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2006年5月30日 (火)

調布市の坂-6

2006年5月30日

三鷹駅 バス→東町3丁目・・・原山線の坂・・・源さんの坂・・・かごや坂・・・ころがり地蔵の坂・・・揚げ場下の坂・・・むけへの坂・・・銀さんの坂・・・お諏訪さまの坂・諏訪神社→バス三鷹駅

 東町3丁目のバス停の原山通りが原山線の坂です。ころがり地蔵の坂と揚げ場下の坂は消防大学通りの向き合う坂です。

 源さんの坂・かごや坂・むけへの坂・銀さんの坂は短く、緩やかな坂です。諏訪神社の鳥居の脇に、ころがり地蔵の坂の由来となった地蔵の庚申塔があります。

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Dsc01100 原山線の坂(坂下方向)  深大寺東町4-24と3-32の間を北に上る原山通り。《地図

Dsc01102 坂上方向

Dsc01108 源さんの坂(坂上方向)  深大寺東町4-32と4-33の間を北東に上る。《地図

坂上の金子家の源蔵という人の名がついた。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01111 かごや坂  深大寺東町4-9と4-11の間を南に上る。《地図

坂上に「かごや」の屋号で呼ばれる吉田家があったことによる通称。『調布の古道・坂道・水路・橋』吉田家は今もある。

Dsc01117 ころがし地蔵の坂  深大寺東町6-19と4-29の間を北東に上る消防大学通り。《地図

昔、青年たちが地蔵像の庚申塔を力石代わりに使い、その後坂道のほとりに転がしたままにしておいたのでついた名。別名を「さいたまさんの坂」坂上に埼玉家があるため。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01136 「ころがし地蔵の坂」の由来となった地蔵の庚申塔か。(諏訪神社鳥居脇の一番右の庚申塔)

Dsc01123 揚げ場下坂(坂上方向)  深大寺東町6-16と4-16の間を南西に上る消防大学通り。《地図

諏訪神社横にあった揚げ場(生糸工場の請負者田辺氏の住居が坂上の北側にあった。『調布の古道・坂道・水路・橋』 

Dsc01121 坂下方向

Dsc01125 むけへの坂  深大寺東町6-15と6-16の間を南西に上る。《地図

入間川(大川)を挟んで、馬部・田村両家が向かい合う位置だったので互いに相手の家を「むけへ」と称したことによる。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01127 銀さんの坂  深大寺東町7-20と7-22の間を北東に上る。《地図

坂上に田村銀次郎家があったことによる。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01140 お諏訪さまの坂(坂下方向)  深大寺東町8-2と6-37の間を南西に上る三鷹通り。《地図

坂下近くに諏訪神社がある。

Dsc01141 坂下方向

Dsc01142 坂上方向

Dsc01137 諏訪神社(深大寺東町8-1)

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2006年5月29日 (月)

調布市の坂-5

2006年5月29日

仙川駅(京王線)・・・一里塚碑(甲州街道)・・・弁天坂・弁天橋(仙川)・・・八幡神社・・・地の坂・・・吉田の坂・・・ムジナ坂・・・ガニガラ坂・・・寿林寺・光源寺・・・向台の坂・延浄寺・・・病院坂・・・小学校の坂・・・蛇久保の坂①②・・・部隊坂・・・文治郎さんの坂・・・東町3丁目バス停→三鷹駅

 売地の坂は滝坂(甲州街道)の南東側の坂です。吉田の坂は旧滝坂の北西側で三鷹市中原との境の急坂です。

 ムジナ坂と向台の坂は北西に下って、上る坂で坂上は三鷹市との境です。ガニガラ坂は坂上の一部だけが調布市で、三鷹市の坂とも言えるでしょう。蛇久保の坂は今は短い小さな坂です。

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Dsc01020 仙川一里塚跡碑(仙川駅入口交差点の甲州街道沿い)

Dsc01021 弁天坂(坂下方向)  緑ヶ丘1-1と仙川町3-4を北西に下る。《地図

坂下の仙川畔に弁天が祀られていた。弁天は大正6年八幡社に合祀。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01025 坂上方向

弁天橋から

Dsc01026 弁天橋から仙川

Dsc01023庚申塔(弁天坂の坂下)

宝永元年(1704)

Dsc01022_1 庚申塔由来碑(下仙川村弁天坂)

Dsc01030 八幡神社(緑ヶ丘2-4)

弁天坂の弁天が合祀されているという。

Dsc01032 売地の坂  東つつじヶ丘1-10と1-14の間を北東に上る。《地図

旧京王線の線路跡。売りに出されたことがあった。『調布の古道・坂道・水路・橋』
坂上の道は滝坂道で、すぐ先で甲州街道に合流する。 

仔犬と散歩の女性(足元に小さな犬を連れている。「私は犬になりたい」か)

Dsc01034坂上方向

Dsc01040 吉田の坂  東つつじヶ丘1-17と三鷹市中原1丁目の間を北に上る。《地図

西の三鷹市側に昔からある吉田家の名がつく。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01036坂上方向

Dsc01044 ムジナ坂(南側の坂上から)  西つつじヶ丘2-4と2-6の間を北に下り、上る。《地図

字「貉沢」による。「貉沢の坂」ともいう。

Dsc01045 下って北方向に上る

Dsc01049 北側の坂上から

Dsc01054 向台の坂(北側から)  西つつじヶ丘1-52と2-4の間を北西に下り、上る。ムジナ坂の西側の坂。《地図

谷の北側、三鷹市(旧中仙川村)境を旧金子村で字向台といった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01057 南側の坂上から

Dsc01066 ガニガラ坂  西つつじヶ丘2-27と三鷹市中原2丁目の間を北東に下る。《地図

由来不詳。坂下の川にカニがたくさんいたのかもしれない。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01063 坂下方向

Dsc01068 病院坂  柴崎2-44と西つつじヶ丘1-47の間を北西に上る。《地図

上野原五差路の東南に明治30年神代村建設の伝染病の病院があった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01073 坂下方向

Dsc01074 小学校の坂  柴崎2-36と2-40の間を北東に上る。《地図

坂下に上ノ原小学校(写真の右奥に一部見える。)

Dsc01077坂上方向

Dsc01081 蛇久保の坂①  柴崎2-38と2-36の間を北東に上る。《地図

谷地形からきた字「蛇窪」による。

Dsc01086 蛇久保の坂②  柴崎2-33と2-36の間を北東に上る。《地図

①の坂の左隣の坂。

Dsc01088 部隊坂  深大寺東町3-11と三鷹市中原4丁目の間を南東に上る。《地図

太平洋戦争中、上野原の陸軍施設の裏門から出て北へ行く道の坂でこの名がついたと言うが詳細不明。『調布の古道・坂道・水路・橋』 坂下の中央自動車道をくぐると「文治郎さんの坂」の上りとなる。

Dsc01087 坂下方向

Dsc01096 文治郎さんの坂(坂上方向)  深大寺東町3-27と三鷹市中原3丁目の間を北方向に上る。《地図

元禄時代、中仙川村(三鷹市)の名主麻生家から文治郎という人が分家してこの坂の東側に住み、一代で財をなし、本家に代わり名主も勤めた。「ぶんじろう」と読んだが、「ふみじろう」かも。

Dsc01097坂下方向

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2006年5月26日 (金)

川口市の坂-1

2006年5月26日

東川口駅(武蔵野線)・・・一本木坂・・・東川口駅(埼玉高速鉄道)→戸塚安行駅(埼玉高速鉄道)・・・西福寺・・・植物振興センター・・・興禅院・弁財天・十三石仏・・・割坂(かつざか)・・・赤沼用水遊歩道・一輪草自生地・馬つなぎ場・・・六兵衛坂・・・密蔵院・九重神社・・・新郷貝塚・・・八幡坂・峯ケ岡八幡・・・貝塚(バス)→草加駅(東武伊勢崎線)

