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2006年6月27日 (火)

神奈川区の坂-1

2006年6月27日

東神奈川駅(京浜東北線)・・・権兵衛坂・・・白幡八幡神社・・・(神奈川宿歴史の道)金蔵院・・熊野神社・・・成仏寺・・・慶運寺(浦島寺)・・・お天気井戸・宗興寺・・・滝の橋・本陣跡・・・宮前商店街・洲崎大神・・・普門寺・・・甚行寺・・・青木橋・・・旧東海道・・大綱金毘羅神社・・・台の坂・台の関門跡・・・上台橋・・・横浜駅西口

 権兵衛坂は人名に由来する坂ですが、権兵衛さんが誰かは二つの説があるようです(後述)。坂上は三つ叉のようで左右の道が上り坂、真ん中が下り坂の面白い所です。坂上から真ん中の道を下って、再び急坂を上り白幡八幡神社へ寄りました。

 東神奈川駅まで戻り、「神奈川宿歴史の道」をたどり、浦島伝説の慶運寺などに寄り、青木橋から旧東海道に入り、台の坂を上りました。この辺りは安藤広重の「神奈川宿」にも描かれ、「東海道中膝栗毛」にも登場する風光明媚な所でした。今の様子からは想像できませんが。坂上から上台橋まで下りました。この辺りが神奈川宿のはずれだそうです。上台橋を下り横浜駅に向いました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02519_1 権兵衛坂 鳥越と立町の間を北に上る。坂の途中の東側に神奈川図書館、坂上近くに「みはらし公園」《地図

①鳥越(坂の西側)に権兵衛という人がいて、この道を切り開いた。②白幡八幡宮のある東側丘陵下の旧家の荒井家は代々「権」という字を通し名とし、「権兵衛」という名の者がいて、現在の白幡西町と立町の間によこたわる丘陵を切り崩して、道を開いた。昭和初期までは、約30m東側のダイヤパレスマンションや白幡南町公園の前を通る道が「権兵衛坂道」の旧道に該当する。『浦島伝説と神奈河』(前田右勝)

Dsc02553_1 坂下近くから

Dsc02523_1 坂上で3つに分かれる。左右が上り坂、真ん中が下り坂。

Dsc02545_1 真ん中の下り坂

Dsc02526_1 下って再び上り坂となる。

Dsc02528_1 坂上の白幡八幡神社近くから

Dsc02530_1 白幡八幡神社

Dsc02555_1 高札場(実物大の復元)

「神奈川宿歴史の道」の神奈川地区センター前

Dsc02556_2 成仏寺説明板

Dsc02557_1 成仏寺

Dsc02565_1 慶運寺(浦島寺)説明板

Dsc02564_1 慶運寺

浦島太郎伝説にゆかりの寺

Dsc02562_1 浦島観世音(慶運寺本尊)

Dsc02567_1 お天気井戸の説明板

Dsc02569_1 お天気井戸(宗興寺そば)

Dsc02570_2 宗興寺説明板

Dsc02571_1 宗興寺の大樹

何の木か分からないが葉っぱに覆われている。

Dsc02572_1 本陣跡説明板

Dsc02573_1 神奈川宿本陣跡(第一京浜国道の滝の橋の所)

Dsc02574_1 洲崎大神説明板

Dsc02577_1 洲崎大神(宮前商店街の通り)

Dsc02576_1 船着場だった所(洲崎大神前)

Dsc02581_1 大綱金毘羅神社と神奈川宿一里塚説明板(台の入口)

Dsc02584_1 大綱金毘羅神社

Dsc02580_1 台の坂 台町を西に上る旧東海道。《地図

坂下から

Dsc02588_1 台と茶屋の説明板

Photo台の坂からの眺望

安藤(歌川)広重の東海道五十三次「神奈川宿」
今やこんな風景は望むべきもない。

Dsc02586_1 東海道中膝栗毛のレリーフ

神奈川宿袖ケ浦

Dsc02592_2 台の関門跡説明板

Dsc02594_1 当時の台の関門の様子。

Dsc02596_1台の関門のあった辺り(台の坂上近く)

Dsc02590_1 台の坂 

坂上から

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2006年6月25日 (日)

南区(横浜市)の坂-3

2006年6月25日

上大岡駅(京浜急行)・・・餅井坂・・・内手坂・・・熊野神社・・・弘明寺公園・・・弘明寺口バス停 → 大池・・・引越坂・引越坂バス停 → 弘明寺口・・・弘明寺(ぐみょうじ)坂・弘明寺駅(京浜急行)→ 井土ヶ谷駅・・・春日神社・・・堂ケ谷公園・・・トンネル坂・・・井土ヶ谷駅

 餅井坂は鎌倉道の由緒ある急坂で、坂下の一画に説明台などがにぎやかに並んでいます。内手坂も急坂ですが、坂名の由来は分かりません。坂下から戻り、急な石段で熊野神社へ上り、少し進みまた急な石段で弘明寺公園まで上り弘明寺駅に下りました。

 引越坂は直線的で長く緩やかな坂です。面白い坂名でどんな由来があるのだろうと思っていましたが、昔の村の名だったと分かりちょっとがっかりしましが、「引越村」というのも変わった名です(後述)。 トンネル坂は横浜市(南区)のホームページで見つけた坂ですが、この名で呼ばれているかは分かりません。

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Dsc02449餅井坂 別所3丁目と港南区最戸2丁目の間を南西に上る。《地図

鎌倉街道の「下の道」と「中の道」を結ぶ鎌倉道の坂。

諸国を旅した道輿准后という僧が文明18年(1486)にこの坂を上った。紀行の「廻国雑記」にあるもちい坂の歌 「行きつきて 見れどもみえずもちい坂 ただわらぐつに足を喰わせて」 (坂を上って餅が食べられると期待したが、茶店はあったが餅は売ってなかった。ただわらじが足に食い込んでいるだけだ。) 坂上を「甘酒台」といい、江戸時代には何軒かの茶店で甘酒を売っていたが、餅を売っていたかどうかは分からない。(坂下の説明文と『港南区のホームページ』から)

Dsc02456 坂の途中から

Dsc02448 手前から百万遍供養塔道標、新しい坂標、古い石の坂標、石製の説明台。

餅井坂の坂下にある。

Dsc02462 道標の解説文

Dsc02461鎌倉までの道程

道輿准后は道標の「みなミ かまくら道」を進み、もちい(餅井)坂→日限地蔵・・中の道(鎌倉街道)→すりこばち坂→鎌倉へと向かったのか?
むろん彼が旅した時にはこの道標は立ってなかったが。

Dsc02476 内手坂近くの道端の石造物(中里3丁目)

Dsc02463内手坂 中里3丁目と4丁目の間を北西に上る。《地図

坂名の由来不明。

Dsc02466 坂の途中のカーブする所から坂下方向。

Dsc02473坂上から

Dsc02475 急傾斜地崩壊危険地域で崩壊防止の土留のコンクリート壁。

Dsc02477 熊野神社へ上る石段(中里3丁目)

左奥が熊野神社

Dsc02478 石段上から

Dsc02479 弘明寺公園に上る石段。

Dsc02480 石段上から

Dsc02485 引越坂 六ツ川3丁目と2丁目の間を南西に上る。坂上近くの歩道橋のそばに六ツ川西小学校がある。《地図

六ツ川町は昭和2年3月まで引越村といった。『新編武蔵風土紀稿』には、「往時弘明寺、中里、別所、最戸、久保、合テ多々久郷ト唱ヘ一郷ナリシガ、其後カク五ケ村ニ分レシ時、其村々ノ民引越シテ一村をナシタレバ此名アリト云」とあるそうです。

Dsc02483 坂下近くから

Dsc02488 坂上近くから

Dsc02491弘明寺坂 弘明寺駅の北側から弘明寺へ下る。《地図

坂の途中から坂上方向

Dsc02493 弘明寺山門

横浜市内第一の古刹、坂東観音33ヶ所の第14番札所。

Dsc02501 境内

Dsc02513_1堂ケ谷公園脇からトンネル坂に上る石段。(永田北2丁目21)

