府中市の坂-1・国分寺市の坂-1
2006年4月13日
西国分寺駅(武蔵野線)・・・多摩蘭坂(国分寺市)・・・白明坂(しらみ)坂・・・上坂(かみざか)・上坂橋・・市川緑道・・・中坂橋・中坂・・・清水坂(下坂?)・・・八雲神社・元応の板碑・光明院坂・光明院・光明院橋・御猟場道・・・浅間神社・庚申塔・・・分倍河原駅(京王線)→中河原駅・・・段坂・・・中河原駅
国分寺市内藤1丁目との境を南に行き、西に多喜窪通りの多摩蘭坂を下りました。本宿町4の交差点から西に富士見通りを進み、南に入り甲州街道へ出ました。南武線を越え線路沿いに大山道を進み、上坂の坂上に出ました。坂下の市川用水に上坂橋が架かっています。市川緑道を府中崖線に沿って東に行き、中坂橋から中坂を上りました。坂上から東に入ると清水坂に出ます。坂下は御猟場道です。坂は南武線のガードをくぐり上ります。
清水坂上から東に入ると八雲神社へ出ます。神社前の道が分梅通りで、昔の鎌倉街道です。陣街道、浅間道、分倍道とも呼ばれていました。この道が光明院坂で坂下が御猟場道で光明院、光明院橋跡があります。この辺りは分倍河原古戦場だった所です。光明院の北側に高倉塚と呼ばれる古墳が保存されています。坂上には浅間神社があり、屋敷分の庚申塔があります。
分倍河原駅から一駅で中河原駅です。小雨が落ちてきました。線路沿いに住吉町4丁目から四谷1丁目と進み、西に入り四谷3丁目の西府緑地公園に出ました。公園前の坂が段坂のようですが、傾斜もゆるく坂標もありません。かつては多摩川の堤に上る坂で段々状になっていたのでしょうか。府中市は坂、橋、道その他、郷土の旧跡の案内板や説明板の設置が豊富で歩きやすく楽しいです。
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多摩蘭坂(坂上方向) 国分寺市内藤1丁目の多喜窪通りを東に上る。《地図》
大正時代に国立と国分寺をつなぐ道路をつくるために段丘を切り開いてつくられた坂。一橋大学の学生が、「たまらん、たまらん」と言って上ったとか、大八車やリヤカーを引く人が、「こんな坂いやだ、たまらん」と言ったことからついたといわれる。【坂標】
忌野清志郎の♪『多摩蘭坂』がある。
白明(しらみ)坂(坂上方向) 府中市北山町4-23を北に上る。《地図》
坂名の由来等は【坂標】に記載。鎌倉街道の裏街道。別名を見返り坂。国分寺市内藤一丁目と二丁目の間の坂道とする説もある。
「上坂」説明板 西府町1-44の上坂橋から北東に上る。《地図》
四谷街道(四谷の人たちが甲州街道へ出る道)・大山道(四谷から多摩川を渡り大山参りの道)の道筋。この辺りの土地を持っていた西府町の石川省二家の屋号が”かじ屋”で別名を「かじやばけの坂」。説明板では鍛冶屋だったという。
中坂 本宿町1-37の第五小学校の東側を北に上る。《地図》
旧本宿村は西から、上・中・下と呼ぶ。
清水坂(坂下方向) 本宿1-32と美好町3-57の間を北東に上る。正面は南武線のガード。《地図》
坂の両側から清水が湧いていた。下坂にあたる坂。
八雲神社(分梅1-20)
元応元年(1319年)
光明院坂(坂上方向) 分梅1-13の光明院の西側を北に上る分梅通り。《地図》
鎌倉街道で坂下一帯は元弘3年(1333)の分倍河原古戦場跡。以前は荒れた道で、木の根が出ていて「根っ子坂」といわれてた。
『今昔東京の坂』はこの坂を市川坂と呼んでいる。
高倉塚古墳(分梅町1-11)
6世紀前半の円墳か。高倉古墳群の一つ。
浅間神社(美好町3-42)
浅間神社付近の屋敷分村(美好町3丁目)が延宝2年(1674年)に建立。
段坂 四谷3丁目の西府緑地の北側を西に上る。《地図》
多摩川の旧堤に上る坂。『府中市内旧名調査報告書』
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