 植木の里の安行付近の歩きました。県道は車の往来が多いですが、寺、神社、植物園、ふるさとの森、貝塚遺跡など見どころは豊富です。割坂、六兵衛坂は一般道から赤沼用水ふるさとの森の中に下る坂です。八幡坂は南から峯八幡の西側へ上り、北に下る坂で、両方の坂を八幡坂としました。

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Dsc08720 一本木坂  東川口4-1と1-4の間を北西に上る。《地図

バス停「一本木坂上」 もある。

Dsc00889 百観音公園から西福寺へ上る坂。

Dsc00886 西福寺(川口市西立野)

弘仁年間(810~823)に弘法大師が開いたとされる真言宗の寺。

Dsc00888 三重塔(西福寺)

将軍家光の長女千代姫が奉建したという。

Dsc00928 興禅院(安行)

天文15年(1546)の建立という曹洞宗の寺。

Dsc00909 弁財天へ下る道

興禅院の裏手のふるさとの森の中。

Dsc00913 弁財天

Dsc00914弁財天の左側の小社内。

お使い姫の蛇の石像と玉子の供え物。

Dsc00925 十三仏の並ぶ小道。(ふるさとの森内)

Dsc00934 割坂(かつざか)の坂標

Dsc00937 割坂(坂下方向) 安行領家?《地図》(このあたりだと思うが自信はない。)

「赤沼用水ふるさとの森」へ下る坂。台地を割っている坂の意か?

Dsc00941 坂上方向

Dsc00955 馬つなぎ場(伊奈氏の赤山陣屋?)

向う側は一輪草自生地。

Dsc00946

Dsc00952 六兵衛坂(坂上方向)ふるさとの森から上る。《地図》(道の標示はない。これも自信なし。)

坂の近くに住んでいた人の名か?

Dsc00958 六兵衛坂に使われている板材の説明。

Dsc00949坂上方向

Dsc00960密蔵院の表参道へ上る坂。

Dsc00962 密蔵院(安行原2008)

平安時代創建の真言宗の寺。

Dsc00963 柘植の巨木(密蔵院境内)

推定樹齢500年以上。

Dsc00964 九重神社(密蔵院の隣)

Dsc00965 スタジイの巨木(九重神社境内)

Dsc00975 新郷貝塚のA地点(東貝塚)

新郷貝塚の中で最も規模が大きい所。

Dsc00973 新郷貝塚説明板

Dsc01002 八幡坂  峯の峯八幡入口交差点から北に上る峯八幡坂通り。《地図

坂上の東側に峯ケ岡八幡神社がある。(写真右奥)

Dsc00994 八幡坂  峯八幡の所から北に下る峯八幡通り。(前の坂から続く坂)

Dsc00986 峯ケ岡八幡神社

天慶年間(938~946)源経基の創建という。

Dsc00985_1 いちょうの大木(峯八幡境内)

推定樹齢600年以上

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2006年5月25日 (木)

鳩ヶ谷市の坂-1

2006年5月25日

鳩ヶ谷駅(埼玉高速鉄道)・・・真光寺・・・見沼代用水東縁・日光御成道・吹上橋・御成坂・・・市神社・・・鳩ヶ谷氷川神社・・・郷土資料館・・・法性寺・・・地蔵院・・・西新井氷川神社・宝蔵寺・子日神社・・・新井宿駅(埼玉高速鉄道)

 日光御成道は江戸時代に将軍家が日光東照宮へ参詣するための道です。鳩ヶ谷宿があった道沿いには古い建築物が残っていて宿場町の面影が少しあります。(鳩ヶ谷市は平成23年10月に川口市に編入合併して消滅した)

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Dsc00820 真光寺本堂(鳩ヶ谷市里) 《地図

御成道沿いにあった鳩ヶ谷宿本陣船戸家の建物を移築。

Img_8891説明板

Dsc00823 御成坂  本町1丁目と3丁目の間を見沼代用水東縁の吹上橋から北に上る。《地図

日光御成道の坂。

Dsc00824 からくり人形時計(御成坂の途中)

Dsc00825 古い洋館(御成道沿い)

Dsc00826 十一屋北西酒店(御成道沿い)

昭和初期の建築で、今も営業中。

Dsc00837 御成道沿いの旧家

Dsc00838 もとは煙草専売所の蔵だった。(御成道沿い)

Dsc00854 古い商家(御成道沿い)

Dsc00830 鳩ヶ谷氷川神社

Dsc00834 市神社(御成道沿い)

3と8のつく日に三八市が立った。この市の祭神で商売繁盛の神。今はバス停の後ろに小さな宮があるだけ。

Dsc00841 法性寺へ下る坂

正面は法性寺ふるさとの森

Dsc00850 法性寺山門(室町時代末期)

Dsc00845 法性寺(桜町1丁目)

明応年間の建立の曹洞宗の寺。

Dsc00856 地蔵院(桜町5丁目)

真言宗の古刹。行基の作という地蔵菩薩像が本尊。

Dsc00858 良縁地蔵(地蔵院境内・正徳元年(1711)の建立)

息子が村娘に惚れてしまったお大尽の母親。縁切りをこの地蔵さんに願ったところ、働き者で、気立てが良く、素直な村娘の姿が浮かんできて良縁であることを悟り、息子の嫁に迎えたという。

Dsc00864 西新井宿氷川神社(川口市西新井宿・御成道沿い)

Dsc00866 子日大権現(川口市新井宿)氷川神社の前。

Dsc00877 多宝院(川口市新井宿)

子日神社の隣にあるが荒れていて廃寺のようだ。

Dsc00878 宝蔵寺(氷川神社の隣)

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2006年5月23日 (火)

調布市の坂-4

2006年5月23日

布田駅(京王線)・・・池ノ上神社・七曲がり坂・・・セイトの坂・・・ひきずり坂・・・阿弥陀堂の坂・・・樫の木稲荷の坂・樫の木稲荷・・・善並坂・・・お宮さんの坂・柴崎稲荷・・・王坂・・・だんだら坂・厳島神社・・・施賦畏(せむい)の坂・・・金龍寺・十王窟・・・つつじヶ丘駅(京王線)

 七曲がり坂は中央自動車道北側の「雑木林の道」にあります。現在、ここは深大寺自然広場の一部で一般道ではありません。中央自動車道の南に出て、武蔵野段丘崖の坂を東に歩きました。セイト坂はカーブして上る急坂、ひきずり坂は深大寺自然広場の間を曲がりながら上る、長くて緑の多い坂です。

 阿弥陀堂の坂は自然広場へ上る坂で、一般道ではありません。樫の木稲荷の坂・善並坂・十王坂は北に上る直線的な急な坂です。だんだら坂は緩やかで長い直線の坂、施無畏の坂は住宅街の緩やかな坂です。

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Dsc00744 池ノ上神社(深大寺南町4丁目)

Dsc00747 七曲がり坂(西側の坂で東方向に下る。)  深大寺南町4-5と4-4の間から入る「雑木林の道」《地図

深大寺絵堂(地名)の人が鎮守の池の上神社にお参りに行くときに利用した道。昔は1間半の幅があったが今は狭い。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00751 七曲がり坂(東側の坂で東に上る。)