Dsc02509 トンネル坂  石段上の坂。左手にトンネルがある。

横浜市(南区)ホームページの「永田・六つ川の丘」に載っている坂。

Dsc02506_1 トンネル坂

Dsc02515 春日神社(永田東2丁目)

古くから村の鎮守。

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2006年6月23日 (金)

南区(横浜市)の坂-2

2006年6月23日

石川町駅(京浜東北線)・・・亀の橋(中村川)・・・遊行坂・浄光寺・・・東(あずま)坂・・・狸坂・・・羊坂・・・蓮池坂・・・蛇坂・・・増徳院・・くらやみ坂・・・大坂・・・稲荷坂・中村稲荷・・・吉野町駅(市営地下鉄) → 蒔田(まいた)駅・・・百段々・・・蒔田駅

 石川町駅から西に行き中区打越と中村町1丁目の境の長い遊行坂を上りました。途中に坂名の由来となった浄光寺があります。

 遊行坂上を西に行き唐沢バス停の手前を北西方向に入ると東坂が曲がりながら下っています。狸坂は東坂の西側の坂です。平楽中学校の前辺りから北西に下るのが山羊坂です。この辺りの高台は平楽(へいらく)の丘と呼ぶようです。山羊坂の南西方向に蓮池坂、蛇坂、くらやみ坂、大坂が並びます。

 くらやみ坂は増徳院の前から下る細い石段坂で、坂下で大坂に合流します。大坂は坂上近くで石段坂に分かれます。大坂の坂上を西に行き、山谷の米軍根岸ハイツの前から下るのが稲荷坂です。坂名の由来の中村稲荷は今は坂下にあります。戦前は坂上の稲荷山(米軍根岸ハイツの所?)にあり、昭和20年の空襲で焼けて坂下に再建したそうです。蒔田駅から蒔田の丘の横浜英和小学校へ百段々を上りました。

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Dsc02359 遊行坂 中村1丁目と中区打越の間を南に上る。《地図

坂の途中の浄光寺は、藤沢の清浄光寺(遊行寺)の別院として開かれた説教所で、「横浜の遊行さん」と呼ばれていた。門前の坂も「遊行坂」と呼ばれるようになった。『南区のホームページ』

Dsc02350 坂下近くから

Dsc02356_1 浄光寺

坂名の由来となった「横浜の遊行さん」

Dsc02360 坂上から

Dsc02363 東坂 唐沢バス停近くから曲がりながら北西から北に下る。《地図

Dsc02364 坂上近く

Dsc02368 坂下から

Dsc02370 狸坂 唐沢の唐沢公園の脇を西から北西に下る。唐沢バス停近く。《地図

坂に面した家に大きな陶製の狸が飾ってあったとも、狸の瓦が置いてあったともいわれている。『南区のホームページ』 昔は狸でも出そうな坂だったのではなかろうか。

Dsc02369 坂上から

Dsc02376坂上方向

Dsc02379 山羊坂 平楽中学校の前辺りから北西に下る。《地図

その昔、近くに山羊牧場があった。それ以前は養豚場があったので豚坂と呼ばれていたこともあった。『南区のホームページ』 「ブタ坂」と呼ばれていた坂に進駐軍が「ヤギ坂」の標識をたてて、その名がきまったとの朝日新聞の記事がある。『横浜の坂』

Dsc02377 坂上から

Dsc02378 石段坂の上から

Dsc02382 坂下近くから

Dsc02387 蓮池坂  平楽の中丸バス停横から曲がりながら北西に下る。《地図》(地図に道筋は途切れているが道はある。)

坂の途中にハスやしょうぶの咲く池があったという。『南区のホームページ』

Dsc02385_1 坂上から

Dsc02391坂下方向

Dsc02398 蛇坂 平楽公園脇を北西に下る。《地図

山道でいかにも蛇がでそうな坂だった。『南区のホームページ』

Dsc02394 坂の途中から石段を見上げる。

Dsc02397 石段の上から

Dsc02401 くらやみ坂 平楽の増徳院の前から北西に下る。坂下で大坂に合流する。《地図

昔は、もっと細く暗い坂だったのだろう。

Dsc02403 石段下から

Dsc02416 大坂 増徳院の西側から北に下る。坂上近くで石段になる。《地図

Dsc02409 坂上近くから

Dsc02411 坂上近くで、石段(左)と右に分かれる。

Dsc02420 坂上(石段)から

Dsc02424 稲荷坂 山谷の米軍根岸ハイツの前から北西に下る。坂下は中村橋(堀割川)《地図

坂下に中村稲荷がある。戦前までは稲荷山(米軍根岸ハイツの所?)にあった。昭和20年5月の空襲で焼失し、戦後坂下に再建した。『中村稲荷にある由緒碑』

Dsc02422 坂上近くから

Dsc02427 坂下方向

Dsc02432 中村稲荷

Dsc02435 稲荷坂から中村稲荷へ下りる石段。

右側が中村稲荷。

Dsc02442 百段々 蒔田の横浜英和小学校の前から下る石段。《地図

Dsc02439 坂上から

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2006年6月19日 (月)

南区(横浜市)の坂-1

2006年6月19日

黄金町駅(京浜急行)・・・旧坂・・・東坂・・・西坂・・・久保山坂・・・光明寺・庚の七曲り・・・常清寺・清水坂・・・新善光寺・庚坂・・・しおくみ坂・・・新坂(「庚坂」の石柱あり)・・・百段々・・・南太田駅(京浜急行)

 梅雨の合間の晴れた暑い日で、汗びしょりになりながら「三春台の丘」の坂を歩きました。

 前里町交差点から北西に上る長く、かなり急な坂が旧坂です。藤棚浦舟通りの関東学院前交差点から東坂と西坂が上っています。東坂の西というより北側の坂が西坂です。

 藤棚浦舟通りから久保山墓地の方へ上るのが久保山坂です。霊柩車を何台か見かけました。清水ケ丘と庚台に西から、清水坂、庚の七曲り、庚坂、しおくみ坂、新坂と南に下る坂が並んでいます。

 新坂の途中に、「庚坂」と書かれた古い石柱が立っていました。地元の有志が立てたもののようです。この坂を庚坂にしたかったのでしょうか。この坂は、南区のホームページと昭文社の区分地図では「新坂」と標示されています。旧坂に対する坂名でしょうか。庚坂は新善光寺の西側から下る坂で、横浜市の立てた坂標が立っています。新坂の途中から百段々の細い石段を曲がりながら下りました。

  *参考:『七つの丘』(南区)

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Dsc02251 旧坂  前里町2丁目と3丁目の間を北西に上る。《地図

Dsc02257坂下方向

Dsc02260 東坂  三春台の藤棚浦舟通りの関東学院前交差点から南西に上る。《地図

Dsc02261坂上方向

Dsc02264西坂  関東学院前交差点から西に上る。東坂の北側の坂。

Dsc02265坂上方向

Dsc02267坂上近くから

Dsc02273 久保山坂  藤棚浦舟通りから三春台と伏見町の間を南西に上る。《地図

Dsc02269_1 坂の途中から

Dsc02275坂上から

Dsc02288庚の七曲り  庚台64の光明寺の東側を曲がりながら南に下る。《地図

Dsc02287坂上方向

Dsc02279坂上近く

Dsc02293清水坂  清水ケ丘230の常清寺の西側を南に下る。《地図

Dsc02294坂上方向

Dsc02301坂上近くから

Dsc02310庚坂  三春台と庚台の間を新善光寺の西側から曲がりながら南に下る。《地図

Dsc02305坂下方向

Dsc02314坂上方向                               

Dsc02316しおくみ坂(坂上方向)  三春台120と126の間を南に下る。《地図》  

Dsc02324坂上から

Dsc02330 新坂(坂下方向)  三春台113と119の間を南から南東に下る。《地図

Dsc02337坂の途中に「庚坂」の石柱が立っている。

Dsc02332坂上方向

Dsc02338百段々(坂上から)  庚台3と5の間を東から北東に上る石段。坂上で新坂の途中に出る。92段だそうです。《地図

Dsc02339_1 坂上方向

坂上は新坂の途中

Dsc02344坂下から

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2006年6月15日 (木)

