« 南区(横浜市)の坂-2 | トップページ | 神奈川区の坂-1 »

2006年6月25日 (日)

南区(横浜市)の坂-3

2006年6月25日

上大岡駅(京浜急行)・・・餅井坂・・・内手坂・・・熊野神社・・・弘明寺公園・・・弘明寺口バス停 → 大池・・・引越坂・引越坂バス停 → 弘明寺口・・・弘明寺(ぐみょうじ)坂・弘明寺駅(京浜急行)→ 井土ヶ谷駅・・・春日神社・・・堂ケ谷公園・・・トンネル坂・・・井土ヶ谷駅

 餅井坂は鎌倉道の由緒ある急坂で、坂下の一画に説明台などがにぎやかに並んでいます。内手坂も急坂ですが、坂名の由来は分かりません。坂下から戻り、急な石段で熊野神社へ上り、少し進みまた急な石段で弘明寺公園まで上り弘明寺駅に下りました。

 引越坂は直線的で長く緩やかな坂です。面白い坂名でどんな由来があるのだろうと思っていましたが、昔の村の名だったと分かりちょっとがっかりしましが、「引越村」というのも変わった名です(後述)。 トンネル坂は横浜市(南区)のホームページで見つけた坂ですが、この名で呼ばれているかは分かりません。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02449餅井坂 別所3丁目と港南区最戸2丁目の間を南西に上る。《地図

鎌倉街道の「下の道」と「中の道」を結ぶ鎌倉道の坂。

諸国を旅した道輿准后という僧が文明18年(1486)にこの坂を上った。紀行の「廻国雑記」にあるもちい坂の歌 「行きつきて 見れどもみえずもちい坂 ただわらぐつに足を喰わせて」 (坂を上って餅が食べられると期待したが、茶店はあったが餅は売ってなかった。ただわらじが足に食い込んでいるだけだ。) 坂上を「甘酒台」といい、江戸時代には何軒かの茶店で甘酒を売っていたが、餅を売っていたかどうかは分からない。(坂下の説明文と『港南区のホームページ』から)

Dsc02456 坂の途中から

Dsc02448 手前から百万遍供養塔道標、新しい坂標、古い石の坂標、石製の説明台。

餅井坂の坂下にある。

Dsc02462 道標の解説文

Dsc02461鎌倉までの道程

道輿准后は道標の「みなミ かまくら道」を進み、もちい(餅井)坂→日限地蔵・・中の道(鎌倉街道)→すりこばち坂→鎌倉へと向かったのか?
むろん彼が旅した時にはこの道標は立ってなかったが。

Dsc02476 内手坂近くの道端の石造物(中里3丁目)

Dsc02463内手坂 中里3丁目と4丁目の間を北西に上る。《地図

坂名の由来不明。

Dsc02466 坂の途中のカーブする所から坂下方向。

Dsc02473坂上から

Dsc02475 急傾斜地崩壊危険地域で崩壊防止の土留のコンクリート壁。

Dsc02477 熊野神社へ上る石段(中里3丁目)

左奥が熊野神社

Dsc02478 石段上から

Dsc02479 弘明寺公園《地図》に上る石段。

Dsc02480 石段上から

Dsc02485 引越坂 六ツ川3丁目と2丁目の間を南西に上る。坂上近くの歩道橋のそばに六ツ川西小学校がある。《地図

六ツ川町は昭和2年3月まで引越村といった。『新編武蔵風土紀稿』には、「往時弘明寺、中里、別所、最戸、久保、合テ多々久郷ト唱ヘ一郷ナリシガ、其後カク五ケ村ニ分レシ時、其村々ノ民引越シテ一村をナシタレバ此名アリト云」とあるそうです。

Dsc02483 坂下近くから

Dsc02488 坂上近くから

Dsc02491弘明寺坂 弘明寺駅の北側から弘明寺へ下る。《地図

坂の途中から坂上方向

Dsc02493 弘明寺山門

横浜市内第一の古刹、坂東観音33ヶ所の14番札所。横浜三十三観音の33番

Dsc02501 境内

Dsc02513_1堂ケ谷公園脇からトンネル坂に上る石段。(永田北2丁目21) 《地図

Dsc02509 トンネル坂  石段上の坂。左手にトンネルがある。 《地図

横浜市(南区)ホームページの「永田・六つ川の丘」に載っている「トンネルのある坂」のこと。

Dsc02506_1 トンネル坂

Dsc02515 春日神社(永田東2丁目)

古くからの永田村の鎮守。

|

« 南区(横浜市)の坂-2 | トップページ | 神奈川区の坂-1 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 南区(横浜市)の坂-3:

« 南区(横浜市)の坂-2 | トップページ | 神奈川区の坂-1 »