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2006年7月22日 (土)

鶴見区(横浜市)の坂-1

2006年7月22日

新子安駅(京浜東北線)・・・滝坂・・・庚申坂・庚申塔・・・弁天坂・・・台(でい)の坂・・・安養寺・福寿弁財天・・・庚申塔・(龍泉寺)・・・貝助(けいのすけ)坂・・・花月園・・・子生(こいけ)坂・東福寺・・・手枕坂・総持寺・・・伊藤の坂・・・朝陽山八幡神社・・・鶴見駅

 滝坂の由来となった滝坂不動尊が見当たらない。散歩をしている人に尋ねると、2、3ヶ月前に新横浜の方へ移転したそうで、ちょっと遅かれしで残念でした。昔は境内に「不動の滝」があったといいます。

 滝坂上を進んで第二京浜国道を渡り庚申坂を上りました。坂上に庚申塔があります。横浜商科大学の前を通り、第二京浜の岸谷交差点に出ました。岸谷2丁目のバス停あたりにかつて泉池と新池があり、この池の間を上る坂が弁天坂で、横浜商大の方まで続いていたそうです。今は第二京浜に分断され北側の坂はありません。弁財天は今は安養寺の門前にあります。

 台の坂は岸谷3丁目から東寺尾東台まで上る長い坂です。坂下を南に行き安養寺に寄りました。JRの線路沿いを東に進み東福寺の東側の子生坂を上り、坂上から手枕坂を下り総持寺に出ました。戻って子生坂を下り、朝陽山八幡宮の北側の坂を上り、伊藤の坂の坂上に出ました。坂を下ってJR線路沿いに鶴見駅へ出ました。

  写真をクリックすると拡大します。

Dsc02898 滝坂バス停

Dsc02899 滝坂(坂下から) 岸谷1丁目と神奈川区子安台1丁目の間を北から北東に上る。坂上に生麦中学校。《地図

坂下近くに「滝坂不動尊」があり、本堂に登る階段の左側に2m余りの高さにある瀧口から流れ落ちる「不動の滝」があった。「滝坂不動の血噴の松」の伝説の松も大正の末頃には枯れた。『鶴見の坂道』

Dsc02901 坂の途中から坂上方向

右側の柵が「滝坂不動尊」跡

Dsc02904 滝坂不動尊跡

2、3ヶ月前に新横浜の方へ移転したという。(犬と散歩をしていた人の話)

Dsc02908 庚申坂(坂下から) 東寺尾4-8と4-12の間を北西に上る。坂上に横浜商科大学。《地図

坂上に庚申塔(宝暦6年(1756)建立)がある。

Dsc02916 坂上から

左側に庚申塔の小祠

Dsc02914 庚申塔

宝暦6年(1756)の建立。

Dsc02930 弁天坂 岸谷2丁目と3丁目の間を北西に上る。岸谷2丁目のバス停あたり。坂上は第二京浜国道。国道ができる前はさらに横浜商大の前まで上っていた。《地図

坂の途中に弁財天が祀られていて、神久保弁財天と呼んでいた。文化6年(1809)にお堂の破損がひどくなり、安養寺前に移された。『鶴見の坂道』 

Dsc02950_1 福寿弁財天(安養寺門前)

昔、弁天坂の途中にあった弁財天が祀られている。

Dsc02953 弁財天

弘法大師の作と伝えられ、本尊はもと近江国(滋賀県)、琵琶湖の竹生島の弁財天と同木で作られたと伝える。(弁財天説明板)

Dsc02948 神久保弁天坂の記載がある弁財天の説明板。

Dsc02933 台の坂(坂下近くから) 岸谷3-3と3-4の間を曲がりながら北方向に上る。《地図

この辺りでは、高台を「タカデー」と呼び、台の坂は岸谷の人たちが通った坂で、登り口から上までは350mもあり、ある人は「うなぎ坂」と呼びました。『鶴見の坂道』

Dsc02935 坂上近く

Dsc02943 坂の途中から下る石段坂

Dsc02946 安養寺(岸谷1-22)

Dsc02956 庚申塔(宝暦10年(1760)・龍泉寺前) 

Dsc02959 貝助坂(坂下から) 岸谷4-29と4-31の間を北方向に上る。柳町バス停そば。坂下は石段、坂上は花月園競輪場。《地図

およそ四百年前、生麦村の名主、関口八郎右衛門の先祖に関口外記助の一族と思われる貝之助という人がいて、この坂の付近に住んでいた。競輪場の台地を「貝助台」といい、ここに大正3年から昭和10年代に栄えた大遊園地「花月園」があり、その間を突っ切る坂道からの間道があった。昭和25年ごろ競輪場開設によってこの旧道は切断された。『鶴見の坂道』

Dsc02961 坂の途中から

Dsc02964 坂上から

Dsc02976 子生山東福寺山門(鶴見1-3)

Dsc02983 東福寺

古来、子育観音として名高い寺。堀河天皇が康和2年(1100)藤原道房を勅使として誓願したところ、3年後に皇子(後の鳥羽天皇)が誕生したとされる。『鶴見の坂道』

Dsc02980 子育観音(東福寺境内)

Dsc02982 疣取(いぼとり)地蔵(東福寺境内)

Dsc02981説明板

Dsc02994 子生坂(坂の途中から) 鶴見1-4と1-7の間を北に上る。坂途中の西側に子生山東福寺、坂上に三松幼稚園。《地図

坂の東側にある「子生山東福寺」の山号に由来する坂名。

Dsc02993坂上近くから

Dsc02989 「手枕坂」坂標

「嘉永6年(1854)2月16日米国人この坂を下りし時右側に右墓石あるを一見して手枕をなしたる状より手枕坂とその称起これ」『鶴見の坂道』 

Dsc02985手枕坂(坂上から) 鶴見2-1の三松幼稚園の東側を北東に下る。坂下は総持寺境内。《地図

旧手枕坂は、大正6年の総持寺境内の整備の際に廃坂となった。総持寺の南の台にあったので、南台の坂とも呼ばれていたようです。『鶴見の坂道』

Dsc02987 坂下方向

総持寺山門が見える。

Dsc02991 総持寺山門

Dsc03006 伊藤の坂(坂の途中から) 鶴見1-12と1-13の間を南西に上る。《地図

大正時代に坂の途中に、伊藤吉三郎という豪商が住んでいた。『鶴見の坂道』

Dsc03002 坂上近くから

Dsc02995_1 朝陽山八幡神社(鶴見1-10)

Dsc02973 庚申塔(享保2年(1717)・八幡神社前)

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