西区(横浜市)の坂-1

2006年6月15日

桜木町駅(京浜東北線)・・・紅葉坂・・・くらやみ坂・・・願成寺(がんじょうじ)・成寺・・・神中坂・・峠の茶屋・・・尻こすり坂・・・丘友(きゅうゆう)坂・・・植勘坂・・・霞坂・・・報恩寺・石坂・・・百段坂・・・東福寺・・・無名の石段坂・・・半僧坊坂・正法寺跡・・・急坂・・・天神坂・・・野毛坂・・・日の出町駅(京浜急行)

 桜川新道の紅葉橋から紅葉坂を上り、横浜根岸道路から西に入りくらやみ坂を下りました。「暗闇坂」と「鞍止坂」説があります。今はどの説のような坂ではありません。坂下から願成寺に出て願成寺坂を上りました。開港当時は願成寺の前の道は保土ヶ谷道と呼ばれ、保土ヶ谷宿から戸部村、横濱村へ通じる道で、取締り上も重要な位置にあり「くらやみ坂関門」が設けられていたそうです。

 願成寺坂を上ると水道道に出ます。西の藤棚浦舟通りから上ってくる神中坂の坂上近くです。「峠の茶屋」という中華屋があります。水道道はこの先で下り、また上り返し、尻こすり坂の急坂で下ります。この坂は片側は階段になっています。

 尻こすり坂の坂上に戻り、南西方向に進み、霞ヶ丘の交番の脇の細い丘友坂を下りました。丘友坂の西側の坂が植勘坂で、坂の途中に植木屋の「植勘」があります。今は株式会社で立派な建物です。霞坂は霞ヶ丘郵便局の前を西に下る小さな坂です。坂下は藤棚浦舟通りです。植勘坂の途中へ出て下り、報恩寺の前から石坂を上りました。

 坂上から野毛山配水池に沿い南西に行き、百段坂の石段を下りました。東に行き東福寺に寄り、東側の急な石段坂を上りました。無名の坂のようですが、「急坂」の名のある石段坂より急でしょう。石段の上からさらに上って、野毛山公園プールに出ます。坂下の東側の東小学校の東側に沿う坂が半僧坊坂です。長い坂で坂上の少し先が野毛山公園で、野毛坂の坂上近くの交番の脇に出ます。坂上の正法寺は合併移転して、雑草の生えた空き地になっていました。

 坂上近くを東方向に入ると急坂の石段の坂上に出ます。急坂を下り日の出町駅の西側の天神坂の坂下に出ました。細い石段坂で、坂下近くの「天神山土取場跡の記念碑」の碑文に「天神阪」が出てきます。昔は、坂の近くに天神社があったのでしょうか。天神山は高さが45mくらいだったそうです。野毛山公園の南側を野毛山動物園の前まで野毛坂を上りました。『横浜の坂』では、本来の野毛坂の位置を日の出町1丁目から戸部1丁目に上る坂だとしています。

  *参考:『西区そぞろ歩き

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Dsc02082 「紅葉坂」桜川新道の紅葉橋から南西に上る。《地図

古くは宮ケ崎といった紅葉坂の周辺はもともとカエデの美しいところであり、横浜開港によって神奈川奉行所が置かれると改めてカエデの移植も行われ、明治5年(1872)にはそれにちなんで紅葉坂、紅葉橋などの名がつけられた。そして後には町名も紅葉ケ丘になるほどの紅葉の名所であったが、大正時代にはしだいに枯れ、関東大震災で跡形もなくなってしまったという。『かながわ 坂のある風景』

Dsc02081 紅葉橋から坂上方向

Dsc02084 坂上近くから

Dsc02091 「くらやみ坂」  伊勢町3-3と西前町2丁目の間を東から南東に上る。《地図

坂名の由来には3説ある。①「暗闇坂」この付近一帯は樹木がうっそうとして、昼なお暗き場所だった。 ②「鞍止坂」昔は横浜駅から洪福寺、久保町の杉山神社近くまで袖が浦といって美しい入江になっていた。この坂の上からの眺めは大変美しく、特に遠く浮かぶ富士山の姿は素晴らしかった。ここを通りかかった源頼朝も、しばし馬を止めてこの景色を眺めたことから鞍止坂といわれるようになった。③「鞍止坂」昔、荷物を積んだお百姓の馬力などがこの坂があまりに厳しく急であったので、ここで一息入れて登ったのでこう呼ばれるようになった。『ものがたり西区の今昔』

坂柱の後ろに新旧の小祠がある。

Dsc02090 坂の途中から坂下方向

Dsc02096 坂下から

坂の北側に横浜港開設の際に設置された「戸部牢屋敷」があった。

Dsc02101 願成寺(西戸部3丁目)

Dsc02097 願成寺周辺案内板

Dsc02102 延命の井戸(願成寺境内)

Dsc02103 延命の井戸由来

行基が見つけたという井戸

Dsc02100 境内の地蔵さん

Dsc02106 「願成寺坂」  西戸部町3丁目の願成寺の前を南に上る。坂上は水道道。《地図

Dsc02105 坂下から(右側に願成寺)

Dsc02109 坂上近くから

Dsc02113 神中(じんちゅう)坂  藤棚浦舟通りと水道道の交差する藤棚交差点から南東に上る水道道。《地図

坂上の藤棚住宅の所に戦前、明治30年(1897)開校の県立神奈川第一中学校、「神中」があった。『西区のホームページ 西区そぞろ歩き』

Dsc02115 坂下から

Dsc02119 神中坂の坂上を進んだ所。顔成寺坂の坂上にも近い。

Dsc02120 神中坂の坂上から下る坂(水道道)

Dsc02127 また上り坂となる。

Dsc02130 尻こすり坂  西戸部町1-112と1-48の間を南に東に下る水道道。《地図

勾配が急で、車を牽く人たちがお尻で制動しなければならなかった。『西区のホームページ 西区そぞろ歩き』

Dsc02132 坂下から

Dsc02135 「丘友坂」  霞ヶ丘の交番脇を東南に下る。《地図

Dsc02134 坂上から

Dsc02138 坂下近くから

Dsc02141 「植勘坂」  丘友坂の一本西側の坂、南に下る。《地図

Dsc02144 坂の途中から坂上方向

Dsc02147 坂名の由来となった植木屋の「植勘」(今は七代目?)の所から坂上方向。株式会社です。

Dsc02154 「霞坂」  霞ケ丘の霞ヶ丘郵便局前から北西に下る。坂下は藤棚浦舟通りの久保山霊堂入口交差点。《地図

Dsc02155 坂下近くから

Dsc02159 報恩寺(霞ヶ丘48)

Dsc02166 「石坂」  報恩寺の前を北から北東に上る。《地図

Dsc02161 坂の途中から坂下方向

Dsc02164 坂の途中から坂上方向

Dsc02176 百段坂  赤門町2-13と2-15の間を北に上る石段。《地図

112段だそうだ。

Dsc02180 坂下近くから

Dsc02183赤門東福寺(赤門町2-17)