Dsc00757 セイトの坂(坂上方向)  深大寺南町1-15と1-19の間を北方向に上る。《地図

坂上一帯の雑木山の所有者斉藤家にちなんだ名から、なまってセイト坂に。「斉藤山の坂」とも。また、坂の途中の井上家の3代目竹次郎の名から、「たけさんの坂」といわれた。稲荷坂(三鷹通り)が整備されるまではこの道が本道だったともいう。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00755 坂下方向

Dsc00760 ひきずり坂(坂下方向) 深大寺南町1-24と2-9の間を北に上る。《地図

上部はかなり急で、長い坂なので荷車の時は加速を抑えるため後ろを引きずるように下った。深大寺の絵堂や野ケ谷から五宿東部に通ずる主要な道。『調布の古道・坂道・水路・橋』

『調布の民話集』の「引きずり坂」には、昔からこの辺を蛇窪といい、この坂を大蛇が赤ん坊をくわえて登っていったという話が載っています。「引きずり坂」は、深大寺元町4丁目にもあります。また、蛇窪は柴崎2丁目辺りの旧字で、「蛇久保の坂」があります。民話の「引きずり坂」はどこの坂なのでしょうか。

Dsc00759 坂上方向

Dsc00770 阿弥陀堂の坂①(坂下から)  深大寺南町2-9と2-10の間を北に上る。坂上は深大寺自然広場。坂下に庚申塔と地蔵さん。《地図

Dsc00771 坂上方向

Dsc00772阿弥陀堂の坂②(坂下方向) 深大寺南町2-12と2-11の間を北に上る。坂上は深大寺自然広場。《地図

坂下西側に阿弥陀堂があったと伝える。今は庚申塔1・地蔵像3と墓石2が残る。『調布の古道・坂道・水路・橋』  庚申塔などがあるのは、一本西側の坂(阿弥陀堂の坂①)の坂下だった。

Dsc00773 坂下から

Dsc00779 樫の木稲荷の坂(坂下方向)  深大寺南町2-14と佐須町5-28の間を北に上る。《地図

坂の途中西側に稲荷社(「里の稲荷」)があった。

Dsc00775 樫の木稲荷(今は、坂の途中の東側の晃華学園敷地内に小さな祠がある。)

『調布の民話集』の「樫の木稲荷」には、東京の金持ちに稲荷と周辺の畑、山林を売ったところ凶作になり、村人たちは稲荷のたたりだと思い、もとの所に戻したという話が載っています。また、『子どものための調布むかしばなし』の「いやいやをした樫ノ木稲荷」には、稲荷を明治43年ごろに村の鎮守の琥珀神社に合祀する時、稲荷を乗せた輿が神社までなかなかたどり着かなかった。合祀してからも村に悪いことが続き、稲荷が元の所へ戻りたがってていると村人が言い出し、昭和17年元の土地へ戻したという話が載っています。どちらも、稲荷を移すとたたりがあるという似たような話です。

Dsc00780 坂上方向

Dsc00782 善並坂  佐須町5-24と柴崎2-6の間を北に上る原山通り。《地図

柴崎村に昔あった地名「善阿弥」による。別名の八兵衛坂の由来は不詳。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00786 坂下方向

Dsc00790 お宮さんの坂  柴崎2-11と2-12の間を北に上る。《地図》 右側が柴崎稲荷

柴崎稲荷の東側に沿う坂。もとは北方に通じていた。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00791 柴崎稲荷

Dsc00795 十王坂  柴崎2-12と西つつじヶ丘1-14の間を北に上る。《地図

坂上の東側に十王堂があったと伝える。現在、十王石像は金龍寺に安置。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00814 十王窟(金龍寺境内)

閻魔大王の下の石室に十王石像が居並ぶ

Dsc00796 坂下方向

Dsc00801 だんだら坂(坂下方向)  西つつじヶ丘1-44と1-15の間を南東に下る。《地図

だらだらしているゆえの名という。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00800 坂上方向

Dsc00802 施無畏の坂(坂下方向)  西つつじヶ丘1-39と1-42の間を南東に下る。《地図

市立図書館神代分館の所にあった施無畏学園にちなむ。学園は浅草寺が教化事業の一つとして稲城長沼に建てたものを大正7年に移転。昭和20年3月ごろ閉鎖された。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00805 坂上方向

Dsc00811 庚申塔(金龍寺境内)

貞享元年(1684)の銘あり。

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2006年5月22日 (月)

調布市の坂-3

2006年5月22日

調布駅(京王線)バス→青渭(あおい)神社・・・あおなみさんの坂・青渭神社・・・稲荷坂・・・多聞院坂①(深大寺東参道)・・・多聞院坂②・・・城山の坂①②・・・仁王坂①②・池上院・・・深沙堂・三昧所(さんまいしょ)の坂・三昧所・・・新坂(乾坂)・・・極楽坂・・・小坂①・神明社・小坂・・・八幡坂・・・ひきずり坂・・・御塔坂・・・布多天神・・・調布駅

 深大寺とその周辺の坂を歩きました。多聞院坂②には坂下に立派な石柱の坂標が立っています。調布市の坂で坂標があるのはこの坂と旧滝坂ぐらいでしょうか?多聞院坂・城山の坂・仁王坂・小坂は同じ道筋あるいは近くの坂に同じ坂名がついているようです。

(御塔坂は「調布市の坂-1」(2006年5月4日)に記載してあります。)

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Dsc00666 あおなみさんの坂  深大寺元町5-17と深大寺南町5-1の間を北に上る三鷹通り。坂下の西側に青渭神社。《地図

昔は青渭(あおい)神社の前の谷はかなり深く、今の五差路から下って来るこの坂もかなり急勾配だった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

昔は、青渭神社は青波天神社とも称されていた。『神社の由来説明』

Dsc00662由緒

Dsc00663 青渭神社

Dsc00671 稲荷坂(坂上方向) 深大寺元町2-16と深大寺南町4-1の間を北に上る三鷹通り。《地図

坂の東側崖上に稲荷社があった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00669 坂下方向

正面は中央自動車道

Dsc00676 多聞院坂①(坂上方向)  深大寺元町5-16と深大寺元町2-38の間を南東に上る。深大寺東参道で右側が車道。《地図

多聞院の南下を行く坂なのでこの坂もこう呼ばれたという。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00673 坂上から

Dsc00678多聞院坂②  深大寺元町5-15の不動堂の前から東から北に上る石段。《地図

昔、深大寺の子院の多聞院があった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00680 坂上付近から

Dsc00685 城山の坂①(坂下方向) 深大寺元町2-31と2-33の間を南に上る。《地図

深大寺城跡第3郭西側の堀跡に沿った坂。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00682 坂下から

Dsc00688 城山の坂②  深大寺元町2-13の間を北に上る。未舗装の道で今は一般道ではない。《地図》(道の標示はない。)

深大寺城跡の空堀に登って行く坂。坂の下、字北ハケの明治生まれの古老が、深大寺小学校通学に利用したという。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00692 仁王坂①(坂上方向)  深大寺元町2-30と3-28の間を南に上る。坂上を進むと仁王坂②の下りとなる。《地図

「深大寺縁起」の中に出てくる仁王門が近くにあったと伝える。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00694 坂下方向

Dsc00699 仁王坂②(池上院の坂)《地図

坂下に池上院がある。

Dsc00698 池上院

Dsc00702 深沙堂

恵みの水神、深沙大王像が安置。縁結びの神でもある。

Dsc00703 深沙堂裏の湧水池

Dsc00705 三昧所の坂(坂上方向)  深沙堂裏から深大寺元町5-10と間を北西に上る石段。《地図》 

宿・山野地区の共同墓地や深大寺歴代住職の墓などがある三昧所へ登る急坂。『調布の古道・坂道・水路・橋』 

Dsc00706 坂下方向

Dsc00708三昧所

歴代住職の墓

Dsc00713 新坂(乾坂いぬいざか)(坂上方向) 深大寺5-11と元三大師堂の間を北東に上る。右側が乾門。《地図

新坂は慶應3年(1867)元三大師堂再建時に新しくできた坂。乾坂は昭和51年に新設された乾門の外の坂ゆえの名。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00712 乾門

