西区(横浜市)の坂-1
2006年6月15日
桜木町駅(京浜東北線)・・・紅葉坂・・・くらやみ坂・・・願成寺(がんじょうじ)・願成寺坂・・・神中坂・・峠の茶屋・・・尻こすり坂・・・丘友(きゅうゆう)坂・・・植勘坂・・・霞坂・・・報恩寺・石坂・・・百段坂・・・東福寺・・・無名の石段坂・・・半僧坊坂・正法寺跡・・・急坂・・・天神坂・・・野毛坂・・・日の出町駅(京浜急行)
桜川新道の紅葉橋から紅葉坂を上り、横浜根岸道路から西に入りくらやみ坂を下りました。「暗闇坂」と「鞍止坂」説があります。今はどの説のような坂ではありません。坂下から願成寺に出て願成寺坂を上りました。開港当時は願成寺の前の道は保土ヶ谷道と呼ばれ、保土ヶ谷宿から戸部村、横濱村へ通じる道で、取締り上も重要な位置にあり「くらやみ坂関門」が設けられていたそうです。
願成寺坂を上ると水道道に出ます。西の藤棚浦舟通りから上ってくる神中坂の坂上近くです。「峠の茶屋」という中華屋があります。水道道はこの先で下り、また上り返し、尻こすり坂の急坂で下ります。この坂は片側は階段になっています。
尻こすり坂の坂上に戻り、南西方向に進み、霞ヶ丘の交番の脇の細い丘友坂を下りました。丘友坂の西側の坂が植勘坂で、坂の途中に植木屋の「植勘」があります。今は株式会社で立派な建物です。霞坂は霞ヶ丘郵便局の前を西に下る小さな坂です。坂下は藤棚浦舟通りです。植勘坂の途中へ出て下り、報恩寺の前から石坂を上りました。
坂上から野毛山配水池に沿い南西に行き、百段坂の石段を下りました。東に行き東福寺に寄り、東側の急な石段坂を上りました。無名の坂のようですが、「急坂」の名のある石段坂より急でしょう。石段の上からさらに上って、野毛山公園プールに出ます。坂下の東側の東小学校の東側に沿う坂が半僧坊坂です。長い坂で坂上の少し先が野毛山公園で、野毛坂の坂上近くの交番の脇に出ます。坂上の正法寺は合併移転して、雑草の生えた空き地になっていました。
坂上近くを東方向に入ると急坂の石段の坂上に出ます。急坂を下り日の出町駅の西側の天神坂の坂下に出ました。細い石段坂で、坂下近くの「天神山土取場跡の記念碑」の碑文に「天神阪」が出てきます。昔は、坂の近くに天神社があったのでしょうか。天神山は高さが45mくらいだったそうです。野毛山公園の南側を野毛山動物園の前まで野毛坂を上りました。『横浜の坂』では、本来の野毛坂の位置を日の出町1丁目から戸部1丁目に上る坂だとしています。
*参考:『西区そぞろ歩き』
写真をクリックすると拡大します。
「紅葉坂」桜川新道の紅葉橋から南西に上る。《地図》
古くは宮ケ崎といった紅葉坂の周辺はもともとカエデの美しいところであり、横浜開港によって神奈川奉行所が置かれると改めてカエデの移植も行われ、明治5年(1872)にはそれにちなんで紅葉坂、紅葉橋などの名がつけられた。そして後には町名も紅葉ケ丘になるほどの紅葉の名所であったが、大正時代にはしだいに枯れ、関東大震災で跡形もなくなってしまったという。『かながわ 坂のある風景』
「くらやみ坂」 伊勢町3-3と西前町2丁目の間を東から南東に上る。《地図》
坂名の由来には3説ある。①「暗闇坂」この付近一帯は樹木がうっそうとして、昼なお暗き場所だった。 ②「鞍止坂」昔は横浜駅から洪福寺、久保町の杉山神社近くまで袖が浦といって美しい入江になっていた。この坂の上からの眺めは大変美しく、特に遠く浮かぶ富士山の姿は素晴らしかった。ここを通りかかった源頼朝も、しばし馬を止めてこの景色を眺めたことから鞍止坂といわれるようになった。③「鞍止坂」昔、荷物を積んだお百姓の馬力などがこの坂があまりに厳しく急であったので、ここで一息入れて登ったのでこう呼ばれるようになった。『ものがたり西区の今昔』
坂柱の後ろに新旧の小祠がある。
坂の北側に横浜港開設の際に設置された「戸部牢屋敷」があった。
願成寺(西戸部3丁目)
行基が見つけたという井戸
「願成寺坂」 西戸部町3丁目の願成寺の前を南に上る。坂上は水道道。《地図》
神中(じんちゅう)坂 藤棚浦舟通りと水道道の交差する藤棚交差点から南東に上る水道道。《地図》
坂上の藤棚住宅の所に戦前、明治30年(1897)開校の県立神奈川第一中学校、「神中」があった。『西区のホームページ 西区そぞろ歩き』
尻こすり坂 西戸部町1-112と1-48の間を南に東に下る水道道。《地図》
勾配が急で、車を牽く人たちがお尻で制動しなければならなかった。『西区のホームページ 西区そぞろ歩き』
「丘友坂」 霞ヶ丘の交番脇を東南に下る。《地図》
「植勘坂」 丘友坂の一本西側の坂、南に下る。《地図》
坂名の由来となった植木屋の「植勘」(今は七代目?)の所から坂上方向。株式会社です。
「霞坂」 霞ケ丘の霞ヶ丘郵便局前から北西に下る。坂下は藤棚浦舟通りの久保山霊堂入口交差点。《地図》
「石坂」 報恩寺の前を北から北東に上る。《地図》
百段坂 赤門町2-13と2-15の間を北に上る石段。《地図》
112段だそうだ。
赤門東福寺(赤門町2-17)
徳川家康より葵の御紋の使用を許された寺。『西区ホームページ 西区そぞろ歩き』
無名の石段坂 東ケ丘67と68の間を北に上る。《地図》
「半僧坊坂」 東ケ丘の東小学校の東側に沿い北に上る。《地図》
坂上にあった正法寺(合併して移転)に由来する名か。
「急坂」 東ケ丘32と35の間を北西に上る石段。《地図》
初代吉田勘兵衛が万治2年(1659)吉田新田を埋立てた際の土取場となった。『ものがたり西区の今昔』
天神坂 日の出町駅西側の石段坂。《地図》
坂下近くから。幅が広く不揃いの石段(94段)で上りづらい。
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