徳川家康より葵の御紋の使用を許された寺。『西区ホームページ 西区そぞろ歩き』

Dsc02182_1 赤門

Dsc02186 無名の石段坂  東ケ丘67と68の間を北に上る。《地図

Dsc02188 石段の上から

Dsc02190 さらに「野毛山公園プール」まで上る。

Dsc02203 「半僧坊坂」  東ケ丘の東小学校の東側に沿い北に上る。《地図

坂上にあった正法寺(合併して移転)に由来する名か。

Dsc02197_1 坂下近くから

Dsc02206 坂上近くから

Dsc02209 「急坂」  東ケ丘32と35の間を北西に上る石段。《地図

Dsc02208 坂上から

Dsc02211 坂下から

Dsc02220天神山土取跡記念碑 

初代吉田勘兵衛が万治2年(1659)吉田新田を埋立てた際の土取場となった。『ものがたり西区の今昔』

Dsc02227 「天神阪」の名がある。

Dsc02219 天神坂  日の出町駅西側の石段坂。《地図

坂下近くから。幅が広く不揃いの石段(94段)で上りづらい。

Dsc02223 坂上近くから

Dsc02231 「野毛坂」  老松町の野毛山公園の南側に沿い南西に上る。坂上に野毛山動物公園。《地図

Dsc02250 坂下近くから

Dsc02237 坂の途中から

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2006年6月13日 (火)

旭区(横浜市)の坂-1

2006年6月13日

鶴ヶ峰駅(相鉄線)・・・帷子川・・・鶴ヶ峰坂・・・ふるさと尾根道・・・白根坂・上白根稲荷神社男坂・女坂・・・辻バス停 → 鶴ヶ峰駅 → 二俣川駅(相鉄線)・・・浄性院・・おかご・・・二俣川駅 → 三つ境駅・・・楽老坂・・・岸本坂・・・あずま坂・・・もえぎ坂・・・三つ境駅

 帷子川を渡り国道16号の白根交差点の先から旧八王子街道の鶴ヶ峰坂を上りました。坂下に木製の坂標が立っています。坂上を浄水場沿いに行き、今宿東公園から「ふるさと尾根道」に入りました。緑の多い気持ちのいい遊歩道で、ズ-ラシア(横浜動物園)まで続いているそうです。

 途中の上白根1の交差点の所を北東と南西に下るのが白根坂でしょう。ちょうど坂上で尾根道を通る台地を切通したような感じです。緩やかですが長い坂で、北東方向へは上白根2丁目のバス停の辻あたりまで下り、南西方向へは今宿東町を縦断する坂です。白根側の坂だけを白根坂と呼んでいたのかもしれません。(または今宿側の方かも)

 浄性院の鐘は区内で最古だそうですが、天明8年(1788)で一番古いのでしょうか。おかご坂は今は小さい石段坂ですが源頼朝ゆかりの坂です。坂上に新しい金属製の坂標が立っています。旭区で設置したものでしょう。

 三つ境(みつきょう)駅から4つの坂を歩きました。坂標は旭区社会福祉協議会が作ったものです。この辺りは起伏が多くもっと名のある坂があると思い、いくつかの坂を上り下りしてみましたが 4坂以外には見つかりませんでした。

 *参考:『旭区歴史の散歩道』・『ふるさと尾根道コース

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Dsc02020 帷子(かたびら)川 

2002年にアザラシの「タマちゃん」が一時住んでいた川。

Dsc02021 鶴ヶ峰坂  国道16号の白根交差点の北側から北西に上る旧八王子街道。坂上は鶴ヶ峰浄水場。《地図

長さ2町(約218m)の急坂で、旧八王子街道の難所でした。馬の蹄鉄を打った鍛冶屋が坂の上り口にそれぞれあったといいます。『旭区歴史の散歩道』
このあたりは後に、『浜街道②』でも歩いた。

Dsc02022 坂下近くから

Dsc02031坂上から

Dsc02041

ふるさと尾根道 今宿東町公園からズーラシア(よこはま動物園)までの遊歩道。

Dsc02053 白根坂  今宿東町第3公園(写真の左側)の南側から北東に上り、坂上から北東に上白根2丁目まで下る。《地図

今宿村より白根村へ抜ける坂道ということでついた名。『旭区歴史の散歩道』

Dsc02046 白根坂の坂下近く(今宿東町)

何の石仏か?

Dsc02057 坂上でふるさと尾根道と交差する。

Dsc02066 上白根稲荷男坂(白根坂の坂下近く)《地図

Dsc02070 男坂の上から

Dsc02067 「女坂」の標示がある。

Dsc02068 女坂(男坂の途中から分かれて上る。)

Dsc02072内藤鳴雪句碑(上白根稲荷境内)

Dsc02074 句碑説明板

Dsc02077 白根坂下近く(上白根1丁目)

Dsc02010 浄性院の区内で最古の鐘『旭区歴史の散歩道』

Dsc02011 鐘に「天明八年四月」とある。

Dsc02006 おかご坂  本宿町の二俣川バス停そばから、本宿町90と91の間を南に入り浄性院の西側を南に上る石段。《地図

Dsc02007 坂上から

源頼朝がこのあたりに遊猟に来た時、輿をここに置いたためこう呼ばれるようになったと伝えられています。坂の入口にある内田家の屋号はオカンザカといいます。『旭区歴史の散歩道』

「オカンザカ」とはどういう意味なのか?

Dsc02019 坂下から

Dsc01973 楽老坂  笹野台1-16と1-56の間を南に上る金が谷道。《地図

地名による名か。

Dsc01971 坂上から

Dsc01977 坂下からさらに下る。

Dsc01985 岸本坂  金が谷道の岸本バス停から東に入り、金が谷1-8と1-9の間を南東に上る。《地図

地名による名か。

Dsc01980 坂下から

Dsc01983 坂上から

Dsc01986 あずま坂 笹野台4-5と4-11の間を南に上る。《地図

Dsc01987 坂下から

Dsc01989 坂上近くから

Dsc01999 もえぎ坂  あずま坂の坂下近くから南東に笹野台4-11と4-10の間を上る。坂の途中に第3公園。《地図》  

Dsc02002 坂途中から坂上方向

Dsc02004_1 無名の坂(あずま坂の東側、もえぎ坂の途中から南に上る。) 《地図

Dsc01994_1 前の坂の反対側

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2006年6月12日 (月)

保土ヶ谷区の坂-5

2006年6月12日

上星川駅(相鉄線)・・・釜台つづら坂・・・和田村道橋改修碑・・・なかよし坂・・・真福寺・和田稲荷・・・レンガ坂・・・無名の石段坂・・・峰坂・・・宮田坂・・・松原商店街・・旧東海道・江戸方見附跡・橘樹寺・帷子橋・・天王町駅(相鉄線)

 今日は5坂のうち4坂が石段坂で、どれも長く段数の多い坂でした。釜台つづら坂は上星川駅前の国道16号の上星川歩道橋の前からつつら折に上る石段坂です。なかよし坂は急な石段坂で、坂上の常盤台小学校の生徒が描いた絵が石段を飾っています。

 レンガ坂は踊場がレンガで造られています。石段上からさらに坂は続いて上っています。坂下には、「パレスレンガ坂」「ハイムレンガ坂」などがありました。

 峰坂と思って上った坂は無名の石段坂でした。石段の坂上からいったん下り、また上って裁判所通りに出ます。坂下に戻って、峰坂の上り口を探しました。北方向に上り、右に曲がってさらに上る長い坂です。坂下近くに「峰坂之碑」と庚申塔があります。坂下まで戻り、国道16号を東に行き宮田町の交差点から北に入り、宮田坂の石段を上りました。坂下から旧東海道に出て、松原商店街を通りました。繁盛しているようで混んでいました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01847 釜台つづら坂 上星川駅前の国道16号の上星川歩道橋の前から釜台町6と7の間を何度も曲がりながら北東方向に上る石段。《地図

町名の「釜台」は「釜檀山」に由来する。かつて釜檀山には、丸く穴をあけた石があったそうですが、それは源頼朝が狩りに向う途中の休憩時に茶をたてた「釜檀石」であると言われています。その石についた苔や、その石を削って飲むと、風邪や咳の病に効くと信じられていました。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01844 坂下から

延長163m、高低差38mは区内の階段第1位。平成16年度に全面改修を行ったきれいな階段。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01845_1 つづら折に上る。

Dsc01852 坂上近くから

Dsc01858 和田村道橋改修碑説明板

Dsc01859 改修碑(釜台町の国道16号沿い)

