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2006年4月 7日 (金)

立川市の坂-1

2006年4月7日

西立川駅(青梅線)・・・富士塚・・・常楽院入口バス停・・・台へ下る坂(無名坂)①②・・・歴史民俗資料館・・・台の坂・・・狼坂跡・・・富士見第二公園・滝の上坂・滝の下橋・・・残堀川・・・山中坂下橋・・・山中坂・空襲犠牲者慰霊碑・地蔵堂・・・横町(よこちょう)坂・・・馬場坂下橋・・・番場(馬場)坂・・・JR中央線線路・・・普済寺・・・沢の稲荷・・・沢の坂・・・大和田・・・地蔵坂跡・地蔵・・・下和田坂・旧甲州街道・・・日野の渡し碑・・・貝殻坂橋・貝殻・・・西国立駅(南武線)

 西の昭島市の境から東の国立市の境まで、主に段丘に沿う坂を歩きました。台へ下る坂に名前はついていないようです。二つの道筋の坂がありました。狼坂は前回訪れた時(1999年12月)にすでに廃道のようでした。山中坂の途中には戦時中防空壕があり、昭和20年4月3日の空襲で40人以上が犠牲になりました。坂の途中に慰霊の戦災供養地蔵尊が祀られています。

 横町坂の坂下から上る番場坂は途中JR中央線の線路に遮断され、左にカーブして線路に沿って上っていますが、昔は真直ぐに普済寺まで上っていたのでしょう。普済寺前から沢の稲荷の南側の沢の坂の道筋は鎌倉街道の古道で、この坂を下り多摩川へ出て日野宿へ続いていました。地蔵坂も廃道になっています。前回来た時はなんとか通行できましたが、今日は止めました。坂上の墓地に坂名の由来の地蔵さんが立っています。

 旧甲州街道の下和田坂を南に下ると日野の渡し場があって多摩川を渡り、日野宿へ続いていました。甲州街道が多摩川を渡る、「渡し」は何度か移動され、それにともない甲州街道の道筋も変わりました。柴崎村(立川市)と青柳村(国立市)の下る貝殻坂も、かつては甲州街道で「万願寺の渡し」で多摩川を渡り日野宿へ入っていました。

 その他、『坂の今昔』には現存しない坂、位置不明の坂として、「加行坂」「玄番坂」「吉(由)右衛門坂」「井戸坂」「商人坂」の5坂が載っています。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc08723富士塚(富士見町1丁目) 《地図

頂上に富士浅間神社が祀られている。立川に富士講の記録はなく、富士講との関係ははっきりしない。このあたりに井戸坂があったようだ。

Dsc08724 富士塚説明板

Dsc08726 台へ下る坂①(無名の坂)  奥多摩街道のバス停の常楽院入口近くから下る坂。坂下は台の坂の坂下近く。《地図》(道筋の標示はない)

台の上の集落が発展してからできたものであろう。今でも坂の名がないようである。『坂の今昔』

Dsc08733 歴史民俗資料館(富士見町3丁目)

Dsc08739 台へ下る坂②

台へ下る坂①の少し西側から下る坂。坂上は石段で坂下に右側に歴史民俗資料館がある。《地図

Dsc08751 台の坂(坂下方向)  富士見町3丁目の農業試験場前のバス停近くから南西に下る。《地図

台の集落の人たちが、上の畑の耕作のためと、段丘上の滝の上や山中の集落との行き来のための重要な坂だった。台の集落へ下る坂なので、「台の坂」と名付けたものであろう。『坂の今昔』

Dsc08749 坂上方向

Dsc08753 狼坂跡の坂上  富士見町3丁目バス停から南に下る坂だった。《地図

以前は富士見町団地の住人がバス停に上る坂として利用していた。その後団地の交通の便がよくなり、さらに東側に新道ができたため利用しなくなり廃道に近くなった。『坂の今昔』

Dsc08754 狼坂跡の坂上辺りから坂下だった方面を望む。

狼が出た坂というより、狼が出るような、物騒なこわい坂ということであったろうと思われる。『坂の今昔』

Dsc08763 滝の上坂(坂上方向)  富士見町4丁目の富士見第二公園の東側を南に滝下橋(残堀川)まで下る。《地図

滝の上の集落から、下の田畑へ通じる坂だった。『坂の今昔』

Dsc08761 坂上近く

Dsc08765残堀川(滝下橋から)

