落語散歩-中央区・台東区・北区
2006年4月21日
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今日はずいぶん歩きました。ちょうど永代橋の所で空が真っ暗になり大粒の雨が落ちてきました。急いでコンビニでビニール傘を買い永代橋の下から写真を撮っていたら雨は上がってしまいました。 橋の下で雨宿りをしていればいいものを、荷物が一つ増えて苦労しました。
元吉原、日本橋横山町、浅草、吉原と歩き最後に「九郎助落語会」で吉原の花魁(おいらん)が登場する落語「山崎屋」を聞きました。六代目の円生がむずかしいと言っていた噺です。
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細い路地の真ん中左側にある。
隅田川から入る堀川に架かる。
渡し船は正保2年(1645)に始まり昭和39年(1964)まで続いた。
佃大橋の西詰辺りまで通った。
落語「佃祭り」
つくだに丸久、元祖天安、本家佃源。歩いていると佃煮の甘いかおりが漂ってきた。
住吉神社(佃1丁目)
正保3年(1646)の創建
伝写楽終焉の地(住吉神社境内)
碑によると、寛政9年没。両足の指が6本あり、本名庄六で転じて画号の写楽となった。職業は欄間の彫師、後に2代目下駄屋甚兵衛となる。
写楽は謎の多い人物で終焉の地も全国各地にあるようです。確か徳島にもありました。
慶応2年(1866)に石川島人足寄場の西端、佃島の北端に設置された。
永代橋を望む。(中央大橋から)
何度も焼失、落下の記録がある。文化4年(1807)8月19日には、深川八幡の祭礼の見物人と、本所で若い女の処刑を見に行く人たちで橋の上が混み合い、橋は崩れ落ちた。町奉行の報告では、溺死者440人だが、733人とも1500余人ともいわれている。『中央区史跡散歩』
四谷怪談のお岩の霊を祀る。明治12年(13年?)に新宿区左門町から移転。『中央区史跡散歩』
今も左門町にあるのでは?
かつて、霊厳寺があった。明暦3年の大火で類焼し、万治2年(1659)深川に移転。『中央区史跡散歩』 落語「宮戸川」
由来誌に、昭和27年、酒問屋有志が社殿を整備した旨が記してある。
酒問屋が多かったという。日酒販の看板が見える。
落語「長者番付」
新川は日本橋川と約100mへだてて平行し、亀島川と隅田川を結ぶ運河だった。昭和23年に埋めたてられた。
水天宮(日本橋蠣殻町2丁目)
安産の神、赤ん坊を連れたお礼参りの若い夫婦が多かった。
日本橋人形町2丁目
元和3年(1617)に開かれた。明暦3年(1657)正月の大火(振袖火事)で類焼し、6月に浅草日本堤に移転。『中央区史跡散歩』
岡本玄冶という医師の屋敷があったというが、歌舞伎「与話情浮名横櫛」で有名。
伝馬町牢屋敷跡の十思公園(日本橋小伝馬町3丁目、小伝馬町交差点辺り。)
落語「藁人形」
落語「山崎屋」「たがや」「おせつ徳三郎」
浅草見附跡(浅草橋脇)
落語「宮戸川」「蔵前駕篭」
鳥越神社(鳥越2丁目)
一説には、平将門の首が京都から飛び越えてきたので鳥越の名がついたともいう。社殿は古墳の上にある。
三味線堀近く(小島1丁目)
不忍池から忍川でこの堀に注がれ、更に隅田川に通じていた。『中央区史跡散歩』
落語「豊竹屋」
はなし塚(本法寺内)(寿2丁目)
戦時中、艶笑落語や漫談の台本を埋めた塚。戦後、塚の前で盛大に復活祭をした。「明烏」「居残り左平次」「五人廻し」などの廓噺も禁演とした。
門跡さまの名がある。
落語「野ざらし」
誓願寺長屋があった辺り。
落語「唐茄子屋政談」
浅草寺五重塔
浅草神社(三社さま)
落語「百川」
花川戸の助六歌碑(花川戸2丁目の花川戸公園内)
落語「悋気の火の玉」「文七元結」
待乳山聖天と天狗坂の石段(浅草7丁目)
落語「文七元結」「崇徳院」
低火で焼く陶器。天保から安政時代が隆盛期。『中央区史跡散歩』
落語「今戸焼」「今戸の狐」
今戸神社(今戸1丁目)
初代三笑亭可楽の墓がある。
山谷堀 隅田川から、今戸橋、聖天橋、吉野橋、正法寺橋、山谷堀橋、紙洗橋、新地方(じかた)橋、地方橋、日本堤橋が架かっていた。水源は音無川。
落語「付き馬」「宮戸川」「夢金」
禿(かむろ)坂跡 山谷堀橋(東浅草1-4)辺りから日本堤に上る坂だった。
化粧(けわい)坂跡 地方橋(東浅草2-7)辺りから日本堤に上る坂だった。
地方橋辺りに編み笠茶屋があり、吉原へ行く客がここで編み笠をかぶり扇子で顔をかくして大門をくぐったという。
見返り柳の碑 土手通りの吉原大門交差点そば。
落語「明烏」
衣紋坂跡 台東区千束4丁目。日本堤の土手から吉原大門へ下る坂だった。
吉原へ遊びに行く人たちが、この坂で衣装を整えた。
春慶院(東浅草2丁目)
二代目高尾太夫の墓がある。
江戸六地蔵の一つ(東浅草2丁目東禅寺内)
関東大震災の時、大門が閉められ焼死した遊女の慰霊塔。
「九郎助落語会(かみなか寄席)」
大黒湯内の北区上中里コミュニティセンタ-にて。
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