Dsc01874 なかよし坂  和田2-17から西に入り、和田2丁目と釜台町の間を北に上る石段。坂上は常盤台小学校。《地図

延長116m、高低差37m。区内の階段で高低差第2位。

Dsc01876常盤台小学校4年生が製作したアートボードが階段を飾っている。

Dsc01867坂上から

Dsc01890 レンガ坂  和田1丁目の国道16号の和田商店街交差点から北に入り、北東に上る石段坂。坂上に峰岡3丁目公園。《地図

Dsc01886 坂下から

明治27年から大正3年に水道管を埋設する際に、階段をレンガで築造したことからこう呼ばれるようになりました。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01904 踊場にレンガが敷かれている。

Dsc01898坂下方向

Dsc01908 無名の石段坂(保土ヶ谷郵便局前から北東に入り上る石段。坂上は裁判所通り。《地図

Dsc01913 坂の途中から

Dsc01920 峰坂之碑  峰岡2-124と2-139の間を北に上り、曲がって北東に上る。坂上は裁判所通り。《地図

この付近は「大字帷子 小字峰」と言われてきたことによる。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』 むかしは八王子に通ずる唯一の交通路だった。(峰坂之碑)

Dsc01940坂上方向

Dsc01933 坂上(裁判所通り)から成16年度の愛称募集で決定。区内の階段で、総延長第2位、高低差3位。

Dsc01945宮田坂  国道16号の宮田町交差点から北に入り、宮田町1丁目と2丁目の間を北に上る石段坂。《地図

平成16年度の愛称募集で決定。区内の階段で、総延長第2位、高低差3位。

Dsc01959 坂の途中から

Dsc01953 坂上から

確かに長い石段だった。

Dsc01961 松原商店街

Dsc01965 江戸方見附跡説明板

Dsc01962 江戸方見附跡辺りの旧東海道

上方見附跡(国道1号の外川神社前・『保土ヶ谷区の坂②』に記載)まで約2km。

Dsc01969 橘樹(たちばな)神社(天王町1-8の旧東海道)

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2006年6月10日 (土)

保土ヶ谷区の坂-4・戸塚区の坂-1

2006年6月10日

保土ヶ谷駅東口・・・国道1号・・・東伸橋(今井川)・東伸坂・・・樹源寺・・・神奈川坂・・・泉坂・・・権太坂・・投込塚碑・・境木地蔵・・焼餅坂谷宿(やじゅく)・・・品濃一里塚・・・福寿観音・・・品濃・・・東戸塚駅

 国道1号を戸塚方向へ行き、東伸橋からカーブして上るのが東伸坂です。坂下から東海道線沿いの樹源寺に寄り、元町ガードをくぐり、神奈川坂を上りました。坂上近くで傾斜がきつくなります。乳母車を押して上ってきた若い女性が一息ついていました。

 坂下を西に行き法泉坂を上ると坂上近くに休憩用の「ほっとスペース」がありベンチがあります。元町ガードまで戻り権太坂を上りました。今もかなり急で、長い坂ですが昔はもっと急だったそうです。江戸から東海道の平坦な道を歩いてきていきなりこの急坂にぶつかり、旅人も大変だったでしょう。坂上は平坦になり、この坂で倒れた人たちの供養の投込塚碑や武蔵と相模の国の境となる境木地蔵があります。

 境木地蔵尊の前を下る旧東海道が焼餅坂で、下ると再び上り坂(後で知りましたが、この坂は「谷宿坂」です。道祖神も立っているようですが気がつきませんでした。)となりしばらく行くと品濃坂一里塚が道の両脇に残っています。福寿観音を過ぎ進むと、品濃坂の下りとなりますが、旧東海道は環状2号で分断され品濃坂歩道橋で渡ります。ビルの脇を品濃坂を坂下まで下り、東戸塚駅に向いました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01722 「東伸坂」標  国道1号の狩場町の東伸橋からカーブしながら南に上る。《地図

Dsc01714 坂下方向

Dsc01716_1 坂途中でカーブする。

Dsc01718 坂上から

Dsc01724 樹源寺

Dsc01730 「神奈川坂」標  東海道線の元町ガード北側から初音ケ丘44と45の間を北東に上る。《地図

Dsc01728 坂下から

古東海道(江戸時代初期の東海道)の保土ヶ谷宿(元町)から神奈川宿方面へ向う坂。その位置については諸説がある。保土ヶ谷区史によると、元町ガードから樹源寺裏手へ登る坂(現在のJR線路の上)のことであろうと推定されます。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』
江戸時代初期(以前?)保土ヶ谷宿は元町辺りと天王町辺りにあった。(「元町の由来」の説明板に記載あり。

Dsc01761元町の由来

Dsc01736坂上近く

Dsc01751 「法泉坂」標  法泉1丁目と3丁目の間を北西から北に上る。《地図

町名「法泉」の名は、「新編武蔵風土紀稿」に登場する「法禅寺」に因むという説がある。法禅寺は、樹源寺の「後ろの方」にあったそうですが、具体的な位置は分かっていません。平成17年度の愛称募集で決定。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01746 坂下近くから

Dsc01754 坂上近く

Dsc01750 「ほっとスペースほどがや」

Dsc01762 権太坂付近案内図

権太坂 元町ガードの南側から権太坂1-2と1-3の間を南西に上る。 《地図》 

Dsc01767 権太坂改修碑(鳥居の後ろ)

Dsc01777 「権太坂」標

光陵高校の所

Dsc01778 説明板①

Dsc01781

Dsc01782_1昭和初期の権太坂

Dsc01784_1権太坂の坂名由来①

もとは横浜村から旧東海道の最初の坂なので、「一番坂」といっていた。『居眠り磐音江戸双紙』(佐伯泰英)の「雨降りノ山」から。

Dsc01785

Dsc01772_1 坂途中の権太坂陸橋から

Dsc01780 坂上方向(光陵高校から)

Dsc01788 権太坂上付近の案内図

Dsc01789_1投込塚の碑(権太坂上の権太坂2-24辺り)

Dsc01791 馬頭観音と無縁仏供養塔?(天保9年(1838))

Dsc01793 庚申塔(宝永7年(1710))

Dsc01796_1 馬頭観音(天保2年(1831))

Dsc01799_1 境木地蔵(境木本町4)

相模と武蔵の国境。

Dsc01805 境木地蔵尊

Dsc01808 案内図

Dsc01813_2道標

Dsc01812 焼餅坂  境木地蔵の前から戸塚区品濃町と平戸3丁目の間を南西に下る旧東海道。《地図

この辺りには旅人目当ての茶屋があり、焼餅を売る店があった。別名を牡丹餅坂、牡丹餅を出す店もあったのだろう。この坂が「二番坂」だろう。

Dsc01817_1 品濃一里塚説明板

Dsc01818 品濃一里塚(東側・旧平戸村)

Dsc01819 西側(旧品濃村)

Dsc01822谷宿坂(坂上から)《地図

品濃一里塚(道の左右) 旧東海道戸塚側から。

Dsc01824 福寿観音

Dsc01827 品濃坂(坂上辺りから) 戸塚区平戸町から南西に下り環状2号を品濃坂歩道橋で渡り、さらに下る旧東海道。《地図

科濃坂『江戸名所図会』

Dsc01838 「品濃坂」標(歩道橋の手前)

Dsc01837 案内図(坂標の屋根にある。)

Dsc01842 坂下近く

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2006年6月 8日 (木)

保土ヶ谷区の坂-3

2006年6月8日

西谷駅(相鉄線)・・・学校橋(帷子川)・・・西谷中学校へ上る坂・・・松月庵?・・・りょうけ坂(両家坂)・・・杉山神社・・・陣ケ下渓谷公園・・・みずのさかみち(水の坂道)・・・水道みち向台公園・・・西谷浄水場・横浜水道記念館・水道坂・・・蔵王高根神社・・・仏向原坂・・・正福院・・・銀杏坂・・・和田町駅(相鉄線)

