さいたま市の坂-1
2006年4月1日
武蔵浦和駅(武蔵野線)・・・曲(かね)坂・真福寺・・・白幡睦神社・・・地蔵堂・地蔵坂・・・観音坂・・・焼米坂・・・神明坂・・・神明社(岸町2丁目)・・・神明社(根岸1丁目)・・・一ツ木坂・・・大谷場氷川神社・・・庚申坂・・・大谷場の庚申塔・・・南浦和駅
【ルート地図】
昨日とうって変わり風も弱く、のどかな春爛漫の日でした。武蔵浦和駅から北に行き、曲坂を上ると真福寺に出ます。境内に「逆さイチョウ」や愛嬌のある顔の地蔵さんが立っています。東に向い、白幡睦神社へ狭い男坂を上りました。神社の南側の道路脇に小さな地蔵堂があります。そこから北東に上るのが地蔵坂です。坂下から南東に進み、観音坂を上りました。観音堂は坂上にあるとばかり思っていましたが見当たらず、帰宅後、坂下を進んだ所に白幡観音堂があることに気づきました。(4月3日に寄りました。「さいたま市の坂ー2」) 観音坂の坂上から東に行き、旧中仙道の旅人に焼米を売る店があったという焼米坂を下って北へ、武蔵野線をくぐり田島通りの神明坂に出ました。東に下って、上る坂です。神明1、2丁目に神明社は見当たらず、北の岸町2丁目に小さな神明社がありました。神明坂の坂上辺りから南に神明通りを進むと、根岸1丁目の所にも神明社があります。こちらの方が大きいです。東に進み、文化通りを上って、下るのが一ツ木坂です。坂下の南浦和駅そばの大谷場氷川神社に寄りました。南浦和駅の東口へ出て南大通りを進み、北西に入り武蔵野線をくぐると庚申坂の上りになります。坂上を進むと大谷場小学校の隅に名前の由来となった大谷場の庚申塔が保存されています。
曲(かね)坂(北に上る坂下から) 南区別所2-6と2-7の間を北に上り、左に曲がり上る。真福寺前。 《地図》
大工さんの使う直角の曲尺(かねじゃく)に似ているところから。『わがまち浦和』
坂上方向右側に真福寺
真福寺(別所2-5)
真言宗の寺で玉蔵院の末。正和3年(1314)名の板石塔婆や、「逆さいちょう」の伝説のあるいちょうの木がある。
さいたま市指定天然記念物
白幡睦神社(南区白幡1-16)
境内社の八幡社は、平将門を征討のために藤原秀郷がしばしば陣を張り、八幡神を勧請して軍の勝利を祈った。その際に陣中に白幡を立てたので当地を「白幡」と呼ぶようになったという。『将門マップ』・『将門散歩』
地蔵坂の由来の地蔵
地蔵坂(坂上方向) 白幡1-5と1-16の間を北東に上る。《地図》(地図の地蔵坂の位置とは違う)
写真左下が地蔵堂。
観音坂(坂上方向) 白幡1-3と1-5の間を北方向に上る。《地図》
観音堂につきあたる道が坂になっていたところからこの名がある。『わがまち浦和』
坂下を進んだ所に白幡観音堂がある。
焼米坂 白幡1-1の南浦和小学校の東側を北に上る旧中山道。《地図》
「新編武蔵風土記稿」の根岸村のところに「焼米坂 村の北の街道の内にあり、上り一町半許の坂なり、此所にて焼米をひさぐゆえに名づけり」とあり、中山道を通る旅人に焼米を売る店があった。『わがまち浦和』
焼米坂『江戸名所図会』
左側は南浦和小学校
神明社(浦和区岸町2丁目)
神明坂 浦和区神明2丁目の田島通りを東へ下り、神明1丁目まで上る。《地図》
町名による坂名『わがまち浦和』
神明社(南区根岸1丁目)
一ツ木坂 南区南本町1丁目の文化通りを、文化センタ-脇から北東に上り、南浦和駅方向へ下る。《地図》
住居標示前は大字大谷場一ツ木といい、近くに一ツ木遺跡(古墳時代後期の集落跡)があることから名づけられた。『わがまち浦和』
大谷場氷川神社(南本町1-9)
本殿は寛文元年(1666)建立で市の指定文化財。
庚申坂 南区南浦和2-28と2-30の間を北西に上る。《地図》
大谷場小学校脇の市の民俗文化財の庚申塔による。
正面は武蔵野線のガード
寛文8年(1668)造立。三猿が刻してある。お産の神様としても信仰されている。『わがまち浦和』
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