Dsc00709坂下方向

Dsc00716 極楽坂(坂下方向)  深大寺元町4-6と4-4の間を北東に上る。《地図

緩やかな坂ゆえの名。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00717 坂上方向

Dsc00719 小坂①(坂上方向) 深大寺元町5-2と5-3の間を北西に上る。坂上に神明社。《地図

Dsc00724 坂下方向

Dsc00726 神明社(小坂①坂上)

Dsc00730 小坂②  深大寺元町4-9と5-1の間を北に上る。《地図

御塔坂の坂上から続く坂。

Dsc00734 八幡坂(坂上方向)  深大寺元町4-7と三鷹市の間を北に上る。《地図

坂上に八幡社があった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00733 坂下方向

Dsc00736 ひきずり坂(坂上方向)  深大寺元町4-8と4-7の間を北に上る。《地図

荷車で下りる時、後を引きずるほどの急坂だった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00737 坂下方向

Dsc00742 布多天神社(調布ヶ丘1丁目)

文明年間(1469~87)に多摩川の洪水から守るため古天神(布田5丁目・「調布市の坂-2」5/17日に記載)からここに移されたという。

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2006年5月17日 (水)

調布市の坂-2

2006年5月17日

飛田給駅(京王線)・・・和田さんの坂・・・押立坂・・・水車の坂・水車橋・府中用水・・・「ぬしなし坂」に代わる階段坂・・・八幡坂・若宮八幡宮・・・上の坂・・・中の坂・・・下の・・・郷土博物館・・・ハケツラ坂・・・玉華園の坂・・・古天神遺跡・・・三軒山の坂・白山宮・・・どかどか坂・・・セイト坂・・・弁天坂・弁天の石祠・・・国領駅(京王線)

  【ルート地図

飛田給駅から南に進み、立川段丘崖の坂を西から東に歩きました。

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Dsc00552 和田さんの坂  飛田給2-9と府中市白糸台6丁目の間を北に品川通り上る階段坂。坂下にニキシマスポーツセンター。《地図

小さな切通しの坂だったが、品川通り造成のとき埋めたれられ階段になった。坂下に昭和のはじめに和田養魚場が造られ釣人などが呼んだ。近くに「おおひがし」というお大尽の家があったといい、別名を「おおひがしの坂」「だいじんの坂」『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00554 坂下から

Dsc00558 押立坂(坂下方向)  飛田給2-11と2-28の間を北東に上る。《地図

押立(府中市)に向う坂。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00556 坂上方向

Dsc00562 水車坂(坂下方向)  飛田給2-47と上石原2-15の間を北東に上る。坂下に府中用水に架かる「水車橋」がある。《地図

坂下の現警視庁第7機動隊の構内にあった水車へ下る坂。水車は昭和5,6年頃廃止。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00564坂上方向

Dsc00563 稲荷社(水車坂の坂上)

Dsc00566 水車橋から府中用水

右側は第7機動隊の建物。

Dsc00568 「ぬしなし坂」に代わる階段坂。(上石原2-19)《地図

かつて「ぬしなし坂」と呼ばれる坂が近くにあった。それに代わる階段坂。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00570 八幡坂  上石原2-47と下石原3-6の間を北東に上る。《地図

坂の東側に若宮八幡神社がある。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00571坂上方向

Dsc00575 若宮八幡神社

近藤勇誕生の地の幟が立っている。

Dsc00572 若宮八幡神社説明板

Dsc00577 上の坂(坂上方向)  下石原3-18と3-27の間を曲がりながら北東に上る。《地図

下石原の上宿に属する坂。特に屈折する薄暗い箇所をむじな坂ともいった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00578 坂下方向

Dsc00583 中の坂(坂上方向) 下石原3-26と3-24の間を北東に上り、右に曲がり南東に上る。坂上に調布病院。《地図

下石原の中宿に属する坂のため。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00584 坂下方向

Dsc00588 下の坂(坂下方向) 下石原3-71と小島町3-25の間を北東に上る。《地図

下石原の下宿に属する坂のため。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00587 坂上方向

Dsc00591 石橋の石材(郷土博物館(小島町3-26))

「元文四年」と刻まれている。

Dsc00590 石橋の説明板

Dsc00592 ハケツラ坂(坂上方向)  小島町3-27と3-37の間を北東に上る。坂上西側に富士見台小学校。《地図

「ハケタの坂」とも呼ぶ。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00593 坂下方向

Dsc00596 玉華園の坂(坂上方向)  小島町3-88と布田5-47の間を北東に上る保健所通り。《地図

坂上西側の現在の自転車振興会住宅の地に、明治末から昭和初年にかけて遊園地「玉華園」があった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00599 古天神遺跡

旧石器時代~江戸時代までの複合遺跡。

Dsc00600 古天神公園

この辺に「延喜式」の布田天神社があった。

Dsc00742_1 現在の布多天神社

調布駅北口、調布ヶ丘1丁目。

Dsc00612 三軒山の坂(坂上方向)  布田5-53と6-13の間を北東に上る白山通り。 《地図

三軒山は坂の西側の古くからの通称で、『新編武蔵風土記稿』の上布田村の小名の項にもある。昭和8年から戦後にかけ坂の東側に新田義美男爵の別荘があり、「新田さんの坂」ともいった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00613 坂下方向

Dsc00604 白山宮(三軒山の坂上近くの西側)

Dsc00617 どかどか坂(坂下方向)  布田6-16と6-33の間を北に上る。《地図

昔は急勾配で、ドカドカと跳んで下りるようなので付いた名というが、そのような極端な急坂だったとは思えない。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00616 坂上方向

Dsc00624セイト(征途・西道)坂(坂下方向)  布田6-47と国領6-10の間を北に上る布田南通り。《地図

セイトの意味は不明。『新編武蔵風土記稿』の下布田村の小名の項にある「才土」が「宿の南」とあるのでこれに当たるか。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00621 坂上方向

Dsc00626 弁天坂(坂上方向)  国領町6-27と7-3の間を北に上る三中通り。《地図

坂下の東側、社殿内に弁天石祠(文政2年銘)がある。別名「ハケタの坂」『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc00633 坂下方向

Dsc00630 弁天社

Dsc00629弁天の石祠

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2006年5月12日 (金)

京都市の坂-1

2006年5月12日

鞍馬駅(叡山電鉄)・・・鞍馬寺仁王門・・魔王の滝・・由岐神社・・九十九折・・金堂・・革堂の地蔵尊・・屏風坂・・義経背比石・・僧正が谷不動堂・・木の根道・・奥の院魔王殿・・・貴船神社・・・貴船口駅(叡山電鉄) → 出町柳駅(京阪電車) → 丸太町駅・・・京都御苑・・・柳馬場通り・虎石町・親鸞聖人遷化の地・・・本能寺・・・三条大橋・・・誓願寺・・・蛸薬師・・・四条大橋・・・祇園・・・八坂神社・・・高台寺・・・一念(寧)坂・・・二年坂・・・産寧(三年)・・・清水坂・・・五條坂・・・茶わん坂・・・清水寺・音羽の滝・・・鳥辺山墓地・・・京阪五条駅