 ハイキングコースのような、静かで人通りの少ない道を通る坂道散歩でした。

 りょうけ坂は急坂で坂上に、「ほどがやほっとスペース」と呼ぶベンチが置いてあります。坂を上り切って「ほっと」する気分になるのも分かります。みずのさかみちは、公園内の遊歩道といった感じの真直ぐ伸びる石段です。なぜ両方の坂を漢字で表記しないのでしょうか。漢字なら見ただけでその坂についてのイメージが湧くのに、保土ヶ谷区の考え方が分かりません。

 水道坂は長い坂です。坂下まで下り、もう一度時間を計って上りました。坂上の水道記念館まで7分30秒かかりました。仏向原坂も長く、坂上かと思ったら道が細くなりさらに上っていました。坂上は丘の上といったような所で展望が開けます。正福院は、仏向原坂の坂名の由来に出てくる正福寺のことでしょう。2本の銀杏の巨木が門柱のように立っています。

 銀杏坂は直線的な坂で保土ヶ谷公園沿いに銀杏並木が続きます。黄葉時はもっと美しい坂になるでしょう。

参考:「保土ヶ谷健康ウオーキングマップ 坂道てくてく

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01593 西谷中学校へ上る坂(西谷駅南方の川島町)《地図

坂の途中から

Dsc01594 坂上を望む

Dsc01597 りょうけ坂へ下る坂(川島小学校近く)

Dsc01598 松月庵境内の地蔵さん(坂の途中)

Dsc01601 りょうけ(両家)坂  川島町の川島町入口交差点から南西に上る。《地図

かつて、この坂のふもとと頂上にある2軒の家(両家)が中心となり、村の発展のためにこの坂を拓いた(道普請)ことが名前の由来と言われています。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

「ほどがやほっとスペース」と呼ぶベンチが置かれている。

Dsc01605 坂上近くから

Dsc01606 坂下近くから

Dsc01609 杉山神社

境内に杉山稲荷がある。

Dsc01608 杉山稲荷前から

正面の高架道路は環状2号

Dsc01613陣ケ下渓谷公園への道(環状2号の下を通る。)

Dsc01616 小さな流れを渡る(増水時は迂回する。)

Dsc01618 「みずのさかみち(水の坂道)」標と「手づくり郷土賞」受賞のプレート。

Dsc01622 みずのさかみち(坂下から) 陣ケ下渓谷公園の南側から北西に上る石段。坂上に県営西原住宅。《地図

坂の途中に水道管が埋設されていることから名付けられた。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01627 坂上近くから坂下方向

Dsc01635横浜水道記念館

Dsc01647 「水道坂」標  坂本町の水道道の蔵王神社前交差点から南西に上る。坂上に西谷浄水場。《地図

Dsc01633 坂上近くから坂下方向

横浜の水道水を支える、西谷浄水場に至る坂道であることから名付けられた。平成16年度の愛称募集で決定。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01644 坂の途中から坂上方向

Dsc01652 蔵王高根神社(水道坂の坂下)

Dsc01659 「仏向原坂」標  水道道の仏向町バス停そばから南西に上る。《地図

Dsc01658 坂の途中から坂上方向

町名「仏向」の由来について、『新編武蔵風土記稿』には、昔、正福寺の住職が北条家に謁見した際、「願ひあれば申すべし」と言われ、「出家の身は他に志願なし常に佛に向ふこそ桑門の本意とするところなれば寺の山號及びその村里にも佛向の二字をもて名づけ賜はるべし」と願い出、そのとおりに名付けられたというエピソードや、古くは「佛餉(ぶっしょう):仏様へのお供え物)と書き表されていたことなどが記されています。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01667 細い道となりさらに上る。

Dsc01670 坂上からの展望

Dsc01673 庚申塔の小祠(仏向原坂の坂上近く)

Dsc01679 仏向原坂の途中から上る石段坂。

下に道路改修の石柱碑が立つ。

Dsc01682 正福院(仏向町)

樹齢300年のいちょうの巨木2本が並ぶ。

Dsc01689 馬頭観音?(正福院入口交差点(水道道))

寛保2年(1742)の銘。

Dsc01690 文化9年(1812)の銘がある。

右側面に「齊上地神」とある。左手に花を盛った水盤を持っているらしい。

Dsc01704 「銀杏坂」標  星川入口交差点から明神台と花見台の保土ヶ谷公園の間を南に上る。《地図

Dsc01695 坂上方向

保土ヶ谷公園の銀杏並木沿いの坂道であることから。平成16年度の愛称募集で決定。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01702坂下方向

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2006年6月 7日 (水)

保土ヶ谷区の坂-2

2006年6月7日

保土ヶ谷駅西口・・・遍照寺・東富士見坂・・・西富士見坂・・・旧東海道・助郷会所跡・問屋場跡・高札場跡・金沢横町道標・・・大仙寺・・・霞坂・・・岩崎坂・・・外川神社・保土ヶ谷宿一里塚跡・上方見附跡(東海道)・・・脇本陣(水屋跡)・・・旅籠屋本金子屋跡・・・本陣跡・・・天徳院・神戸・・・月見台交差点・ビール坂・・・神明社・道標(古東海道・相州道)・・・天王町駅(相鉄線)

 旧東海道保土ヶ谷宿周辺の坂を歩きました。どの坂も長い急坂で、一つの坂で小さな坂の3、4坂分くらいの感じです。東西の富士見坂から富士山は見えません。西富士見坂の坂上から右(東方向)に急坂が下っています。樹木が覆い被さりトンネルのようです。坂下で東富士見坂の途中へ出ます。この坂に名はついていないのでしょうか。

 西富士見坂の坂下から旧東海道を南西方向に進むと、「かなざわかまくら道」との四つ辻に金沢横町の道標が立っています。この角を左に曲がり、「かなざわかまくら道」を進むと、東海道線の線路と国道1号を越え「いわな坂」へと続きます。

 東海道線に沿って進み、大仙寺の先から北へ上るのが霞坂で途中から石段になります。坂下をさらに西に行き岩崎小学校交差点を右折し、少し行くと左に分岐する細い坂があります。これが岩崎坂です。直進する坂も長い坂です。坂名がついているかは分かりません。

 岩崎小学校交差点を南に行き、JRを越え、国道1号へ出て東に、保土ヶ谷方向に戻り、東海道の旧跡を見ながら旧東海道に戻り、天徳院の脇から神戸坂を上りました。途中が石段で何度も曲がり、さらに広い道になってからも上り進むと月見台交差点に出ます。ここは東富士見坂とビール坂の坂上です。ビール坂を北から北東方向に曲がって下り、神明社に寄りました。神明社前交差点の角に、「古東海道」・「相州道」と書かれた新しい道標が立っていました。「古東海道」とは鎌倉街道の「下の道」のことです。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc01454 遍照寺(月見台)

Dsc01450 「東富士見坂」標

Dsc01441 東富士見坂  岩間町交番前から遍照寺の北側を北西に上る。坂上は月見台交差点。《地図

旧町名の神戸下町字東富士見坂による。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01444 坂上近くから

Dsc01460 「西富士見坂」標

旧町名の神戸上町字西富士見坂による。七曲坂・首ふり坂・へっぴり坂とも呼ばれているようです。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

ありふれた富士見坂より別名の方がいいと思う。

Dsc01458 西富士見坂  月見台のセントメリー幼稚園の前を北西に上る。《地図

坂の途中に車止めがある。「この先車の通行禁止」

Dsc01469 坂の途中からの眺め

Dsc01465 坂上近く。

Dsc01467 無名?の坂(西富士見坂の坂上から下る坂。坂下は東富士見坂)

真ん中の小さな白い所が坂下。《地図

Dsc01546 保土ヶ谷宿案内図

Dsc01478 金沢横町道標説明板

Dsc01480 道標(帷子町2丁目の旧東海道)

Dsc01488 大仙寺(霞台)