Dsc08769山中坂標示板

Dsc08767 山中坂  富士見町4丁目の山中坂下橋(残堀川)から曲がりながら東に上る。《地図

古くから、上の山中集落の人たちが、段丘下の田畑を耕作する上に、重要な坂だった。坂の途中の防空壕で空襲をうけ40人以上が爆死した。(昭和20年4月3日) 『坂の今昔』

坂途中の左側に慰霊の碑と地蔵堂がある。

Dsc08771 空襲慰霊の詩碑と地蔵堂

Dsc08776慰霊の地蔵さん

Dsc08770 「山中坂悲歌」の石碑

Dsc08774 山中坂(左)と青梅道、五日市道などと呼ばれた古道(右)

Dsc08772 古道と山中坂説明板

Dsc08782横町坂標示板

Dsc08783 横町坂(坂下から)  富士見町5-26と5-24の間を南東に下る。山中坂の坂上近くから下る。《地図

段丘上の横町の集落の人たちが段丘下の田畑の耕作のおりに通った道。『坂の今昔』

Dsc08779_2 坂上から(右側の坂)

Dsc08785 番場(馬場)坂  横町坂の坂下から南東に上る。坂上付近でJR中央線の線路にぶつかり左に曲がる。《地図

根川か(根川)橋の見張り役の番小屋でもあったのだろう? 都営アパート建築工事中に坂の崖面から貝殻層が露出したことがあり、貝殻坂の別名がある。『坂の今昔』

Dsc08788 坂下方向

Dsc08787 JR中央線の線路沿いに上る。

Dsc08794 番場坂の昔の道筋。

普済寺の裏から真直ぐに下っていたのだろう。今は中央線が遮断している。

Dsc08796

普済寺山門(柴崎4丁目)

江戸時代は多摩川を挟んで多摩丘陵や丹沢の山々、さらには富士山をも一望することができたという。
「加行坂」・「由右衛門坂」は寺の近くにあった坂か?

普済寺『江戸名所図会』

Dsc08799立川氏館跡の土塁。普済寺境内。

立川氏は武蔵七党の一つ、西党日奉(ひまつり)氏の氏族。文和2年(1353年)立川宗恒が当寺を建立。戦国時代には後北条氏に従う。天正18年(1590)後北条氏の八王子城が豊臣秀吉に攻め落とされた時、主君とともに滅ぼされ断絶し、城は寺域となる。

Dsc08797 立川氏舘跡説明板

Dsc08803 沢の稲荷(柴崎4-16)

農耕の神として、古くから人々の信仰を集めていた。円墳の上に立っているともいわれている。

Dsc08807 沢の坂(右)  沢の稲荷の南側を東に下る。《地図

沢の集落から下の低地へ下る坂。鎌倉街道の道筋。『坂の今昔』

Dsc08809 坂上方向

Dsc08813 大和田坂  柴崎4-10と4-12の間を北に上る。《地図

大和田の集落から下の田んぼへ下る坂。『坂の今昔』

Dsc08812 坂下方向

Dsc08815 地蔵坂跡  柴崎4-4から北に上る坂だった。《地図

坂下辺りから 

Dsc08817_1地蔵坂跡(坂上から)

通ろうと思えば通れるが道ではない。

Dsc08818 地蔵坂跡の坂上の墓地に立つ地蔵さん

宝永六年(1709年)の造立という。おそらく江戸時代は墓地内でなく、坂の下り口に立っていた路傍の地蔵尊ではなかったろうか。『坂の今昔』

Dsc08821 下和田坂(坂上方向)  錦町5-15の柴崎市民体育館と5-13の間を北東に上る。《地図

旧甲州街道で南に下り多摩川に出た。体育館の北側から西へ五日市道(拝島道)が分かれていた。『坂の今昔』 

Dsc08823 旧甲州街道の標識

Dsc08825 坂下方向

Dsc08828 日野の渡し碑(錦町5丁目の多摩川近く)

Dsc08829 渡し碑の碑文

Dsc08831 日野の渡し跡に立つ馬頭観音供養塔

Dsc08836 日野の渡し付近の多摩川とモノレール。

Dsc08841 貝殻坂坂下近くの貝殻坂橋。

坂標も建っている。

Dsc08837 貝殻坂橋説明板

Dsc08842 貝殻坂(貝殻坂橋から坂上方向)  江戸初期の甲州街道の道筋で、坂を下り万願寺の渡しで多摩川を渡り、日野宿へ入っていった。《地図

昔からこのあたりで、貝殻が多く出土したという。『新編武蔵風土紀稿』にも、「土中をうがてば蛤の殻夥しく出づ、土人の話に古へはこの辺も海なりしと伝う」とある。

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