図》
文政年間(1818~1830)にこの土地所有者、鈴木弁次郎が池の水を利用して水車業を営んでいたことによる。なお現在の坂は当時よりやや東側に移動しており、この新坂に名はないようだ。『続小金井風土記』
正徳3年(1713)、念仏供養のため祀るられた。左手にもつのはおだんごか。
寛文6年(1666)庚申さまとしてまつられた。市内で最古の地蔵。何百年もの間、信心深い人々から撫でられ鼻や目が磨り減っている。
滄浪泉園(右)に沿う坂(無名の坂)《地図》
弁車の坂の替わる新しい坂。
貫井大坂(坂上方向) 貫井南町丁目の警察署前交差点(連雀通りと新小金井街道の交差点)から南に下る新小金井街道。《地図》
正面は貫井トンネル
昔は質屋の坂とともに、所沢、志木へ通う商人たちが多く利用した。『続小金井風土記』
学校の坂 貫井南町3-6と3-8の間を北に上る。《地図》
坂上に小金井第4小学校がある。この坂の東側に大正時代、実業家の前田家が別荘(三楽荘)を建設したところから「三楽の坂」とも呼ばれる。『小金井市の歴史散歩』
坂上左側に小金井4小
貫井神社(貫井南町3-8)
貫井神社境内の愛宕神社へ上る石段脇。
車屋の坂(坂の途中から坂下方向) 貫井神社の南側から北西に上る。《地図》
かつて、二つの水車小屋があった。貫井弁天に通ずる坂なので弁天坂の名もある。『続小金井風土記』
くらぼね坂 貫井南町3-14と国分寺市南町1丁目の東京経済大学の間を南に下る。《地図》
今の貫井北町や小平、国分寺方面から府中に行くこの道は、急坂の東側が切り立つような赤土の崖で、雨の降る時などは人も馬も滑って歩くことができなかったといわれる。鞍(馬)でも骨を折るとか、「くらぼね」は断崖の連続した段丘崖を意味するともいわれ、諸説がある。【坂標】
浅間神社男坂 府中市若松町《地図》
『府中市内旧名調査報告書』は神社の北側の裏参道(この道があるのか未確認)を男坂としているが、男坂は神社正面に上る石段をさすのが一般的なのでこの長い石段を男坂とした。
堂山(海抜80m)の山頂。古多摩川、その他の河川により、周囲が削りとられここだけが残った。この辺りは人見ケ原の戦(正平7年(1352))で、新田義興、義宗兄弟が足利尊氏と戦った古戦場跡。
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コメント
ご連絡いただき恐縮です。
リンクを貼り直しましたのでご確認ください。
今後もよろしくお願いいたします。
坂道散歩
投稿: 牧田のホームページ様 | 2019年3月 6日 (水) 21:30
坂道散歩 管理人様
お世話になっております。
「牧田のホームページ」を運営しているものです。
坂道散歩様に、こちらの記事で当サイトを紹介してくれていることに気付き、
とても嬉しく思いました。誠にありがとうございます。
http://8tagarasu.cocolog-nifty.com/sakamitisannpo/2006/04/post_25c9.html
滄浪(そうろう)泉園
※リンク先:http://www.geocities.jp/mitaka_makita/nogawa/sorosenen.html
という部分です。
ただ、2019/3/31をもって、Yahoo!ジオシティーズが終了してしまうため、
こちらはリンク切れとなってしまいます。
※現在は引っ越し先ページに飛ぶようにしておりますが、2019/4/1以降はそれも無効となります。
そこで、大変お手数ではございますが、
上記のリンク先を、引っ越し先のページである、
http://mitaka-makita.com/nogawa/sorosenen.html
にご変更いただけないでしょうか。
大変なお手数をお掛けいたしますが、何卒宜しくお願い申し上げます。
当サイトへのリンクを貼っていただけましたことを、
重ねて御礼申し上げます。
牧田のホームページ
http://mitaka-makita.com/
投稿: 牧田のホームページ(管理人) | 2019年3月 6日 (水) 20:07
ヤタガラス様
昨日は本当に気持ちのよい散歩日和でしたね。
質屋坂も通りましたか?グルメ情報ですが、質屋坂に面したマンション(スカイコーポラス)の3階に“とんかつ 丸八”というお店があります。ここのランチカツはリーズナブル(730円)で美味しいのでお勧めです。
入り口は質屋坂の逆側です(店は小金井街道に面しています)。
またこの辺りに来られる機会があれば、是非ともお立ち寄り頂きたいです。
以上、宜しくお願いします。
投稿: CockieMaria | 2008年8月19日 (火) 22:58
CockieMariaさんへ
昨日、念仏坂あたりで見かけられたのは私かもしれません。
念仏坂を下り平代坂を上って戻り東へ、坂を上り下りしながら二枚橋まで行き、二枚橋の坂を上って東小金井駅へ出ました。
晴れていて、さほど暑くなく気持ちのいい坂道散歩ができました。
投稿: 坂道散歩(ヤタガラス) | 2008年8月19日 (火) 09:31
8tagarasu様
念仏坂、早速Up-Dateして頂いたのですね!感激しました。
私は本日、有給休暇だったので、午前中近所をウォーキングしていました。
念仏坂付近を通った時に、昭文社“都市地図・小金井市”を片手に何かを探しているような方を見かけました。
今思えば、もしかするとその方が8tagarasu様だったのでは…違いますでしょうか?
ちなみに私はウォーキングの際には小金井市教育委員会が発行している冊子「小金井市の歴史散歩」を参考にしています。
そして帰宅後、新たに歩いた道は昭文社“都市地図・小金井市”に蛍光ペンでマーキングしています。
以上、宜しくお願いします。
投稿: CockieMaria | 2008年8月18日 (月) 21:48
2008年8月18日に念仏坂(小金井市)を再訪して、道筋を訂正し写真を追加しました。
投稿: 坂道散歩人(八咫烏) | 2008年8月18日 (月) 17:24