Dsc01502_1 霞坂(坂下から) 霞台14と32の間を北に上る。《地図

町名の霞台に由来。この坂の登り口にはかつて「正勝稲荷」というお社があったそうです。平成17年度坂道愛称募集で決定。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』     

Dsc01495 坂上近くから

Dsc01503岩崎坂標

Dsc01517 岩崎坂(坂下から) 岩崎町8と10の間を北から北西に上る。《地図

岩崎町にあることによる坂名。平成16年の愛称募集で決定。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01514 坂の途中

Dsc01506 坂上から

Dsc01523 国道1号道端の石造物(瀬戸ケ谷町、岩崎ガード歩道橋南側)

Dsc01524 保土ヶ谷の一里塚説明板(瀬戸ケ谷町、外川神社前の国道1号)

Dsc01525 上方見附跡説明板

外川神社の前にあった。

Dsc01528外川神社 《地図

Dsc01529 一里塚があった辺りの国道1号(外川神社の前)

Dsc01534旅籠屋(本金子屋)跡(保土ヶ谷町1丁目の国道1号沿い)

Dsc01537 保土ヶ谷宿説明板

Dsc01545 本陣跡(保土ヶ谷町1丁目の保土ヶ谷橋近くの国道1号沿い)

Dsc01543 本陣跡説明板

Dsc01547 天徳院(岩間町2丁目)

Dsc01561 「神戸坂」標  神戸町にあることによる名。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01550 神戸坂  岩間町2丁目交差点から北西に入り、天徳院の北側を西に上る。坂上を進むと月見台交差点。《地図

坂下近くから

Dsc01556 坂上近くから

坂上を行くと月見台交差点に出る。

Dsc01567 月見台交差点近くから

Dsc01576 「ビール坂」標  大日本ビール会社(明治39年頃設立)が近くに湧出する清水を利用してビールを製造していました。この清水へ通ずる坂であることから名づけられました。大日本ビール㈱製ビン部は、昭和11年、会社から独立して日本ガラス㈱となりました。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01572 ビール坂(坂上から)  神戸町のビール坂下交差点から南に西上る。《地図

Dsc01575 坂上の道祖神?

Dsc01581 坂の途中から坂上方向

Dsc01585 坂下近くから

Dsc01589 神明社(神戸町)

Dsc01591 道標(神明社前交差点の所)

「古東海道」は鎌倉街道の「下の道」で、「相州道」は大山道。

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2006年6月 5日 (月)

保土ヶ谷区(横浜市)の坂-1

2006年6月5日

保土ヶ谷駅・・・福聚寺・いわな坂・御所台地蔵尊・御所台の井戸・・北向地蔵・・岩井・・・円福寺・・・みらい坂・みらいの見える丘公園・・・インク坂・・・七曲坂・・・杉山社・・・安楽寺・・・今井川・・・旧東海道・・・帷子(かたびら)橋・帷子川天王町駅(相鉄線)

 保土ヶ谷駅東口から国道1号を渡り、福聚寺脇を上る鎌倉街道(下の道)がいわな坂で、途中に御所台(源頼朝の妻政子)地蔵尊・井戸があります。坂上の辻に北向地蔵があり、岩井坂が大きくカーブして下っています。

 国道1号に出て保土ヶ谷駅方向に戻り、円福寺の手前の坂を上ってみました。少し行くと左に分岐する坂もあります。真直ぐ進むと東トンネルまで続く長い坂です。戻って左に分岐する坂も上ってみました。これも急な坂で途中で石段坂が分岐しています。坂の途中に、「急傾斜地崩壊危険区域」の看板が掲げてあります。坂上まで汗をかいて上りました。石段坂との分岐まで戻って石段坂も上りました。これらの坂も名前があるか、いずれ名前をつけるでしょう。

 石段坂の坂上を進むと「みらいの見える丘公園」に出てしまいました。(どの方向に歩いたのかよく覚えていません。)ここが「みらい坂」の坂上で坂標が立っています。階段坂のみらい坂を下ると石段の終わる所からも普通の坂道となって更に下って国道1号に出ました。みらい坂の坂標は坂上だけにしか設置されていないようで、下から上る時は上り口を見つけるのが難しいのではと思いました。

 国道1号に出る角に富士見丘中学・高校への道案内板が掲げてあります。それにインク坂が載っていました。インク坂を上り富士見丘中学校の脇を通り、七曲坂の坂上に出ました。ここも何度(4回?)も曲がって下る長い石段坂です。

 今日歩いた所は急勾配の坂だらけで、「急傾斜地崩壊危険区域」の標識がいくつも立っていました。坂道散歩には嬉しくなる急坂、長い坂ですが、住んでいる人は毎日の上り下りや生活が大変でしょう。

 東海道線を越え、今井川から旧東海道へ出て天王町駅に着きました。駅前は昔、保土ヶ谷宿の帷子橋があった所で、小公園となって帷子橋の復元がありました。

*保土ヶ谷区のホームページ「保土ヶ谷の坂道」を参考に歩きました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01368 福聚寺(岩井町)

臨済宗の寺

Dsc01315_1 周辺案内図

Dsc01318 「いわな坂」標

Dsc01349 いわな坂(坂下方向)  岩井町の国道1号から福聚寺の西側を南に上る鎌倉街道(下の道)。坂上の清風高校の先の角に北向地蔵。《地図

坂名の由来不明。漢字は「石名坂」「磐名坂」「石難坂」の説がある。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01348 坂上方向

Dsc01325 御所台地蔵(いわな坂の途中)

そばには古い地蔵、庚申塔、如意輪観音、馬頭観音などが並んでいる。

Dsc01323 御所台地蔵尊の所の石造物(元禄の銘あり)

三猿の上には地蔵だろうか、珍しい庚申塔。

Dsc01342 「御所台の井戸」説明板

Dsc01344 御所台の井戸(いわな坂の途中)

鎌倉へ向う途中で源頼朝の妻政子がこの井戸の水で化粧したという。

Dsc01345 井戸

Dsc01352 北向地蔵堂

Dsc01353 「北向地蔵」説明板

Dsc01354 北向地蔵堂

享保2年(1717)の建立。道標も兼ねていた。

Dsc01355 北向地蔵さん

Dsc01358 「岩井坂」標

Dsc01359 岩井坂  岩井町の井戸ケ谷切通しから南東に上り、カーブして北東に上る。坂上に北向地蔵。《地図

Dsc01361 坂下方向

Dsc01366_2 坂下から

Dsc01383 「みらい坂」標

Dsc01384 みらい坂(坂上から) 西久保町。国道1号から円福寺と安楽寺の間の道を入り、途中から何度も曲がって上り、「みらいの見える丘公園」に至る石段の坂。《地図

平成16年の愛称募集でついた名。みらいへと続く?坂の意。それとも「みなとみらい21」が見えるということか。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』

Dsc01394みらい坂(坂下近くから)

このあたりは、「急傾斜地崩壊危険区域」の標識が立っている。

Dsc01397「インク坂」の標示

Dsc01400 インク坂(坂下近くから)

Dsc01405_1 インク坂(坂下方向)  みらい坂へ向う途中で左に曲がり、何度も曲がりながら富士見丘中学・高校へと続く坂。《地図

坂名の由来は、「富士見丘中学高校の近くの坂の由来は、昔諸星インキというインキメーカーの工場があったのです。そのため近隣の人たちが、インク坂と呼び習わすようになったのだと思います。創業は横浜外国人居留地のそばにありましたが、ここへ移転。創業者、諸星千代吉です。この会社の後継は、DNPの資本が入って、インクテック株式会社として2010年1月まで現存していました」(2011年5月18日の美馬様からの投稿)

Dsc01408 「七曲坂」標

Dsc01409 坂上から

Dsc01417 七曲坂(坂下方向)  西久保町と西区久保町の境を国道1号から何度も(4回)曲がりながら上る石段坂。坂上に東台寺、その先に富士見丘中学・高校。《地図