 鞍馬寺から貴船神社へ抜け、京都御苑から南に進み清水寺付近の坂を歩きました。八坂神社から清水寺にかけては修学旅行の生徒や見物客が多く、外国の観光客も目立ちました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00390 叡山電鉄鞍馬線

Dsc00394 鞍馬寺仁王門

京都観光NABI

Dsc00397魔王の滝

Dsc00398 由岐神社 《地図

Dsc00400 義経供養塔

Dsc00402 九十九折の道

Dsc00404 金堂

Dsc00406 説明板(義経息次ぎ水)

Dsc00407 義経息次ぎ水

Dsc00409 屏風坂

Dsc00412 屏風坂

右上が革堂

Dsc00408 革堂の地蔵尊

Dsc00415 「義経背比石」説明板

Dsc00416義経背比石

Dsc00418 木の根道

Dsc00419 僧正が谷不動堂

Dsc00420 不動堂

落語「天狗裁き

Dsc00429 奥の院魔王殿 《地図

落語「天狗さし

Dsc00432貴船神社 《地図

Dsc00435貴船神社

Dsc00438 貴船川

貴船口駅(叡山電鉄)→出町柳駅(京阪電車)→丸太町駅

Dsc00447 親鸞聖人遷化の地

柳馬場通り虎石町

落語「どうらんの幸助

Dsc00450 本能寺 《地図

落語「本能寺

Dsc00452 信長廟(本能寺境内)

Dsc00454 三条大橋を望む。

落語「走り井餅」(東の旅⑮)

東海道(大津宿→三条大橋

Dsc00459蛸薬師(永福寺) 《地図

落語「こぶ弁慶」(東の旅⑭)

Dsc00463 四条大橋から南座

Dsc00466_1 祇園花見小路

落語「大丸屋騒動」

Dsc00469 八坂神社 《地図

Dsc00472 高台寺境内から

北政所(豊臣秀吉夫人)、「ねね」の創建。

落語「幽霊飴」

Dsc00476 坂地図

Dsc00482 一念坂《地図

Dsc00485 一念坂

Dsc00489 二寧(年)坂《地図

Dsc00491 二年坂

Dsc00495 三年(産寧)坂《地図

Dsc00493産寧坂

Dsc00505 清水坂《地図

Dsc00506 五條坂

Dsc00507 五條坂《地図

落語「天狗さし」

Dsc00510 茶わん坂

Dsc00515茶わん坂の由来

慶長年間(徳川家光の頃)とあるのは間違いだろう。

Dsc00516 茶わん坂《地図

Dsc00520 清水寺 《地図

Dsc00529 音羽の滝

落語「はてなの茶椀

Dsc00531 鳥辺山墓地から清水寺へ向う坂。《地図

Dsc00534 鳥辺山墓地から清水寺を望む。

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2006年5月11日 (木)

上方落語散歩-3

2006年5月11日

恵美須町駅(地下鉄堺筋線)・・・赤土稲荷・廣田神社・・・今宮戎神社・・・今宮戎駅(南海電鉄)→住吉東駅・・・住吉大社・・・住吉鳥居前(阪堺電軌上町線)→天王寺駅(JR大和路線)→平野駅・・・大念仏寺・・・平野駅→天王寺駅(JR)→大正駅・・・大正橋・木津川・・・松島公園・竹林寺・・・茨城住吉大社・・・昭和橋(木津川)・・・土佐堀橋(土佐堀川)・・・越中橋(土佐堀川)・・・肥後橋(土佐堀川)・渡辺橋(堂島川)・・・堂島米市場の記念碑・・・北新地(曽根崎新地)・・・円頓寺・太融寺・・・大江橋(堂島川)・淀屋橋(土佐堀川)・淀屋屋敷跡・・・栴檀木橋(せんだんのきばし)(土佐堀川)・・・難波橋(堂島川・土佐堀川)・・・中之島公園・・・鴻池本宅跡(今橋2丁目)・・・道修町・少彦名神社・・・北浜駅(地下鉄堺筋線)

 日本橋から南、東、西、北方向に落語散歩をしました。

 東西落語散歩

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Dsc00281 赤土稲荷(廣田神社の境内社)

Dsc00283廣田神社地図

Dsc00284廣田神社のお使いの「アカエ(イ)」の絵馬

Dsc00287今宮戎神社

商売繁盛の神様。落語「無い物買い

Dsc00289 南海電車

Dsc00290 住吉大社

落語「住吉駕篭」・「箒屋娘

Dsc00296 太鼓橋(住吉大社境内)

Dsc00301阪堺電軌上町線で天王寺駅まで行く。

天王寺駅から平野駅までも電車だ。

Dsc00306 大念仏寺 《地図

落語「片袖

Dsc00310 馬場口地蔵(大念仏寺前)

平野郷十三口の一つ。このあたりは竜田越奈良街道でも歩く。

平野駅→大正駅

Dsc00313大正橋から木津川 《地図

Dsc00320竹林寺 《地図

Dsc00321 松島公園

松島遊郭のあった所。落語「近江八景

Dsc00326茨城住吉神社

Dsc00328土佐堀橋から越中橋

落語「胴とり」

Dsc00339堂島米市場跡記念碑

落語「米揚げいかき」

Dsc00340 北新地

落語「莨(たばこ)の火

Dsc00550円頓寺 《地図

落語「鷺とり

Dsc00545太融寺

Dsc00346淀屋橋

Dsc00345 淀屋屋敷跡

落語「雁風呂」

Dsc00351栴檀木橋(淀屋橋から)

Dsc00361 栴檀木橋の栴檀の模様

Dsc00369 中之島公園

落語「胴斬り」

Dsc00365難波橋

落語「遊山船」・「船弁慶」

Dsc00373 鴻池本宅跡碑

Dsc00375鴻池本宅跡 《地図

落語「鴻池の犬

Dsc00376 道修町(どしょうまち)

薬問屋が並ぶ。落語「げほう頭」

Dsc00378少彦名神社(道修町) 《地図

薬・医療・健康の神。

Dsc00381 張子の虎の看板と虎の像が立つ「神農さん」少名彦神社社務所前。

Dsc00389 コニシ(株)の古い建物(道修町の交差点)

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2006年5月10日 (水)

上方落語散歩-2

2006年5月10日

池田駅(阪急宝塚線)・・・(池田文庫)・・・(逸翁美術館)・・・茶臼山古墳・・・歴史民俗資料館(休館日)・五月ケ丘古墳・・・娯三堂古墳・・・大広寺・・・池田城跡公園・・・池田駅→梅田・・大阪駅(JR環状線)→ 京橋(JR東西線)→野崎駅・・・観音浜・・・専応寺・・・臍の王神社・・・野崎観音(慈眼寺)・・・野崎駅→(京橋駅)→大阪天満宮駅・・・大阪天満宮・・・天神橋・・・西町奉行所跡・・・安堂寺橋・・・谷町6丁目辺り・・・九之助橋・・・長堀橋駅

 池田市内を散策し、野崎観音に参り大阪天満宮から南に歩きました。落語「野崎詣り」では寝屋川を船で行くますが、川の両岸は刑務所のような高いコンクリートの塀に覆われ川面も望めません。船で参詣したルートは寝屋川から谷田川に入り、観音浜で下り専応寺にお参りし、野崎観音に向ったそうです。野崎駅からこのルートで雨の中を歩きました。途中に臍の王神社というユニークな神社がありました。

 東西落語散歩

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Dsc00201 延命・子守地蔵尊(池田文庫そば)

Dsc00202池田文庫(左の塀)脇の坂

交差する坂が能勢街道の「めんも坂」、手前に法園寺前を下るのが「牛追い坂」

Dsc00205 茶臼山古墳 《地図

前方後円墳・全長61m?・4C

Dsc00210 後円部から前方部

Dsc00211 前方部から後円部

Dsc00209 竪穴石室の跡か(後円部墳頂)

