八王子市の坂-1
2006年5月3日
高尾駅(中央線)・・・廿里(ととり)坂・・・恋路の坂・・・高尾駅(中央線) → 八王子駅・・・大和田橋・大和田坂・日枝神社・・・稲荷坂・覚祐稲荷・・・極楽寺・・・金剛院・天満宮・・・富士森坂・浅間神社・・・八王子駅
好天の行楽日和な休日で、高尾駅には大勢の人が降りました。高尾駅北口から廿里町の間を北に上る高尾街道が廿里坂です。「にじゅうり」と読むと思っていましたが「ととり」でした。恋路坂は高尾駅南口から館ケ丘団地の方へ上る町田街道です。(上って町田市の相原町へ下る坂も恋路の坂です。いずれ町田市の坂道散歩の時に歩きます→2007年1月3日「町田市の坂-4」で歩く。) 両方の坂に昔の街道の面影はありません。
八王子駅の北東の大和田橋の先あたりから上る甲州街道が大和田坂です。坂下から北西に行き国道16号に出ました。北に少し行くと稲荷坂の上りとなります。この坂は千人同心日光道の道筋です。坂の途中に覚祐稲荷があります。坂上近くで東に入る道が旧道でしょうか。
稲荷坂上まで行き折り返し、南に進み浅川を越え極楽寺、金剛院、天満宮に寄り、富士森公園の東側を南西に富士森坂を上りました、坂上からはかなり急な下り坂が続きます。この坂に名はついているのでしょうか。坂上の浅間神社に寄り八王子駅まで歩きました。今日は5つの坂でしたが坂と坂の間の距離があり、結構歩きでがありました。
写真をクリックすると拡大します。
廿里坂 八王子廿里町の間を北方向に上る高尾街道。《地図》
この辺は、武田と北条の廿里古戦場跡。
恋路の坂(坂上方向) 高尾駅から南へ館ケ丘団地の西側を南方向に上る町田街道。《地図》
横山道の恋地の坂は別に「恋路の坂」ともいうが、鎌倉時代は山ノ手の鎌倉街道といって、往古は大木戸街道とも呼ばれたという。さらに古くは、都(飛鳥時代)への街道、防人街道の異名もあったという。八王子千人頭原半左衛門の娘が奉公人の下男と不義の恋仲となった。一徹な原氏は、二人をこの地まで連れ出して首をはねた。亡きがらを坂道の東側の山合いに葬ったといわれている。その後あわれに思った里人たちはここを恋地の坂と呼ぶようになった。葬った場所を千人塚と称して二人の霊をなぐさめ、六地蔵も建てられたが、のちに大戸観音に村人が移したと伝えられている。その時首を打った刀は、不浄の刀であるとして蔵王権現社に納めたというが、いつの間にか消えて行方知れずになったという。戦前ある人の手によって台湾に売られたとのうわさもある。『多摩の古道と伝説』(羽根田正明著)
大和田坂 大和田3丁目と4丁目の間を北東に上る甲州街道。《地図》
稲荷坂(坂上近く) 中野山王2丁目と暁町2丁目の間を北に上る国道16号。《地図》
この道は八王子千人同心が日光東照宮の火の番の任のため往来した『千人同心日光道』。坂の途中の左に入った所に覚祐稲荷がある。
八王子千人同心(武蔵と甲斐の国境、甲州口の警備と治安維持を任務として江戸幕府により八王子に配置された郷士身分の幕臣集団)の小池覚祐が建立したという。
千人同心日光道で、ひよどり山を越え、多摩川を渡り、拝島宿へと続く。
稲荷坂の旧道(坂上方向)《地図》
江戸時代、八王子千人同心たちが、日光火の番役のために往復した八王子=日光道のあとであり、いまもその道筋がひよどり山を越え、中央道の上をまたいで、尾崎・左入をへて多摩川南岸の旧・平間の渡しへと続いている。『八王子案内24章』 今も道沿いに「ひよどり公園」・「ひよどり山道路」・「ひよどり中学校」などがある。
極楽寺(大横町7-1)
八王子城落城により元八王子から移転。戦災からも難を逃れ、山門・本堂・鐘楼等が整った古刹。
金剛院(上野町39)
関東八十八カ所霊場第六十三番札所
富士森坂 台町2丁目の富士森公園の東側から南西に上る。《地図》
浅間神社(藤森坂の坂上)
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