Dsc01421坂下近くから

Dsc01426 杉山社(西久保町)

Dsc01430 安楽寺(西久保町)

真言宗の寺

Dsc01428庚申塔(安楽寺境内)

天和三年(1683)の造立。

Dsc01433 帷子橋(復元)  天王町駅前

帷子川は以前(昭和31年まで)ここを流れていた。

Dsc01437 帷子橋跡説明板

Dsc01438 帷子橋(江戸名所図会)

安藤広重画

Dsc01436 現在の帷子橋と帷子川

天王町駅の北側。

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2006年6月 2日 (金)

調布市の坂-8

2006年6月2日

つつじヶ丘駅(京王線)・・・武者小路実篤公園・記念館・・神明坂・神明社(滝坂皇太神宮)・・・熊谷坂・・・本村(ほんむら)坂・・・大坂・庚申塔・・・新左エ門の坂・弁財天・弁天池跡・・・百万遍供養塔・七曲がり坂・・・地蔵坂・地蔵堂・・・つつじヶ丘駅

 今日は、急な坂、長い坂、緑の多い坂と歩きがいがありました。神明坂は実篤公園の東側の急坂です。熊谷坂は長い坂で、本村坂、大坂は坂の両側を木々が覆い、暗い所もある昔の面影を残す坂です。

 大坂の途中で豆腐屋のらっぱの音と売り声が聞こえました。坂上で車を引いた豆腐屋さんにすれ違った時、昔のかっこうをした豆腐屋さんから「こんにちわ」と声を掛けられました。「こんにちわ」と返し、見ると20才前後?の若い女性なのでびっくりしました。この辺は起伏が多く、車を引いて売り歩くのは大変だなと思うと同時に、元気な声と明るい顔だったのでこっちも明るい気分になりました。

 新左エ門坂の坂下に弁天池の跡に小さな弁財天の祠があります。ここは薄暗く静かで周辺とは雰囲気が違い、昔に戻ったような感じがします。祠の中にはとぐろを巻いて、かま首をあげた石造の高さ30cm位の白蛇が祀られています。これは宇賀神で、宇賀神は弁天とは一体で白蛇は弁天様を表しているそうです。

 昔は難所だった七曲がり坂は、今はそれほどの曲がりも傾斜もありませんが、当時の様子を少し残しているようです。地蔵坂は直線的に曲がる、コンクリート舗装のような冷たい感じのする小さな坂です。坂上の小堂の地蔵さんの温か味のある顔に出会いほっとしました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc01211 実篤公園(若葉町1丁目)

Dsc01212 実篤記念館

Dsc01222 神明坂  若葉町1-31と実篤公園の間を北に上る。《地図

寛永年間、入間村吉田兵部勧請と伝える神明社(今は滝坂皇太神宮と称す。)が坂上にある。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01221_2 坂下方向

Dsc01219 神明社(滝坂皇太神宮)

Dsc01224 熊谷坂(坂下から)  若葉町1-36と若葉小学校の間を北東に上る。《地図

近くに熊谷姓の人が住んでいた(時期不明)からという。。「鉄砲坂」ともいう。大雨の時、東の方から水が集まってきて鉄砲水のように流れ落ちたことによる。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01227 熊谷坂

坂の途中から石段になる。

Dsc01229 熊谷坂

左に曲がりさらに上る。

Dsc01234 本村坂  若葉町3-20と若葉小学校の間を北に上る。《地図

「本村」は江戸時代の名主吉田家の本家筋の姓で、古い時代の近辺の大地主だったと伝える。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01240 大坂(坂上方向)  若葉町3-22と3-25の間を北から北東に上る。《地図

旧入間村の主要道で、近世・近代を通じ南の狛江の市域から甲州街道に出る道として利用された古道の坂。明治以降は東京への野菜出荷の荷車が頻繁に通ったが、難所であったので昭和初期に拡幅・緩勾配化され、戦後舗装された。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01244 (坂下方向)

Dsc01250_1庚申塔兼道標(大坂の坂上)

文化(1804~1818)の銘がある。

Dsc01253 新左エ門の坂  入間町1-8と1-7(NTT研修センター)の間を北に上る。弁天山の西側に沿う坂。《地図

近くに新左エ門を代々襲名した地主鈴木家の屋敷があった。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01252坂下方向

Dsc01261 弁天池跡の弁財天の小祠

正面奥が弁天山

Dsc01260 祠の中の宇賀神(白蛇)

Dsc01257 弁財天説明板

Dsc01265 百万遍供養塔兼道標(七曲がりの坂の坂上)

天明元年(1781)建立。江戸北半部から和泉村泉龍寺(狛江市)の子安地蔵尊参りの人々に利用された路線にあった坂道で、それらの人たちの道しるべを兼ねて立てられた。

Dsc01263 百万遍供養塔由来説明板

Dsc01267 七曲がり坂  入間町2-30の中央学園通りから南に上り、曲がって北東に上り中央学園通りに出る坂。《地図

急坂で昭和のはじめ頃まで七つに折り曲げたような切り通しの道であった。大正時代でも山谷(入間町3丁目)あたりから滝坂小学校に通う児童達はこの道を通って通学したので、冬は赤土道に足をすべらせ、雪の日など低学年の児童は男親の背に負われて通学した。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01269坂上近く

Dsc01278 地蔵坂(坂下方向)  東つつじヶ丘3-16と3-31の間を南西に上る。《地図

坂上に石造地蔵尊を祀る小堂がある。像は造立年代不詳。水盤に天保15年(1845)とある。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01276 坂上方向

Dsc01282 地蔵堂

Dsc01281 地蔵さん

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2006年6月 1日 (木)

調布市の坂-7

2006年6月1日

つつじヶ丘駅・・・稲荷社・常楽院・連蔵寺の坂・・・弁天様の坂・石祠・(弁天)池跡・・・イヤの坂・・・シンヤの坂・・・オモテの坂・・・文太の坂・・・厳島神社・・・つつじヶ丘駅

 暑い日でしたが、湿気が無いのが幸いでした。今日歩いた坂は、それほど特徴のある坂はありません。ニイヤ・シンヤ・オモテとカタカナ書きの坂名の由来と意味は分かりません。連蔵寺の坂、弁天様の坂、シンヤの坂、オモテの坂はどれも短い、小さな坂です。

 写真をクリックすると拡大します。

Dsc01167金子稲荷(西つつじヶ丘4-9)

Dsc01169 常楽院(西つつじヶ丘4-9)

Dsc01170 連蔵寺の坂  西つつじヶ丘4-2と4-13の間を北東に上る。《地図

常楽院の所に延命院連蔵寺があった。連蔵寺は廃寺となり、昭和8年に常楽院が移ってきた。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01174 弁天様の坂 西つつじヶ丘4-14と4-15の間を北東に上る。《地図

常楽院の墓地の下にあった弁天を祀る小湧水池の横を上下する坂道。現在は池は跡地のみ。石祠あり。『調布の古道・坂道・水路・橋』

左側が池跡。草の中に石祠が立っている。

Dsc01175 弁天様の石祠

弁天も蛇もいない。

Dsc01181 ニイヤの坂  西つつじヶ丘4-16と4-24の間を北東に上る品川通り。《地図

屋号による坂名か。

Dsc01183 シンヤの坂  西つつじヶ丘4-28と4-27の間を北東に上る。《地図

屋号による坂名か。

Dsc01185 オモテの坂  西つつじヶ丘4-27と4-37の間を北東に上る。《地図

Dsc01187坂上から

Dsc01189 文太の坂(坂上方向)  西つつじヶ丘1-25と3-18の間を北東に上る甲州街道。《地図

市役所神代出張所の斜め筋向いにあったよろず屋「坂本屋」の小林文太郎からついた名。別名を富士見坂。滝坂の難所を下ってまもなく、眼前に富士山を見たので付いた名だろうという。『調布の古道・坂道・水路・橋』

Dsc01193 厳島神社(西つつじケ丘1-16)

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