保土ヶ谷区(横浜市)の坂-1
保土ヶ谷駅・・・福聚寺・いわな坂・御所台地蔵尊・御所台の井戸・・北向地蔵・・岩井坂・・・円福寺・・・みらい坂・みらいの見える丘公園・・・インク坂・・・七曲坂・・・杉山社・・・安楽寺・・・今井川・・・旧東海道・・・帷子(かたびら)橋・帷子川・・天王町駅(相鉄線)
保土ヶ谷駅東口から国道1号を渡り、福聚寺脇を上る鎌倉街道(下の道)がいわな坂で、途中に御所台(源頼朝の妻政子)地蔵尊・井戸があります。坂上の辻に北向地蔵があり、岩井坂が大きくカーブして下っています。
国道1号に出て保土ヶ谷駅方向に戻り、円福寺の手前の坂を上ってみました。少し行くと左に分岐する坂もあります。真直ぐ進むと東トンネルまで続く長い坂です。戻って左に分岐する坂も上ってみました。これも急な坂で途中で石段坂が分岐しています。坂の途中に、「急傾斜地崩壊危険区域」の看板が掲げてあります。坂上まで汗をかいて上りました。石段坂との分岐まで戻って石段坂も上りました。これらの坂も名前があるか、いずれ名前をつけるでしょう。
石段坂の坂上を進むと「みらいの見える丘公園」に出てしまいました。(どの方向に歩いたのかよく覚えていません。)ここが「みらい坂」の坂上で坂標が立っています。階段坂のみらい坂を下ると石段の終わる所からも普通の坂道となって更に下って国道1号に出ました。みらい坂の坂標は坂上だけにしか設置されていないようで、下から上る時は上り口を見つけるのが難しいのではと思いました。
国道1号に出る角に富士見丘中学・高校への道案内板が掲げてあります。それにインク坂が載っていました。インク坂を上り富士見丘中学校の脇を通り、七曲坂の坂上に出ました。ここも何度(4回?)も曲がって下る長い石段坂です。
今日歩いた所は急勾配の坂だらけで、「急傾斜地崩壊危険区域」の標識がいくつも立っていました。坂道散歩には嬉しくなる急坂、長い坂ですが、住んでいる人は毎日の上り下りや生活が大変でしょう。
東海道線を越え、今井川から旧東海道へ出て天王町駅に着きました。駅前は昔、保土ヶ谷宿の帷子橋があった所で、小公園となって帷子橋の復元がありました。
*保土ヶ谷区のホームページ「保土ヶ谷の坂道」を参考に歩きました。
【地図】写真をクリックすると拡大します。
福聚寺(岩井町)
いわな坂(坂下方向) 岩井町の国道1号から福聚寺の西側を南に上る鎌倉街道(下の道)。坂上の清風高校の先の角に北向地蔵。《地図》
坂名の由来不明。漢字は「石名坂」「磐名坂」「石難坂」の説がある。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』
そばには古い地蔵、庚申塔、如意輪観音、馬頭観音などが並んでいる。
三猿の上には地蔵だろうか、珍しい庚申塔。
鎌倉へ向う途中で源頼朝の妻政子がこの井戸の水で化粧したという。
享保2年(1717)の建立。道標も兼ねていた。
岩井坂 岩井町の井戸ケ谷切通しから南東に上り、カーブして北東に上る。坂上に北向地蔵。《地図》
みらい坂(坂上から) 西久保町。国道1号から円福寺と安楽寺の間の道を入り、途中から何度も曲がって上り、「みらいの見える丘公園」に至る石段の坂。《地図》
平成16年の愛称募集でついた名。みらいへと続く?坂の意。それとも「みなとみらい21」が見えるということか。『保土ヶ谷区のホームページ 保土ヶ谷の坂道』
このあたりは、「急傾斜地崩壊危険区域」の標識が立っている。
インク坂(坂下方向) みらい坂へ向う途中で左に曲がり、何度も曲がりながら富士見丘中学・高校へと続く坂。《地図》
坂名の由来は、「富士見丘中学高校の近くの坂の由来は、昔諸星インキというインキメーカーの工場があったのです。そのため近隣の人たちが、インク坂と呼び習わすようになったのだと思います。創業は横浜外国人居留地のそばにありましたが、ここへ移転。創業者、諸星千代吉です。この会社の後継は、DNPの資本が入って、インクテック株式会社として2010年1月まで現存していました」(2011年5月18日の美馬様からの投稿)
七曲坂(坂下方向) 西久保町と西区の久保町の境を国道1号から何度も(4回)曲がりながら上る石段坂。坂上に東台寺、その先に富士見丘中学・高校。《地図》
杉山社(西久保町)
安楽寺(西久保町)
真言宗の寺
天和三年(1683)の造立。
帷子橋(復元・東海道) 天王町駅前
帷子川は以前(昭和31年まで)ここを流れていた。
帷子川(江戸名所図会)
安藤広重画
天王町駅の北側。
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コメント
インク坂を歩いた時には、まだ諸星インクの後継の「インクテック株式会社」があったのですね。気づきませんでした。おかげで坂名の由来が分かりました。美馬様ありがとうございます。
投稿: 坂道散歩 | 2011年5月18日 (水) 15:21
インク坂の名称の由来について、このサイトを見ていて気がついたので、お知らせします。
富士見丘中学高校の近くの坂の由来は、昔諸星インキというインキメーカーの工場があったのです。そのため近隣の人たちが、インク坂と呼び習わすようになったのだと思います。創業は横浜外国人居留地のそばにありましたが、ここへ移転。創業者、諸星千代吉です。この会社の後継は、DNPの資本が入って、インクテック株式会社として2010年1月まで現存していました。
投稿: 美馬照雄 | 2011年5月18日 (水) 11:22
はじめまして。
横浜の町を自転車で回っているぶんわんと申します。
2007年5月5日にここに行って同じような写真をとってきました。山門不幸の立て札はまだ残っていました。
時々遊びに来ます。宜しくお願いします。
はじめまして、ぶんわんさん
去年の夏の暑い最中に、汗をかきながら横浜の坂を歩いた時のことを思い出し懐かしくなりました。(それほど昔のことではないのですが)
横浜は坂が多く、ぶんわんさんも自転車で回るのは大変でしょう。
私もあちこちの坂道を歩きながら、近くのお寺、神社を訪れています。
無信心な私ですが、境内に入ると落ち着いた、ほっとした気分になります。
今後もよろしくお願いします。
8tagarasu
投稿: ぶんわん | 2007年5月 7日 (月) 20:50