Dsc00213 呉服神社

Dsc00214 五月ケ丘古墳石室平面図

Dsc00215 石室(一部?復元)

円墳・横穴式石室・陶棺・7C頃・被葬者は秦氏一族か。

Dsc00220_1 娯三堂古墳

円墳・径27m・4C末

Dsc00226大広寺 《地図

Dsc00231 大広寺に上る坂

Dsc00235 池田の山並み(池田城跡公園から) 《地図

落語「池田の猪買い

Dsc00237 池田城跡の展望所

池田駅から電車を乗り継いで野崎駅に向かう。

Dsc00241 観音浜(谷田川)(野崎)

真ん中が片町線の線路、その先を進むと寝屋川。

Dsc00242 専応寺 《地図

西側を東高野街道が南下している。

Dsc00244 臍の王神社への石段

臍の緒を祀り、安産・家内安全・夫婦和合・子孫繁栄にご利益あり。夏祭りには太鼓や鐘に合わせて杓子を両手に持ち、上下左右に足腰を振り、歩き踊る「へそ踊り」がある。誰でもすぐに覚え踊れるそうだ。

Dsc00247 野崎観音(慈眼寺)

落語「野崎詣り

Dsc00246 本堂

野崎駅から大阪天満宮駅まで電車だ。

Dsc00251 大阪天満宮 《地図

落語「初天神

Dsc00260 西町奉行所跡(松屋町筋のマイドームおおさかの所) 《地図

落語「佐々木裁き」

Dsc00263安堂寺橋 《地図

落語「饅頭こわい」・「東の旅(1)発端」・「五人裁き」・

Dsc00265 安堂寺橋から東横堀川

Dsc00272 谷町6丁目辺り

落語「らくだ」のらくだの住んでいた長屋があったのはこの辺か。

Dsc00274九之助橋 《地図

落語「帯久

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2006年5月 9日 (火)

大阪市の坂-1

2006年5月9日

森ノ宮駅(地下鉄中央線)・・・大阪城公園・大阪城・豊国神社・・・法円坂・・・難波宮跡・・・ほくちゃ・・・越中井・かぎや坂・・・あいどり坂・・・玉造稲荷神社・・・どんどろ坂・・・どんどろ大師(善福寺)・心眼寺坂・心眼寺・・・三光神社・真田の抜穴跡・・・円珠院・三韓坂・・・専修院・地蔵坂・・・相合坂(縁結びの坂)・高津宮・高倉稲荷・・・真言坂・・・生玉北門坂・生国魂神社・・・源聖寺坂・源聖寺・・・学園坂・・・口縄坂・・・愛染坂・・・大江神社・愛染堂・・・清水坂・新清水寺・・・天神坂・安居天神・・・逢坂・一心寺・・・四天王寺・・・四天王寺前夕陽丘駅(地下鉄谷町線)

 大阪城から南に伸びる上町台地の坂を、大阪城公園の売店で「大阪歩け歩け協会」の「大阪の坂めぐり」の地図を買い、寄り道をしながら歩きました。

 かぎや坂の位置は地図に表示がありません。生玉北門坂は歩いていて見つけた坂です。相合坂は高津宮境内の坂です。後日、高津宮にこの他に北坂、西坂(旧縁切り坂)があるのを知りました。この、「高津さんのあれやこれや」に載っています。

真言坂から南にいい坂(天王寺七坂)が続きます。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc00012豊国神社

Dsc00019 極楽橋から大阪城

Dsc00006 お濠から

Dsc00027 法円坂  大阪城玉造口の南の中央大通りから北西へ上る本町通り。馬場町交差点手前までの坂。《地図

浄照坊の開祖、法円がこの地に一寺を設けたのが、法円坂の名前の由来と云われている。『大阪の坂めぐり地図』

Dsc00029 難波宮

大化の改新後と聖武天皇の時の宮跡。

Dsc00030 ほくちゃ坂  法円坂1丁目と上町1丁目の間を西に上る。《地図

「ほくち坂」とも云う。上二病院あたりに伊勢屋と云う火口(ホクチ)商がいたことに因む。『大阪の坂めぐり地図』 「火口商」とは何を商っていたのか?

Dsc00034 越中井(森ノ宮中央2丁目)

細川ガラシャ夫人の屋敷にあった井戸。ガラシャは洗礼名。明智光秀の娘で名は玉。細川忠興の室。関ケ原の戦いの時、大阪城に人質として入城するのを拒みここで自刃したという。

Dsc00035 かぎや坂  越中井の東側から森ノ宮中央2丁目法円坂一丁目の間を北に上る坂?《地図

坂名の由来不明。

Dsc00039 あいどり坂  玉造2丁目の玉造小学校の北側から南東に下る。《地図

豊臣家の近臣「安威摂津守」の屋敷があったので、「あいどり坂」になったとの一説もある。『大阪の坂めぐり地図』

Dsc00043 玉造稲荷神社(玉造2丁目)

Dsc00046 どんどろ坂  空堀町交差点から玉造2丁目と上町1丁目の間を北に上る。《地図

どんどろは「土井殿」がなまったもので、大阪城代土井大炊頭利位の下屋敷の中に弘法大師が祀られていたので土井殿大師と呼ばれ、これが訛ってどんどろ大師と云われるようになった。『大阪の坂めぐり地図』

Dsc00050 どんどろ大師(善福寺)

Dsc00053弘法大師像

Dsc00060_1 心眼寺

元和8年(1622)、真田幸村父子の冥福を祈り建立。山門に真田家の六文銭の家紋が刻まれている。『大阪の坂めぐり地図』

Dsc00059 六文銭の家紋の扉

Dsc00061 心眼寺坂  空堀町のどんどろ大師前から南に上る。《地図

坂の途中に心眼寺がある。

Dsc00064 真田の抜穴跡(三光神社境内)

落語「猫の忠信

Dsc00069 三光神社(玉造本町)

Dsc00070 産湯稲荷神社(小橋町)

落語「稲荷俥

Dsc00071 産湯の井戸

Dsc00074 円珠院(空清町)

Dsc00079 三韓坂  円珠院前から西に下る。 《地図

円珠院の前に外賓接待のための館「三韓館」があった。『大阪の坂めぐり地図』 

Dsc00086 地蔵坂標

Dsc00087 地蔵坂  中寺1丁目と2丁目の間を東に上る。《地図

専修院に子育厄除・頬焼地蔵尊がある。『大阪の坂めぐり地図』

Dsc00081 頬焼地蔵尊

Dsc00084 専修院境内から地蔵坂と京染屋

Dsc00098 高津宮

落語「高津の富」・「いもりの黒焼き」・「崇徳院

Dsc00092 高津宮の絵馬堂

落語「崇徳院」

Dsc00094 相合坂

Dsc00102相合坂(北側の石段坂)

Dsc00095

南側の石段坂

Dsc00103 相合坂(横から見ると台形) 《地図》(北坂・西坂(旧縁切坂も載っている。)

Dsc00097 高倉稲荷(高津宮境内)

落語「高倉狐」

Dsc00099 高津の富亭

落語「高津の富」に由来する店の名か?

Dsc00111 真言坂  下寺町1丁目の生国魂神社の北門から北に下る。《地図

Dsc00115 真言坂

Dsc00105 生魂国神社

落語「蛸坊主」

Dsc00118 生玉北門坂(生魂国神社境内)

Dsc00119坂下方向?

