保土ヶ谷区の坂-4・戸塚区の坂-1
2006年6月10日
保土ヶ谷駅東口・・・国道1号・・・東伸橋(今井川)・東伸坂・・・樹源寺・・・神奈川坂・・・法泉坂・・・権太坂・・投込塚碑・・境木地蔵・・焼餅坂・谷宿(やじゅく)坂・・・品濃一里塚・・・福寿観音・・・品濃坂・・・東戸塚駅
国道1号を戸塚方向へ行き、東伸橋からカーブして上るのが東伸坂です。坂下から東海道線沿いの樹源寺に寄り、元町ガードをくぐり、神奈川坂を上りました。坂上近くで傾斜がきつくなります。乳母車を押して上ってきた若い女性が一息ついていました。
坂下を西に行き法泉坂を上ると坂上近くに休憩用の「ほっとスペース」がありベンチがあります。元町ガードまで戻り権太坂を上りました。今もかなり急で、長い坂ですが昔はもっと急だったそうです。江戸から東海道の平坦な道を歩いてきていきなりこの急坂にぶつかり、旅人も大変だったでしょう。坂上は平坦になり、この坂で倒れた人たちの供養の投込塚碑や武蔵と相模の国の境となる境木地蔵があります。
境木地蔵尊の前を下る旧東海道が焼餅坂で、下ると再び上り坂(後で知りましたが、この坂は「谷宿坂」です。道祖神も立っているようですが気がつきませんでした。)となりしばらく行くと品濃坂一里塚が道の両脇に残っています。福寿観音を過ぎ進むと、品濃坂の下りとなりますが、旧東海道は環状2号で分断され品濃坂歩道橋で渡ります。ビルの脇を品濃坂を坂下まで下り、東戸塚駅に向いました。
写真をクリックすると拡大します。
「東伸坂」標 国道1号の狩場町の東伸橋からカーブしながら南に上る。《地図》
「神奈川坂」標 東海道線の元町ガード北側から初音ケ丘44と45の間を北東に上る。《地図》
古東海道(江戸時代初期の東海道)の保土ヶ谷宿(元町)から神奈川宿方面へ向う坂。その位置については諸説がある。保土ヶ谷区史によると、元町ガードから樹源寺裏手へ登る坂(現在のJR線路の上)のことであろうと推定されます。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』
江戸時代初期(以前?)保土ヶ谷宿は元町辺りと天王町辺りにあった。(「元町の由来」の説明板に記載あり。
「法泉坂」標 法泉1丁目と3丁目の間を北西から北に上る。《地図》
町名「法泉」の名は、「新編武蔵風土紀稿」に登場する「法禅寺」に因むという説がある。法禅寺は、樹源寺の「後ろの方」にあったそうですが、具体的な位置は分かっていません。平成17年度の愛称募集で決定。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』
権太坂 元町ガードの南側から権太坂1-2と1-3の間を南西に上る。 《地図》
光陵高校の所
もとは横浜村から旧東海道の最初の坂なので、「一番坂」といっていた。『居眠り磐音江戸双紙』(佐伯泰英)の「雨降りノ山」から。
相模と武蔵の国境。
焼餅坂 境木地蔵の前から戸塚区品濃町と平戸3丁目の間を南西に下る旧東海道。《地図》
この辺りには旅人目当ての茶屋があり、焼餅を売る店があった。別名を牡丹餅坂、牡丹餅を出す店もあったのだろう。この坂が「二番坂」だろう。
谷宿坂(坂上から)《地図》
品濃一里塚(道の左右) 旧東海道戸塚側から。
品濃坂(坂上辺りから) 戸塚区平戸町から南西に下り環状2号を品濃坂歩道橋で渡り、さらに下る旧東海道。《地図》
科濃坂『江戸名所図会』
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