Dsc00121 北門から真言坂の下りとなる。

Dsc00122 源聖寺坂  下寺町1丁目の源聖寺の南側から東に上る。《地図

Dsc00126坂上から

Dsc00130【坂標】

Dsc00133 坂下から

Dsc00131 源聖寺

Dsc00134 学園坂

Dsc00137 学園坂  生玉寺町の大阪夕陽丘学園の南側を東に上る。《地図

Dsc00147 口縄坂  下寺町2丁目の称名寺の北側を東に上る。《地図

Dsc00139 坂上の織田作之助?の文学碑

Dsc00146説明板

Dsc00140 口縄坂

「口とぢて 蛇坂(くちなわざか)を 下りけり」 芭蕉

Dsc00148 愛染坂

Dsc00149 愛染坂  夕陽丘町の大江神社と大阪星光学院の間を東に上る。《地図

坂上に大阪の夏祭りの先駆けの愛染祭りで有名な愛染堂がある。『大阪の坂めぐり地図』

Dsc00154 愛染堂

Dsc00151【坂標】

Dsc00152 大江神社

Dsc00160 清水坂  下寺町2丁目から新清水寺の北側を東に上る。《地図

Dsc00162清水坂

Dsc00168 新清水寺「玉手の滝」

京都の清水寺の「音羽の滝」を模した滝で行場となっている。大阪市内唯一の滝。『大阪の坂めぐり地図』

Dsc00170 天神坂  伶人町と逢坂1丁目の間を西に上る。坂下南側に安居天神 《地図

Dsc00178坂下方向

Dsc00171【坂標】

Dsc00181 安居天神

落語「天神山

Dsc00180 真田幸村戦死跡碑(安居天神境内)

Dsc00196 逢坂  逢坂1丁目と2丁目の間を東に上る。坂の途中の南側に一心寺、坂上に四天王寺。《地図

逢坂の関になぞられてよばれている。四天王寺参詣道として利用されてきた。『大阪の坂めぐり地図』

Dsc00197 一心寺

落語「天神山」

Dsc00195 一心寺仁王門の現代的な仁王像(平成9年の建立)

左が阿形像、右が吽形像

Dsc00198 四天王寺

落語「天王寺詣り

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2006年5月 8日 (月)

上方落語散歩-1

2006年5月8日

日本橋駅(地下鉄堺筋線)・・・日本橋(道頓堀川)・・・宗右衛門町通り・・・戎橋・・・三津寺・・・道頓堀・・・法善寺横丁・法善寺・・・竹林寺・・・千日前通り・・・鉄眼寺・・・赤手拭稲荷・・・立花通り・・・和光寺・阿弥陀池・・・四ツ橋跡・・・新町北公園・・・瀬戸物問屋街・陶器神社・・・南御堂・・・船場丼池ストリート・・・鰻谷通り・・・心斎橋駅(地下鉄御堂筋線)

 平日でも道頓堀界隈は大勢の人が出ていました。新宿の歌舞伎町のような感じでしょうか。

 東西落語散歩

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Dsc09955 日本橋(にっぽんばし)の北東側

かつては旅館街だった。落語「宿屋仇

Dsc00005日本橋から道頓堀川 《地図

紀州街道に架かる橋。

落語「試し斬り

Dsc09959 宗右衛門町

落語「親子茶屋

Dsc09961三津寺 《地図

落語「まめだ」

Dsc09962 道頓堀

落語「蔵丁稚」・「足上がり」

Dsc09963 法善寺横丁 《地図

♪『月の法善寺横丁

Dsc09964 水掛不動(法善寺

苔むして不気味な感じな不動さんだ。

Dsc09969竹林寺

(平成20年12月に天王寺区勝山(四天王寺のすぐ東隣)に移転したそうだ)

Dsc09973 千日前

落語「らくだ

Dsc09974鉄眼寺(瑞龍寺) 《地図

落語「土橋万歳

Dsc09975赤手拭稲荷神社 《地図

落語「ぞろぞろ

Dsc09979立花通りの家具屋街 《地図

落語「菊江仏壇

Dsc09986 和光寺 《地図

落語「阿弥陀池

Dsc09987 阿弥陀池(和光寺境内)

Dsc09991 四ツ橋跡 《地図

長堀川と西横堀川の交差する所で、橋が4つ架かっていた。

落語「辻占茶屋」

Dsc09995 新町北公園 《地図

このあたりに三大廓(江戸の吉原、京の島原、大阪の新町)の新町遊郭があった。

落語「冬の遊び」

Dsc09996 瀬戸物問屋街の店

落語「つぼ算

Dsc09997 陶器神社(坐摩神社(いかすり・通称ざま)の境内にある) 《地図

Dsc09998南御堂(東本願寺難波別院)

落語「人形買い

Dsc00002 船場・丼池ストリート 《地図

落語「仔猫

Dsc00004 鰻谷 《地図

落語「悋気の独楽」・「鰻谷」・「欲の熊鷹」

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2006年5月 4日 (木)

調布市の坂-1

2006年5月4日

調布駅(京王線) バス→深大小学校前・・・深大寺・・・御塔(おとう)坂・・・御塔橋・・・深大寺 バス→つつじヶ丘駅・・・滝坂・・・つつじヶ丘

 深大寺の門前には元祖、本家、名代などのつくそば屋が並びます。大師堂の前にかつて滝坂上にあった元三大師堂への道標が移されてありました。御塔坂は野川に架かる御塔橋から北に上る武蔵境通りです。東側に旧道が一部残っています。

 滝坂はつつじヶ丘駅北の滝坂小学校前を北東に上る甲州街道です。今は傾斜もさほどではありませんが長い坂です。ここも旧道が一部残っています。かつては急坂の難所だったそうです。

 今日は調布市の代表的な坂を二つだけ歩きましたが、市内にはまだ数多くの名のついた坂があります。じっくり調べて、後日ゆっくり歩くつもりです。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc09913深大寺山門

元禄8年(1695)築造の境内最古の建物。

Dsc09905 深大寺境内

Dsc09921 御塔坂(坂下方向)  深大寺元町3-1の御塔橋から三鷹市の間を北東に上る武蔵境通り。写真の左側に入り下るのが旧道。《地図

Dsc09925 御塔坂(御塔坂橋から坂上方向)

Dsc09923 御塔坂橋から野川

Dsc09926 旧御塔坂  現御塔坂の途中の東側に残る坂。《地図

①坂付近にあった深大寺にあった塔に因む名。②「うとう坂」が転じて「おとう坂」になった。「うとう」とはアイヌ語で突起を意味し、鳥の善知鳥(うとう)の口ばしに似た形状の坂。

*善知鳥(うとう)は、チドリ目ウミスズメ科の体長30cmほどの海鳥。

『調布の古道・坂道・水路・橋』は、この坂付近に深大寺の塔があったと考えるのは無理があり、現在のところそのような遺跡を示す何物も発見されていないとし、②の説をとる。各地にある「うとう坂表

Dsc09927_2坂下方向

Dsc09932 滝坂(坂上方向)  東つつじヶ丘1-4の滝坂小学校の前を北東に上る甲州街道。《地図

歩道橋の上から

Dsc09937 「滝坂旧道」道標

Dsc09910 元三大師堂への道標

かつて滝坂の坂上にあった。現在は深大寺の大師堂の前に移されてある。

Dsc09940 滝坂旧道(坂下方向)  現滝坂の北側の坂。《地図

甲州街道が武蔵野段丘崖を上下する坂で、東上する通行の人々や物資の輸送に当たる馬方等に難所の一つとして数えられたものらしい。この坂の名は、大雨の時雨水が路上を滝のように流れ下ったから付いたと言われる。八王子以東で甲州街道の旧観をとどめる唯一の貴重な場所『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc09947 坂上方向

Dsc09941 薬師如来像(右)と地蔵菩薩(左)

(滝坂旧道の途中) 地蔵は頭が欠けている。

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2006年5月 3日 (水)

八王子市の坂-1

2006年5月3日

高尾駅(中央線)・・・廿里(ととり)坂・・・恋路の坂・・・高尾駅(中央線) → 八王子駅・・・大和田橋・大和田坂・日枝神社・・・稲荷坂・覚祐稲荷・・・極楽寺・・・金剛院・天満宮・・・富士森坂・浅間神社・・・八王子駅

  【ルート地図

 好天の行楽日和な休日で、高尾駅には大勢の人が降りました。高尾駅北口から廿里町の間を北に上る高尾街道が廿里坂です。「にじゅうり」と読むと思っていましたが「ととり」でした。恋路坂は高尾駅南口から館ケ丘団地の方へ上る町田街道です。上って町田市の相原町へ下る坂も恋路の坂です。いずれ町田市の坂道散歩の時に歩きます→2007年1月3日「町田市の坂-4」で歩く。) 両方の坂に昔の街道の面影はありません。

 八王子駅の北東の大和田橋の先あたりから上る甲州街道が大和田坂です。坂下から北西に行き国道16号に出ました。北に少し行くと稲荷坂の上りとなります。坂の途中に覚祐稲荷があります。坂上近くで東に入る道が旧道でしょうか。

 稲荷坂上まで行き折り返し、南に進み浅川を越え極楽寺、金剛院、天満宮に寄り、富士森公園の東側を南西に富士森坂を上りました、坂上からはかなり急な下り坂が続きます。この坂に名はついているのでしょうか。坂上の浅間神社に寄り八王子駅まで歩きました。今日は5つの坂でしたが坂と坂の間の距離があり、結構歩きでがありました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc09834廿里坂  八王子廿里町の間を北方向に上る高尾街道。《地図

この辺は、武田と北条の廿里古戦場跡

Dsc09826_2「廿里古戦場「説明板

Dsc09839 恋路の坂(坂上方向)  高尾駅から南へ館ケ丘団地の西側を南方向に上る町田街道。《地図

横山道の恋地の坂は別に「恋路の坂」ともいうが、鎌倉時代は山ノ手の鎌倉街道といって、往古は大木戸街道とも呼ばれたという。さらに古くは、都(飛鳥時代)への街道、防人街道の異名もあったという。八王子千人頭原半左衛門の娘が奉公人の下男と不義の恋仲となった。一徹な原氏は、二人をこの地まで連れ出して首をはねた。亡きがらを坂道の東側の山合いに葬ったといわれている。その後あわれに思った里人たちはここを恋地の坂と呼ぶようになった。葬った場所を千人塚と称して二人の霊をなぐさめ、六地蔵も建てられたが、のちに大戸観音に村人が移したと伝えられている。その時首を打った刀は、不浄の刀であるとして蔵王権現社に納めたというが、いつの間にか消えて行方知れずになったという。戦前ある人の手によって台湾に売られたとのうわさもある。『多摩の古道と伝説』(羽根田正明著)

Dsc09840坂下方向

Dsc09853大和田坂  大和田3丁目4丁目の間を北東に上る甲州街道。《地図

Dsc09857 日枝神社男坂・女坂

Dsc09859 日枝神社(大和田坂の坂下近く)

Dsc09861 稲荷坂

Dsc09878 稲荷坂(坂上近く)  中野山王2丁目と暁町2丁目の間を北に上る国道16号。《地図

この道は八王子千人同心が日光東照宮の火の番の任のため往来した『千人同心日光道』。坂の途中の左に入った所に覚祐稲荷がある。

Dsc09881 坂下方向

Dsc09864 覚祐稲荷

八王子千人同心(武蔵と甲斐の国境、甲州口の警備と治安維持を任務として江戸幕府により八王子に配置された郷士身分の幕臣集団)の小池覚祐が建立したという。

Dsc09872 稲荷坂の旧道(坂上方向)

千人同心日光道で、ひよどり山を越え、多摩川を渡り、拝島宿へと続く。

Dsc09873 稲荷坂の旧道(坂上方向)《地図

江戸時代、八王子千人同心たちが、日光火の番役のために往復した八王子=日光道のあとであり、いまもその道筋がひよどり山を越え、中央道の上をまたいで、尾崎・左入をへて多摩川南岸の旧・平間の渡しへと続いている。『八王子案内24章』 今も道沿いに「ひよどり公園」・「ひよどり山道路」・「ひよどり中学校」などがある。

Dsc09884 浅川(多摩川から11km地点)

Dsc09887 極楽寺(大横町7-1)

八王子城落城により元八王子から移転。戦災からも難を逃れ、山門・本堂・鐘楼等が整った古刹。

Dsc09890 金剛院(上野町39)

関東八十八カ所霊場第六十三番札所

Dsc09889 宝蔵?

Dsc09901富士森坂  台町2丁目の富士森公園の東側から南西に上る。《地図

Dsc09895 浅間神社(藤森坂の坂上)

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2006年5月 1日 (月)

小金井市の坂-4

2006年5月1日

東小金井駅(JR中央線)・・・庚申塔・・・馬頭観音・・・氷屋の坂・・・梶野分水築樋跡・・・梶野橋の坂・・・田圃(たんぼ)の坂・・・コーヤ畑の坂・浴恩館公園・・・北の坂・・・武蔵小金井駅

  【ルート地図】  

 暑い日でした。JR中央線と玉川上水の間の坂を、東から西への坂道散歩です。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc09789 庚申塔(梶野通り)

Dsc09790 馬頭観音(梶野通りと仙川の交差する所)

Dsc09791 氷屋の坂(坂上方向)  梶野町3-1と3-3の間を東に上る。《地図

道の北側に、明治、大正、昭和の初めごろまで天然氷を製造する家があった。『続小金井風土記』

Dsc09793 坂下方向

Dsc09796 梶野分水築樋跡(氷屋の坂上近く)

Dsc09795 築樋説明板

Dsc09802 梶野橋の坂(坂下方向)  梶野町3丁目の梶野橋(五日市街道・玉川上水)から南に下る梶野通り。《地図

付近に梶本水車があったので「車屋の坂」の名もある。『続小金井風土記』

Dsc09800 坂上方向

傾斜は感じられない。

Dsc09805 田圃の坂(坂下方向)  梶野町3丁目の関野橋から南に下る。《地図

明治末まで法政大学一帯は亀の子の形をした大きな窪地で、玉川上水の水を利用した水田だった。『続小金井風土記』

Dsc09807 亀久保田圃説明板

市杵島神社近くの仙川沿いに亀の子状の窪地の田圃と溜池があった。

Dsc09806 坂上方向

Dsc09811 コーヤ畑の坂  緑町3-1と3-2の間を北に上る。《地図

以前はやや東へ寄った所に仙川を横切る坂道があった。仙川沿いに染物を業とするいわゆる”紺屋”が畑の中にポツンと一軒あったので坂名になったものだが、旧道は廃止され、名前だけが新道に移行した。『続小金井風土記』

Dsc09808 坂上方向

Dsc09816浴恩館公園内(緑町3-2)

Dsc09820 北の坂(坂下方向)  緑町2-13と2-18の間を南に上る。《地図

この道の東側に鴨下仲左衛門、西側に小山金太郎らの家があったので近所では「仲さの坂」とか「金ちゃんの坂」と呼ぶが、南方面の人たちは「北の坂」といっていた。『続小金井風土記』

Dsc09819 坂上方向

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